2700キロの葬列と、都合よく語られ始めたリンカン
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前回はリンカンの死で終わりました。戦争を終わらせた直後、わずか5日で暗殺された展開に、樋口さんは「ズーンとなった」と振り返ります。
リンカンの遺体は、その日のうちにホワイトハウスへ戻され、4日間の弔問の後、19日にワシントン市内で葬儀が営まれました。しかし妻メアリーの希望で、遺体は故郷イリノイ州スプリングフィールドまで運ばれることになります。
スプリングフィールドまでの距離は2700キロ。南北戦争で遺体を腐らせない技術が進んでいたこともあり、2週間をかけた鉄道の旅になりました。各地でリンカンへの感謝が示され、葬列は伝説のようになっていきます。
死に際がすごかったんで。いきなりバンって死んじゃったから。
フィラデルフィアの独立記念館やニューヨーク市で遺体が安置され、100を超える都市で礼砲が鳴らされました。逝去から19日後、晴天の中でスプリングフィールドに埋葬されます。
一方で、リンカンの言葉はすぐに都合よく語られ始めます。哀悼集会で弔辞を締めくくったのは、かつてステッキで襲われた急進派のチャールズ・サムナーでした。
(サムナーは)我々はリンカンが常に語っていた「全ての人が平等であり、人々は生命、自由、幸福追求の営みという誰にも譲れない権利を持っている」という言説を受け継ぎましょう(と締めくくった)。
南部側の副大統領が昇格、リンカンは早くも「利用」される
大統領を失ったアメリカでは、副大統領のジョンソンが自然に昇格します。ところがこのジョンソンは、もともと民主党で、リンカンと反対の立場だった人物でした。
ジョンソンは、南部とのバランスを取るために副大統領に据えられていた、いびつな存在でした。誰も大統領になると思っていなかった人物が、戦争に勝った直後に南部寄りの立場でトップに立ってしまったのです。
(北部と南部が)命をかけて奴隷制廃止に持っていって、今から進めていけるってなった瞬間に、その南部側の意見のやつが大統領になっちゃうんだよ。
ジョンソンは、リンカンが反乱諸州に「誰も恨むな」「平和を目指そう」と語っていたことを逆手に取ります。南部に寛大な処理をするのはリンカンの意思だった、と言い始めました。
それぞれの立場の人がリンカンをもうすでに都合よく語り始める、というフェーズに速攻で入っていく。
62万人が死んだ戦争が、今もアメリカに残しているもの
南北戦争の犠牲は甚大でした。戦死者は北軍が約36万人、南軍が約25万人で、総計は62万人にのぼります。南軍は従軍した105万人のうち4分の1が亡くなった計算です。
1860年のアメリカの総人口はわずか3100万人でした。しかも死者はほぼ男性です。樋口さんは、第二次世界大戦でのアメリカ人死者40万人より多い数だと補足します。
最大なんですよ、アメリカの戦争の中で。だからアメリカは今でも(南北戦争を)シヴィルウォーって言いますよね。
この戦争は、兵士の男らしさや犠牲を英雄的なものと見なす感覚を定着させました。退役軍人への強いリスペクトは、今のイラク戦争帰還兵への態度にもつながっていると深井さんは言います。
今回のエピソードで深井さんは、憲法9条を持つ日本と違い、アメリカでは「軍は尊い」という感覚が強いと指摘します。これは批判ではなく、あくまで日本との比較として挙げられました。
その影響は大統領の顔ぶれにも表れています。オバマ大統領までの44代のうち27人が軍隊経験者だったといいます。
南部が作り上げた「失われた大義」という神話
戦争は感情的なしこりも残しました。南部では「失われた大義」という神話が、戦後に意識的に構築されていきます。楊さんはこれを、南部のムーブとして先取りして紹介します。
「失われた大義」とは、南部の理念は正しく、軍事的に敗れただけだという歴史認識です。南北戦争は奴隷制のせいではなく、北部の侵略が原因だったのだ、と南部の人々は時間をかけて作り上げていきました。
