石山さん経由の出会いと、和太鼓奏者という人物
堀江達郎さんは長野県池田町の陸郷地区に住み、和太鼓の講師をしたり、各地で演奏をしたりして活動しています。
前原さんが堀江さんと知り合ったきっかけは、以前紹介した石山さんのところ。堀江さんが偶然その場に居合わせていたことから縁がつながりました。
石(山さん)のとこで収録してる時に、俺ちょうどたまたまお邪魔してて。お、やってるやってる、何やってんだみたいな感じでなってましたね。
陸郷は「陸の里」と書く池田町の地区です。前原さんは、まず堀江さんがどうしてこの山奥にたどり着いたのか、過去にさかのぼって聞いていきます。
島根から名古屋へ。プロチームの代表を務めるまで
堀江さんの出身は島根県の松江。大学で名古屋に行き、太鼓や踊りをやるサークルに入ったことが、和太鼓との出会いでした。
そこからあの、あ、これだっていうのがちょっとありまして、名古屋の和太鼓のプロチームに研修生で入って、そこからずっと名古屋でやってきました。
その後、名古屋の和太鼓プロチームに研修生として入り、最後の4年間はそのチームの代表を務めました。活動は2017年いっぱいまで続きます。
そして2018年11月ごろ、まず安曇野市の穂高に引っ越します。いきなり陸郷に来たのではなく、賃貸でワンクッションを置く形でした。
名古屋で「終わった」感覚と、安曇野で体が反応した瞬間
名古屋を離れた背景には、2017年の段階で「自分がやることは全部終わった」という感覚がありました。次にどこへ行こうかと探し始めます。
当時から東海エリアと関東エリアの両方で仕事があったため、その中間で行きやすい場所を探しました。候補は長野、山梨、岐阜、静岡あたりに絞られていきます。
情報収集をしたり実際に足を運んだりする中で、安曇野に来たときに直感的な確信が訪れました。
安曇野にある時、こうパッといった時に、あ、ここだなっていうのが、これも直感的にありまして、体がバーッと反応した。ここですみたいな感じで。
堀江さんは元々、頭で考えるのが得意で体が苦手なタイプだと話します。だからこそ、考え抜いた末に体から出てくる直感は信憑性が高いと感じているそうです。
頭でめちゃめちゃ考えた後の、それを踏まえた上でボディでやるとか、直感的に出てきた答えって結構信憑性が高いなと思って。要は肌に合うっていうか、空気が合うっていうか、そういう感覚なんですけども。
名古屋は湿度が体に合わなかった可能性が高く、陸郷に来てからは体調が良いといいます。前原さん自身も東京で体調を崩してこちらに来た経緯があり、この点には共感を示していました。
祭りの奉納の翌朝にかかってきた1本の電話
安曇野の賃貸に住みながら周辺を見て回っていたところ、不動産屋から陸郷の山の上にある古民家を紹介されます。まずは太鼓のスタジオにしようと、その手入れから始めました。
太鼓は音がとても大きいため、音が出せるのが絶対条件でした。今の場所はお隣まで約250メートル離れていて、音は出し放題だといいます。
古民家の手入れをしながら、堀江さんは陸郷の人たちに挨拶をし、草刈りを手伝うなどして地域と関わるようになっていきます。
古民家は山のお宮のすぐ下にあり、秋のお祭りで太鼓を奉納する機会がありました。奉納とは、太鼓そのものを納めるのではなく、演奏を神様に捧げることです。
面白いことに、この地域には移住者がジャンベを演奏する文化が根づいていました。
祭りの翌朝、相談していた地域の方から電話がかかってきます。「達郎、いい話があるけど聞くか」という内容でした。
祭りで太鼓の演奏を奉納した次の日の朝に今の家が来るっていうミラクルが起きまして。
空き家になって5年ほど経っていた今の物件を紹介され、堀江さんはその場で即決。本格的に陸郷へ引っ越すことになりました。
前原さんは、草刈りや奉納を通じて堀江さんの人となりが地域に伝わったのではと解釈します。堀江さん自身は「そこまで聞いたことはない」としつつ、話はトントン拍子に進んでいったと振り返りました。
名古屋のチームを離れ、ソロで突き詰めるもの
前にいたチームは太鼓関連の会社が主体で、その専属プロチームとして自由にやらせてもらっていたといいます。ただ、会社の枠の中でできる限界まで到達してしまいました。
その中でっていうのができる限界までもうやっちゃって、ここから先は出るしかないみたいな、そういう感じだったかなと思いますね。
今は、自分の中からどういうものが生まれてくるのかを突き詰めていく段階だと堀江さんは話します。そこには手応えもあると言います。
堀江さんが目指すのは、演奏、音、体の使い方、音楽、人の意識への作用など、いくつもの側面が全部つながった先にあるものです。
職人芸とアーティスト、芸術家の交わってるところをやりたいんですね。
さらに、太鼓の演奏はその場に居合わせて体感してもらわないと本当には伝わらないもの。その時その場限りで成立するものだと語ります。
