瞑想明けの2025年初収録に迎えたゲスト、木下斉さんとは?
2025年最初の厚利少売ラジオの収録は、川原卓巳さんの近況から始まります。川原さんは年明けに10日間の瞑想プログラムに参加し、合計120時間を座禅と瞑想に費やしてきたそうです。
一切誰とも目を合わさない、誰とも口きかない、もちろん身体的な接触もない。まさに自分という深い世界に120時間こもってきたら、目覚めちゃいまして。
重そうだな。
川原さんが発表したこの回のテーマは「成功する地方創生はすべからく厚利少売」です。ゲストには、地域活性化の分野で「狂犬」とも呼ばれる木下斉さんが招かれました。
木下斉さんが今回の出演に至ったきっかけは、書籍『厚利少売』でした。木下さんはおすすめに出てきたこの本を一読者として購入し、読んだあとで川原さんが関わっている本だと知って、川原さんにDMを送ったといいます。
木下さんは、本のタイトルがうまいと感じたうえで、「たくさん売らない」という考え方は自身が地域の中でやっていることと重なると話しています。
番組では川原さんが木下さんの経歴を紹介しました。木下さんは1982年生まれで、高校時代に全国の商店街による共同出資会社を設立して社長に就任しています。その後、全国に事業型まちづくり会社を立ち上げ、それらをつなぐエリア・イノベーション・アライアンス ── 木下斉さんが代表理事を務める団体。全国の事業型まちづくり会社をつなぎ、人材育成などに取り組んでいますの代表理事を務めています。
もうだってさ、(経歴の紹介文は)漢字問題なのよ。ほとんど見た目が。
経歴の文面について、木下さんは「役所絡みは本当に漢字が多い」と笑って応じています。
高校1年生が商店街に飛び込んだ理由は?
木下さんは、大学受験のない早稲田大学の附属高校を選び、高校と大学の7年間を自由に使って学校の外で活動しようと考えていました。小学校高学年の頃から、成績で評価される学校のあり方に反発心があったといいます。
木下さんが「実社会の変化を見に行きたい」と思った背景には、子どもの頃に起きた出来事があります。小学6年生のときに阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件 ── 1995年にオウム真理教が東京の地下鉄車内で神経剤サリンを散布したテロ事件。多数の死傷者が出ましたがあり、中学2年生のときには神戸連続児童殺傷事件がありました。
特に神戸連続児童殺傷事件では、テレビに出た専門家の見立てが大きく外れ、犯人は木下さんと同い年の少年でした。この経験から木下さんは、常識とされることを暗記してテストをクリアしても意味がない、と中学生の頃に感じたと振り返っています。
高校1年生だった1998年当時、高校生を受け入れる活動はほとんどありませんでした。木下さんは、当時流行していた乙武洋匡さんの『五体不満足』で、乙武さんが商店街で活動していると知ります。
木下さんはそこで、高校1年生でも商店街の活動に関われるはずだと考え、すぐにネットで検索しました。「高校生でもOK」と書かれたホームページを見つけて連絡し、商店街の活動に参加し始めたといいます。
商店街の活動を続けるうちに、木下さんは全国で突出した成果を上げている人だけが入れる、まちづくり分野のオンラインコミュニティの管理人を務めるようになります。そのメンバーで共同出資会社を作る話が高校2年の頃に盛り上がり、高校3年で初めての会社を設立しました。
ネットを使って地域を活性化する取り組みだったことから、木下さんの活動は新語・流行語大賞の「IT革命」の受賞にもつながったと話されています。
この年表のとおり、木下さんの活動は高校時代の商店街参加から始まり、政策の提言を経て、全国のまちづくり会社のネットワークへと広がっていきます。
補助金ではなく「稼ぐまちづくり」へ。道路の規制緩和で何が変わった?
