理系出身の文学理論家は、なぜAIと学びを語るのか
はたらくビ学ラジオは、京都芸術大学DX推進課の木原考晃さんと、デジタルキャンパス局の小笠原治さんが「美意識のある働き方」を語る番組です。今回はゲストとして、京都芸術大学文芸表現学科の河田学さんが登場しました。
河田さんは芸術学部の学部長も務めています。京都大学理学部で生物学を学び、大学院の人間・環境学研究科で博士号を取った、理系出身の文学理論 ── 小説などの文学作品がどんな仕組みで成り立ち、どう読まれるのかを理論的に考える学問分野です家です。
ただ木原さんにとっての河田さんは、映画やゲームの仕事をしていて、最近見た作品の話をする身近な人という印象だったそうです。河田さん自身も、この経歴を知らない人が最近は増えてきたと話します。
僕は面白いおっちゃんっていうイメージしかない。
そんな河田さんを迎えたこの回のテーマは、AIの時代に学ぶとは何なのか、大学や学生はAIにどう向き合うのかという問いです。
AIで学生は変わったのか、それとも分かれたのか
木原さんはまず、AIが出る前と後で学生が明らかに変わったという印象はあるのかを尋ねます。河田さんが挙げたのは、ごく日常的な変化でした。
学生がAI使ってレポート書いてきましたとか、コメントカード書いてますっていうのに、嫌でも気づいちゃう。
木原さんはあえてAI否定派の立場から、AIを使うことが学生の成長に悪影響を与えるのではないかと問いかけます。小笠原さんの見方は、新しい技術が広がるタイミングには格差が生まれる、というシンプルなものでした。
河田さんは格差の面を認めつつも、成長への影響はもう少し時間をかけないとわからないと話します。物心ついた頃からAIがあった世代は、まだ大学に入ってきていないからです。
小笠原さんは、学生はすでに2つのタイプに分かれていると指摘します。AIで質の高いものを作り、今まで以上に取り組む人がいる一方で、AIの出力を自分で確かめずに出す人もいるといいます。
AIを使って質の高いものを作り、今までより多く取り組む
AIで作ったものを、自分で確かめずにそのまま出してくる
小笠原さんは後者について、AIの出力を確かめずに出すのは「人間の権利放棄」のようだと表現しています。
河田さんは自身の経験から、AIによる変化を「賢さ」と「知識」に分けて語りました。
単位を取るツールとして使っちゃってる学生は残念だなっていうふうに思いますね。
小笠原さんは仕事の考え方を学習に当てはめます。人生の中でどれだけ働くかという稼働の割合、業務の密度、言動の強度がある。学習も同じで、AIが出てきた以上は学習密度を上げるしかないというのが小笠原さんの考えです。
(AIは学習密度を)上げれるツールのはずですよね。
大学の方針は「積極活用」、それでも本音は反対派が多い?