そうしたいくつものバランスが、今のほうが以前より整ってきているといいます。前と比べてどうかと問われると、堀江さんはこう答えました。
前は若かったなみたいな感じでしょうかね。
無駄をやめる「機能的脱力」という考え方
堀江さんが和太鼓を始めて22年ほど。前原さんはレッスンの様子を見て、習っている人との体の動きの違いに驚いたと話します。無駄な力が入っていないという印象でした。
堀江さんによれば、力がまったくいらないわけではなく、適切に使えばいいという話です。多くの人は、いらないことをしすぎているだけだといいます。
人間いらんことしすぎなんで、大体ほとんどの人がいらんことをやめて、必要なことをやるっていう、そんだけなんですよね。
ただ、完全に力を抜いたら何もできません。心臓の力まで抜いたら死んでしまう。そこで堀江さんが使うのが「機能的脱力」という言葉です。
いらない力は、いらないだけでなく力の伝達を妨げます。それを排除すると全身が連動し、腕だけがパンパンになるようなことが減り、局所的に疲れにくくなるといいます。
この方向性が見えてきたのは、プロチームの研修に入ってから最初の4、5年ごろ。練習を重ねると誰もが限界にぶつかり、それをどう突破するかが課題になっていったと振り返ります。
体苦手って言いましたけども、なのに限界が低かったわけですね、自分のね。じゃあどう突破していこうかっていう時に、体の使い方であったり、意識のことをいろいろ勉強してみたりもしましたね。
体の使い方は結局、癖であり潜在意識に近いところにあります。癖はなかなか直せないため、そこにどうアプローチするかを、この20年近く続けてきたといいます。
弱みから始めた表現と、頑張りすぎない生き方
和太鼓奏者にはごつい人が多いイメージがありますが、堀江さんは逆に、体の弱さという弱みからスタートしました。だからこそ最小限の力で最大限のパフォーマンスを目指す方向に向かったといえます。
堀江さんは、自分の強みは疑ったほうがいいと話します。強い人は強みに頼りがちで、それを疑わないからです。
体が強い人は筋力に頼りがちとか、強みなので、それを疑わないみたいなのが。そういう意味では僕も思考能力を疑った方がいいんですよね。強みなんで。
考えるのが得意な堀江さんにとって、太鼓を打っている時は思考がかなり落ちます。それがバランスを取ってくれるため、太鼓をやっていてよかったと感じるそうです。
この話は、頑張りすぎないという生き方にもつながります。堀江さんは昭和生まれで、がむしゃらに頑張れという精神論のある環境で育ちましたが、体が弱く無理がききませんでした。
あえて言うと頑張りすぎないっていうのが大事だっていうので、頑張る方向性というか、頑張り方というか、その辺にちょっと敏感になった方が成果は出やすいかな。
前原さんも、早くに父親を亡くした経験から生きることを考え続けてきたと打ち明けます。人生の目標がすでに定まっているため、かえって楽観的に構えられるようになったと語りました。
里山をどうしたいか。人が手を入れて回る自然
話題は現在の暮らしへ移ります。堀江さんは鶏を飼い、畑や田んぼもやっています。この山地域を「いい感じにしたい」という思いがあるといいます。
陸郷は古代から人が住んでいた里山だと堀江さんは見ています。近くでは土器も出ており、沢筋の畑や田んぼは、昔から人が農耕してきたであろう場所です。
ここで大事なのは、自然を人間と対立するものとして捉えないことです。里山は人が関わることで循環してきた自然だからです。
社会が変わり、薪を取らなくなったり、人が山から下りたりすると、手入れされなくなった里山は荒れやすくなります。
里山って人が手を入れると生産性が上がるんですね。循環量が大きい状態をキープしてたのが、その人が手を入れるのだけぽいっていなくなると、一気に藪になってとか、山が荒れるみたいな状態になりやすいわけですね。
里山として回ってきた山を、また里山に戻したほうがいいのか、別の可能性があるのか。耕作放棄地をまた使える状態にできないか。堀江さんはそうしたことを複合的に考えています。
鶏は、養鶏をやっている友達からヒヨコをもらって育てたもの。今は4羽で、五島紅葉、アローカナ、ウコッケイの雄という種類がいます。見た目も鳴き方も違い、前原さんには刺激的だったといいます。
限界突破集落で必要なのは、協力し合える人
耕作放棄地の課題に対し、堀江さん一人でこの広い地区をカバーするのは難しいところです。話は地域の協力関係へと広がります。
陸郷では、みんなで協力しないと回らないことが前提にあります。生まれ育って70年以上この地を守ってきた高齢の方もいれば、堀江さんが物件を紹介して愛知から移住してきた友人もいます。
みんなそれぞれにできることもキャパも全然違うんだけども、やっぱりできるところで協力し合って、それがいいバランスになっていくといいかなとは思ってますね。
