クレオパトラの父はなぜ10年も賄賂を贈ったのか?
この回は、クレオパトラが生まれたエジプトの状況から始まります。楊さんはクレオパトラの時代を、エジプトという文明が消えかかる直前の、線香花火が最後に一番燃えている時期にたとえています。
楊さんによると、クレオパトラの父プトレマイオス12世の代に、エジプトは完全にローマ支配のレールに乗せられました。プトレマイオス12世は、後継者が殺されすぎて血筋が途絶えかけた緊急事態に、ピンチヒッターとして連れてこられた王族の傍流だったといいます。
もう殺されすぎて血筋がピンチみたいな状況が起きて、そこで血筋ピンチヒッターみたいな形でプトレマイオス12世が連れてこられたっていう状況なんですよね。
正統な後継者とは言いにくいプトレマイオス12世は権力基盤が弱く、反対勢力も多かったため、ローマの支援に頼るしかありませんでした。ローマから即位の承認を得るために元老院議員と親しくなり、賄賂を渡し続け、承認されるまで10年かかったと楊さんは説明します。
賄賂の出費はエジプトの民衆への重税となって跳ね返りました。さらにナイル川の不調で農作物が不作になり、食糧不足も重なって、民衆の怒りは高まっていったといいます。
弱い権力基盤
傍流の王族で反対勢力も多く、ローマの支援に依存する
ローマへの賄賂
即位の承認を得るため、10年にわたって賄賂を贈り続ける
重税
出費を補うため、自国の民衆から税を取り立てる
民衆の怒り
不作や食糧不足も重なり、王への不満が蓄積していく
アレクサンドリアの市民は、宴会で踊り子に囲まれ笛ばかり吹いていたプトレマイオス12世を「笛吹き王」と呼びました。楊さんは愚かな君主の象徴として語られがちなこの呼び名について、置かれた状況を考えると厳しく責められないと話しています。
エジプトを差し出す「爆弾遺言書」とは?
民衆の怒りを爆発させるきっかけの一つが、前の王プトレマイオス11世の遺言状の発見でした。そこには、エジプトはローマに併合されてもよいという文言が書かれていたといいます。
楊さんによれば、プトレマイオス11世はローマから目先の支援を引き出すために、この文言を遺言状に盛り込んだのではないかと言われています。自分の死後の国のことまで差し出していたわけで、話を聞いた出演者も「国売ってるじゃないですか」と驚いています。
この遺言状をきっかけに、ローマの元老院ではエジプトを併合すべきかどうかの議論が起こりました。特定のローマ人に権力を与えることへの警戒もあって、結局併合は見送られます。
このプトレマイオス12世のこの立場っていうのが、ローマ国内の政治の微妙なパワーバランスの隙間でかろうじて保ててるっていうふうな状況を説明したいんですよね。
楊さんは、当事者の国を置き去りにして自国内で処遇を議論する構図を、日露戦争の時期に日本が朝鮮をどうするか議論していた状況にたとえます。当時の国際情勢でいえば、ローマはバリバリの列強で、エジプトはかつて栄えた大帝国である清王朝 ── 17世紀から20世紀初頭まで中国を支配した王朝。19世紀以降は欧米列強や日本の進出を受けて弱体化しましたの立ち位置だったといいます。
三頭政治に揺れ、キプロスを見捨てた王
当時のローマでは、クラッスス、ポンペイウス、カエサルの3人が勢力を争っていました。プトレマイオス12世はポンペイウスにすがり、貢ぎ物や兵力を提供しましたが、そのポンペイウスが政敵だったクラッスス、カエサルと手を結び三頭政治 ── 紀元前60年ごろにポンペイウス、クラッスス、カエサルの3人が結んだ非公式の政治同盟。元老院に対抗して権力を分け合いましたを始めます。
状況が変わったプトレマイオス12世は、今度は三頭政治のメンバーと取引を始め、ファラオの年収に相当する大金をローマに渡したといいます。楊さんはその姿を「すげえ一生懸命」だと表現しています。
ところがローマは、それほど尽くしてきたエジプトの領土であるキプロス島を攻撃します。根拠になったのは、プトレマイオス11世の遺言状にあったキプロスも併合してよいという記述でした。
