中3の夏、家系ラーメン屋の厨房で何をしたのか?
この回は、池尻のスタジオから収録されています。お題は、番組のLINEオープンチャットでみとみさんが提案した「好きなラーメンについて語ってください」です。
オープンチャットは、LINEの中で知らない人同士が話題別にやりとりできる掲示板のような場所です。けんすうさんによると、最初に名前とアイコンを自分で設定するので、匿名で参加できます。
ラーメンが好きかと聞かれた田中さんは、生まれて初めてのアルバイトがラーメン屋だったと明かします。中学3年生のときに働いたのは、横浜にある家系ラーメンの初期の店、横浜家でした。
田中さんが横浜家を選んだのは消去法でした。家から近いコンビニのスリーエフとマクドナルドにも応募しましたが、夏休みで髪を染めていたため、どちらも面接で落ちたといいます。
(マクドナルドで髪を黒くできるかと聞かれて)「いや、無理です」って言ったら、まあ即落ちして。
横浜家の厨房では、任される仕事に段階がありました。田中さんの説明では、ラーメンを作れるのは上級者で、その手前に餃子とチャーハン、さらに手前に仕込みやサラダがあります。
新人の最初の仕事は、冷凍で届く何十キロもの豚骨や鶏ガラを、寸胴に入る大きさに手で剥がすことでした。お湯をかけてもすぐ凍りそうなほど冷たく、手から血が出たと田中さんは振り返ります。
横浜家は国道沿いの人気店で、1日に500〜1000食ほど出ていたそうです。そのため次の仕事は、ゆで卵を1000個剥くことでした。
(卵を)ガラガラってこうテーブルで転がして、で、真ん中を割ってパカって剥いて、もうほんと1個5秒かかんないで剥けるようになるんですよ。
ただ、田中さんはサラダの段階まで進んだところで夏休みが終わり、餃子やチャーハン、ラーメンまでは担当できなかったといいます。
ラーメンブームは今、第何次なのか
食べるラーメンの好みを聞かれた田中さんは、まずラーメンブームの流れから話し始めます。お笑いの「第何世代」のように、ラーメンにも世代があり、今は第6次くらいではないかという見立てです。
田中さんの整理では、最初は高度経済成長期の札幌味噌ラーメンです。次に豚骨ラーメンが来て、けんすうさんはそれを80年代ぐらいと補っています。
第3次は、田中さんの家の近くにできた新横浜ラーメン博物館 ── 1994年に開業した、全国のご当地ラーメン店を集めたフードテーマパーク。ご当地ラーメンを全国に広めるきっかけになったとされますが象徴です。90年代半ばにご当地ラーメンが次々に紹介され、同じ時期に家系も流行しました。
2000年代は、中野の青葉や世田谷のせたが屋のように魚介と豚骨を合わせるダブルスープの時代です。田中さんが会社員になった2010年ごろには、つじ田や六厘舎などの魚介系つけ麺ブームが来たといいます。
現在について田中さんは、日本食ブームの流れをくむ昆布だしの店を挙げ、けんすうさんは「ハイスペック中華そば」と言い表します。田中さんは、全てを引き算で組み立てる方向に来ていると話しています。
二郎の総本山・三田と、目黒の違いは?
