絶頂からの挫折、エジプトのコレラ調査
今回のパスツール回は、彼の「最大の発見」とされる狂犬病への挑戦がテーマです。白鳥首フラスコや蚕の病気、前回の炭疽病ワクチンに続く、集大成にあたる話になります。
まず前提として、炭疽病ワクチンの公開実験で名声を高めたパスツールは、この時期に絶頂期を迎えていました。ただしその成果には、他人のやり方を取り込んだという疑いも残っています。
1883年、エジプトのアレクサンドリアでコレラが流行します。パスツールは弟子のエミール・ルーらを現地に派遣し、原因菌を突き止める調査団を送り込みました。
同じ頃、ライバルのコッホが率いるドイツの調査団も現地入りし、フランスとドイツがコレラの原因菌をめぐって競い合う形になります。
しかしパスツールの研究室では、派遣した研究者のチュイーリエが調査中にコレラにかかって亡くなるという悲劇に見舞われます。
エジプトでは両チームとも原因菌を見つけられませんでした。その後、コッホのチームはコレラが発生したインドのカルカッタを追いかけ、コレラ菌の特定に成功します。この局面では、パスツールはコッホに先を越されました。
水を恐れる病・狂犬病とはどんな病気か
その挫折のあと、パスツールが次に取り組んだのが狂犬病でした。今では犬にワクチンを受けさせる病気として知られ、忘れられかけていますが、当時は非常に恐れられた病でした。
狂犬病は、狂犬病 ── 狂犬病ウイルスによる感染症で、感染した動物に噛まれてうつります。発症するとほぼ助からず、現在も治療が難しい病気ですにかかった動物に噛まれると発症します。水を飲もうとすると喉が激しく痙攣することから、恐水症とも呼ばれました。
水を恐れる病気で恐水病ですね。
当時のフランスでも狂犬病による死者は年間数十人程度で、患者数が多い病気ではありませんでした。それでも喉をかきむしって狂ったように死ぬという見た目の恐ろしさから、強く恐れられていました。
さらに、噛まれてから発症までに数週間から数ヶ月かかることも恐怖を大きくしました。おかしな動物に噛まれた人は、いつ自分がおかしくなって死ぬのかと、長い間怯え続けることになります。
この怖さは過去の話ではありません。とみーさんは、海外旅行で犬が放し飼いにされている田舎を訪れたとき、噛まれることへの恐怖を感じたと振り返ります。
海外旅行で田舎に行った時に、犬が結構放し飼いだったりするじゃないですか。あれで噛まれると怖いなって思う旅行者、結構いるよなって思いました。
あきさんも、東南アジアやアフリカなど、いわゆる発展途上国では今も狂犬病が存在すると補足します。放し飼いか野良犬かの区別がつかない場面も多く、噛まれた場合は犬を捕まえて狂犬病かどうか調べ、対処するのが望ましいと話します。
発病したら手遅れ、ワクチンで先回りする治療
狂犬病は、現在でも発病してしまうとほぼ対処ができない病気です。だからこそ、発病する前に先回りして対処することが治療の要になります。
仕組みはこうです。手足を噛まれると、そこから狂犬病ウイルスが神経に入り込み、1日に数センチから10センチほど脳へ近づいていきます。脳に到達すると脳が侵され、狂い死にすることになります。
そこで現在の基本的な治療法は、ウイルスが脳に届く前に狂犬病ワクチンを注射し、脳に到達する前にウイルスを殺す免疫を体につけるというものです。発症までに時間がかかることが、この先回りを可能にしています。
最初は今となってはあんまり身近ではないみたいな感じで(あきさんが)導入してたけど、私、旅行の時に思ったことあったわ、怖いなって、と思い出しました。
