欲求・モチベーション・欠乏マインドセットはどう違う?
今回のテーマは「欠乏マインドセット」なのですが、その前につんさんが投げかけたのは、研究で使われる「モチベーション」と「欲求」は同じものなのか、という素朴な問いでした。
研究で使われるモチベーションっていう概念と、欲求っていうのって一緒なの?
つんさんは、自分が「これが欲しい」と思う感覚は、やる気や動機というより、もっと手前にある「欲求」に近いのではないかと整理します。
腹減ったという欠乏マインドセットがあって、ご飯食べたいという欲求があって、だからご飯作ろうというモチベーションにつながる。
これって、最初の(腹減った・ご飯食べたいを)モチベーションと呼ぶのかなっていう。
みやちゃんは、この視点を面白いと受け止めます。理論的には欲求とモチベーションは別の概念で、でもとても関連が高いものだと説明しました。
すごくいい視点ですね。理論的には欲求とモチベーション、動機づけっていうのは違うコンセプトで、でもすごく関連性の高いものです。
身体の空腹と、心の欠乏マインドセットはレイヤーが違う
つんさんが次に引っかかったのは、「欠乏」を「マインドセット」と呼んでいいのか、という点でした。お腹が空くような身体的な欠乏には、そもそもマインドは関係ないのではないか、という指摘です。
欠乏が先じゃない?だって欠乏しなければ欲求しないでしょ。ただその欠乏をマインドセットというのかなっていうのはちょっと疑問がある。
身体的欠乏って、マインド関係ないやん。お腹空くもんは空いてるし、眠たいもんは眠たい。
そこから、研究で扱われる「欠乏マインドセット」は、もっと限定的な話なのではないか、という推測につながります。
(研究で扱われる欠乏マインドセットは)足りないと思うものの種類を限っているのかなっていう気がしたけど、どうやろ。
みやちゃんは、実際その通りだと認めます。研究で扱われる欠乏は、たいてい時間とお金に限られているというのです。
確かに。時間とお金に限られてることはほとんどです。
つんさんは、「時間とお金に関する欠乏マインドセット」と言い切ってしまえば、議論が一気にわかりやすくなると提案します。「欠乏」とだけ言うと、何でも欠乏になってしまうからです。
「欠乏マインドセット」はなぜ身近な話に引き寄せられるのか
つんさんは、研究する本人にとっては「時間とお金の話」というのは当然の前提でも、一般に紹介されるときにはそこが抜け落ちやすい、と話します。
研究してる本人たちはそれが前提なので、そりゃそうやんってきっと思うと思うのね。
その結果、受け取る側は「欠乏マインドセット」を、自分にとって一番身近な足りなさに引き寄せて理解してしまう、というのがつんさんの見立てです。
欠乏マインドセットって言われて、お金が足りないと思っている人はお金のこと言うんだなって思うし、時間が足りない人は時間のこと言うんだなと思う。
だからこそ、「これは時間とお金の話ですよ」と一言つけ加えるだけで、理解がもっと正確になるのではないか、とつんさんは言います。
みやちゃんは、欠乏マインドセット理論そのものは「もの」に限定した話ではなく、リソース ── お金や時間、食料、環境など、何かの欲求を叶えるために使える資源のこと。欠乏マインドセット理論では、この資源が足りないと感じる状態が心の働きにどう影響するかを扱いますという言葉で語られていると補足します。そのなかで一番よく研究されているのが時間とお金だ、というわけです。
お金が足りない、その先には必ず「欲求」がある
つんさんは、お腹が空く・眠いという状態はリソースの話ではないけれど、食料や環境に置き換えればリソースになる、と整理します。お金も時間も、何かの欲求を叶えるためのリソースだという見方です。
お金が足りない、何がしたいからですか?っていう、やっぱり欲求がスタートになると思うのよ、その場合でも。
そしてつんさんは、その「欲求が何なのか」によって、欠乏がやる気につながるかどうかも変わってくるはずだ、と話を進めます。
その欠乏マインドセット、足りないと思うことがやる気につながるかつながらないかっていうのは、その欲求の種類によって影響の方向が変わってくる。
みやちゃんは、もしつんさんが論文の査読者 ── 研究論文が学術誌に載る前に、その内容や方法が妥当かをチェックする専門家のこと。問題点や改善点をコメントとして著者に返しますだったら、そういうコメントもあり得たと受け止めます。
「学生はみんな勉強したい」という前提は本当か
話は具体的に「学生」へと移ります。研究では、学生の勉強に関する時間とお金というふうに、対象がかなり限定されていました。
これに対してつんさんは、そもそも学生に「勉強したい」という欲求があるかどうかは人によって様々ではないか、と問いかけます。
(学生の欲求は)このことを学んで知りたいっていう人と、成績を良くしないといけない、単位を取らないといけないと思ってる人とで違う。
つんさんは、この違いを「自分の基準における欲求」と「学校という仕組みにおける基準の欲求」と呼び分けます。同じ「時間が足りない」でも、中身はまったく違うというのです。
時間が足りないのが、勉強したくないけど成績のためにやらなあかんという気持ちなのか、もっと探求したいけど時間がないという欲求なのか、全然ちゃうやんか。