AI以前から楽をしようとする学生はいた、と木原さんは補足します。大学によっては講義ノートが売られ、試験前にほぼ答えが配られた状態で学生が転記するようなことも一般的だったといいます。
そのうえで木原さんは、京都芸術大学の姿勢を紹介します。大学は前年に生成AIの利用方針を発表し、学生も学びに、教員も教育に、生成AIを積極的に使おうという声明を出しています。
木原さんは学内の会議でAIの話をしたとき、先生たちがどちらに転ぶか正直ドキドキしていたそうです。結果は積極利用派が多く、安心したといいます。
ところが河田さんは、会議の場の空気と本音は違うと話します。
大きい会議とかではね、パーッと手挙げてAIは絶対禁止するべきだって言えないじゃないですか。
もう時代遅れなおっさんだとかって思われたくないからみんな言わないんだけど、でも本当は反対派っていう人は多いですね。
これを受けて小笠原さんは、3年後ぐらいには大学がAIを使わない伝統的な領域、AIを使う前提の領域、次の先端領域の大きく3つに分かれるのではないかと見ています。使いたくない人は、使わない価値を見つけてやればいいという考えです。
例えば何々コースはもうAIどころかコンピューター禁止ですと。ぐらい言い切っていただいて(いい)。
清水焼の工房とNotionが示した「いい融合」
小笠原さんは、伝統とテクノロジーの組み合わせの例として、最近のイベントの話をします。クロステックマネジメントやデジタルキャンパス局の声掛けで、Notion ── 文書作成やタスク管理、データベースを1つにまとめて扱えるクラウド型の業務ツールですの創業者やAI・プロダクトの責任者など、トップの4人が京都に来たそうです。
京都府や京都市、京都の伝統的な企業、スタートアップの人たちとの会よりも、Notionの彼らが喜んだのは、イベント後に訪ねた隣の清水焼 ── 京都の東山・清水寺周辺を発祥とする焼き物の総称。京焼と並んで京都を代表する伝統工芸ですの工房でした。
その工房では電気窯や電動ろくろを使いながら、工程管理や販売管理をNotionで行っていたといいます。小笠原さんによれば、これはたまたまだったそうです。
こういうトラディショナルな伝統工芸に自分たちのサービスが入ってるっていうことにテンション上げて、この領域を俺ら攻めれないかみたいなことを言ってて。
小笠原さんは、Excelでやっていた作業が自動化され、AIのエージェントが工程と工程、人と人をつないで労働環境を良くしていく姿を、いい融合だと話します。教育にAIを持ち込むべきでないと考える人にも、こうした使い方なら受け入れられる部分があるはずだという見方です。
でも教育になんでAIが必要かっていうとこ、ちゃんと議論した方がいいのかもしれないですよね。
あえてAIを使わない学生と、「教」と「育」を分ける学校
河田さん自身は、授業や、オープンキャンパスの分析のような裏方の業務でもAIを使っています。授業で使うツールの1つが、京都芸術大学が開発しているNeighborです。
木原さんによると、Neighborは学生のバディになるAIツールです。その報告で木原さんが面白いと感じたのは、文芸の学生にはツールを提供してもあえて使わない学生がいる、という点でした。
使わない学生もいるし、あと、なんか使う部分を切り分けている。ここまでは使うけど、でもレポート書く時はもう(AIを)使って書くわけではないとか。
小笠原さんは自分を「超推進派」と認めます。それでもパソコンや携帯、インターネット、スマホが広がってきた歴史を振り返り、推進する立場と、それがない状態の両方を「orではなくand」で追いかける意識を誰かが持っていないと面白くない、と話します。
小笠原さんが懸念するのは、プロセスをエージェントが担うようになると、人が学校では学ばなかった経験則や身体知 ── 言葉で説明しきれない、体を動かしたり経験を重ねたりして身につく知識やコツのことですを得る機会が大きく減ることです。アメリカでは経験のない新人はいらない、という話も実際に起きているといいます。
だからもしかしたら学校って、その教育と育成、教と育、教えると育てる、育むにちゃんと分けて(考えたほうがいい)。
身体知や経験則のために、AIを使わずに何かをする場を学校が用意する。小笠原さんは、舞台芸術の学生が歌舞伎の演目を手伝うことや、文芸の学生が卒業制作で紙の本を出すことを例に挙げます。
河田さんによると、教務委員会主催のAI討論会でもこうした話が出て、身体性が強い舞台の学科と比べて文芸はどうか、という議論が始まっているそうです。河田さんは、学科ごとにそれぞれだよねで終わらせず、芸大としてどう考えるのかを詰めるべきだと話します。
