ランニングが続くのは秋だから?
第28夜は、テツトさんが最近始めたランニングの話から始まります。整体で運動するように言われ、週1〜2回、できれば2〜3回走っているそうです。
週1、2できたら2、3やるみたいな感じなんだけど、これ(ランニングを)始められたの秋だからだわ。
テツトさんによれば、涼しくて走るのが気持ちいいことが続けられている理由です。そこから話は「スポーツの秋」「読書の秋」といった言い方の由来へ広がります。
テツトさんが調べたところでは、春は新生活で忙しく、夏は暑く、冬は寒いので、秋が「〇〇の秋」と言いやすい季節だといいます。読書の秋は中国の古典に由来し、夏目漱石が『三四郎』で引用したことで広まったと紹介されます。
スポーツの秋については、東京オリンピックが10月に開かれたことと結びつけて話されています。ツバサさんは、バレンタインのように広告会社が作った習慣ではなく、一応の起源があることに納得していました。
オードリー若林さんと国分功一郎さんの対談本、そして直木賞の寸評
読書の話題では、テツトさんが小説ではなく新書のような本を読んでいると話します。今読んでいるのは、オードリーの若林正恭さんと哲学者の国分功一郎さんが、雑誌で年に1回ほど続けてきた対談連載をまとめた本です。
連載期間が長いため、本の中には「コロナの1年は大変でしたね」といった話も出てくるそうです。テツトさんは、国分さんの著書を読んでからのほうが理解が深まると感じています。
ツバサさんが挙げた国分さんの代表作『暇と退屈の倫理学 ── 哲学者・國分功一郎さんの著書。人はなぜ退屈するのか、暇をどう生きるかを哲学的に考察した本で、多くの本に引用されています』は、ツバサさんも持っているものの、本が太すぎてまだ読めていないといいます。番組内では「暇と退屈の美学」と言い間違えていますが、話題になっているのはこの本と考えられます。
ツバサさんのほうは、久々に新品のハードカバーの小説を買いました。芥川賞を受賞した安藤歩さんの受賞後第1作で、四足歩行の鬼ごっこのような新しいスポーツが世の中に広まっていく様子を通して、スポーツがどう始まるのかを描いた作品だそうです。
受賞後第1作は期待されそうで難しい、というテツトさんの感想から、若林さんの小説『青天』の話題に移ります。テツトさんは2週間ほど前に久しぶりにオードリーのラジオを聴き、直木賞にノミネートされた若林さんが選考委員の厳しい寸評を受けた話をしていたと振り返ります。
なんかどこが面白いのかわからないとか、いうのをこう、実績のある人に言われると厳しいよな。
ツバサさんは、漫才の世界では若林さんはM-1の審査員として選ぶ側にいる人だと指摘し、立場が逆になる難しさに触れていました。
ライフステージが変わっても、オードリーのラジオは面白いのか
テツトさんが久しぶりにオードリーのラジオを聴いたのは、自分たちもPodcastをやっていて「雑談とは何か」を考えたからだそうです。聴いてみると、やはり面白かったといいます。
(オードリーの二人の)笑ってる顔が浮かぶんだよね。
テツトさんは、二人がバカをやっている感じが出ていて、高校時代の話をいまだにしているところも昔と変わらないと話します。
テツトさんは、若林さんが結婚して子どもが生まれ、大学時代に聴いていた頃とは違う立場になったことで、共感できずつまらなくなったのではないかと思い込んでいました。実際には、幼稚園のパパ友と公民館を借りてボクシングをするといった子ども関連の話でも、違和感なく面白かったそうです。
若林さんのライフステージが変わり、共感できずつまらなくなったと思い込んでいた
久しぶりに聴くと昔と同じように面白く、偏見だったと気づいた
一方でテツトさんは、YouTubeで昔の放送を聴くと今よりダークな雰囲気があり、自分たちはそこが好きだったのかもしれないとも話しています。
ラジオをいつの間にか聴かなくなることについて、テツトさんは明確な理由があるわけではないと考えます。
たまたまなんか他の番組を聞いて、こう聞く時間がなくなったとかさ、あるじゃん。
で、その後に理由付けとして、なんかライフステージが変わったからって思ってたけど、まあただの理由付けだったっていう気はした。
その後は、オードリーの二人がここ10年ほど見た目が変わらないという話に。ツバサさんは、春日さんがゴールドジムに通い続けていることを「ジールド」という春日語とともに挙げ、トレーニングが若々しさにつながっているのではと話しました。