キプロスを治めていたのはプトレマイオス12世の弟で、抵抗したものの敗れ、毒を仰いで自殺します。プトレマイオス12世は救援を送ることもできず、弟の死を傍観するしかありませんでした。
ローマに対して賄賂とか渡していい関係を作りたいと思った時に、ローマが自分の領土に攻めてきて、嫌だなっていうふうに思うことはあるにせよ、やっぱ言えないですよね。
追放、復位、そして「エジプト食い放題」の人事
キプロスの財宝までローマに運ばれたことで、首都アレクサンドリアの民衆はついに暴動を起こし、プトレマイオス12世を追放します。追放されたプトレマイオス12世が逃げ込んだ先は、ポンペイウスの別荘でした。
空いた王位には、プトレマイオス12世の長女クレオパトラ6世、続いてその妹ベレニケ4世が就きます。楊さんによると、ベレニケ4世はいとこと結婚して共同統治を始めたものの、1週間も経たないうちに夫を殺してしまったといい、それが起こるのがプトレマイオス朝だと話しています。
プトレマイオス12世は王位に戻るため、ローマでロビー活動とばらまきを続け、ついにはローマ軍にエジプトへ攻め入るよう要請します。楊さんは、貴族が権力闘争に武士を使った結果、武士が皇位継承にまで介入できるようになった日本の構造と似ていると指摘します。
復位の立役者になったのは、シリア総督だったローマの軍人政治家ガビニウスでした。プトレマイオス12世はガビニウスをエジプトの財務長官に任命し、債権者を国の財政のトップに据えてしまいます。
エジプト人をどんどん搾取して金を取りまくるっていうことをやるんですよね。エジプト食い放題っていう状況になるんですよ。
この話を受けて、出演者の一人は、独立後のアフリカ諸国にIMF ── 国際通貨基金。加盟国の為替安定や財政危機時の融資を担う国際機関。融資の条件として経済政策の改革を求めることがありますが多額の融資をして内政に深く干渉し、立ち直りに何十年もかかる状況を生んだ例を挙げ、同じことが起きていると話しています。
ガビニウスはエジプトから金を取りすぎて、1年足らずで民衆の暴動により追放されました。楊さんは、プトレマイオス12世がローマに接近した結果、エジプトを決定的に弱体化させたとまとめます。
18歳のクレオパトラが継いだ「傾いた老舗」
批判されがちなプトレマイオス12世ですが、楊さんは別の見方も示します。一度追放されても返り咲き、結局は天寿を全うして30年間王位を守ったことは、それなりの能力の証であり、偉業と見ることもできるのではないかといいます。
プトレマイオス12世は遺言状で、4人の子どものうち最年長のクレオパトラと、弟のプトレマイオス13世が結婚して共同で統治するよう指定しました。結婚はあくまで形式的なものでした。
楊さんは、クレオパトラが受け継いだ国を現代の企業にたとえています。
数千年続いた老舗の大企業がですね、ボロボロに傾いて、めっちゃイケイケなベンチャー企業から敵対的買収されそうな状態のまま、クレオパトラが後継ぎとして登場したっていう風なシチュエーションですよね。
出演者からも、しかも働いている人には不平不満が溜まっているわけだ、という反応が返っています。
9カ国語を操り、官僚組織を率いた女王の実像
クレオパトラの幼少期や青年期の記録はほとんど残っていません。ただ、神話、哲学、歴史、修辞学 ── 人を説得するための言葉の使い方や弁論の技術を扱う学問。古代ギリシャ・ローマで政治家の必須教養とされましたなどの帝王学を十分に学んだと推測されているといいます。
クレオパトラは乗馬の名手だったとも言われ、9カ国語を自由に操れたという記録が残っています。第一言語はギリシャ語で、楊さんによると、プトレマイオス朝で民の言語であるエジプト語を話せた王はクレオパトラが初めてでした。
いや、逆に言葉わからなくて統治してたんやっていう感じですね。
クレオパトラは寝そべって団扇であおがれているようなイメージを持たれがちですが、楊さんによると実際には忙しく政治をしていました。腐敗していたとはいえ巨大な官僚組織のトップに立ち、財務長官の補佐を受けて官僚を監督し、今でいうパブリックコメントのような請願書に目を通して判断を下していたといいます。