20代の木下さんが取り組んだのは、国の支援策のあり方を変えることでした。木下さんによると、国の支援策は補助金を出す事業が多く、そのほとんどが失敗しているといいます。
木下さんは、商店街の道路上での広告や宣伝が、道路法、道路交通法、屋外広告物条例などで縛られ、ほとんど何もできない状態だったと説明します。アメリカでは屋外でプレミアイベントが開かれるのに、日本ではできなかったことも問題意識にありました。
そこで木下さんたちは、新宿の伊勢丹伊勢丹前の通りで車道を止めて歩道空間にし、日本映画のジャパンプレミアを開けるようにする社会実験を行いました。
木下さんによると、歩行者天国にしてしまうと、今度は区域内に車両が入れなくなり、設営ができないというちぐはぐな問題が起きていました。この矛盾を解消するため、経済産業省、国土交通省、警察庁などを交えた実験を札幌や新宿で行ったといいます。
規制の壁
道路関連の法律や条例で、商店街の道路上では広告やイベントがほとんどできない
社会実験
省庁や警察を交えて、札幌や新宿で道路空間を活用する実験を行う
民間の収入
商店街や地域でも、大手企業と同じようにプロモーション収入を得られるようにする
全国展開
補助金に頼らず事業で稼ぐまちづくり会社を全国に立ち上げる
この流れの狙いについて、木下さんは「補助金や税金ではなく、普通に民業として稼げるロケーションが商業地区にはたくさんある」と考えたと話しています。各地にまちづくり会社ができて問い合わせが増えたことから、人材育成などに対応するためにエリア・イノベーション・アライアンスを作ったといいます。
もう興味深すぎて、絶対時間内に終わらない確信だけが今生まれたので。
観光客は一度も減ったことがない?数を追う地方の落とし穴
川原さんは、地方創生と厚利少売の関係をどう考えているかを木下さんに尋ねました。木下さんはまず、日本に根付いた薄利多売の発想が地方活性化にもそのまま持ち込まれていると指摘します。
木下さんがわかりやすい例として挙げたのが観光事業です。木下さんによると、地方の観光統計は、取り始めてからコロナ禍以外で観光客が一度も減ったことがないといいます。
観光客が減らない理由について、木下さんは、毎年目標を上げなければならないという考え方があるからだと説明します。最後に数を合わせるのは日帰り観光客で、イベントを開けば、横を通っただけの人まで数えられてしまうといいます。
一方で、木下さんによると、地方でいま起きているのは働く人がいないという問題です。総人口の減少よりも生産年齢人口 ── 経済活動の中心となる15〜64歳の人口のこと。働き手の数の目安として使われますの減少のほうが速く、人は残っていて観光客も来るのに、それをさばく労働者がいないという状態になっています。
毎年目標を上げ、日帰り観光客の数え方も含めて来訪者数を増やし続けようとする
働ける世代が人口以上の速さで減り、大量の来訪者をさばく人手がいない
この対比から木下さんは、最初から大量に人を呼ぶ発想自体が、地方の今の状況にまったく合っていないと話します。大型のホテルや旅館を抱える伝統的な観光地では、施設のすべてを回せない状態になっているといいます。
(大きなホテルや旅館は)部分的にしか稼働してないもんね、ほぼほぼね。
靴職人、帽子屋、写真館。生き残る個店に共通することとは
飲食店の世界でも変化が起きていると、木下さんは話します。木下さんによると、いま勢いのある店は、思いがあって商店街に来てくれる店を除くと、商店街とは関係のない僻地に出店することが多いといいます。