運動後の爽快感と「風呂キャン」のハードル
運動の話に戻り、テツトさんは今は20〜25分、3キロほど走っていると話します。走ってシャワーを浴びると、サウナ後のような気持ちよさがあるそうです。
ツバサさんは、走るまでが面倒で、走ってしまえば達成感やポジティブな感覚があると共感します。テツトさんは「全部そうよ、やるまでが大変」と応じ、自分が「風呂キャン ── 入浴やシャワーを面倒に感じて省いてしまうことを指す俗語。「風呂キャンセル」の略で、SNSなどで広まりました界隈」だと打ち明けました。
俺、シャワー浴びずに寝ちゃうことあるけど、嫌だな、すごい嫌だなと思いながら寝てる。
テツトさんは枕にタオルを敷く派で、枕だけは清潔を保っているといいます。ただ、毛布やシーツ、マットレスには1日の汚れが染み込むとわかっていても、風呂は難しいと話します。
風呂キャンの対策として、テツトさんは一時期とりあえず裸になる方法を試したそうです。ツバサさんは、きっかけになる行動を仕込んでおくのは有効だと受け止めます。テツトさんにとってはランニングがそのきっかけですが、毎回走るのは大変すぎるため、トイレ掃除などで体を汚すしかないのでは、と冗談まじりに話していました。
風呂キャンの頻度は、ツバサさんが週1回ほど、テツトさんが週2回ほど。テツトさんは飲んで帰った日は酔ってシャワーを浴びられないといい、ツバサさんに「そんなに飲まなきゃいいじゃん」と突っ込まれます。
酔っ払うことの方が大事だろ。
初めてのサシ飲みは、お酒の力で乗り切れる?
テツトさんの飲み方は、目安はないもののビールを5〜6杯ほど。コーン茶ハイがあればそれを飲み、3軒目にはウーロンハイだけにするそうです。
最近では水曜日に、中学時代の友人と初めてサシで飲みました。普段は複数人で会う友人で、最近はジェフユナイテッド千葉の試合観戦にも付き合ってくれるそうです。この日は天皇杯を新宿のHUBで観たあと、居酒屋に移りました。
初めてのサシで飲むっていうのはちょっと緊張するな。
テツトさんも相手も、他の人がいれば盛り上がるものの、二人とも静かなタイプです。沈黙が訪れると気になり、ちゃんと話さないとと思ってしまうといいます。
それでも1〜2杯飲むと、あとは淀みなく会話が続いたそうです。テツトさんは、アルコールで感覚が鈍り、間が気にならなくなるのがいいと話します。
うまくこう(お酒と)付き合えばうまいこと使えるっていう気はするけどね。
一方でツバサさんは、お酒を飲んでもあまり変わらないタイプだそうです。
クリストファー・ノーラン作品は「わからなくてもかっこいい」
話題は「映画の秋」へ。ツバサさんは、10月から公開されたスティーブン・スピルバーグの新作『ディスクロージャー・デイ』に触れます。テツトさんに聞かれ、幕張のIMAXで観たクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』の感想も話しました。
『オデュッセイア』は叙事詩を題材にした作品で、ノーラン作品の常連俳優がメインに並んでいるそうです。ツバサさんは期待値が相当高かったこともあり、「普通に面白かった」という感想でした。
前作『オッペンハイマー』、その前の『TENET テネット』の話になると、テツトさんは『テネット』がわからなすぎたと振り返ります。ツバサさんは、ノーラン作品はそういうものだと話します。
いや、わからなくても全く問題がないというか。
かっこいいとか。そういう映画だと思ってるから、ノーランの映画って。
テツトさんも、時間の戻し方の発想を頭ではなく感覚的に受け取り、次元を超えるような表現が魅力だと話します。『インターステラー』の終盤で、本棚の裏から自分を見る5次元空間のシーンも挙げられました。
『インセプション』か『インターステラー』か、結末の好みが分かれる
ノーラン作品で一番好きなのは、テツトさんが『インセプション』、ツバサさんが『インターステラー』でした。ただテツトさんは、終わり方については『インターステラー』のほうが好きだといいます。
テツトさんによれば、『インターステラー』は主人公が助かり、娘がおばあちゃんになっているところまで描かれ、知りたいところまで知れる平和な終わり方です。一方『インセプション』は、最後にコマが回り続け、夢か現実かわからない余地を残します。
