団地の排水溝を懐中電灯で探検した子供時代
今回のお題は「子供の頃の限界突破」です。けんすうさんが、人と違ったと思える子供時代のエピソードを田中さんに尋ねるところから話が始まります。
田中さんがまず思い出したのは、学校に入る前に住んでいた団地での遊びでした。車が入ってこない環境で、子供たちだけでずっと遊んでいたといいます。
子供たちだけでもうずっと遊んでて大丈夫な環境だったんですよね、車とか入ってこないから。で、僕なんか排水路の中に入って移動するっていうのをずっとやってた。
田中さんによれば、その団地は棟が10個ほどある大きなもので、集会所を中心に地下の排水溝ですべてつながっていたそうです。水が溢れているわけではなく、ドロドロジメジメしているだけの場所でした。
田中さんは、外せる排水溝の蓋を見つけては懐中電灯を持って潜り込み、どこまで遠くの棟に行けるかを競う探検をしていたと振り返ります。
今日八号棟に行けたとか、もっともっと遠くに行けるかどうかとか。ただ、行っても出られるかどうかの保証ないわけですよね。
田中さんは、蓋が上から押しても開かない場所もあるため、出られる保証のないままチャレンジしていく点に冒険心を感じていたと語ります。懐中電灯を2つ持って行っていたことも思い出したそうです。
けんすうさんは「今だったら多分怒られる」と応じます。田中さんは、当時もバレていたら怒られていただろうと笑いながら、90年代の大らかさに話を広げます。
傘を開いて2階から飛んだ「男子あるある」
けんすうさんも、子供の頃に高いところから飛び降りた思い出を語ります。みんながやっている中で自分も限界突破して飛び降り、頭をぶつけて大変なことになったと親から聞かされたそうです。
田中さんは、鬼ごっこから逃げるために2階から飛ぶ遊びがあったと応じます。その際、傘さえあればゆっくり着地できるのではないかと考えていたといいます。
傘バッてやって二階から飛ぶんですけど、ザンって降りてしまうんで。めちゃくちゃ痛いんですよ。それは確かにやりました。
二人は、中高の時も高いところから飛び降りるのはみんながやっていたと振り返ります。「己の勇気を試される少年たち」だったと、男子あるあるとして共感し合いました。
味噌汁8杯でCD代を捻出した音楽漬けの日々
話題は学生時代のお金の使い方に移ります。田中さんは、中学に入ってから音楽に強く興味を持ち、全ジャンルにハマったと語ります。ロックやメタルを覚え、クラシックやジャズまで聴くようになったそうです。
田中さんは、通学路にあった渋谷のタワーレコードとHMVに毎日通い、店員さんと仲良くなっていました。CDを買う資金は、昼食代を削って捻出していたといいます。
その方法が、学食の味噌汁でした。二人が通った同じ中高では、わかめ入りの味噌汁が1杯10円だったそうです。
味噌汁十円なんですよ。で、結構わかめ入ってて、あれを八杯とか飲んでました。めっちゃお腹いっぱいになるんですけど、八十円だから。
田中さんは、定食なら500〜600円かかるところを味噌汁で80円に抑え、1日500円近く浮かせて週に3000円ためればCDが1枚買えるという計算だったと明かします。
昼食を味噌汁8杯に
1杯10円の味噌汁を8杯で昼食を80円に抑える
1日500円浮かせる
定食なら500〜600円かかるところを節約する
1週間で約3000円
浮いたお金を1週間ためる
CD1枚を購入
週3000円のCD代を捻出する
けんすうさんも共感します。近所にあったタワーレコードで、店員さんが紹介するインディーズのミュージシャンを視聴し、一生懸命聴いてから買っていたそうです。
昔はね、YouTubeとかもなかったんで、音楽との出会いがすごい重要だったんですよね。
田中さんは、YouTubeがない時代だからこそ、何でも知っているレコード屋の店員さんの価値が非常に高かったと語ります。センスのいい音楽を教えてもらうことが口コミで広まっていたそうです。
兄姉がいる人はカルチャーの「補給元」だった