戦争の原因としての奴隷制を過小評価して、南部の社会や南軍の指導者、将軍を美化するっていうムーブメントを始めていく。
この神話は学校教育に組み込まれ、リー将軍やジェファソン・デイビスの像、公共施設が次々に建てられていきました。2020年時点で全国に約1700あるとされます。
単なる戦没者の追悼や記念行事じゃないんですよね。意識的に自分たちの歴史を作っていく社会運動なんです。
これらの像や施設は、奴隷制を肯定しているのではないかとして、今も州議会などで議論の的になっています。引き倒すかどうかという論争は現在まで続いていると楊さんは説明します。
「40エイカーとラバ1頭」――破られた約束
大統領に昇格したジョンソンは、南部融和的な政策を次々と打ち出します。反乱罪で拘束された南部指導者に恩赦を与え、一度接収していた広大なプランテーションを元の所有者に戻してしまいました。
接収されていたプランテーションには、すでに約4万人の解放された黒人が入植を始めていました。自分たちに土地が与えられると期待していた彼らは、所有者への返還によって立ち退きを迫られます。
この動きに、共和党に残っていたサムナーたちは反発します。ジョンソンとの対立は激化し、大統領の弾劾裁判にまで発展しました。
黒人には、1世帯あたり約162ヘクタールの土地とラバ1頭を与えるという約束がされていました。アメリカでは「40エイカーとラバ1頭」という言い方で知られています。
これが(今でも)破られた約束として慣用句的に使われることがあるんだって、アメリカで。よほど黒人たちにとってでかい苦い記憶として記録されてる。
この言い回しは今も生きています。2025年2月のアメフトのハーフタイムショーで、ラッパーのケンドリック・ラマーがパフォーマンスの中でこの言葉を使ったと楊さんは紹介します。
解放されても仕事も土地もない――実質奴隷への逆戻り
樋口さんは、返還されたプランテーションで黒人が働かされていたのかと問います。南部には約400万人の解放された黒人がいましたが、彼らには行き場がありませんでした。
奴隷だったときは、少なくとも食事や服は与えられていました。しかし解放されても新しい土地も仕事も与えられず、約束された40エイカーの土地もラバも手に入りませんでした。
経済基盤一切ないんですよ、解放されて。結局どうなるかっていうと、元の奴隷主のところに賃金労働で戻るんですよ。
賃金労働で戻っても、農具などを何も持っていないため、すべてレンタルになり借金を背負わされます。その借金を返すための労働となり、実質的に奴隷へ逆戻りしてしまいました。
これでね、奴隷解放って百年遅れるんだよね、この後また。
この100年後に登場するのが、キング牧師です。憲法で奴隷制が廃止されているのに強い差別が残っていたのは、奴隷解放がこの後に骨抜きにされていったからでした。
骨抜きにされても、憲法に刻まれた奴隷制廃止条項
差別が残った一方で、深井さんは決定的なことを強調します。奴隷制廃止条項が憲法に入ったことです。実質奴隷制が維持されるけど、それは実質であって奴隷制ではないという状態が、後のキング牧師の登場を可能にしました。
憲法では、解放奴隷を保護し自立を促す解放局の設置と、奴隷制廃止が明記されました。各州には批准が委ねられ、批准しなければ連邦に参加できません。
反乱を起こした州も、有権者の10パーセント以上が憲法と大統領に忠誠を誓えば、速やかに連邦復帰を認めるルールにされました。少ないハードルで、無理やり奴隷制廃止へ進ませる仕組みです。
憲法で明文化されたのは(大きい)。理念の達成度のチェックシステムとして、今後ボディブローのように機能し続けられるんですよ。
さらに市民権条項も憲法修正で入りました。白人と同じように扱う、参政権を含む権利です。ジョンソン大統領は拒否権を発動しましたが、議会は3分の2の可決でこれを押し通します。