ブームの合間には二郎系もありました。けんすうさんは、二郎にはそれほど通っていないと答えます。
あれ(二郎)、慶応大の食べ物じゃないですか。基本敵なんで、慶応は。
早稲田出身のけんすうさんにとって、ラーメン二郎 ── 東京・三田に本店を構える、極太麺と大量の野菜・豚が特徴のラーメン店。熱狂的なファンは「ジロリアン」と呼ばれますの総本山である三田本店は、慶応のお膝元というわけです。田中さん自身は目黒二郎派だといいます。
三田本店は朝8時ごろから営業しています。田中さんは仕事で朝早く前を通ると、8時台から行列ができているのを見かけるそうです。
何回か朝食べましたけど、あれ(二郎)朝に食べるもんじゃないなと思いました。
田中さんは、同じ二郎でもスープに乳化系と非乳化系があると説明します。本来は混ざらない水と油を、豚の脂を大量に溶かして一体化させたのが三田、分離しているのが目黒や神保町だという整理です。
豚の脂を溶かし込み、水と油が一体になっている
スープが分離していて、けんすうさんの感覚ではややしょっぱめ
白い豚骨から汁なしへ、田中さんの好みはどう変わったのか
田中さんのラーメン遍歴は、高校生から大学生のころの白い豚骨から始まります。パイメンや、足立区六町の田中商店のような店が好きだったといいます。
当時の田中さんは、とにかく硬い麺を求めていました。バリカタも針金も超えて、最も硬い粉落としで頼むほどでした。
カップ麺も僕なんか規定の量の3分の1ぐらいの時間で捨てちゃう人なんで。
その後、白い豚骨はまったく食べなくなり、福岡に行っても食べないそうです。一方で家系はずっと美味しいと田中さんは言います。
家系の楽しみ方について、田中さんには決まった型があります。どの店でも、ほうれん草と海苔を足して、味玉がうまければだいたい美味しいという考え方です。
次に田中さんは、興味がなかった味噌を一瞬だけ通ります。きっかけは江戸川橋の三ん寅で、ラードと野菜がたっぷり入った中太麺の味噌ラーメンです。札幌のすみれの流れをくむ店だといいます。
ところが三ん寅のあたりで、田中さんの中では汁のあるラーメンが終わってしまいました。以前の回でも話した、食感にしか興味がなくなったことが理由です。
スープがいらんくなったんすよ。それで、あの油そば、まあまあせいぜいつけ麺。
今の田中さんが食べるのは、油そば、つけ麺、台湾まぜそばだけです。味仙なども含め、魚粉と肉とネギ、卵黄が入った、ドロドロで油の多い一杯を好んでいます。逆に、魚介スープや澄んだ塩系は一度も通らなかったそうです。
白い豚骨
高校・大学時代。麺は粉落とし
家系
ほうれん草・海苔・味玉で楽しむ
味噌
江戸川橋の三ん寅を一瞬通る
汁なし
油そば、つけ麺、台湾まぜそばだけに
並ぶ名店と、外れないチェーン店
けんすうさんは、特定の系統にこだわるタイプではありません。北海道では味噌ラーメンが美味しいと感じ、先日の福岡では、泡立った博多ラーメンの元祖のような店が美味しかったといいます。
泡系の博多ラーメンとしてけんすうさんが挙げるのが、幻冬舎の箕輪さんが手がける箕輪家です。田中さんも、色物かと思いきや本当に美味しいと認めています。
ラーメン評論家からの評判もいい上に、もはやもう11時に行ったら並んでんですよ。
けんすうさんはちゃん系も好きで、新橋、田町、渋谷サクラステージの店を挙げます。田中さんは、おしゃれな商業ビルにもラーメン店が入るようになったと応じています。
チェーン店の話では、天下一品が話題になります。けんすうさんによると、天下一品で一番美味しいと言われる池尻の店が老朽化で閉店するそうで、店主は移転して戻ってきたいと投稿していたといいます。
あれ(天一のこってり)は、スープは食べてますからね。
田中さんは、天下一品や町田商店のようなチェーン店も好きだと言います。1店舗しかない店に集中して2時間並ぶのは、ラーメンにはきついという感覚です。
チェーン店系の町田商店とか下に見られがちですけど、やっぱ一定のクオリティちゃんとあるなって。
行列の例として、田中さんは高田馬場にあったとんかつの成蔵を挙げます。混んでいた時期は6時間待ちで、ランチのつもりが夕飯の時間になったという伝説があるそうです。
成蔵は阿佐ヶ谷方面に移り、予約して行ける代わりに8000円ほどの世界観になったと田中さんは話します。ラーメンも第6次系では2000円を超える店があり、けんすうさんは「1000円の壁を突破した」と言われていると補っています。
閉店した名店のレシピは、どこへ受け継がれたのか?
高田馬場の話から、けんすうさんは千代作という店を挙げます。けんすうさんの会社の社員が常連で店主と仲が良く、閉店のときにレシピをもらったそうです。
けんすうさんたちは、そのレシピで実際に家でラーメンを作りました。豚骨の量が多く、8時間ほど煮込む大変な作業でしたが、ちゃんと店の味になったといいます。
そのレシピは、けんすうさんが以前運営していたHowToサイトのnanapi ── けんすうさんが立ち上げた、生活の知恵や手順を紹介するHowToサイトで公開されました。けんすうさんは、それが箕輪家などの家系ラーメンのベースになっていると聞いたそうです。
すごいですね。世代超えて伝承されて。それはすごい熱いですね、その物語は。
田中さんは、高田馬場にも油そばのぶぶかがあったと記憶しています。けんすうさんは、ぶぶかは吉祥寺の店で30年以上前からあると話し、カップ麺も出ていることから、二人は同じ店だろうと落ち着きます。
もう一つの高田馬場の思い出が、つけ麺のべんてんです。田中さんは放課後、チャイムと同時に学校から駅まで走り、さらに駅から15分ほど走って、20分ほどの行列で入れたといいます。
べんてんでは、名前の付くメニューを頼むと具が大盛りになります。チャーシュー麺は丼と同じ高さまでチャーシューが載り、田中さんは記憶があいまいだと断りつつ、客に文句を言われた店主が、とぐろを巻くほど積むようになったという話を紹介しています。
(べんてんは)44にはもう無理かもしれない。
ニューヨークで一番美味しかったラーメンは?
