なぜ話題のドラマの出会いはコインランドリーなのか
テツトさんが最初に話題にしたのは、放送されていたドラマ『Tシャツが乾くまで』です。テツトさんは、ツバサさんが今年の初めにハマっていた杉咲花さん出演のドラマと合わせて、話題作の出会いの場がどちらもコインランドリーだと気づきました。
俺行ってっけどな。毎週コインランドリー。
毎週コインランドリーに通うテツトさんですが、ドラマのような出会いはないといいます。2人は、コインランドリーが物語で使われやすい理由を考えます。赤の他人同士が偶然出会う場所が、今はほかにあまりないのかもしれないという見立てです。
赤の他人が集まる
他人同士が偶然居合わせる数少ない場所
密室になる
二人だけの空間になりやすい
困りごとが起きる
機械の使い方などで声をかけるきっかけが生まれる
無言で待つ時間
洗濯や乾燥を待つ間に会話の余地がある
ツバサさんは、大学時代の後輩が洗濯とは関係なくコインランドリーで本を読んでいるという話を紹介します。テツトさんも乾燥を待つ間に本を読むそうで、スマホを置いていけば一時的にデジタルから離れられる場所として、コインランドリーのカフェ的な使い方に共感していました。
『Tシャツが乾くまで』の「バツ4」は後出しか、面白さか
『Tシャツが乾くまで』を終盤まで見たテツトさんは、物語の展開に引っかかりを感じていました。失踪した夫が戻って話し合う場面で、視聴者からはまともに見えていた妻のさっちゃん(蒼井優さん)が、実はバツ4で、夫は5人目だったと明かされます。
そんな後出しじゃんけんみたいな感じで、そのヤバさを伝えられてもわかんなくねっていう。
テツトさんの職場の先輩の妻は「これでは何でもありだ」と強く言っていたそうで、テツトさんもその意見に同意していました。一方のツバサさんは、何でもあり感をしらけるのではなく、逆に面白いと受け止めています。
ツバサさんはさらに、前半に伏線らしきものがあったと指摘します。夫役の松山ケンイチさんが、さっちゃんの母親と電話する場面で、少し違和感のある会話があったというのです。
(さっちゃんの家庭に)何かまだ表面化されてない問題っていうのがあんのかなとか、俺はあの時点で思ったけどね。
名前のつかない関係に、周りは気を使わなくていいのか
『Tシャツが乾くまで』のテーマについて、ツバサさんは「人と人との関係性の話」だと読んでいます。夫婦、ご近所、不倫といったレッテルでは区切れない微妙な関係も、世の中には実際にあるという見方です。
例えばその関係性には夫婦って名前がつくこともあれば、ご近所さんってつくこともあれば、不倫っていう名前が、いろんなレッテルがつくこともある。
ツバサさんが例に挙げたのは、作中で家庭のある男性と、すべてを了解したうえで付き合う女性です。テツトさんは、作中で「誰も傷つけていない、同意の上だからOK」と語られていた点が、最終的な「いろんな関わり方がある」というテーマにつながるのではないかと話します。
ただ、当人同士が了解している関係について、ツバサさんは周りの友人の立場から異論を述べます。傷はつかなくても、周囲は気を使う、という指摘です。
傷はついてないかもしれないけど、気使うから、こっちは。
下手に来いよ、マジで。なんで、私らはこれで了解してるのに、なんでそれわかってくれないの?みたいな。
ツバサさんは、あくまで自分の考えだと断ったうえで、周りに気を使わせていることへの最低限の自覚は持ってほしいと話していました。
父と1年ぶりにサシで飲んだ上野の寿司屋
関係性の話から、テツトさんは家族の話に移ります。千葉に住む母方の祖父母とは今も正月に会う関係ですが、父方の家族とはほとんど関係がないそうです。両親がそれほど仲良くないため、小学生の頃にも父方の実家に行く機会がなかったといいます。
そんなテツトさんのもとに、父親から急に「上野の寿司屋に行かないか」とLINEが届き、1年ぶりほどに2人きりで飲むことになりました。その寿司屋は、父親が新卒の頃、約40年前から先輩に連れて行ってもらっていた回らない店で、それほど高くはないそうです。
「周りに迷惑をかけない死に方」という父の死生観
寿司屋で父親が話したのは、お盆に会いに行った91歳の祖母のことでした。祖母は老人ホームに入っていて、かなり認知症が進んでいるといいます。そこで父親は、長生きして大往生するのが一番いいと語ったそうです。
「長生きして大往生して死ぬのが一番いい」と。
父親の言う「一番いい」とは、本人が痛いかどうかではなく、周りに迷惑をかけない死に方という意味でした。91歳ともなると、本人を覚えている人の多くはすでに亡くなっています。往年のスターの訃報に若い世代がピンとこない一方で、40歳前後の人が亡くなると多くの人を悲しませる、という対比です。
本人を覚えている人の多くがすでに亡く、悲しむ人が少ない
家族や友人など、まだ多くの人を悲しませてしまう