(守らないと)「あの戦争なんだったん?」ってなるよね。「リンカンあそこで言ったじゃん」ってなる。
この修正条項には、合衆国で出生・帰化した者はすべて市民であり、いかなる州も正当な手続きなしに生命・自由・財産を奪えず、法の平等な保護を拒めない、と書かれています。今日でいう人権そのものです。
この内容は、戦争直前に問題となったドレッド・スコット判決を否定するものでもありました。リンカンが大統領就任前から認められないと言っていたことが、ここで実現したのです。
KKKの結成と、続く黒人へのリンチ
連邦議会は南部の抵抗を許しませんでした。憲法を批准しなければ軍で占領すると脅し、黒人の参政権付与を承認させます。樋口さんは「結構荒いな」と反応しました。
共和党は、南部融和策を続けるジョンソン大統領を見限り、次の大統領選に北軍の英雄グラント将軍を擁立します。南部への脅しの意味合いも込め、黒人参政権へのプレッシャーをかけていきました。
一方で、強制された南部社会の中には秘密結社が生まれます。1866年にテネシー州で結成されたクー・クラックス・クラン、KKKです。彼らは白人優越主義を唱える自警集団を名乗りました。
これもね、俺、実物の頭巾見たけど、博物館で。やっぱりほんと怖かった。
KKKやホワイトカメリア騎士団といった集団は、黒人を脅迫し、リンチを行いました。黒人への暴力がエスカレートした時期に、南部では同時に「失われた大義」の神話が構築されていきます。
誰かが苦しんで、誰かが打破して、さらに誰かが苦しんでを繰り返してる。
深井さんは、南部側にも恐怖があったと語ります。生活基盤を壊された南部の従軍兵の中には、行き場を失って犯罪者になっていく者も多くいました。
戦争があったからこそ生まれた公教育と、シェアクロッパーの罠
共和党の急進派主導で、解放された黒人への教育提供が課題になります。読み書きができなければ有権者にするのも難しいため、南部で遅れていた無償公教育制度や病院の設置が始まりました。
これもだから戦争したからこれができてるってことだよね。だから停戦条約を早めに結んでたらこれはできてないのよ。
樋口さんは、憲法上すでに選挙権があるからこそ、一人ひとりを主体者にするために教育が必要になっている構造に気づきます。制度のあちこちがつながっていました。
しかし経済面では、黒人は小作人として元の奴隷主のもとに戻っていきました。これをシェアクロッパーと呼びます。借金を背負わされる仕組みで、実質奴隷のような状態が続きました。
生活が成り立たず軽犯罪に走る黒人も多く出ました。逮捕された囚人は、その後の鉄道建設や道路建設の労働力に使われます。深井さんは、これも奴隷とほとんど変わらなかったと語ります。
理念が先、現実が後――欧米と日本の違い
深井さんは、経済基盤を考えずに理念だけで奴隷解放を進めた点を、欧米的だと指摘します。理想で考えたらこうすべきだというところにまず突っ込み、その後に現実をついてこさせるという発想です。日本はその逆だと言います。
理想論が先にあるっていう感覚。やっぱりこれ全然日本と違う。
理想・理念を先行させて動く。スピードは速いが現実がぶっ壊れながら進む
現実から積み上げる。安定はするが変化のスピードは遅い
深井さんは移民問題も似ていると言います。人権的に入れるべきだと理想を先行させてバグり、今は反移民政策が強まっている。どちらが良いという話ではなく、両者の性質の違いだと強調します。
楊さんは、この理念先行を「スタートアップ感」とも表現します。共通のビジョンがあるからこそまとまれる、という良い面も併せ持つのです。
中国人移民の「クーリー」――形を変えて続く搾取
奴隷制が廃止されても労働力は足りず、今度は当時の清朝から中国人移民が数十万人規模で入れられました。楊さんは、それがまたバグっていったと語ります。
彼らは自由労働者として移民する体で契約を結ばされましたが、実態は奴隷労働に近いものでした。これをクーリーと呼びます。