木下さんが例に挙げたのは、廃集落にオーベルジュを開業するようなディスティネーションレストラン ── その店で食事をすること自体が旅の目的地になるレストラン。遠方からわざわざ客が訪れますです。こうした店は1日に数組しか受け入れない一方で、客単価を大きく引き上げ、その場所でしかできない体験として超広域の商圏から客を集めています。
木下さんは、商店街の靴屋の歴史もたどります。かつて商店街の靴屋は靴職人を雇って自分の店で靴を作っていましたが、戦後の高度経済成長期に、1世代300万人ほどいる団塊の世代が一斉に靴を履くようになりました。
成長期の子どもは靴を次々と履き替えるため、店で作っていては数が追いつかなくなります。そこで靴屋は、工場で作られた靴を仕入れて並べる業態に変わっていったといいます。
さらに80年代になると、チェーンストアの力が強まりました。木下さんによると、小さな店にはメーカーの靴が3カ月遅れでしか卸されなくなり、型落ちしか並ばなくなった街の靴屋は軒並み立ちゆかなくなったといいます。
木下さんは帽子屋でも同じことが起きていると話します。仕入れ販売の店が淘汰されたあと、自分で帽子を作る技術を学んだ人が、商店街の数坪の店でやりたいと地方にも入ってきているといいます。
写真館でも、出張フォトグラファーとして活動したり、地方で毎年遺影を撮影し続けるメンバーシップ型の撮影を始めたりと、生き残る人たちはさまざまな形を試しています。木下さんは、こうした人たちが「写真を撮るバリューとは本来何か」を問い直していると見ています。
ところが地方では、高齢化が進んで、薄利多売の時代を経験した世代の影響力が強いままです。木下さんは、半世紀前の成功体験をもとに「もっと数を広げろ」と言う人たちに反論しなければならず、そのせいで狂犬と呼ばれるようになったと苦笑しています。
木下さんはヨーロッパにも目を向けます。ヨーロッパには何百年も栄えている村がある一方で、150年前は栄えたものの今は衰退した工業都市も多いといいます。木下さんは、日本でも農村や少人数のエリア、中堅規模の街が、ネットとのハイブリッドで生き残っていく可能性があると話しています。
物が足りなかった時代のノウハウが、なぜ今も幅をきかせるのか
木下さんの話を受けて、すがけんさんは「本当にその通り」と応じたうえで、マーケティングの専門家の立場から見えている問題を語りました。
すがけんさんによると、マーケティングの世界でも、出回っているのは薄利多売の消費財向けのノウハウばかりだといいます。
だからCMを打て、広告を出せ、安売りをしろ、ランディングページはこうやって動かすとボタンを押すぞとか。
なんかそういう、チープな人間をバカにしたみたいなやり方がやっぱり多くて。なんかいい商品作る話とか誰もしないんですよね。
すがけんさんは、X(旧Twitter)では炎上商法がマーケターのやり方のようになっていて、マーケティングが曲解されていることが残念だとも話しています。
木下さんは、薄利多売の成功体験を持つ人がまだ数として多いと応じます。そうした人たちは、人がたくさんいるところや、たくさん作れるものが強く、少人数や少量生産は最弱だと考えているといいます。
しかし木下さんの見立てでは、価値の見出し方はすでに変わってきています。大きなところがバタバタと倒れる一方で、小さなところはピークがそれほど高くない代わりに、落ち込みもそれほど大きくないといいます。
木下さんは「山高ければ谷深し」という言葉を引き、造船、海軍工廠、製鉄所で栄えた広島県の呉市を例に挙げました。産業があったから人が集まった街は、その産業がなくなると住む理由が薄れ、一気に人がいなくなるといいます。
人口3万人のエペルネが、パリより豊かなのはなぜ?