田中さんは、カルチャーの入り口についても語ります。けんすうさんに兄弟の有無を尋ね、姉がいると聞くと羨ましがりました。
兄、姉がいる人いいんですよね。悪いこともカルチャーもいろんなものも全部大体年上から降りてくるじゃないですか。
田中さんは妹がいるため、上に兄や姉がいてカルチャーが流れてくる人を羨ましく思っていたと振り返ります。音楽も遊びも、多くのものが年上から降りてくる感覚があったようです。
魚屋のバックヤードと採点のバイト
話題はアルバイトに移ります。けんすうさんは、夏休みだけ魚屋さんのバックヤードで働いていたと語ります。
魚屋さんのバックヤードで働くとかやってましたね。なんでなのか覚えてないですけど。
田中さんは「ミスタードーナツとかで言いそう」と意外がりますが、けんすうさんはその場所が好きだったのだろうと振り返ります。ほかに採点のアルバイトもしていたそうです。
一方の田中さん自身は、やばいバイトはしていなかったといいます。ただ、学校にはお金の稼ぎ方が特殊な同級生が多かったと語ります。
けんすうさんも、高校時代の友達を思い浮かべ、犯罪ではないかと思える稼ぎ方をしていた人がいたと同意します。カツアゲのような行為も含め、90年代の荒れた空気を二人は振り返りました。
早稲田駅から夏目坂を走って登校した日々
学校の思い出として、二人はまず通学路の坂を挙げます。この収録前に話しても、学校までの坂が長かったことしか出てこなかったといいます。
田中さんによれば、当時は東西線の早稲田駅か都営新宿線の曙橋のどちらからも15分かかる微妙な場所で、早稲田駅から夏目坂という急な坂を登らないとたどり着けませんでした。
八時半始業のとき、どちらの派だったか
けんすうさんは8時29分に滑り込む派、田中さんは朝7時から朝練をしていたため遅刻ギリギリではなかったといいます。ただし田中さんも、その坂をずっと走って登っていたそうです。
田中さんは、半年か1年ほど前に学校を訪ね、校長先生と話したエピソードを紹介します。昔は足腰が強い生徒が多く、それは遅刻ギリギリで坂を走るためだったといいます。
けんすうさんは、雪の日は滑って坂を上がれなかったほど急だったと振り返ります。田中さんは、学校から2分の場所に都営大江戸線の駅ができてから、生徒の足腰が弱くなったと校長先生が嘆いていたと伝えます。
大江戸線ができてからね、弱いんです、体育会がとかって。
昔は荒れていた学校と、変わった今
けんすうさんは、二人が通った成城中学高校の同窓会が去年あったことに触れ、先生からも今はだいぶ荒れていないと聞いたと語ります。
田中さんは、自分たちの頃は近づいてはいけない学校という雰囲気があったと振り返ります。けんすうさんも、当時はタバコを吸っていたので教師にとってわかりやすかったと語ります。
今はそのLINEとかで問題があるから、教師が問題を察知しづらいって言ってましたね。
けんすうさんは、電子空間での問題は教師が察知しづらくなったという先生の話を伝えます。当時はタバコを吸っていることもバレていたのだろうと、二人は笑い合いました。
40歳を過ぎて突然始まった同窓会
話題は同窓会に移ります。田中さんの場合、同窓会は40歳を過ぎてから突然始まったといいます。
田中さんによれば、最初は小さく集まって懐かしい話をし、緩やかにつながっている同級生を一人ずつ呼んでいくうちに規模が大きくなっていったそうです。現在44歳で、3〜4年ほど続けて20人単位で集まれるようになったといいます。
一方、けんすうさんの学校では去年大規模な同窓会があり、100人ほどが集まりました。先生や校長まで来て、ホテルの立食パーティーの会場で行われたそうです。
田中さんは、その規模の会をきちんと運営してくれる人がいたことに感心します。けんすうさんは、ちゃんとやってくれる人たちがみんなを呼んでいたと説明しました。
誰も抜け出せない「居酒屋以上にしてはいけない」不文律