それでなんか結局、あんまりやってることが1600年代と変わりませんみたいな。
中国人労働者が増えると、既存の白人労働者と競合し、中国移民への排斥運動が起きていきます。黒人の地位は多少回復しても、アジア人への扱いは似たり寄ったりでした。
黒人議員の誕生と、それを潰しにかかるジム・クロウ法
市民権と選挙権を得たことで、共和党支持派の黒人州議会議員が誕生します。黒人の陪審員資格も認められました。ゼロだった状態からの大きな変化です。
一方で、進出が進んだからこその反発も生まれます。黒人の参政権に財産資格や居住要件、識字テストを課すべきだという意見が出て、実際に導入され始めました。
黒人の移動や婚姻を制限する取締法も復活します。こうした人種隔離・自由制限の一連の法律をジム・クロウ法と呼びます。深井さんは、博物館で原文を読んだが、どれもひどい内容だったと語ります。
憲法で人権が保障されたにもかかわらず、南部の州は州の権利だと主張し、法律レベルでそれを骨抜きにしていきました。これに文句を言ったのも、またサムナーでした。
サムナーが通した公民権法と、その死後の違憲判決
1875年、サムナーは公共の場での人種隔離を禁じる市民権法を連邦議会で通過させます。ずっと戦い続けた人物です。
この法は、合衆国の管轄下にある全ての人間が、宿泊施設、公共交通機関、劇場などを完全かつ平等に享受する権利を持つとしました。後にキング牧師の時代にバスの抗議活動として噴出する問題を、100年も前に先取りしていたのです。
しかしサムナーは、この法案の行方を見届ける前に亡くなります。死にそうな状態でもこれを通そうとし、実際に通過させました。ところがその後、連邦裁判所で違憲判決が出てしまいます。
えー、憲法違反と。なんで?
違憲とされた理由は、連邦に各州の市民の行動を制約する権限はない、というものでした。深井さんは、これをチャーチ型とセクト型の綱引きだと説明します。
いや、ロジックなんてこんなもんよ、人間の。ホモサピのロジックなんてこの程度ですよ、今でも。
楊さんが「ロジックって何やってなるな」とこぼすと、深井さんは、当時はコンセンサスが得られればロジックが通っていると見なされる、と応じます。論理よりコンセンサスが先だという見方です。
結果として、この時期は三歩進んで二歩下がる状態でした。しかし深井さんは、踏み出した一歩は決定的だったと評価します。憲法に刻まれた一歩は消えなかったのです。
優生学と社会進化論、そして黒人からの選挙権剥奪
ジム・クロウ法によって、せっかく生まれた黒人議員はほぼいなくなり、KKKが下火になった後も黒人へのリンチは頻発しました。人頭税や識字テストが投票資格の条件にされ、黒人の政治参加が防がれます。
この後に登場するのが、優生学と社会進化論です。これらが当時は科学と見なされ、黒人やアジア人、東南ヨーロッパ系移民は白人より劣っており、管理されるべきだという考えが科学の文脈で盛り返しました。
選挙権は、人口の多い南部で黒人から剥奪されていきます。北部では参政権があっても黒人人口が少なく影響が小さかったのに対し、南部では影響力が大きいため怖れられ、剥奪へ向かいました。
さらに最高裁のプレシー対ファーガソン判決が人種隔離州法を合憲としました。隔離を禁じる法が違憲とされた後に、隔離する法が合憲となり、「平等と分離は別」という判決になったのです。
穏健派と平等派、そしてNAACPの誕生
こうした状況に、黒人側は大きく二つの立場で応じます。一つは、当面は白人社会との政治的対立を避け、経済力など実力をつけて状況を少しずつ改善しようという涙ぐましい穏健派です。
この立場を主張したのが、白人社会からも高く評価されたブッカー・ワシントンでした。もう一つは、人種隔離制度そのものを批判し撤廃させることで市民的政治権利を獲得しようという平等派です。