木下さんは、フランスのシャンパーニュ地方にある街、エペルネを訪れたときの話を紹介しました。エペルネには大手のシャンパンメゾンも小規模なメゾンもあり、同じ事業に見えて、厚利少売型と大量生産型が共存しているといいます。
木下さんが産業の歴史として面白いと感じたのは、シャンパーニュ地方の西側にフランスの産業革命の中心地があり、南側には繊維産業が集まっていたことです。その間にはフランス初期の鉄道も敷かれました。
当時、ワインを作る農村だったシャンパーニュ地方は、工業をやれなかった二流の地域のように見られていたといいます。一次産業が古く、二次産業が最先端とされた時代には、立ち遅れた地域だと言われていました。
ところが木下さんによると、近くに工業都市があったからこそ、5気圧以上に耐えるガラス瓶を大量に作ってもらえたそうです。その瓶でボトリングできたことで、シャンパンをイギリスなどへ輸出できるようになりました。
現在のエペルネは人口3万人ほどの街ですが、木下さんによると、1人当たりの所得はパリ市民よりずば抜けて高いといいます。一方で、近くの工業都市は炭鉱がなくなり、工業も海外へ移り、繊維産業もアジアに取って代わられました。
工業都市が最先端とされ、ワインを作る農村は立ち遅れた二流の地域と見られていた
工業は海外に移って衰退し、生産から販売まで地域で担うシャンパンの街が高い所得を保っている
木下さんは、地元で作り、ブランディングし、販売まで垂直統合でやれる産業として残ったのは、一次産業とその加工業であるシャンパンだけだったと話します。数百年、千年という時間軸で見ると、二次産業は世界中を移動していくという見方です。
すがけんさんは、木下さんが話した「超広域商圏」という言葉に注目しました。いいものを作り、買う人をグローバルに広げていけば、商圏はいくらでも大きくできるという考え方です。
厚利少売って少なく売って少なく作るってことも大事なんですけど、需要に対して。でもそれだけじゃなくて、欲しい人を増やすっていう商圏の拡大みたいなのもありますもんね。
買いたい人の分母が増えて、生産量が変わらなかったら、どんどん(厚利少売に)近づいていくんで。
木下さんは、農産加工品の強みは、素材から加工、販売までのバリューチェーンの大半を地域で取れることだと応じます。原産地呼称制度のもとで地域のブドウを使うシャンパンでは、末端価格の多くを地域が得られるといいます。
すがけんさんは、生鮮品のままでは遠くへ運べないが、加工までやれば利益も増え、商圏も広げられると整理しました。木下さんも、狭い市場に絞っているように見えて、その先には超広域の商圏が広がっていると話しています。
バレーボール練習専用の体育館に、なぜ海外代表まで来るのか
木下さんは、日本国内の事例として、バレーボールをずっとやっていた仲間が岩手県に作った、バレーボール練習専用の体育館を紹介しました。
岩手のバレーボール練習専用体育館は補助金を一切使わない完全民間経営で、銀行からの融資で建てられています。体育館は箱としての受け入れ数に限りがあるため、ホテルなどの滞在施設をセットにして利益が取れる形にしたといいます。
合宿みたいなのを受け入れられるようにするわけですね。でもそれって、バレーを気兼ねなく練習し続けたいからっていう欲からスタートしてるんだよね。
木下さんによると、日本では野球とサッカーが二大巨頭で、それ以外は超マイナースポーツになってしまうため、役所はバレーボール専用の体育館を作れないといいます。バレーボール専用を作るなら剣道場も、と他の競技からも要望が集まるからです。
その結果、行政が作るのは多目的体育館になります。木下さんはこれを「行政サービスの薄利多売」と表現し、安くあらゆるものに対応しようとする発想だと話しています。
(多目的に)平均点でやるから何者でもない、誰のためかわかんないのが出来上がる。
あらゆる競技に安く対応しようとし、全国どこにでも同じものがあるため、遠くから人は来ない
五輪仕様の床、断熱、地元の食事、ホテルを備え、トップチームや海外代表が合宿に訪れる