テツトさんの父親は、40歳前後で自分の弟を亡くしています。理由はテツトさんも知らず、病気なのか自死なのかもわからないそうです。最も身近な人の死を経験したことが、父親の考え方に影響しているのではないか、とテツトさんは受け止めています。
人に迷惑をかけないように長生きするっていう考え方があるのかっていうのを気づかされましたっていう話。
ツバサさんは、若い頃はどう生きるかを考え、人生後半になるとどう閉じていくかを考えるものだと応じます。テツトさんは、何かを成すためや自己実現のために生きると考えがちだっただけに、この考え方に「ハッとした」といいます。
テツトさんの理解では、みんなより長く生きて最後に死ねば、周りを悲しませないという考え方です。自分は他人の死で悲しむかもしれないが、それを引き受ける生き方だと捉え、「いい考えだな」と話していました。
いとこの死と、ツバサさんの「40代で死にたい」の変化
自分の死に方を考えたことはあるかと聞かれたテツトさんは「ないね」と答えます。一方のツバサさんは、25歳ぐらいの頃に軽く死にたい気持ちがあり、死が遠いものではなかったと振り返ります。
ツバサさんは、年下のいとこを亡くしています。小学生の頃によく遊んでいたいとこで、真相は解明されていないものの、おそらく自死だったといいます。
いとこは就職して九州へ行き、仕事が大変だと遠回しに聞いていたそうです。母方の祖父の葬式に来なかったときも、仕事が忙しいのだろうと思っていました。ところが2年ほど前に、その時点ですでに亡くなっていたことが判明したといいます。母方の家系にいろいろな事情があり、家族も把握していなかったそうです。いとこの父親も、ツバサさんが小学生の頃に自死していました。
テツトさん自身も数年前、父親と飲んだときに気がかりな言葉をかけられていました。
「お前は俺の弟に似てるから心配だ」つって。
父親の言う似ているところは、思い詰めやすさではなく、飄々としているところでした。テツトさんは叔父が病気で亡くなったと思っていましたが、この言葉を聞いて、もしかすると自死だったのではないかと数年前に初めて考えたといいます。
ツバサさん自身は、長生き願望がなく、40代で死にたいと考えていました。やりたいことも守るものもなく、長生きしてもしょうがないという理由です。しかしここ数年で、その考えがほどけてきたといいます。
やりたいことも守るものもなく、40代で死にたいと考えていた
人生を中長期で考えるようになり、恋人を自分が看取りたいと思うようになった
変化のきっかけの1つが、久々にできた彼女の存在です。少し年上の彼女と今後もずっと一緒にいたいと考えていて、女性の方が長生きすると言われるなかでも、できるなら自分が看取りたいと話します。
(彼女を)悲しませるよりも俺が、俺が悲しむ。
ツバサさんは、看取りたいという思いはテツトさんの父親の考えと隣り合っていると話します。テツトさんは、独り身なら「生きててもしょうがない」と誰もが思うものだと応じ、生き方は状況次第で変わると話しました。
FIREは生き方か、死に方か
ツバサさんは、死に方を考えることは意外とみんなしているのではないかと言い、FIRE ── 「Financial Independence, Retire Early」の略で、経済的に自立して早期リタイアすることを指す言葉。資産運用の収益などで生活費をまかなう考え方ですを例に挙げます。若いうちに生涯に必要なお金を稼ぎ切ってリタイアするには、自分の人生の終わりから逆算して必要額を出すことになる、という理屈です。
ツバサさん自身「名言っぽく言ってみた」と笑うこのフレーズに、テツトさんは異を唱えます。FIREは死ぬまでどう生きていくかという計画で、むしろ生き方ではないかという見方です。
死に方なんて考えたってわからないから、なんとなく早めがいいのか、長い方がいいのかぐらいの解像度しかさ。
テツトさんは、誰かに看取られたいならパートナーを探すといった行動はありえても、死に際から逆算して今を選ぶ人はいないのではないかと話します。ゴールはもう少し手前の「いい老後」だろうという考えです。ツバサさんは、田舎で死にたいか都会で死にたいかくらいは、ふんわり考えるのではないかと返しました。
話は長寿社会へ広がります。60歳で定年しても、その先に30年、40年の人生が待っていることに、2人は「長すぎる」と声をそろえます。テツトさんは、60〜70歳の親世代にも少なくともあと20年はあると指摘し、ツバサさんは「ずっとYouTubeを見るんじゃないか」と冗談めかしていました。
父親にブチ切れた電話と、殴られて育った子ども時代
上野でもんじゃ焼きを食べた話をはさみ、ツバサさんは父親と2人で飲むことについて、自分はしたくないと話します。気恥ずかしさもあるかもしれないが、何より父親と喋りたいことがない、という理由です。自分の子ども時代の話にもあまり興味がないといいます。
そのうえでツバサさんは、最近、家族の問題をめぐって人生で初めて父親に電話でブチ切れたことを明かします。詳細は語られませんでしたが、「なんで俺がこんなことをやらなきゃいけないんだ、父親だろ」という趣旨だったそうです。