あきさん自身も、メキシコを自転車で旅行した際、野良犬に追いかけられた経験があると語ります。噛みつこうとする犬の頭をヌンチャクで防ぎながら逃げていたという、実体験を交えたエピソードです。
焼けた鉄で傷口を焼く、当時の治療法
ワクチンがなかった当時、狂犬病の犬に噛まれたときの治療は、傷口を焼けた鉄やフェノールといった劇薬で焼く「焼薬」しかありませんでした。
(傷口を焼いても)効くのか、わかんないね。
あきさんによれば、これは一応、若干は効くとされています。傷口を素早く洗い流したり消毒したりすることには一定の効果があり、当時の焼薬も多少は役に立っていただろうと考えられています。
ただし、傷が深かったり、すでにウイルスが体内に入ってしまったりすると、焼薬ではどうにもなりません。当時の治療は瀉血のように過激なものが多く、火傷で消毒するというこの方法も、その一つでした。
顕微鏡でも見えない、狂犬病の病原体
狂犬病の研究は、これまでの炭疽菌やニワトリコレラの研究とは決定的に違いました。病原体がウイルス ── 細菌よりはるかに小さい病原体で、当時の光学顕微鏡では見ることができませんでした。狂犬病はこのウイルスによって起こりますだったため、当時の光学顕微鏡では姿を見ることができなかったのです。
パスツールは狂犬病の正体を見ようと顕微鏡をのぞき込んだはずですが、菌の姿は確認できませんでした。顕微鏡でも見えない相手に、どう立ち向かうかが最大の課題になります。
なお、狂犬病の動物間の伝播については、獣医師のピエール・ビクトール・ガルティエが1879年から先行研究を行っていました。1881年には羊や山羊でワクチン接種に成功したと報告しており、ここにも先駆者がいた可能性があります。
見えない敵を扱うための、脳に直接注射する実験法
見えない病原体を相手にするうえで、実験時間の長さも壁になりました。噛ませて感染させる方法では、発症まで数週間から数ヶ月かかり、実験が長引きすぎてしまうからです。
そこでパスツールたちは、最終的に脳が侵されて死ぬという性質に着目します。動物の頭蓋骨に穴を開け、狂犬病にかかった犬の唾液や、すりつぶした脳を直接注射するという方法を編み出しました。
この方法なら、神経を伝って脳にウイルスが届くのを待つ必要がありません。最初から脳に直接ウイルスを送り込むことで発症までの期間を大幅に短縮でき、安定した実験系を作ることができました。かなり残酷な実験ではあります。
さらにウサギからウサギへ20回以上ウイルスを継代していくと、発症までの期間が約8日間にまで短縮されました。パスツールたちはこの方法を「固定ウイルス」と呼びます。
従来の方法
噛ませて感染させると発症まで数週間〜数ヶ月かかる
脳に直接注射
頭蓋骨に穴を開け、脳や唾液を直接注射して期間を短縮
継代を繰り返す
ウサギからウサギへ20回以上継代し、発症を約8日に固定
乾燥でウイルスを弱らせる、ワクチンの作り方
安定して病気を起こせるようになった次の目標は、ウイルスにかかっても発症させないワクチンを作ることでした。
パスツールたちが取った方法は、感染して死んだウサギの脊髄を取り出し、乾燥剤とともにガラス瓶の中で乾燥させるというものです。脊髄を乾かすほどウイルスは弱っていくと考えました。
動物実験から、14日間乾燥させた脊髄はほとんど毒性がなく、1日しか乾燥させていない脊髄はほぼ元のままの強い毒性を持つことが導き出されました。