知りたいところまで描かれ、平和に終わる
コマが回り続け、夢か現実か、バッドエンドもあり得る余地を残す
なんか最後考えさせられるより、俺(映画が)終わってくれた方が嬉しいわ。
ドパガキだからかもしれないけど。
答えを求めたがるのは現代人の性かもしれない、とツバサさんが受け、テツトさんは人間の性なのだろうと応じます。ここから話題は「ドパガキ」という言葉そのものへ移っていきます。
「ドパガキ」はいつから使われ、何が嫌なのか
テツトさんによれば、「ドパガキ ── 「ドーパミン中毒のガキ」を略した俗語。強い刺激や即時的な快楽ばかり求める人を、やや揶揄する意味で使われます」という言葉が最初に出たのは去年か一昨年の5月ごろだそうです。ツバサさんは、もっと前からあった気がすると話します。
ツバサさんが最初に聞いたのは、アメリカのヒップホップを好む若い世代の文脈でした。プレイボーイ・カーティや、彼に関連したグループ「オピウム」の、電子音が鳴り響く大音量の音楽でないと楽しめない人たちを「ドーパミン中毒じゃん」と言っていたのが始まりだといいます。
テツトさんは、「ドーパミン中毒のガキ」というまとまりは以前からあり、「ドパガキ」と略すようになったのが最近なのかもしれないと整理します。
(ドパガキは)好きではないですね。自分では絶対に発したくないなって言葉。
テツトさんは「ドパおじ」はちょっと可愛くないかと言いますが、ツバサさんには響きませんでした。ツバサさんは反対語として「セロトニンおじさん」を挙げ、テツトさんはThreadsに「ドパの反対はチルなのか」と書いたと話します。
「チルおじ」に憧れるけれど、チルな行動とは何か
テツトさんは「チルおじ」になりたいといいます。イメージは、どっしりと構え、世の中に左右されない人です。
ただ、テツトさんはチルな行動が何かは難しいと考えます。釣りも「釣れる」という興奮を求めていますし、読書も小説の中にたくさんの興奮があるからです。
ツバサさんは、興奮自体は誰にでも起こり得ることだと返し、ドパガキの問題点はその刺激ばかりを求めすぎていることだと指摘します。
三食、一日三食全部マクドナルドみたいな。そういうことなわけでしょ。
納豆とご飯だけの朝や、たまにひじきを食べるといった発想がなく、すべて味が濃くて美味しいものを求める状態だ、というたとえです。テツトさんは、「ドパガキ」が下げの意味で使われているのは、その対義語の状態のほうが理想的だという思いがあるからではないか、と考えます。
ドパガキの何が問題なのか?
テツトさんは、ソーシャルゲームやパチンコにハマるように、あらゆる物事で刺激を求め続けることが良くないと話します。ただし、ある程度の「ドパ汁」は出ないと人間は生きていけないとも付け加えます。
ツバサさんは、サッカーでゴールが決まればドーパミンが出るのは当然だと前置きしたうえで、問題点を整理します。日常のあらゆる場面で刺激を求めすぎると、感覚が麻痺して満たされなくなるというのです。
ツバサさんは、そうした精神状態は幸せにつながりにくいと話します。さらに、エンタメの世界では、もっともっとと食いついてくる人たちに向けて商売をするのは簡単だと指摘します。
刺激を求めすぎる
日常のあらゆる場面で強い刺激を欲しがる
感覚が麻痺する
もっともっとになり、満たされない
過激なコンテンツが増える
作り手が刺激を用意し、過激で下品なものが世の中に溢れる
受け皿がなくなる
過激ではないコンテンツが居場所を失っていく
過激じゃないコンテンツみたいなのが全部受け皿がなくなってきちゃう。
ツバサさんにとっては、過激ではないものの受け皿が消えていくことこそが、面白くない状況だということです。
倍速視聴や答えのある映画は、ドパガキと関係あるのか
テツトさんは、ドパガキ化が進めば、最後にストンと答えが出る映画ばかりになるのではと話します。さらに、映画を1.25倍速や1.5倍速で観る今、長尺の映画そのものが難しくなっているとも指摘します。
ツバサさんの見方は少し違います。倍速視聴はドパガキに関連する行為だと考える一方で、映画に答えが用意されるかどうかは関係ないと話します。
単純に思考力というか、自分の中で答えを探求するっていう、その辛抱ができる人間が減ってんじゃないですか。
テツトさんは、際限なく求めていくところがドパガキの特徴なので、やはり関連があると考えます。倍速視聴や、そもそも観ずにネタバレを見る行動も、じっくり楽しめないという点でつながっているという立場です。