地方の事務員、村長、書記、徴税人、警察などに命令を出し、身近には専属の書記や相談役、哲学者を置いて助言を聞いていました。書記がつけた業務日誌も毎日チェックしていたそうです。
一方で楊さんは、クレオパトラの政治のモチベーションは国を変えることや民衆の幸せではなく、確実に税を取り、自分の権力基盤を維持することだったと強調します。国の独立と民の幸せのために奮闘した偉人とする説もありますが、そこまで志の高い王ではなかったとする説が一番ニュートラルだという印象を楊さんは持ったといいます。
追放されたクレオパトラと「死者は噛みつかない」
プトレマイオス朝にとって最も重要な政治テーマは、対ローマの外交でした。楊さんによると、クレオパトラも父と同じく、エジプトはどうあがいてもローマの従属国で、ローマはその気になればいつでも自分の王座を壊せるという冷静な認識を持っていたと言われています。
クレオパトラは父の外交方針を引き継ぎ、ポンペイウスに食料や兵士を提供し、代理人をローマに置いて元老院周辺でロビー活動をさせました。
しかし国内では、弟プトレマイオス13世の周りに取り巻きが集まって党派をつくり、妹のアルシノエも王位を狙うという泥沼が再び生まれます。クレオパトラはこの政治闘争に敗れ、21歳でアレクサンドリアから追放されました。
シリア国境近くの砂漠でテント暮らしをしながら、クレオパトラはひと夏で軍隊を組織したといいます。プトレマイオス13世も軍を送り、両軍がにらみ合うなか、ローマでカエサルがポンペイウスを打ち破るという出来事が起きます。
敗れたポンペイウスは、かつてプトレマイオス12世が追放されたときに別荘に匿った貸しを頼りに、プトレマイオス朝へ逃げてきました。ところがプトレマイオス13世の側近たちにとって、ポンペイウスは爆弾のような存在でした。
カエサルにエジプトを攻撃する口実を与えてしまう
ポンペイウスが盛り返した場合に復讐されるおそれがある
側近たちが選んだのは、ポンペイウスを受け入れたうえで殺すことでした。殺せば復讐はできず、カエサルも喜ぶかもしれないという計算です。側近の一人テオドトスは「死者は噛みつかない」という有名な言葉を残したといいます。
ポンペイウスを追ってアレクサンドリアに着いたカエサルに、側近たちはポンペイウスの首を差し出します。カエサルは涙を流したそうです。楊さんは、かつての仲間の異国での死を忍びなく思ったのかもしれないとしつつ、アレクサンドロス大王の行動を踏まえた演技だったという見方もあると紹介しています。
カエサルはなぜエジプトに居座ったのか?
プトレマイオス13世たちは、カエサルが満足してローマへ帰ると考えていました。しかしカエサルは帰らず、エジプトの王権を占拠します。
楊さんによると、最大の理由は資金調達でした。ローマは2年ほど内乱が続いて税があまり取れず、カエサルは兵士の給料を自分で確保しなければなりませんでした。落ち目とはいえ金を持っているエジプトから、穀物や給料の原資を引き出そうとしたのだといいます。
そのためには、プトレマイオス朝のトップを押さえる必要がありました。カエサルは、宮廷の実権を握るプトレマイオス13世と、追放中のクレオパトラを天秤にかけます。
プトレマイオス13世の側近たちは手強く、カエサルが物資や資金を求めても適切に応じませんでした。さらに、ローマの英雄の一人であるポンペイウスを殺した人たちと組めば、ローマで自分にネガティブなイメージがつくことをカエサルは懸念したかもしれないと楊さんは話します。
なんとも言えないですね。だってこれ、カエサルさん、カエサルさんつって(ポンペイウスを)殺したわけでしょ。
カエサルはプトレマイオス13世の政権を承認しませんでした。実はこの時点で、カエサルとクレオパトラはすでに密かに連絡を取り合っていたという記録が残っているといいます。軍を組織しても行き詰まっていたクレオパトラにとって、カエサルの力はぜひとも借りたいものでした。
洗濯袋から現れた女王と、利害の一致