平等派の代表がW・E・B・デュボイスです。黒人で初めてハーバード大学で博士号を取った人物でした。深いさは、相当に差別されたはずだと語ります。
デュボイスは1909年、全米有色人地位向上委員会(NAACP)を設立します。黒人が白人女性へのレイプなどで冤罪をかけられたとき、確認のうえで無償で強力な黒人弁護士を送り込む団体です。
この回の後にね、アメリカの映画マジでめっちゃ見てほしいんですよ。これ本当に歴史知ってる特権だからさ。
NAACPの延長線上に、キング牧師が登場します。深井さんは、この一連の歴史を通じてアメリカという国への解像度を高めてほしかったと、シリーズの狙いを語りました。
三歩進んで二歩下がる――人権の再現性
樋口さんは、リンカンの死後に状況が一度戻ってしまったことを切ないと感じます。深井さんは、それが人権の特徴だと応じます。すべての権利が三歩進んで二歩下がるという挙動を繰り返してきたのです。
今の世界にも人権が後退する現象は起きており、希望を失う人も多いと深井さんは言います。それでも、と続けます。
深井さんは、人権を付与する方向に力学が強めに働くため、反対勢力があっても少しずつ前に進むと説明します。黒人の話は100年かかり絶望的にも見えるが、歴史的再現性としては前に必ず進むというのが今のところの結論です。
3日間の収録を終えて――サムナーがいちばん心に残った
ここからはエンディングです。全編で約1時間、3日間かけて収録した長丁場でした。楊さんは、リンカンが死後に故郷イリノイへ戻れてよかったと切り出します。
大統領を退いたらイリノイに戻りたい、というリンカンの願いを、妻メアリー・トッドが受け取っていた。だからこそ死後に遺体を運んだのだと深井さんは気づき、エモいと語ります。
まずはそのリンカンさん、亡くなられてイリノイに戻れてよかったねって。
樋口さんは、今回のシリーズは心温まる場面が少なかったと振り返ります。差別や戦争が続く中で、彼が一番心に残った人物はサムナーだったと明かしました。
一貫してるやつも必要やし、状況に合わせて意見変えるやつも必要。サムナーだけがずっと言ってること最初から変わんない。
深井さんは、サムナーがヨーロッパの革命運動が盛んな時期に本物の人権思想に触れ、それが柱になっていたのではないかと推測します。加えて、単純に優秀だったのだろうと語りました。
リンカンの方がはるかに有名です。しかし現実にバランスを取りながら調整できたのはリンカンだったからで、適材適所ではリンカンが大統領で良かったのだろうと樋口さんは整理します。
奴隷解放は点ではなく、大きな流れの中のプロセスだった
深井さんは、奴隷解放が一点で起きた事象ではなく、一つのプロセスだったと語ります。サムナーのような人物、消極的だったダグラス、世論、戦争の進み方など、いろいろな事象が絡み合っていました。
樋口さんは、南北戦争が当初は奴隷を争点にしていなかったのに、なし崩し的に争点になっていった点に触れます。偶然の連なりでありながら、大きな流れがそこに引き寄せられていった感覚があったといいます。
奴隷解放というところに、誰かがいつかどっかでやらないといけないところに、落ち着く日が来るよね、それがここだったんだね。
いい話が足りないという話を受けて、深井さんが一つ付け加えます。この後にできた黒人学校には、サムナーの名前が数多くつけられているというのです。
あら、いい話。一番収録で元気になった瞬間だな。
チャーチとセクト、宗教から見るアメリカという発見
樋口さんは、チャーチとセクトという概念を知れたことが、構造的な理解では一番大きかったと振り返ります。この感覚を獲得できたことが収穫でした。
深井さんは、このシリーズの目的がアメリカという国への解像度を高めることだったと改めて語ります。宗教的側面からアプローチしないと、国や文化の理解は進まないと最近強く感じているといいます。
行動と慣習の中にめちゃくちゃ宗教観が出まくってますんで、それをメタ認知して、自分たちはこういう習慣で生きてるんだって自覚する。
