ゲスト柿内正午さんとネロ回のはじまり
今回のこじらせ平成夜話は、相方の津田さんが不在のゲスト回です。
ゲストは『ポイエティークRADIO』のパーソナリティで文筆家の柿内正午さん。文芸誌に書評や批評を書くこともあると話されています。
普段は佐々木さんと津田さんが平成カルチャーをプレゼンし合う番組ですが、今回は柿内さんがひとつのキャラクターについて語る回になりました。
そのキャラクターが、人気作『Fate』に登場するネロ・クラウディウスです。
すいません、もう先に謝っておきます。本当にごめんなさい。
開始早々の謝罪から、いかにこじらせた回になるかがにじみ出ています。きっかけは、佐々木さんの『FGO』紹介回(第131回)を聴いた柿内さんが、自分の育成キャラ一覧のスクショを送ったことでした。
なんかネロっていうキャラクター何種類かいるんですよね。めちゃくちゃいて、しかも全員レベルがめちゃくちゃ高い。「え、そんなに好きなら語ってよ」ということで。
『Fate』のネロと「受容史」という考え方
本題の前に、まず『Fate』とネロの位置づけが整理されます。
『Fate』では、歴史上の偉人を「英霊」「サーヴァント」として召喚し、戦わせるシステムがあります。最も有名なのが剣士のセイバー、アーサー王です。
ネロ・クラウディウスは別作品『Fate/EXTRA』のセイバーで、青いアルトリアに対して「赤セイバー」と呼ばれます。史実では男性のローマ皇帝ですが、『Fate』では女性キャラとして描かれています。
柿内さんは、もともと歴史上の偉人を萌えキャラ化することが好きではなかったと話します。
歴史上の偉人をあまつさえそういう萌えキャラみたいにしていく所行を許せねえって思ってた。でも初めていいなって思っちゃった。評価がひっくり返ったきっかけがこのネロである。
その転換を支えたのが「受容史」という考え方です。柿内さんは、ゲーム実況番組でギリシャ研究者が語った内容を紹介します。
『Fate』のサーヴァントは、史実の本人そのものではなく、民衆にどう語り継がれてきたかという「伝えられた姿」として現れます。だから刀からビームが出るような必殺技も成立する、というわけです。
民衆によってどのように語り伝えられてきたか、それ自体がどういうキャラクターなのかとして出てくる。それがFateにおける英雄たちの姿なんだと。
佐々木さんは、実在が疑わしいシャーロック・ホームズが「探偵の代表」として英雄化される例を挙げ、この見方に納得します。
実在の人物が事実としてどうだったか
その人物が後世にどう語り継がれ受容されてきたか
暴君ネロが暴君と呼ばれた本当の理由
ここから柿内さんは、史実のローマ皇帝ネロについて語ります。ゲーム内では残虐に描かれることもありますが、実際は複雑な事情があったと言います。
ネロが暴君と呼ばれた理由は二つ。ひとつはキリスト教を迫害したこと、もうひとつは元老院に強く嫌われたことです。
当時のキリスト教は怪しい新興宗教で、ローマ帝国よりも個人の魂を優先する集団でした。これはローマ市民の価値観と真っ向から対立します。
古代ローマっていうのは永遠に続くんだよ。ローマの永続が個人の持続よりも優先される。ローマのために持続するのであれば、自分の命ぐらい投げ打っても構わない。
柿内さんは、この価値観こそ『FGO』の芯だと主張します。ここで最初のテーゼ「FGOとはローマである」が提示されます。
『FGO』では、サーヴァントたちが世界を次世代に託し、金粉を撒き散らしながら爽やかに死んでいきます。柿内さんは、この自己犠牲の美学が古代ローマ人の感性そのものだと指摘します。
一方で、二千年を経てキリスト教が生き残り、ローマ帝国は消えました。歴史の勝者が歴史を語るため、迫害された側のネロは最悪の暴君として伝えられた、というのが柿内さんの読みです。
ローマ市民に愛された皇帝ネロの実像
では、なぜ『FGO』のネロは天真爛漫な愛されキャラなのでしょうか。柿内さんは、それが史実のネロが市民に愛されていたことの反映だと語ります。
実在のネロは皇帝になる前から優秀な弁護士で、あまりの優秀さに若くして裁判に立っていました。皇帝としても減税など市民が楽に暮らせる政策を次々打ち、市民から絶大な人気を得ていました。