もう全部、全部言ったから。
父親は電話口で黙って聞き、「わかった」と答えたそうです。その後に実家で食事をしたときも、ツバサさん側に気まずさはないといいます。父親にどう思われようと気にしていないからです。
さらにツバサさんは、子どもの頃は父親によく殴られていたと話します。あるときは顔をグーで殴られ、勢いが強すぎて父親の拳の小指が骨折したほどでした。
あまりにも勢いよく殴りすぎて、逆に父親その拳の小指骨折したからね。
殴られた理由は覚えていないものの、母親への生意気な口や嘘など、親子間の礼節に背いたときだったのだろうとツバサさんは推測します。その経験に意味があったかと問われると、「わかんねえ」としつつ、痛みを知っている点で、ある意味よかったかもしれないと答えていました。
殴られた経験は「殴るという選択肢」を生むのか
テツトさんは、Timelessのメンバーが交際相手を殴ったとされる報道に触れます。真相はまだわかっていないと断ったうえで、X上で見かけた「人に殴られた経験がある人は、殴るという選択肢を持つ。殴られずに育った人にはその発想自体がない」という趣旨の投稿を紹介しました。殴られずに育ったテツトさんは、一理あるのかもしれないと感じたそうです。
殴られて育ったツバサさんは、その見方を否定はできないとしつつ、危うさを指摘します。育った環境で人を判断する考え方は、極端に進むと選別につながりかねないというのです。
環境と暴力を結びつける
暴力のある環境で育った人は暴力を振るいやすいと考える
リスクとみなす
そうした環境で育った人をリスクがあるとして排除する
人の書類選考
育ちによって人を振り分ける考え方に発展しうる
その書類選考みたいな、人類の。
これも間違ってる考え方だと思うんだけど、ただ、そうも発展しうる可能性があるよね。
テツトさんも、投稿主はおそらく「そういうことかもしれない」と言っているだけだろうとしたうえで、研究で証明されたら選民的な選別が行われかねないと同意しました。ツバサさんは、インターネットの中では特にこうした方向に流れやすいとして、「みんな気をつけようなって思う」と話しています。
殴りかけた拳が、平手になった中3の日
ツバサさんは、親に殴られて育ち、田舎で同級生が殴られることも珍しくない環境にいたにもかかわらず、自分は人に手を出したことがないと話します。そのことを示すエピソードとして、中学3年の柔道の授業での出来事を語りました。
第一志望の高校をやめて第二志望に進んだツバサさんに、同級生が半分ふざけた調子で「結局、誰々の方が頭よかったんだな。お前は学年一みたいな顔をずっとしてたけど」とからかってきました。ツバサさんは震えるほど怒り、気づいたら右手が動いていたといいます。
相手の顔に手を持っていく瞬間に、なんか拳が平手になって。
拳は相手の頬をのれんのように押すだけで終わり、相手には「キモ翼」と言われたそうです。テツトさんは、意志ではなく脳の反射で手が開いたのだろうと受け止めました。
当時のツバサさんは「喧嘩弱え、ダッセー俺」と落ち込んだものの、今では人として正解だったと振り返ります。殴られて育っても殴らない人がいることを、ツバサさん自身の体験が示しています。
リングの上の暴力は許されるのか
ツバサさんが「暴力が肯定される瞬間はリングの上以外にない」と言うと、テツトさんはリングの上すらどうなのかと疑問を投げかけます。プロの格闘技も殴り合いを見せていて、殴る行為がスポーツとして社会に認められている、という見方です。
俺はさ、クレしん見せてもらえないで、でもボブサップは見せてたからね。
テツトさんの子ども時代は、山本KIDさんや魔裟斗さんが活躍した総合格闘技ブームの頃でした。知性や理性があればリングの上のスポーツだと割り切れるが、そうでない人もいるとテツトさんは話し、ツバサさんも暴力を助長する可能性に同意します。映画も同じではないかと話が広がりかけたところで、「キリがない」と2人はこの夜を締めくくりました。
まとめ
ドラマの感想から始まったこの回は、父親との会話を経て、30代の2人が自分の死生観と暴力への向き合い方を語る夜になりました。結論を出すのではなく、それぞれの家族の経験から考えが少しずつ動いていく様子が印象的な回です。
- テツトさんは父親から「周りに迷惑をかけないよう長生きする」という死生観を聞き、自己実現とは別の生きる理由に気づかされた
- 40代で死にたいと考えていたツバサさんは、恋人の存在をきっかけに「自分が看取る側でいたい」と思うようになった
- 「FIREは死に方」というツバサさんの言葉に、テツトさんは「生き方の計画では」と返し、死に方を考える解像度をめぐって意見が分かれた
- 殴られて育つと殴る選択肢が生まれるという見方に対し、ツバサさんは育ちで人を選別する危うさを指摘した
- 殴られて育ったツバサさんは、中3のとき殴りかけた拳が平手になった体験から、自分は殴れない人間だと知った