クレオパトラがカエサルに直談判するには、アレクサンドリアへ戻らなければなりません。しかし近くにはプトレマイオス13世の軍がいて、途中で暗殺される危険もありました。それでもクレオパトラは警備の目をかいくぐって戻り、カエサルの部屋にたどり着きます。
有名な逸話では、クレオパトラは洗濯物を入れる袋に隠れて部下に運ばせ、カエサルの前で袋の紐を解いて姿を現したとされます。袋ではなく絨毯だったという説もあるといいます。
そうですよね。だってカエサルのところに行くって普通は相当厳しいでしょうからね。
樋口さんの指摘どおり、学者からも、すでに2人の間で話がついていた可能性が高いという見解が出されていると楊さんは話します。クレオパトラは知恵と、女性としての魅力も含めた自分の魅力を武器に、背水の陣でカエサルの支持を取り付けたと考察されています。
クレオパトラがカエサルを誘惑したという否定的な言い方がされることについて、楊さんはフラットな見方を提示します。
クレオパトラがカエサルを誘惑した
相手から利益を引き出したいのは双方同じで、最終的に政治の利害が一致した
切羽詰まっていたのはクレオパトラの側で、打てるカードは人間としての魅力と身体的な魅力しかなかったのも事実だといいます。そのうえで、恋愛感情もかみ合ったと唱える学者も多いと楊さんは紹介しています。
樋口さんは、政治的メリットだけでも筋は通る話で、ロマンチックな恋愛ドラマが本当にあったかはわからないと応じています。楊さんは、教養の言語であるギリシャ語で機知に富んだ会話をしたのではという本の推測を紹介し、2人のやり取りを「テラスハウス」にたとえて盛り上がっています。
クレオパトラは美人だったのか?
クレオパトラの全身像は残っておらず、外見についての記録も限られています。想像を絶するほど美しかったという説と、そこまでではなかったという説の両方があるといいます。
楊さんによると、どの記述にも共通するのは声と語学力でした。ローマの歴史家は、クレオパトラが口を開くと聞く者は抵抗できず、会話は心地よく、その魅力から逃れられなかったと書いています。
舌は名人が奏でる弦楽器のようで、語ろうとする言語に容易に切り替えられ、ほとんどの民族と通訳を介さずに受け答えしたという記述も残っているそうです。
なんかあれですね、歌とかではなくて、喋る声なんでしょうね。
話は「ポッドキャスターをやっていたらよかった」という冗談に広がり、樋口さんは「ジャパンポッドキャストアワードでグランプリ取ってますよ」と応じています。楊さんがトークテーマの案として「私が語る王朝の滅び方」を挙げ、笑いが起きていました。
復権、キプロス返還、アレクサンドリア戦争
手を結んだカエサルは、クレオパトラとプトレマイオス13世が和解し、今後は2人で共同統治すると民衆の前で宣言します。これはクレオパトラの権力の返り咲きを意味しました。
翌朝、アレクサンドリアにいるはずのない姉の姿を見たプトレマイオス13世は激怒し、王冠を床に投げつけて王宮を飛び出し、集まった群衆に金切り声を上げたという記録が残っています。
クレオパトラはカエサルから具体的な見返りも引き出しました。カエサルは、かつてローマが奪ったキプロス島をエジプトに返したのです。民衆にとってキプロスは王を追放するほど感情のこもった土地で、返還はクレオパトラの株を上げることにつながりました。
ただ奪ったものを返しただけだからね。
楊さんもこの指摘に同意し、ローマが領土を返しても、いつでも奪い返せるという属国の立場は変わらず、それが当時の厳然たる国際情勢だったと話しています。
その後、プトレマイオス13世の一派とクレオパトラ・カエサル側が対立し、アレクサンドリア戦争 ── 紀元前48〜47年、アレクサンドリアを舞台にカエサル軍とプトレマイオス13世派が戦った戦争に発展します。側近たちは中傷の噂で民衆を扇動し、国外の軍勢も呼び戻しましたが、百戦錬磨のローマ軍団にはかないませんでした。
混乱のなか、妹のアルシノエが女王を宣言し、プトレマイオス13世はその軍勢と合流して抵抗を続けます。しかし最後は敗れ、ナイル川で戦死したと伝わっています。