芸術を名乗るなら人が作る、その裏側はAIで
小笠原さんは、アートとは人が作りしものであり、芸術を名乗る以上そこが軸だと話します。そのうえで、学生を5000人ではなく10万人、100万人と増やしたいと願ったとき、裏側の業務はAIでいこうという考えです。
小笠原さんと木原さんのやり取りでは、京都芸術大学は通学課程約5000人と通信教育課程約1万8000人を合わせた約2万3000人の学生に対し、教職員は約500人、うち職員は約200人とされています。
小笠原さんは、業務を100倍、1000倍、1万倍と回せるようになれば、世界でも一番給与の高い職員がいる学校になれるかもしれないと話します。
この話の流れで、小笠原さんは前日に高久さんという理事と話した内容を紹介します。日本で一番平均給与の高い学校法人になったらいい、という話だったそうです。
小笠原さんによれば、学校法人の理事は報酬が1800万円を超えると補助金を返さないといけない仕組みがあるといいます。経営者が自分の給与はこのままで、従業員の給与を上げるという宣言はなかなかない、と小笠原さんは評価しています。
プロセスがAIに任されたとき、人間に残る4つの仕事とは
小笠原さんは、AIによって評価のあり方が変わると考えています。これまでは、プロセスでアピールできていれば結果が少し下回っても許される世界だった、と小笠原さんは話します。
プロセスの多くがエージェントに任されるようになると、人間の役割はおおむね4つに絞られる、というのが小笠原さんの想定です。
ディレクション
前提や方向を決める
ディシジョン
どういう結果であるかを判断する
オーディット
結果が良くなかったときに、プロセスが大丈夫だったかを振り返って監査する
責任
最後に責任を持つ
この前提に立って、どんな人が大学で働き、どんな学生が育っていくのか、その絵を描かなければいけないと小笠原さんは話します。場当たり的にやると、ただでさえひどい局所最適化が学科やコース単位でさらに進むという懸念です。
プロセスの経験するチャンスが減るはずだから、学校でそこをやるんだっていう意見でAI使わない時間作らせようぜとか、ちゃんと主張してくれたらいいのになっていう。
不安からの禁止か、仮説を立てた選択か
河田さんは、教員の間にはまだ、積極的な意味でAIを使わない時間を作るのではなく、AIへの不安や恐怖から禁止しようという方向に行きがちな面があると認めます。
禁止してるけど、AIバリバリ使ってたやつと一緒に社会に出たら仕事していかないといけないじゃん。
だからこそ、AI時代の人の生産性とは何なのかを学生にも考えてほしいし、教員も考えなければいけない、と河田さんは話します。
小笠原さんは、企業ではすでに熟練した人にエージェントを付けて利益を最大化する動きが起きていて、日本でも1年から1年半ほどでそうなると見ています。教育者がそのときに気づくのでは遅いという考えです。
おおむねこっちに来そうだから7割はこっちねと。でもそうじゃない未来の可能性もあるから、別の仮説を立てて、3割はこっちねと。
そうした合意ができる教員陣でいたいという小笠原さんに、河田さんも、そのためには教員同士がもっと話さなければいけないと日々感じていると応じます。
小笠原さんがはっきり線を引いたのは、AIを使うか使わないかではなく、受け身で決めるかどうかという点でした。
ほんと単なる禁止ってなんか目つぶってるだけというか、目背けてるだけなので、なんかもっと禁止するにしても、使用を制限するにしても、なんかもっと勉強してやってほしいな。
小笠原さんは、お化け屋敷やジェットコースターなら目をつぶっていれば時間が来て終わるけれど、AIは現実なのだと締めくくりました。話は次回に続きます。
まとめ
この回では、AIで知識は増えても賢くなるとは限らないという河田さんの実感を出発点に、AIを単位を取る道具にするのか学ぶ道具にするのか、大学はどう向き合うべきかが語られました。
- AIを前にした学生は、AIでより多く取り組む人と、確かめずに出す人にすでに分かれている
- 京都芸術大学は生成AIの積極活用を打ち出しているが、教員の本音には反対派も多い
- プロセスがAIに任されるほど、身体知や経験則を得る場として学校の役割が問われる
- 人間に残る仕事はディレクション、ディシジョン、オーディット、責任の4つになるという見立てが示された
- 使うにせよ使わないにせよ、不安からの受け身の禁止ではなく、仮説を立てた選択が求められる