倍速視聴はドパガキ的だが、答えを求めるのは思考の辛抱が減っている別の問題
倍速もネタバレも答えを急ぐことも、じっくり楽しめない点でドパガキとつながる
ツバサさんは、スピルバーグの新作は答えを出さず考えさせるタイプの作品だったと話し、スピルバーグの意見書のような内容だと表現しました。
やがてツバサさんは、映画用語の「カタルシス ── 物語の盛り上がりや解決によって、観客の緊張や感情が一気に解放される感覚。古代ギリシャで悲劇の効果を表した言葉に由来します」を持ち出します。ドパガキは、カタルシスまで待てない人たちではないかという整理です。
だんだん盛り上がっていくんじゃなくて、もう全部盛り上がってほしいみたいな。
ショート動画が飽きさせない工夫で作られているという話に、テツトさんは、待てないからスキップを重ねて早くカタルシスに到達しようとするのがドパガキだと続けました。
日記やイヤホンなしのランニングは「チル」な時間
テツトさんはチルに憧れがあると話します。ツバサさんは普段からチルしているのではと驚きますが、テツトさん自身はしていないと感じているそうです。
テツトさんにとってチルに近いのは、日記を書く時間のように、スピードを緩めて落ち着いて何かをすることです。冒頭で話したランニングも、イヤホンをせず何も考えずに走っているといいます。
そういうのもいいじゃん。止まるというか、脳の回転が。
『マッドマックス』はドパガキ映画?「ドーパミン」の意味がずれていた
ツバサさんは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を、ずっと興奮できる映画として挙げます。しかしテツトさんは、行って帰ってくるだけの話なので、ドパガキはむしろ楽しめないのではと返します。
ドパガキはそもそも楽しめないんじゃないかな。「何も起こってないじゃん」みたいな。
ツバサさんが画面も音楽もずっとかっこいいと言うと、テツトさんは「かっこいいってドーパミンと関係あるの?」と疑問を投げかけます。ここで二人の前提が違うことが見えてきます。
テツトさんの考えるドーパミンは、競馬で馬券を買い「当たるかな」と待っているときに出るものです。当たればお金持ちになれるという期待に向けて分泌され、映画でいえば、苦境に立つ主人公にハッピーエンドを願いながら観ている状態にあたります。
ツバサさんは、もっと広い意味で捉えていたと話します。ドパガキを自分の中で「刺激中毒者」と言い換えていて、かっこいいキャラクター、カメラワーク、音楽が続くだけで十分な刺激だというのです。
テツトさんは音楽の文脈でも、イントロが短くすぐサビが来るような、待てない感覚を思い浮かべていました。ツバサさんはそれを「展開中毒」と言い換え、二人の違いが整理されます。
| 話者 | 捉え方 | 例 |
|---|---|---|
| ツバサさん | 刺激中毒 | 大音量の音楽、ずっとかっこいい『マッドマックス』 |
| テツトさん | 期待と解決を待てない展開中毒 | 馬券の結果待ち、すぐサビが来る曲 |
ツバサさんは、同じ言葉で話していながらイメージが違い、噛み合わないまま終わることがテツトさんとの会話ではよくあると明かします。今回はすれ違いの正体を突き止められたことにほっとしたそうです。
ドーパミン出た?
ドーパミンは出ないです。ホッとした。安心みたいな。
最後はThreadsとXの運用、お便りフォーム、そしてPodyでの記事配信を告知し、二人の「おやすみなさい」で第28夜が締めくくられました。
まとめ
秋の運動や読書から始まった雑談は、ノーラン映画の結末の好みをきっかけに「ドパガキ」の問題点へと深まり、最後は二人が同じ言葉を違う意味で使っていたことの発見に着地しました。
- テツトさんは、ラジオを聴かなくなる理由は後付けのことが多いと、オードリーのラジオを聴き直して気づいた
- ツバサさんは、ドパガキの問題を刺激を求めすぎて満たされなくなることと、過激ではないコンテンツの受け皿が失われることだと整理した
- 倍速視聴や答えを求める映画の見方とドパガキの関係について、二人の意見は分かれた
- ツバサさんは「刺激中毒」、テツトさんは期待と解決を待てない「展開中毒」としてドーパミンを捉えていた
- チルな時間として、日記を書くことやイヤホンなしのランニングが挙げられた