岩手の専用体育館には、五輪仕様のタラフレックス ── フランス製のスポーツ用床材。バレーボールの国際大会などで使われ、選手の体への負担を抑えるとされていますの床が敷かれ、断熱がしっかりしているため冬でも暖かく、故障が少ないといいます。食事には地元の野菜が使われています。
当初は県内の強化選手など地元の利用を想定していましたが、今ではトップリーグのチームがわざわざ合宿に来るようになりました。日本で国際試合があるときには、カナダの代表選手が調整のために岩手を訪れたこともあるそうです。
まさかのバレー専用でニッチでやったら全国から合宿のために来るっていう、そんなオチがあると想像できなかったですね。
木下さんは、ローカルこそターゲットを絞るべきだと強調します。わざわざ足を運ぶ場所なのに、どこにでもある汎用品をみんなに向けて用意しても、人は来ないからです。
すがけんさんは、半日で終わるものは交通費に見合わないが、1週間や1カ月の滞在になれば「わざわざ」行く価値が生まれ、商圏が大きく広がると補足しました。
木下さんたちは、針の穴のように小さな市場に特化する手法を「ピンホールマーケティング」と呼んでいるといいます。木下さんは、まちづくりで「みんなのために」と言い続ける「みんな病」から抜け出す必要があると話します。
税金で作った多目的施設には地元の人すら来ない一方で、銀行融資で作ったホテル付きのバレー専用体育館には全国から人が来ます。木下さんは、どちらが本当にパブリックなのかという皮肉な問いを投げかけています。
マッサージ屋さんに行くようになり、ご飯を食べるようになり、お土産を買って帰るようになりって。
2000円の海鮮丼の町と、10万円のコースが生まれる町の違い
木下さんは、すがけんさんの「交通費負け」という視点はとても大きいと応じます。ディスティネーションレストランのように目的地になる店に来る客は、価値に比べれば交通費はわずかだと感じているといいます。
さらに飲食や宿泊が充実していれば、遠方から来た客は1泊で帰らず、数泊の計画を立てるようになります。こうした店が国内外から客を呼ぶことは、地方にとって大きな力になっていると木下さんは話します。
木下さんは、食事の価格帯の違いも挙げました。2000円の海鮮丼しかない町と、3万〜5万円のコースにペアリングを付けて7〜8万円、10万円ほどの客単価を狙える事業がある町とでは、事業者の考え方そのものが変わるといいます。
木下さんは普段から、コストに関係なく地元で究極的にやり尽くせる限界点を考える「アルティメットプラン」を勧めているそうです。ただ、地方ではコストカットの方向が強く、そうした発想がなかなか出てこないといいます。
すがけんさんは、地方あるあるとして、周りの事業者をライバルと見て商圏を取り合ってしまう問題を指摘しました。
遠くから来てもらわないといけないから、一つ一つだと半日にも満たないから、来てもらえないんだけど、みんなで集まってやれば、そこに来てもらえるから、本当は仲間なんですけど。
すがけんさんはさらに、すでに富裕層をもてなしているディスティネーションレストランの人が、周りの事業者向けにマーケティングの塾のようなものを開き、商圏ごと富裕層に対応できるようにしていく方法もありうると提案しています。
商店街の敵はダイエーではなかった?集積同士の競争という視点
木下さんは、商店街はその典型で、商店街の人たち同士は基本的に仲が悪いと話します。すがけんさんも、お客さんの財布の取り合いになっているからだと応じました。
木下さんが講演でいつも話しているのは、商業の第一の要素は「商業集積間の競争」だということです。客はまず、A という街と B という街のどちらに行くかを考え、そのときには個々の店ではなく、魅力的な店が集まっているかを見ているといいます。
隣近所の店を財布の取り合いの相手と見て、潰し合ったり個別に広告を打ったりする
客はまずどの街に行くかを選ぶため、街全体の魅力で別の街と競う
木下さんは、この見方を裏付ける研究として、一橋大学の学生の博士論文調査の出典を紹介しました。ダイエーが全国の商店街に進出した際、排斥運動をした商店街と誘致した商店街のどちらが長く繁栄したかを調べたもので、結果は誘致した側だったといいます。