同窓会の会費の話になると、けんすうさんは、どのくらいの金額がいいのか気を使うと打ち明けます。田中さんも、この問題にずっと悩んでいると応じます。
田中さんによれば、4〜5人の頃から規模が広がっても、居酒屋以上の店にしてはいけないという不文律のようなものがあるといいます。
居酒屋以上にしてはいけない不文律みたいなのがある。飲み放題をつけて固定の金額にしなければいけない可能性がある。
田中さんは、同級生たちはいい会社で働き、家庭も築いている人ばかりなので、1人8000円でも1万円でも本当は大丈夫なはずだと語ります。それでも、昔の金銭感覚のまま安い店から抜け出せないでいると嘆きます。
脱水症状を起こした魚と、薄いビールと、サワーという名前のなんかアルコール風味の変なウーロン茶みたいなやつしか出てこない店から出られたことがほとんどなくて。
けんすうさんも共感し、子供がいてお小遣い制の人に1万円出してもらうのは申し訳ないという事情があると指摘します。田中さんは、それでも誰も「もう少しうまい店にしない?」と言えないと語ります。
同級生の会費はフェルマーの最終定理より難しい
けんすうさんは、社会人同士なら誘った側が出す、年上が出すといったルールがあると指摘します。しかし同級生の同窓会では、そうしたルールが使えず、最も難しいと語ります。
田中さんは、会社や特定のコミュニティにいれば生活水準や金銭感覚がなんとなくわかるものの、同級生が集まると一気に見えなくなると説明します。経営者だけ、投資家だけなら店選びに迷わないという例を挙げました。
けんすうさんは、誰かが「俺が出すよ」と言うのも変で、逆に自分が支払われても嫌だと、双方にとって難しい問題だと語ります。田中さんはこの難しさを、数学の難問に例えました。
田中さんは、この問題をハックしている人がいたら教えてほしいと呼びかけます。同じ「ご隠居ラジオ」で箕輪さんにも答えを出してもらいたいと、冗談交じりに話しました。
公衆電話でポケベルを震わせるレース
放課後の過ごし方の話になり、けんすうさんは前の会社を一緒に創業した友達と仲が良かったと語ります。あまりに暇だったため、当時出たばかりのポケベルを使った遊びをしていたそうです。
公衆電話からポケベルを入れてちょっと震えるっていうのをやって、この震えたのでどんどん先に進んでいくので、レースとかやってました。
田中さんは「地味すぎる」「ダンゴムシで競争させるぐらいやばい」と笑います。けんすうさんも、めちゃくちゃ暇でないとやらないことだと認めました。
けんすうさんはさらに、この前の同窓会で「鬼ごっこをやったよね」と言われたエピソードも紹介します。中高で鬼ごっこをやっていたと聞いて驚いたそうです。
高二の修学旅行でもみんなでけいどろやってたって言って。
けんすうさんによれば、高校2年の修学旅行の夜、不良から優等生まで200人ほどでけいどろをやっていたといいます。当時は携帯電話も半分ほどしか持っておらず、夜の修学旅行が暇だったためだろうと振り返りました。
建仁寺の鐘と沖縄の武勇伝、荒れていた修学旅行
修学旅行の思い出として、田中さんは京都のエピソードを語ります。由緒正しい寺である建仁寺の鐘を鳴らしてしまい、師匠にひどく怒られたといいます。
建仁寺っていうところの鐘をカーンって鳴らしたら、ものすごい速さでお師匠さん出てきて、「これ新年の時しか鳴さんやつや」ってむちゃくちゃ怒られた。
中学3年の修学旅行は沖縄で、戦争のことを学ぶ内容でした。田中さんによれば、本島に行った後は離島が7〜8箇所あり、そこから選ぶ選択制だったといいます。
田中さんは、離島の選択はクラスに縛られておらず、先生の管理もゆるく、みんなが好きなところにヌルっと分かれていく感じだったと振り返ります。昔のおおらかさを二人は共有しました。
那覇では、当時人気だったDA PUMPのダンサーSHINOBUさんの妹をナンパした同級生がいたそうです。夜に何人かで抜け出してカラオケに行き、武勇伝のように語られていたといいます。
