なぜ武士は男性同士でセックスしていたのか
日本の武士の時代には、武士同士の男性間セックスがごく普通に行われていました。楊さんは、その源流を仏教寺院の文化に求めています。
寺院では、年長の僧侶と若い稚児 ── 寺院に仕えた少年。僧侶の身の回りの世話や学問、芸能の修行をしながら寺で暮らした。必ずしも幼い子どもだけを指すわけではありませんの間で性行為が頻繁に行われていました。楊さんによれば、それは教育という概念も含んだ関係で、年齢差のある古代ギリシャの関係に近いものだったといいます。
樋口さんは、稚児が宗教的にどう位置づけられていたかという研究を紹介します。稚児は寺に入るときに儀礼を受けて神聖な存在となり、僧侶を救済する役割を担いました。その救済には性も含まれていたと考えられています。
だから稚児とセックスするっていうことは、女とセックスしたことにならないから、(僧侶が)禁を破ったことにはなってないんですよね。
仏教では本来、ブッダが執着を捨てよと説いた以上、性的な執着は否定されます。それでも寺院の男色は暗黙の了解としてガス抜きのように認められ、偉い僧侶も黙認していたと楊さんは説明します。
寺院は同時に教育機関でもありました。武士は幼いころに寺へ学びに行き、そこで僧侶との関係を経験します。その世代が大人になって文化を受け継いだ結果、武家社会でも男性間セックスが当たり前になったという流れです。
だからその武士というのはここ(寺院)に教育に行くわけですよね。だから、なんなら武士は、その幼い時に、その僧侶とセックスしてるわけです。
僧侶になっていたのは武家の次男や三男でした。家来を連れて寺に入ることもあり、稚児といえば美少年のイメージがありますが、当時の絵にはマッチョな武士同士の性行為も描かれていると樋口さんは話します。
楊さんは、参考にした本に挙げられていた男色の記録がある人物を読み上げます。源頼朝、足利尊氏から徳川家康、徳川綱吉、徳川家斉まで、将軍の多くが含まれていました。
将軍以外にも、細川政元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、上杉謙信、前田利家、宮本武蔵といった名前が並びます。深井さんが「僕ですら知ってる人が」と驚くほど、武家社会では一般的なことだったと考えられます。
婿取り婚から嫁取り婚へ。武士が変えた結婚のかたち
中世になると、日本の結婚制度も変わります。それまでの貴族社会は、男性が女性のもとへ通う婿取り婚でした。武士の台頭とともに、女性が夫の家に入る嫁取り婚が広まっていきます。
樋口さんは、その理由を武士社会のキャリアアップの仕組みに見ています。貴族社会では男性の出世は生まれでほぼ決まるため、娘を身分の高い男性と結婚させることが一族の死活問題でした。
一方の武士社会では、生まれもある程度影響したものの、戦場で戦闘力を発揮すれば出世できました。別のキャリアのルートができたことで、結婚における女性側の家の価値が相対的に下がったと樋口さんは話します。
加えて、武士は土地を守り、開発し、武士団に従って常に動き回ります。京都にいる女性のもとへ婿入りするのは現実的ではなく、嫁を自分の側に迎える形へ移っていきました。
出世は生まれでほぼ決まる。娘を身分の高い男性と結婚させることが重要で、男性が通う婿取り婚
戦場での働きで出世できる。土地を守り動き回るため婿入りは難しく、嫁を迎える嫁取り婚へ
楊さんは、律令制以降に男系の相続が進んだことも背景に挙げます。男子が財産を継ぐ社会では、嫁を取らなければ相続の筋道が混乱するからです。律令制と武士は、どちらも日本社会をダイナミックに変えた要因だとまとめられています。
江戸の庶民はどれほど性におおらかだったのか
楊さんが「江戸時代はすごいよ」と切り出し、樋口さんが江戸の性文化の特徴を挙げていきます。まず、夫婦のセックスは日常的なもので、キリスト教のように夫婦でも性欲を抑えるべきだという考えはありませんでした。
その象徴として紹介されるのが小林一茶 ── 江戸時代後期の俳人。「やせ蛙負けるな一茶これにあり」など、身近な生き物や暮らしを詠んだ句で知られていますです。一茶は日記に、1日5回妻とセックスしたと書き残しているといいます。
小林一茶のどの句を読んでも、この人1日5回セックスしたんだなって。
庶民が使う湯屋、つまり銭湯では混浴が当たり前でした。裸で一緒に湯につかるうちに気持ちが盛り上がることもあり、人目をはばからない人もいたため、幕府が風紀の乱れとして混浴を禁止したこともあったそうです。
盆踊りも男女の出会いの場でした。17世紀の江戸では盆踊りブームが起き、7月ごろから10月ごろまで毎晩踊り続けるほどの人気だったといいます。樋口さんはそれを「街コンと夏フェスを兼ねたイベント」にたとえています。
裕福な商家の主人が妾を囲うのも一般的で、妾を仲介する業者までいました。双方の話がまとまれば、給料や期間の条件をすり合わせ、契約書のような書面も交わしていたそうです。
一方で、不倫は建前上は重罪でした。妻が不倫すれば妻と相手の男が死罪、夫が不倫すれば夫は晒し首、相手の女性も死罪とされ、結婚前の男女の関係まで含まれていたといいます。
ただし、この重い刑罰が実際に行われることはあまりありませんでした。表沙汰になった場合の処分であり、多くは内々の示談で慰謝料を払い、穏便に済ませていたと樋口さんは説明します。
江戸幕府も一応ルールとして風紀が良くないよねって言って一応決めるけれども、まあ骨抜きにされて、そんなに強制力もなかったっていう感じだね。
番組内では、性を規制すること自体より「もめないでほしい」ことに幕府の主眼があったのではないか、という見方も出ています。
吉原の遊郭は平安時代の結婚を再現していた?