勉強はしたくないけれど、単位や成績のためにはやらないといけない。そのための時間が足りない
もっと本を読みたい、このことを探求したい。だから時間が足りない
つんさんは、学生が必ず勉強したいと思っているという前提そのものに、「そんなことないやろ」と疑いを向けます。
8割は単位のため?教育現場のリアルな肌感
みやちゃんは、自分たちの先行研究では欲求そのものにフォーカスして測ってはいなかったと振り返ります。そして、その点への批判やフィードバックをもらったこともなかったと言います。
我々の先行研究では、欲求っていうものそのものにフォーカスしたり、測ったりとかはしてなかったです。
つんさんは、それはかなり大きな要素なのではないかと返します。ここでみやちゃんが、講師としての実感を率直に明かします。
大学に来てるんだから、大学生はみんな勉強したいと思ってるよねっていう(前提がある)。
多分実際、学生の8割ぐらいはただ単位取るために(来ている)。
これは研究データではなく、あくまで講師としての肌感だとみやちゃんは断っています。それでもつんさんは、目の前の学生全員が向学心に燃えているわけではないと知りながら、欲求への疑問が湧かないことを面白いと感じると話します。
目の前にいる人たちは全員が全員そんな向学心に燃えてるわけじゃないよねっていうことを知っていながら、その欲求の疑問が湧かないっていうのが面白い。
つんさんは、その理由を先行研究の前提にあると見ます。先行研究がある前提でなされていると、後の研究もその前提に乗っかることになるからです。
西洋の研究が前提にする「人は成長したがる」という人間観
つんさんは、いろんな研究を興味本位で調べるなかで、西洋の研究の多くには一つの人間観がベースにあると感じてきたと言います。
人は成長したいものだ、人は向上を望んでいるものだ、より良くあろうとするものだという人間観がベースにある気がする。
みやちゃんは、それを成長志向 ── 人はよりよくなろう、向上しようとするものだという人間の見方。西洋の心理学理論の多くが、この前提の上に組み立てられているとつんさんは指摘していますという言葉で受けます。つんさんにとっては、それが「そういう生き物だと思っている」という前提に見えるのです。
ところがつんさん自身は、実際に生きている人間として、そこに違和感があると打ち明けます。
(人は成長したがるというけど)俺そんなことないけどなと思ったりすんのね。もっと怠惰だし、別にそんなある程度でええしとか。
この前提があると、そもそも学生に勉強したい欲求があるかどうかを疑わなくなる、というのがつんさんの見立てです。
測れないものは「ないもの」になる?研究のウラ側
話は研究そのものの性質へと深まります。つんさんは、当たり前だけれど測れないものは要素に入れられない、という点を指摘します。
測れないものはないものとして扱うしかない、っていう側面があると思うのね。
つんさんが問うのは、その側面を自覚しているかどうか、そしてその自覚が説明にちゃんと加えられているか、という点です。研究では、入れていない要素の話はしないからです。
入れてないことを言わないじゃない。当たり前だけど、入れてることの説明をしないとあかんからな。
みやちゃんは、欠乏マインドセットとモチベーションの関係に影響しそうな要素として、年齢や性別などは議論していたと振り返ります。でも欲求は根本的すぎて測るのが難しく、議論にさえ出なかったと認めました。
データを鵜呑みにしない、大人の読み解き方
つんさんは、過去の研究を調べるとき、いつもAIに疑問をぶつけると言います。とくにアンケート形式の研究には、独特の引っかかりがあるようです。
(アンケートに)そう答えた、すなわちそう思ってるって受け取るのは、素直すぎへんかと思うね。
回答はしていても、本当にそう思っているかは別問題ではないか、というわけです。つんさんは「もっと人を疑った方がいい」と冗談まじりに語ります。
さらにつんさんは、心理学的な調査ではマインドセット自体が変化することも指摘します。同じ「時間が足りない」でも、外側の理由から始まったものが、あるときから本当にそう思うものへ変わることもあるからです。
やらなあかんっていうよりも、これもっとやりたくなってきたなっていう風に変化したりすることもある。
だからこそ、研究を読み解く側の姿勢として、研究が始まる前の時間軸、つまり「どんな欲求を持っていたのか」に思いを馳せてみると視野が変わる、とつんさんはまとめます。
みやちゃんは「解像度がね」と受けて、この回を締めくくりました。
まとめ
今回は「欠乏マインドセット」を入り口に、心理学研究が前提にしている人間観を二人で問い直しました。データや理論をそのまま鵜呑みにせず、その手前にある「測れない欲求」に目を向けることが、大人の知的な読み解き方につながる、という話でした。
- 研究で扱われる欠乏は、多くの場合「時間とお金のリソース」に限定されている
- 同じ「時間が足りない」でも、自分の基準の欲求か、学校の仕組みの基準の欲求かで意味が変わる
- 講師の肌感では、学生の8割ほどは単位のために来ているという現実がある
- 西洋の研究の多くは「人は成長したがる」という人間観を前提にしていると、つんさんは指摘する
- 測れないものは研究では扱われにくい。だからこそ読み解く側が前提を意識することが大切