このワクチンが効くかを、まず健康な犬で確かめます。乾燥期間が長く毒性の弱い脊髄から注射を始め、日を追うごとに毒性の強い脊髄へと、約2週間かけて段階的に切り替えていきました。
予防接種を終えた犬の脳に、今度は弱めていない本物の狂犬病ウイルスを直接送り込んだところ、ワクチンを受けた犬は発病しませんでした。一方、ワクチンなしでウイルスを注射した犬は発症します。
これでワクチンが完成したと考え、パスツールは1884年にこの成果を科学アカデミーに発表します。政府が組織した委員会の立ち会いのもとで行われた実験でも、同じ結果を出すことができました。
ワクチンにもあった、弟子のアイデア横取り疑惑
ただし、この乾燥法にもパクリ疑惑がついて回ります。もともとこの乾燥の実験は、助手のエミール・ルーがパスツールとは別に独自に行っていたものだったのです。
ある時、ルーが留守の間にパスツールが彼の実験室に入り、瓶の中で乾燥している脊髄をじっと見ていたといいます。そこから何をしているのかを察し、パスツールはこの実験を取り込んだのではないかと言われています。
ちょっとさっきのすごい(という感想を)返してほしい。
最初のアイデアはルーのものだったため、ルーはこの一件に強い不満を持っていたようです。師匠が弟子の手柄を横取りしたような構図になっています。
9歳の少年マイスターへの、初めての人体適用
1885年7月4日、9歳の少年ジョセフ・マイスターが、近所の食料品店の店主が飼っていた犬に14箇所も噛まれる事故が起きます。地元の医者はすぐ傷口をフェノールで焼きましたが、噛んだ犬は狂犬病だと確認されました。
助かる見込みがほとんどないと知った母親は、実験動物で狂犬病の治療法を見つけているというパスツールの評判を聞きつけ、藁にもすがる思いで少年を研究所へ連れてきます。
パスツールはこれまで人間にこの治療法を試したことがなく、人間にやってよいのかと悩んだと言われています。何もしなければ子供の死は避けられない、という状況でした。
私は深く激しい不安に抱えられながら、犬に対して一貫して成功してきたこの方法を(少年の)マイスター君に試すことを決意した。
最終的にパスツールは医師のジャック・ジョセフ・グランシェに相談します。この医師も、何もしなければほぼ確実に少年は死ぬと診断し、治療を進めることになりました。
注射をしたのはパスツールではなく医師のグランシェでした。パスツールは化学者で医師資格を持たず、注射はできなかったのです。この時代にもそうした線引きがあったことに、あきさんは驚いたと話します。
実験そんなにしてない状態でいきなり人間に打てちゃうんだっていう驚きの方が今強い。
この点についてあきさんは、研究所では一応50匹分の犬で試したとされていると補足します。それでも、猿などを経ずに一気に人間へ適用することへの驚きが、とみーさんからは示されました。
発症を防いだ成功と、数字に隠された実態
マイスターへの治療は、10日間でおよそ13回、徐々に毒性の強いワクチンを打っていくという、犬と同じやり方で行われました。
結果、治療は成功します。マイスターは発症せず健康なまま回復し、人類史上初めて狂犬病の発症を予防できた事例となりました。
ここであきさんは、公表された成果の裏側を補足します。パスツールは自分の方法で50匹の狂犬病の犬を治療したと言っていましたが、後に実験ノートを詳しく調べると、実際にはそこまでやっていなかったようだと指摘されています。
え、嘘つき?