勝利したカエサルは、クレオパトラのもう1人の弟で11歳のプトレマイオス14世を夫として王位に就けます。クレオパトラが摂政も兼ねたため、実質的にクレオパトラの独裁体制が築けるよう、カエサルがエジプトの権力構造を整えたと楊さんは説明しています。
ナイル川クルーズとローマでの凱旋式
アルシノエはローマに送られて牢獄につながれました。混乱が落ち着いたあと、クレオパトラとカエサルは豪華な船団を率いてナイル川の旅に出ます。
楊さんによると、このナイル川クルーズは国内視察に加え、クレオパトラが真のファラオであり、ローマの最高権力者カエサルがそれを認めていると示すプロパガンダでもありました。同時に、普通にデートでもあったと多くの学者が言っているそうです。
このときクレオパトラはカエサルの子を身ごもっており、生まれた男の子はプトレマイオス・カエサルと名付けられます。あだ名のカエサリオンのほうがよく知られているといいます。
カエサルは先にローマへ戻り、ガリア遠征などの勝利を祝う凱旋式に合わせてクレオパトラを呼び寄せます。ローマとエジプトの関係を強調し、パートナーとして紹介したかったのではないかと言われる一方、エジプトを見下し、女性のファラオに反感を抱くローマ市民も多かったといいます。
凱旋式では、妹アルシノエが鎖につながれて市内を引き回されました。捕虜を凱旋式で歩かせて市民が喝采するのが当時のならいだったと楊さんは説明しています。
カエサル暗殺と、遺言に書かれなかった2人
栄光の絶頂にあったカエサルは、終身独裁官 ── 古代ローマで非常時に置かれた独裁官(ディクタトル)を、任期なしで務める地位。カエサルが就任し、王位を狙っているとの疑いを招きましたに任命され、王になりたがっているのではという噂も流れました。カエサル自身は否定しましたが、共和主義者たちに暗殺されます。場所は、運命的にもポンペイウスの像の前でした。
公表されたカエサルの遺言では、後継者に姉の孫オクタウィアヌスが指名され、クレオパトラとカエサリオンについては何も書かれていませんでした。
楊さんは、カエサルにとってクレオパトラは重要なパートナーでありながら、あくまで属国プトレマイオス朝の人間として区別されていたのではないかと考えます。カエサリオンを認知はしていても、2人の正統性はプトレマイオス朝の中で発揮されるもので、ローマの権力構造に組み込む気はなかったという考察もあるといいます。
カエサルがクレオパトラに誘惑されたとか、何か骨抜きにされたみたいな話とかも結構あるんですけれども、いやまあそんな単純な男ではなかったんじゃないかなというふうな見方を提示したかったですよね。
オクタウィアヌスはのちにローマ帝国の初代皇帝となり、世界史に大きな影響を与えます。楊さんは、カエサルのこの後継者指名は人類史でもトップ3に入るほどの成功だったのではないかと評価しています。
一方で、最大の後ろ盾を失ったクレオパトラは、多くの課題に向き合うことになります。
エジプトという国そのものがローマに首根っこを押さえられた構造は続き、その中で活路を探し続けるのがクレオパトラの人生だと楊さんは話し、続きは次回に持ち越されます。
まとめ
この回では、父プトレマイオス12世の弱腰外交から、クレオパトラが追放を経てカエサルと手を結び、権力の座に返り咲くまでが語られました。恋愛物語として語られがちな2人の関係も、ローマに従属するエジプトという構造と、双方の政治的利害から読み解かれています。
- プトレマイオス12世は10年にわたる賄賂と重税で王位を保ったが、結果的にエジプトを決定的に弱体化させた
- クレオパトラは9カ国語を操り、プトレマイオス朝で初めてエジプト語を話した王として、実務に精通した優秀な君主だった
- カエサルとの同盟は誘惑ではなく、資金が欲しいカエサルと復権したいクレオパトラの利害一致と見ることができる
- カエサルはクレオパトラとカエサリオンをローマの権力構造に組み込まず、後継者にはオクタウィアヌスを指名した
- ローマなしでは存続できない属国という立場は、カエサル亡きあともクレオパトラを縛り続ける