江戸時代の売春は、遊郭を中心に非常にシステム化されていました。楊さんはその背景として、江戸の人口の7割が男性だったことを挙げます。
江戸の男性が多かったのは、大名屋敷に勤める地方出身の武士、僧侶、関西から来た商人など、独身者や単身赴任者が大勢いたためです。その欲望を満たす場所として、幕府公認の遊郭が生まれました。
吉原以外に広がった売春宿は岡場所 ── 江戸で幕府の公認を受けずに営業していた私娼街の総称。吉原より手軽に遊べる場として各地にありましたと呼ばれました。
吉原での遊び方について、樋口さんは研究を紹介します。それによると、吉原は平安時代の結婚儀式を追体験できるように設計されていたといいます。
平安時代の通い婚では、男性は顔も知らない女性に文を送り、返事が来れば夜に訪ね、夜明け前に帰ります。これを3回繰り返すのが習わしでした。吉原の手順は、この流れをなぞっていました。
楊さんが驚くのは、1回目も2回目もかなりのお金を払っていた点です。特に花魁クラスは非常に高額で、大金をはたいて何もせずに帰ることがかっこいいとされていました。
なんかおしゃれと呼んでいいのかどうかわからなかったんですけど、僕はちょっと雅と呼んでしまいました。
もちろん、この手順を面倒に感じる客もいました。そうした人たちは岡場所で性欲を発散していたそうです。
外国人も驚いた江戸の男色文化
江戸時代には、男色も知識層を含めて広く容認され、美術や文学ではむしろ積極的に称えられていました。
楊さんが紹介するのが、朝鮮通信使 ── 江戸時代に朝鮮王朝から日本へ派遣された外交使節団。将軍の代替わりなどの際に江戸を訪れ、文化交流も行いましたの申裕漢の記録です。男娼がもてはやされる様子に驚き、日本の男娼の艶やかさは女色に倍すると書き残し、誰もが財をつぎ込んでいると評したといいます。
少年の男娼は陰間 ── 江戸時代に男色の相手をした少年のこと。もとは歌舞伎の修行中の役者を指したともいわれますと呼ばれ、陰間茶屋に行くことは文化の一つでした。楊さんは、これほど男色が許された社会は世界的にもかなり緩い状態だったのではないかと話します。
男色がここまで認められた理由として、楊さんは武家社会が伝統的に男性間の性行為を続けてきたことを挙げています。第1セクションの寺院から武家への流れが、ここにつながります。
男同士だけ、女同士だけっていう同性愛っていうよりも、同性も異性とも全然セックスの対象としてありだよねっていうのが観念として普通だったみたいですね。
明治の一夫一婦制と、妾を名誉とした人々
明治に入ると状況は一変します。日本は近代化して西洋諸国に追いつき、認められなければならないと考えました。その頃の西洋は、19世紀の性を強く規制していた時代でした。
楊さんによれば、日本はそうした西洋の基準を積極的に取り入れていきます。せっかくおおらかだった性の文化が、ここから厳しくなっていく時代に入ります。
それまで実質的に一夫多妻だった日本で、一夫一婦制となったのは1898年です。楊さんは、120年ほど前のことで「めっちゃ最近」だと指摘します。
ただし、日本には契約で妾を囲う制度が代々ありました。制度が変わっても、妾の慣習はその後2世代分ほど残ったといいます。
1898年、妾制度に義憤を抱いたあるジャーナリストが、有名人がどれほど妾を囲っているかを実名と住所付きで新聞に連載し、糾弾しました。
すっぱ抜いたら何が起こったか。これは名誉の証ということで、俺も載せてくれってみんなが言い出した。
楊さんは、このエピソードを法律と実態がかけ離れていた例として紹介しています。妾を禁じる法律ができても、実際には妾を持つことがもてはやされていたのです。
国家が若者の性に介入した理由とは
西洋化の流れは皇室にも及びました。それまで天皇には複数の妻がいる感覚だったところ、皇后はただ1人という西洋的な位置づけに変わっていったと樋口さんは説明します。
国の規制は性教育の領域にも入ってきます。1890年代から1910年ごろ、男子学生の風紀が社会問題になりました。梅毒などの性病の蔓延、学生同士の性行為、風俗通いが政府にも問題視されていたといいます。
政治の場では、性教育をどうするかが議論されました。コンドームの使い方を教えれば、かえって風俗に行ってよいと受け取られないか、といった懸念も出ていたそうです。
問題
性病の蔓延や学生の性行動が社会問題になる
結論