木下さんによると、ダイエーの競争相手は商店街ではなく、別のダイエーの店舗やイトーヨーカドーでした。ホームランを打つ選手を「自分が目立たなくなる」と追い出せばチームごと弱くなる、と木下さんは野球の打線にたとえています。
コンサルの人たちもみんな広告打てみたいな、しょうもないアドバイスやっぱしがちなんですけど、そうじゃなくて、今のダイエーの例だったら、ダイエーは集客エンジンなんだ。
すがけんさんは、商店街の関係を二人三脚にたとえようとして、その言葉がなかなか出てこず、場が笑いに包まれました。
イカゲームで見たばっかりなのに全然出てこなかったけど。
すがけんさんは、人口が増えて欲しいものが多かった時代は周りと戦っていたが、今はゲームの種類が変わったと話します。仲良くする感覚を持たなければ、何の競争をしているのかを間違えたままになるという指摘です。
福岡・天神はどうやって九州一の商業地区になったのか
商業集積間の競争でめざましい成果を上げた事例として、木下さんは福岡の天神を挙げました。戦後すぐの天神は、博多側ではないこともあり、いくつかの商店街がある程度の場所だったといいます。
その頃、九州の他の都市では、地域内の商店街同士が張り合っていました。熊本では上通と下通という2つの大きな商店街があり、北九州でも駅前側と元々の中心である銀天街側の仲が微妙だったと木下さんは説明します。
一方で天神では、商業ビルと新天町商店街が一緒になって、天神としてのプロモーションを行いました。個別に広告を打つのではなく、「天神に来てください」という広告にみんなでお金を出し合い、北九州などにも宣伝カーを出したといいます。
そこに乗ったのが、天神でコンセンサス作りの中心にいた鉄道会社の西鉄 ── 西日本鉄道の略称。福岡を拠点に鉄道やバス事業などを手がける会社で、天神に大きな拠点を持っていますです。西鉄は、九州各地と天神を結ぶ高速バスを走らせました。
木下さんによると、熊本では上通と下通が競い合うど真ん中の通り通りの名称から、天神行きの高速バスひのくに号が15分間隔で次々と出発していたといいます。
うわぁ、やらしい。どっちに行くか迷ってる間に、もうバス乗って天神行っちゃうっていう。
ファッションでは熊本が九州で最も先進的と言われていた時期に、天神は若者向けの新しいファッションブランドをみんなで揃えてアピールしました。数百円のバス代で天神に来て週末に買い物をするのがおしゃれ、という文化を作ったといいます。
この手順で、北九州、熊本、宮崎、鹿児島、佐賀、長崎の中心部から天神へ直行する流れができ、天神は九州一の商業地区になったと木下さんは話しています。すがけんさんは、今では韓国からも船で人が来ると付け加えました。
チェーン店がほぼない福岡に、なぜ人が集まるのか
すがけんさんは、福岡が東京都に次いで人口の伸び率が高いことに関心を持ち、その理由を知りたくて福岡に1年間住んだことがあるそうです。
やっぱり街としての完成度も高いし、チェーン店がほぼないんですよね。
木下さんも、福岡は個人店がとても多いと応じます。すがけんさんは、個人店の良さは店に行くとオーナーがいることだと話しました。
つまりやらされて働いてるんじゃなくて、自分が好きで働いてて、しかもちっちゃくていいっていう、もう(厚利少売から)始まっていて。
木下さんが「カウンターと小上がりぐらいの」と応じると、すがけんさんは、飲食でも洋服でもそうだと話します。住む人もチェーンより個人店がいいと感じるようになり、それが受け継がれているといいます。
すがけんさんの記憶では、福岡の人口は130万人ほどから160万人ほどまで増えたそうです。しかも家賃が安く、木下さんも、最近こそ上がってきたものの、ついこの間までは驚くほど安かったと話しています。
都会で仕事もある。(中略)東京に引けを取らない時給とか価格で働ける。なのに生活費は地方並み、田舎並みの値段なんで、やっぱ儲けたいなら福岡みんな行っちゃうんですよね。
すがけんさんは、大阪より西の人たちが、大阪や東京は給料は上がりそうでも家賃が高いと見て、福岡に移っていくと見ています。
高さ制限と水不足。「できない制約」が福岡を強くした?