いやこれさ、なすきのこやばいよな。彼のキャラクター解像度異常だね。今ある話、全部ネロのキャラクターにあるもんね。
一方で、既得権益を削られた元老院はネロを強く嫌いました。さらにネロはギリシャ文化を愛し、竪琴を弾いて歌うことを好みました。当時、歌や踊りで人を楽しませるのは奴隷の仕事とされ、皇帝がそれをやるのは下品だと批判されたのです。
つまりネロは、後世のキリスト教徒から道徳的に非難され、同時代の元老院からは下品だと突き上げられました。それでも民衆はネロを愛していた、という構図です。
後世のキリスト教徒から道徳的にダメと言われ、元老院からあいつはイケてないと突き上げられる。でも民衆はみんなネロが大好き。
柿内さんは、公式文書ではなく名もなき市民の視点でネロを描く『FGO』の姿勢に感動したと話します。
なんか民衆は絶対好きだったはずなんだけどなみたいな気持ちが、FGOで成仏したのよ。
佐々木さんも、マリー・アントワネットやサリエリなど、悪評を負わされた人物を擁護的に解釈する『Fate』の作風に触れ、この点にこそ『FGO』の輝きがあると語ります。
同時代
市民には愛された皇帝ネロ
同時代の権力側
元老院からは下品と嫌われた
後世
覇権を取ったキリスト教徒が最悪の暴君として語り継いだ
主人公の「名もなさ」と自己犠牲への違和感
話は『FGO』のシナリオそのものへ移ります。柿内さんは、主人公が突出したところのない普通の人として描かれる点に注目します。
平凡な主人公が戦いに巻き込まれる構図は王道ですが、『FGO』では主人公が「名もなき民衆の代表」であることにメタ的な意味がある、と二人は評価します。
民衆側からどう見えてたのかっていう形でネロ・クラウディウスというサーヴァントを出してくれる。そのキャラクターの作り方ってめちゃくちゃ正しいよね。
ただし柿内さんは、シナリオ自体はあまり好きではないと打ち明けます。毎回泣かされるほど巧いとしつつ、その泣かせ方に引っかかると言います。
マジで泣くんだけど、泣かせ方がちょっとキモいなって思う。サーヴァントたちが金粉まき散らしながら爽やかな笑顔で世界を託して死んでく。あの自己犠牲がずっと続くのがキモくて。
これに対し佐々木さんは、そもそも自己犠牲だと思わせない作りの巧みさを挙げます。
サーヴァントは死者であり、生前に果たせなかった未練を今回の戦いで満たしていく構成になっています。だから没入して読むと、自己犠牲が鼻につかないというのです。
命を捨てて然るべきという構図にはなってるけど、没入して読んでいる中で、そんなにそこは鼻につかない。
さらに佐々木さんは、人を泣かせるために計算され尽くしたシステムそのものに感動すると語ります。
なんて人を泣かせるために計算され尽くされた物語を書かれてるんだという感動もFGOにはある。
家に帰ってきてほしい、というアンチテーゼ
柿内さんは、個人が大きな物語のために命を投げ出すこと自体に強い抵抗があると語ります。
なんていうのかな、家に帰ってきてほしいの。大体のエンタメで、生きて帰ってくるやつ、生きて帰ってこねえの。気持ちよく死んでんじゃねえよみたいな。
その根っこには、実在する生身の人間に何かを託して物語を作ることへの苦手意識があると言います。アイドルの過酷なドキュメンタリーにドラマを見出すような感覚に、キモさを感じるのだそうです。
人のために自分の身を犠牲にするなよ。ちゃんと家に帰ってあったかい布団で寝ようみたいな気持ちがすごい強いの。英雄になんかならない方がいいんだよ。死ぬなよ。
だから柿内さんが『Fate』で一番好きな作品は、日常のご飯を描く『エミヤさんちの今日のごはん』だと話します。
ここで柿内さんは第二のテーゼを掲げます。「ネロはローマであり、アンチローマである」。つまりネロは『FGO』そのものでありながら、その自己犠牲の美学へのアンチテーゼでもある、という主張です。
その象徴が、ネロが持つスキルで三回発動する「ガッツ」です。人間なのに何度も死にきれず耐える能力に、ネロの死に様が反映されていると言います。
泣きながら死ねなかった皇帝の生き汚さ