さらに、マイスターの例があまりに劇的にうまくいったため大きく発表されましたが、実はパスツールはその前にも、動物に噛まれた近所の女性などに、内密に人間への治療を行っていたようです。
つまり、マイスターの治療を思い悩んだ末に決断したという物語は、後から発表する際に自分の人間性をよく見せるための脚色だった可能性があります。成果を飾り立てる部分は大きかったと考えられます。
各国から患者が殺到、パスツール研究所へ
その後パスツールはこの成果を科学アカデミーで発表します。同じ頃、狂犬病の犬から子供たちを守ろうとして噛まれた少年ジャン・バティスト・ジュピーユにも同じ治療を行い、こちらも回復させました。
ジュピーユはのちにパスツール研究所で生涯働くことになります。現在も研究所の中庭には、彼が狂犬病の犬と格闘する姿の銅像が残っているそうで、あきさんはいつか見に行きたいと語ります。
この発表はフランス中、そしてヨーロッパ中に広がり、パリには狂犬病治療を求める患者が殺到するようになります。
1886年には、ロシアで1頭の狂犬病の狼に19人の農民が襲われる事件が起こります。彼らは民間の寄付を募ってパリまでやってきて、パスツールの治療を受けました。
結果、19人のうち16人が助かり、3人は残念ながら亡くなりました。この成果に感動したロシア皇帝アレクサンドル3世は、のちにパスツール研究所の設立に際して10万フランもの寄付を行うことになります。
治療を求める人はさらに増え続けました。1886年12月までの統計では、多数の人が治療を受け、そのほとんどが助かって、死亡率は1.3パーセントと報告されています。
それまではもう(狂犬病の動物に)噛まれたら死ぬみたいな感じだったんだもんね。
ただしこの数字にも、大きく見せている面があると言われています。治療を受けた人の中には、狂犬病でない動物に噛まれただけの人も含まれていた可能性があり、成果はやや誇張されているのではないかと考えられています。
医学界を二分した論争と、擁護した医師
この治療法は、医学界で無条件に歓迎されたわけではありませんでした。医学アカデミーの医師ミシェル・ペテールらは、パスツールの治療で亡くなった患者を挙げ、この方法は危険で、まだ科学的に十分証明されていないと批判します。
一方で、最初にマイスターへ注射をしたグランシェ医師が、1887年1月11日に医学アカデミーの場でパスツールの治療法を効果があると擁護します。
グランシェは、当時200床を受け入れられる大病院ネッケル病院の准教授であり、パリの小児科臨床講座の教授にも選ばれた人物でした。その権威ある医師の後押しもあって、この治療は科学アカデミーの中でも徐々に受け入れられていきます。
寄付で建った研究所と、少年マイスターのその後
劇的に死ぬという狂犬病への恐怖から、動物に噛まれた後にヨーロッパ中から患者が押し寄せ、研究室のスペースでは対応しきれなくなります。
そこで正式な研究所を設立することになり、1888年11月、パスツール65歳の年にパスツール研究所が完成します。建設費用はフランス国内と世界中からの寄付で賄われました。
寄付にはロシア皇帝アレクサンドル3世のほか、デパート「ボンマルシェ」で財を成した実業家ブシコー夫人も名を連ねています。
最初に治療を受けたとされるジョセフ・マイスターは、その後パスツール研究所の門番として長年働き続けました。しかし、その最期には史実と伝説の食い違いがあります。
伝説では、1940年にナチス・ドイツがパリを占拠した際、ドイツ軍がパスツールの墓を開けるよう命じ、マイスターはそれを拒んで自ら命を絶ったと語られてきました。
史実はやや異なります。マイスターは占領の混乱の中で家族を先にパリから脱出させ、自分は研究所に残りました。その後、家族がドイツ軍に捕らえられた、あるいは命を落としたと思い込み、絶望して自ら命を絶ったとされます。この時マイスターは64歳でした。
ところが、彼の家族は数時間後に無事パリへ戻ってきたといいます。マイスターは、まったくのデマによって自ら命を絶ってしまったことになります。
まとめ
顕微鏡でも見えない狂犬病に、パスツールは脳への直接注射と脊髄の乾燥という工夫で立ち向かい、少年マイスターの発症を防ぎました。ただしその栄光の裏には、弟子のアイデアの横取りや成果の脚色といった影も残っています。
- コレラ調査ではコッホに敗れ、弟子を病で失う挫折を経て、パスツールは狂犬病に取り組んだ
- 見えないウイルスに対し、脳への直接注射と継代で発症を約8日に固定し、脊髄の乾燥でワクチンを作った
- 1885年、狂犬病の犬に噛まれた9歳のマイスターにワクチンを適用し、人類初の発症予防に成功した
- 公表された治療数や成功物語には、実験数の水増しや自己演出といった脚色があったと指摘されている
- 最初の患者マイスターはのちに研究所の門番となり、1940年にデマによる絶望から自ら命を絶った