大阪の修学旅行では、地元のヤンキーに絡まれて大問題になり、先生の中で一番屈強な人が対応に行かなければならなくなったといいます。田中さんは、誰が行くかで先生たちが日和り合って決まらなかったという話を紹介しました。
高田馬場のBIGBOXと歌広場のアビトラージ
放課後の遊び場の話に移ります。田中さんは、早稲田駅の隣の高田馬場にあったBIGBOXという商業施設に、学校が終わるとまず行っていたと語ります。ゲームセンターやカラオケ、ビリヤードやダーツが併設されていたそうです。
けんすうさんもBIGBOXにはよく行っていたといいます。行きすぎて話に出そうとも思わなかったほどだったそうです。二人は、そこのパンチングマシンを壊す勢いで叩き続けていたと振り返ります。
けんすうさんは、聞いている人がどれだけ荒れた学校かと思いそうだとしつつ、偏差値は56ほどあったとフォローします。田中さんも「なんとも言えない数字」だと応じました。
カラオケでは、当時の歌広場が1時間180円と非常に安く、BIGBOXの中のカラオケは1時間350円だったといいます。田中さんは、この価格差を利用した店選びを「アビトラージ」と表現しました。
さらに二人はボウリングの独自ルールも振り返ります。ストライクが出なかったら全員に肩パンされるという、田中さんの学年で流行っていた遊びでした。
肩パンして腕が紫を超えて黒くなるんですけど。で、殴られれば殴られるほど投げられなくなるじゃないですか。
田中さんは、殴った側も拳を使いすぎると指が痛くて投げられなくなるため、殴りすぎてもいけないという難しさがあったと語ります。けんすうさんは「誰が得するんだろう」と笑いました。
バーチャファイターの聖地と、殴られた池袋
さらに遠征する場合は池袋や新宿に行っていたといいます。けんすうさんは、新宿のゲームセンター「スポット21」を挙げます。
けんすうさんによれば、スポット21はバーチャファイターの聖地と呼ばれ、バーチャファイター2にハマってよく通っていたそうです。田中さんは、勝ちすぎると怒る人に絡まれなかったかと尋ねます。
リアルにファイトしようぜって言われて。こいつうまいこと言いやがったと思って。すごい面白かった。
けんすうさんは、SNSがない時代に人伝や雑誌で有名なプレイヤーを知り、対戦できたことも振り返ります。田中さんは、今で言う梅原大吾のような存在がいたと例えました。
一方、池袋については田中さんが荒んだ思い出を語ります。学生服で女の子と喋っていると、脈絡なくベンツから人が降りてきて殴られる、そんな街だったといいます。
いきなり普通にベンツがブーンって来て、何の脈絡もなくドア開けて、本当にバーンって殴って、なんか「ちゃらつくな」とかって一言残してブーンって行っちゃう人とか本当にいた。
けんすうさんは、まだ言語で解決しようとする前の時代だったと表現します。二人は、ピンとこない人も多いだろうと前置きしつつ、これを昭和という時代の回顧録として残しておく意義を語りました。
最後にけんすうさんは、コメント欄で同窓会の思い出や、どの店に行けばいいかのハックを募集すると呼びかけます。田中さんは、その店選びのハックこそが一番欲しいと重ねました。
まとめ
同じ中高に通った二人が、90年代の男子校時代の遊びと金銭感覚を振り返った回でした。排水溝探検や味噌汁8杯の節約術など、限界突破の原型が語られる一方で、44歳になった今も解けない同窓会の会費問題が浮かび上がります。
- 団地の排水溝探検や2階から傘で飛ぶ遊びなど、90年代の子供時代は大らかで危険と隣り合わせだった
- 味噌汁8杯で昼食を80円に抑え、浮いたお金を週3000円のCD代に回すなど、好きなものへの全振りが習慣化していた
- カラオケの価格差を利用する「アビトラージ」など、お金がない中で安い方に動く工夫が身についていた
- 同窓会の会費と店選びだけは、社会人のルールが使えず、二人とも「フェルマーの最終定理より難しい」とハックできていない