木下さんは、福岡市が戦後を含めて地方の政令指定都市で唯一、人口密度が低下していない街だと話します。木下さんの見方では、福岡は街そのものが厚利少売になっています。
背景には、福岡が抱えてきた制約があります。福岡市は長く水不足に悩まされ、新興住宅地を次々と開発することができませんでした。また、市街地に空港があるため高さ制限があり、巨大なビルも建てられませんでした。
木下さんは、現在進む天神ビッグバン ── 福岡市・天神地区で進められている再開発プロジェクト。規制緩和を活用して古いビルの建て替えを促していますのビルも、他の大都市と比べるととても小さいと話します。高さ制限は少し緩和されたものの、東京の感覚では中規模の普通のビルの高さにとどまっているといいます。
六本木ヒルズはないし。
木下さんによると、他の都市の再開発では、今ある利益を食いつぶすほど建物を高くしないと採算が取れません。容積を150パーセントほど増やさないと成立せず、200パーセントなら30階建てを60階建てにする計算になるといいます。
採算のために容積を大きく増やし、今ある需要を食いつぶすほど高層化する
高さ制限のため少しずつしか増やせず、50年後に需要が伸びれば再び開発し直せる余力が残る
木下さんは、福岡の需要からすれば、もっと高くしても埋まるはずだと見ています。それでも高くできないという制約が、むしろ大きなプラスに働いているという見方です。
川原さんが、横にもあまり広げていないことを挙げると、木下さんも同意しました。天神の家賃が上がると、良い個人店が1〜2駅ずれた場所に移り、そこにまた人が集まっていく流れができているといいます。
時間を味方につけた厚利少売。前半の結びと後半への橋渡し
川原さんは、ここまでの話について、地方創生でもビジネスでも、日本でも海外でも共通する原理原則だと振り返りました。そのうえで、時間軸の観点はさらに深掘りできると話します。
シャンパンも含めてワインもそうだけど、作って最後まで自分たちでやれた後、この時間軸を味方につけられてるから、ブランドとなり、高付加価値化している。
川原さんは、バレーボール専用体育館も長い期間滞在してもらえることで時間軸を味方につけ、厚利少売が成り立っていると話しました。続きは木下さんのVoicy「木下斉の今日はズバリいいますよ!」で、日本が生き残る道まで語るとしています。
締めくくりに木下さんは、少子高齢化社会の問題点として、過去の経験を持つ人のほうが多くなっていることを挙げました。日本が成長できた時代は、過去の経験を持つ人が少なく、今を担う人が多かったことがプラスに働いたと考えているといいます。
木下さんによると、今は逆に、昔話で物事を判断し、それを次の世代に伝えようとする人が多くなっています。だからこそ、曇りのない目で厚利少売を見つめることが改めて大切だと感じた、と木下さんは話しています。
『人生は、捨て。』と厚利少売に共通する「手放す」発想
番組の最後には、2人の書籍の告知がありました。まず『厚利少売』は、薄利多売ではなく、厚い利益で少なく売るからこそ感謝され、欲しいと思ってもらえるという考え方をまとめた本として紹介されました。
続いて川原さんは、新刊『人生は、捨て。 自由に生きるための47の秘訣』を徳間書店から出版したことを報告しました。きっかけは「なぜ人は頑張っているのに自由に幸せにならないのか」という素朴な疑問だったといいます。
実はそう、捨てることができてないから、みんな自由に幸せになってない。
川原さんは、すがけんさんを例に挙げます。すがけんさんは時給が高いので、たくさん働けばもっと稼げるはずですが、その部分を捨てているから幸せなのだという見方です。
いらない、いらない、そんなに(お金は)いらない。
まあでも本当に捨てれないって話と、薄利多売っていう話はめちゃくちゃ近いですよね。
すがけんさんは、無限の欲でお金や物を求め続けることや、薄利多売で儲からないためにやめさせてもらえないことを「現代病」と表現しました。川原さんも、企業が事業から撤退できないことや、会社員が出なくていい会議すら断れないことを例に挙げ、手放し方を47項目にまとめたと話しています。
まとめ
今回の厚利少売ラジオでは、木下斉さんが、人手が減る地方で数を追う発想が行き詰まっていること、そしてターゲットを絞り価値を高めた事業が超広域の商圏から人を呼んでいることを、数々の実例で示しました。福岡・天神の事例からは、競争の相手を見誤らないことと、制約がかえって強みになることも見えてきます。
- 地方は総人口以上の速さで働き手が減っており、大量に人を呼ぶ観光の発想は現状に合っていないと木下さんは指摘しています
- ピンホールマーケティングのように市場を絞り込んだ事業ほど、わざわざ人が訪れる超広域の商圏を得られます
- 商業の競争は店同士ではなく街同士の競争であり、天神は商業者が手を組み、高速バスで九州全土から客を集めました
- 福岡は水不足や高さ制限という制約のおかげで、街全体が厚利少売の形を保っていると木下さんは見ています
- 薄利多売の成功体験を持つ人が多い社会だからこそ、曇りのない目で厚利少売を見つめ直す必要があると語られました