柿内さんは、ネロの最期をめぐる逸話を語ります。ここに三回ガッツの意味が込められているとのことです。
食糧難の際、小麦の代わりに砂が搬入される事件が起き、市民は一斉に手のひらを返しました。元老院も同調し、兵士がネロを殺しに向かいます。
ローマ市民は本来あっさり死ぬはずでした。しかしネロは違いました。処刑ではなく自死こそローマ市民の誉れなのに、泣きながら首にナイフを突き立てても、なかなか死ねなかったのです。
ベソベソに泣きながら首にナイフを突き立てるんだけど、うまく死ねないの。「なんと惜しい芸術家がこの世から失われていくのか」って言うんだよ。
下手な歌で失笑を買っていたネロですが、自認は芸術家でした。何度も自害を試みてようやく死に、追っ手がマントをかけると、一度は目を開けて言葉を残したという逸話まで残っています。
遅かったな。だが大儀であった。
要するにネロは、最後の最後まで生き汚く、みっともなく死んでいったのです。柿内さんは、そのダサさこそが良いと語ります。
佐々木さんは、この死に様まで含めてネロのキャラクター造形が完成していると気づきます。天真爛漫さの裏には、身内からも愛されず毒を盛られた影があり、それが空元気のように見えてくると話します。
ただの明るくて元気な萌えキャラではなかったんだね。
顔が可愛くてエッチでいい、というオチ
最後に柿内さんは、ここまでの話を「台無しにするようなこと」を打ち明けます。今日一番言いたかったのは別のことだったのです。
今日一番言いたかったことは、FGOのネロちゃんは顔が可愛くて、なんかちょっと下品なエッチっていう。
キャラクターデザインはわだあるこさんで、顔が可愛く、少し下品なエッチさがあると柿内さんは言います。そしてそれをどう肯定できるかを考え抜いたのが、この一時間だったと明かします。
ネロは民衆に愛される一方で、下世話な感性を持つポピュリストでもありました。ここで「グロテスク」という言葉の語源が紹介されます。
柿内さんは、二次元キャラの誇張された身体を長らく「グロい」と感じていたと言います。ネロの造形もまさにそれでした。しかし顔が可愛かったのです。
子どもの頃に西洋の児童文学で憧れた金髪碧眼のお姫様。その顔に、現代の大衆であるオタクを喜ばせる下品な身体が組み合わさっている。ここに柿内さんは納得したと語ります。
古代ローマで元老院から軽蔑されて歌ってたネロが現代に戻ってくるなら、現代の哀れな古代ローマ市民である萌え豚たちのために、バインバインの格好で出てくるよなと納得した。
柿内さんは、下品で悪趣味なものを楽しむ自分をどう受け入れたか、という話でもあったと締めくくります。趣味の良さを自認していた自分に、下品なものを楽しんでいいと許す言い訳が、ネロによってできたというのです。
なお、ライバルのエリザベートについても触れられます。エリザは民衆を自分のために使う自己中、ネロは愛されたくてみんなを愛する自己中として、対照的に描かれていると柿内さんは説明します。
後半では、完結した『FGO』のラストバトルで、柿内さんが思い入れのあるネロと岸波白野を連れて行った話や、佐々木さんがマシュで攻略した話も交わされ、ユーザーごとの楽しみ方を許す構成が語られました。
まとめ
暴君として伝わるネロが『FGO』で愛されキャラになったのは、後世のキリスト教徒や元老院の評価ではなく、同時代の市民の視点を優先したからでした。柿内さんは、それを受容史とローマ観から読み解き、最後は「顔が可愛くてエッチでいい」という本音にたどり着きます。追えば追うほど深みが増すのが『FGO』のキャラクターだと、二人は語り合いました。
- 『Fate』のサーヴァントは史実の本人ではなく、民衆にどう語り継がれたかという「受容史」の姿として現れる
- 史実のネロは市民に愛された皇帝で、暴君イメージは後世のキリスト教徒と元老院による評価だった
- 個が世界のために死ぬ美学は古代ローマ的だが、柿内さんはその自己犠牲への違和感を語る
- 泣きながら死にきれなかったネロの生き汚さが、三回ガッツのスキルに反映されている
- 下品なキャラ造形を肯定する言い訳として、柿内さんはネロの歴史的背景を用いた