楊さんは、アメリカの自己矛盾は矛盾であると同時にエネルギーでもあると指摘します。N極とS極のように、ぶつけ合うことがアメリカを変える力になっている、という見立てです。
樋口さんは、日本とアメリカの感覚の違いを知ったうえで、どちらかが正しいのではなく、いろんな価値観がいろんな国にあること自体がいいと感じたと語りました。
たまたまか必然か――リンカンの卓越した忍耐力
深井さんは、リンカンが世論も支持者も早く戦争をやめてほしいと望む中で、一人だけ中長期目線で「今やりきるべき」と判断した場面を、最も感動したポイントに挙げます。
あそこ名シーンですね。あれはもう命をかけてるでしょうね。
楊さんは、戦争の素人だったリンカンが実際に将軍たちをグリップし、指示を出し、勝ち切ったことは確かだと補足します。深井さんは、パフォーマンスと結果がセットでなければただの頑固者だと付け加えました。
深井さんは、死ぬほど老けながらもリンカンがほとんど愚痴を残していない点に注目します。本当は何を考えていたかわからないと言われるほどで、その忍耐力は賞賛に値すると語ります。
楊さんも、バランスを取りながら動くことは口で言うほど簡単ではなく、忍耐力がなければできないと語ります。それが、リンカンが常人より突き抜けていた部分でした。
参考書籍3冊と、コテンの「贈与経済」への思い
深井さんは今回も参考書籍を3冊紹介します。1冊目は、京都大学名誉教授の木平栄策先生による『リンカーン 合衆国市民の創造者』(岩波新書)です。網羅的で比較的読みやすい一冊だといいます。
2冊目は、森本あんり先生の『反知性主義』(新潮選書)です。深いさは、同じ著者の『不寛容論』もあわせて読むとアメリカへの理解が進むと勧めます。3冊目は木戸義行先生の『南北戦争の時代 十九世紀』(岩波新書)です。
最後に深井さんは、コテンラジオを贈与だと考えていることを語ります。無料で提供し続けているのは、交換行為にすると途中から有料化するのが最も儲かってしまい、伝えたい人に届かなくなるからだといいます。
コテンラジオに限っては贈与でやってるんですね。贈与経済みたいな感じで回すのが、本当に何度も言っているように大事。
深いさは、応援してほしいのはコテンラジオそのものよりコテンだと強調します。女性の労働市場参与の調査、戦争の発生確率を下げるための調査、ポスト資本主義の実践など、人文知を社会に活かす取り組みを進めているからです。
無理をしてほしくはないが、払える人には千円以上のサポートを、と語ります。クルーにならず番組を人に紹介してくれるだけでも大きな力になる、とも付け加えました。
次のシリーズは西郷隆盛だと発表されました。これまで長州の話が多かったため、薩摩を扱いたかったといいます。会津側からも語る予定だと予告して、リンカン編は幕を閉じました。
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まとめ
リンカン暗殺後のアメリカは、奴隷解放が骨抜きにされ、差別が100年遅れて残る苦い展開をたどりました。それでも憲法に刻まれた一歩は消えず、キング牧師の時代へとつながっていきます。三歩進んで二歩下がりながらも、人権は必ず前に進むという再現性が語られました。
- リンカンの遺体は妻メアリーの願いで、2700キロ離れた故郷イリノイまで2週間かけて運ばれ埋葬された
- 南部側のジョンソンが大統領に昇格し、プランテーション返還など融和策で「40エイカーとラバ1頭」の約束は破られた
- 解放された黒人は経済基盤がなく、シェアクロッパーや囚人労働で実質的な奴隷状態に逆戻りした
- KKKの結成やジム・クロウ法、優生学の台頭で差別は強まったが、憲法の奴隷制廃止条項は消えなかった
- 奴隷解放は点ではなくプロセスであり、サムナーの一貫した闘いとリンカンの卓越した忍耐力が歴史を動かした