セックスは学業を修め、結婚してからにすべき
警告
結婚前のセックスは性病を招き、人生が破滅し、志した事業も果たせない
理想像
立身出世して一家をなすことが男のあるべき姿とされる
樋口さんが面白いと感じたのは、守らなければ罰するのではなく「病気になる」と伝えた点です。国家の権力が若者の性に干渉した一つのケースだと話しています。
楊さんはミシェル・フーコー ── 20世紀フランスの哲学者。権力が人々の身体や性、人口をどう管理してきたかを論じ、『性の歴史』などを著しましたの議論を引きます。近代国家では、国民の人口を統制することが非常に重要になるという考え方です。
少子高齢化がなんで国家問題になってるかっていうと、我々が国民国家に生きてるから。
楊さんは、この介入をことさら邪悪なものとは見ていません。富国強兵 ── 明治政府が掲げた、経済を発展させ軍事力を強めることを目指すスローガンのもとで、学生は将来の労働力であり兵士でもあります。彼らが性病になれば国の生産や戦闘の機能が損なわれるため、国家が性に介入せざるを得なくなったという説明です。
樋口さんは個人的な観点として、現代はむしろ早く童貞を捨てることや性を発揮することが仲間内で煽られる空気があると話します。
だからその性を発揮することが禁じられる、なんか苦しみと、性を無理やりでも発揮しなければいけない。その努力をするための苦しみって、どっちが深刻なのかなと。
やっぱどっちでもいいってしてくれないと困る。
裸が恥ずかしいものになったのはいつからか
明治以降には、裸体についての考え方も変わります。樋口さんによれば、混浴が当たり前だった江戸の人々にとって、裸体は顔の延長のようなもので、それほど卑猥なものではなかったと言われています。
楊さんも、ブラジャーもない時代に着物でかがめば胸が見えることもあったと補足します。裸体を隠す習慣は、まったくないわけではないものの少なかったようです。
ところが幕末から明治にかけてやってきた欧米人にとって、男女の混浴は大きな衝撃でした。楊さんは、足を見せただけで色っぽいとされたビクトリア朝 ── イギリスのヴィクトリア女王が統治した1837〜1901年の時代。性に対して厳格な道徳観が強調されたことで知られますの人々だから驚いたのも当然だと話します。
欧米人の中には好奇の目で裸体を眺める人もいれば、野蛮で淫らだと酷評する人もいました。日本政府はこうした非難に配慮し、裸体の露出を取り締まるようになります。
江戸時代:裸体は顔の延長のようなもので、混浴も当たり前。隠す習慣は少なかった
明治以降:西洋の非難に合わせて取り締まりが進み、裸は恥ずかしいものという価値観が形成される
樋口さんは、隠すことによって裸体の性的な魅力がかえって増し、隠された下を見たいという欲望を刺激する構造も生まれたと指摘します。
同性愛も同じく、西洋文明の影響で禁止の方向に向かいました。近代化を目指す人々にとって、男性間セックスが普通に行われていることは恥ずべきことと映り、いち早くやめるべきものとされたのです。
楊さんは、現在はLGBTQなどの文脈から、性のあり方を個人の自由とする時代になりつつあると話します。そのうえで、日本の性の歴史を次のようにまとめています。
日本は古代から非常におおらかでしたが、19世紀に西洋文明が入り、追いつけ追い越せの中で性の常識も西洋のスタンダードに合わせていきました。その延長線上に今があるという見方です。
近代化は制度や技術だけでなく、性の観念も含めたひとそろいの変化だったということです。次回は性の歴史編の最終回として、19世紀の禁欲が20世紀にどう変わったかが語られる予定です。
まとめ
日本の性の歴史は、寺院と武家の男色、江戸のおおらかな性文化を経て、明治の西洋化で大きく塗り替えられました。性の常識は普遍的なものではなく、社会の仕組みとともに変わってきたことがよくわかる回です。
- 寺院の稚児文化が教育を通じて武家に受け継がれ、男性間セックスは将軍を含む多くの武士に一般的だった
- 武士の台頭で出世の仕組みが変わり、結婚は婿取り婚から嫁取り婚へ移った
- 江戸は混浴や盆踊り、平安の通い婚をなぞる吉原など、性におおらかな社会だった
- 明治は西洋に合わせて一夫一婦制や性教育、裸体や同性愛の規制が進み、国家が性に介入するようになった
- 制度を変えても社会の実態が変わるには時間がかかり、近代化は性の観念も含めたパッケージだった