行政がすべてやってくれるという感覚では、住むのが難しくなるといいます。道の草刈りは自治会や道路愛護会が担っており、放っておくと数年で道が通れなくなるほどだからです。
陸郷地区は現在16世帯ほど。山3つ分ほどの広さに、それだけの世帯しかいません。堀江さんは、この状態を独自の言葉で表現します。
人が少なすぎるため、人付き合いは基本的にオープンにならざるを得ないといいます。閉鎖的というより、開かれた関係が成り立っているそうです。
空き家自体はあるものの、傷んでいたり家主と連絡が取れなかったりします。すぐ入れる物件はすでに紹介済みですが、家を建てられる土地は残っているといいます。
和太鼓奏者が山奥で暮らす、お金の長所と短所
移住で気になるのが収入面です。前原さんも田舎暮らしのネックとして感じていた点を、和太鼓奏者という職業に引きつけて聞いていきます。
まず和太鼓は、街中にスタジオを作ろうとすると防音に大きなお金がかかります。完全に防音しようとすると、防音壁にコンクリートが1メートルほど必要になるといいます。
一方、山の中なら音は出し放題で、環境も良く、ここに来るだけで元気になる。その状態で演奏に向かえるのは大きな利点です。
場所、場によって人間のパフォーマンスって非常に変化するので、それをいいところに持ってきやすいっていうのはあると思います。
ただし、それは人が集中していないからこそできることです。裏を返せば、生徒やお客さんを集めにくいという短所にもなります。都市圏のほうが仕事も生徒も確実に多いといいます。
陸郷ではお金を介さないやりとりの比重が大きく、堀江さんがくれたネギやナスも、もらいものでした。とはいえお金も必要なため、どう稼ぐかは課題として残ります。
そこで堀江さんは、太鼓を積んで出張レッスンに行くことも考え始めています。使えそうな太鼓も準備が整いつつあるそうです。
ただ、太鼓のリモートレッスンには慎重です。ピアノの生徒はリモートでレッスンをしていますが、太鼓では大事なことを伝えられる気がしないといいます。
自分は本当に大事なことを伝えられる気がしないので、そこには手を出さないでおこうかなとか。
収入源は太鼓だけではありません。東京では潜在意識に関する講座も行っており、こうした活動には一度会って直接伝える必要があると考えています。
移住で気をつけたい「一度保留する」という姿勢
お金の優先度は下がり、地域でのもらい合い・あげ合いを通じて、苦労より幸福が増えてきたと堀江さんは話します。ただし、草刈りや土の世話などやることは多いといいます。
コミュニケーションや自然の世話が苦でなければ、陸郷のような自然豊かな地域でも楽しく暮らしていけるポテンシャルはある、というのが堀江さんの見立てです。
移住を検討している人へのアドバイスとして、堀江さんが挙げたのは都会の常識で判断しないことでした。
都会の常識で物を判断しないで一回保留するっていうのが大事だと思います。
相手がどういう意図でそうしているのかを一度受け止める。自分の思い込みかもしれないと考え、観察しながら仲良くなっていくと建設的になるといいます。
前原さんも、言われたことに反射的にきつい言い方をしてしまった経験を打ち明けます。堀江さんは、我慢する必要はないが、一度ワンクッション置くだけで全然変わると応じました。
なお、先に住んでいるのは地域の側です。移住先ではその前提を踏まえることが、折り合いのポイントになりそうです。
陸郷への招待と、次回の未来の話へ
対談編の第1回は、過去と現在をたどる内容でした。堀江さんは最後に、陸郷に遊びに来てほしいと呼びかけます。
陸郷に遊びに来れる人はどんどん来てほしいなと思います。うちにスタジオがあって、そこで今太鼓のレッスンしてますので、興味がありましたら是非遊びに見学にでも来てもらえたらいいかなと思いますね。
問い合わせは堀江さんのInstagram、Facebook、Xから可能です。詳細は概要欄にまとめられています。
次回は未来の話として、この陸郷地区をどうしていくかを聞いていく予定です。
まとめ
和太鼓22年のプロである堀江達郎さんは、名古屋のチームでの限界を感じ、直感に導かれて長野の山奥・陸郷へたどり着きました。音を出せる環境、体の使い方の探究、そしてお金を介さない地域の関わりが、そこでの暮らしを支えています。
- 堀江さんは名古屋のプロチームで代表まで務めた後、2018年に安曇野を経て池田町の陸郷へ移住した
- 太鼓の奉納演奏をした翌朝に今の物件の話が舞い込み、その場で移住を即決した
- いらない力だけを抜く「機能的脱力」を軸に、体の弱さという弱みから独自の表現を突き詰めてきた
- 16世帯ほどの陸郷を堀江さんは「限界突破集落」と呼び、協力し合える人であれば楽しく暮らせると語る
- 移住では都会の常識で判断せず、一度保留して相手の意図を受け止めることが折り合いの鍵になる