今もラーメンを作るのかと聞かれたけんすうさんは、自作はしないものの、一風堂や一蘭の家庭用を買うことがあると答えます。1箱500円ほどと高めですが、ちゃんと一風堂の味がするそうです。
けんすうさんによると、ニューヨークでは一風堂と一蘭の影響力が大きく、行列ができています。田中さんは、海外の一蘭は替え玉が1000円ほどすると指摘します。
だから4000円ぐらい払うと、日本の半分ぐらいのクオリティのラーメンが食えるっていう。
ニューヨークでは、一蘭をUber Eatsで頼むこともできます。麺は茹でていない状態で届き、スープを電子レンジで1分40秒ほど温めて麺を入れ、少し待つと一蘭になる仕組みだそうです。
けんすうさんがニューヨークで一番美味しかったのは、興味本位で食べた二郎系でした。田中さんに「ニューヨークのご飯を食べましょうよ」と言われると、ステーキやハンバーガーばかりになるのが嫌だったと返しています。
「都内のラーメンを全部食べた」就活生はどうなったのか
田中さんは、前職のゴールドマン・サックスで面接した学生の話をします。その学生は、都内のラーメンを全部、しかも2周食べたという自己PRから面接を始めました。
学生はそれでも好みの味に出会えず、自分でスープを作り始めました。実家では母親に怒られ、アパートでは苦情が出るため、辺境に住んで究極の味にたどり着いたといいます。
田中さんの部署は投資部門だったため採用しませんでしたが、その学生はリクルートに入社し、今はTikTokを運営するバイトダンスで働いているそうです。
リクルート取っちゃうから、そういう人。
リクルート時代の話から、けんすうさんは赤坂のはしごに通っていたと話します。石破首相も食べた店で、田中さんも首相官邸が近く政治関係者が多く来る店として記憶していました。
昔のラーメン屋がまだあると嬉しいっすからね。
袋麺のほうが今は面白い?
袋麺について聞かれた田中さんは、チキンラーメンで終わっていると答えます。ただしチキンラーメンは、サラダに砕いてかけるとすごく美味しいといいます。
けんすうさんもその食べ方をしていましたが、サラダに載せる用のチキンラーメンが発売されたときに少し冷めたそうです。皆がオリジナルだと思っていて、実はポピュラーだったのだろうという話です。
けんすうさんは、乾麺を研究しようと思ったことがあります。きっかけは『ラーメン発見伝』のようなラーメン漫画で、ラーメンが面白かったのは本物に挑戦する偽物だったからだ、という考え方に触れたことでした。
ラーメンが今、もはやもうサブカルチャーからカルチャーになった結果、何が起きてるかっていうと、袋麺とかの方が面白いと。
プロレスが格闘技に対する偽物としてカルチャーを持つように、今は本物のラーメンに挑む偽物である袋麺にカルチャーがある、という整理です。最新シリーズ『らーめん再遊記』にも袋麺の回があるといいます。
ラーメンがサブカルチャーで、本物の料理に挑む偽物として面白かった
ラーメンがカルチャーになり、本物のラーメンに挑む袋麺の方が面白い
けんすうさんは、BRUTUSのラーメン特集の乾麺ランキングで1位だった沖縄そばを買い、沖縄そばのつゆで食べています。硬さを求める田中さんは、乾麺を中途半端に戻すのが美味しいと応じます。
作り方について、けんすうさんは袋の指示にかなり従う派です。日本ではラーメンやうどんで生麺が上位と思われがちですが、世界ではパスタのように乾麺が普通だという考えがあるからです。
それぞれやっぱ全然別のジャンルだっていう前提で、作り方もやっぱ乾麺らしく作った方がいい。
ラーメンを仕事にする人は、どう体調を管理しているのか?
けんすうさんがラーメン情報の頼りにしているのは井手隊長です。珍しくSUSURU派ではなく井手隊長派で、Facebookの情報が一番信頼できるといいます。
井手隊長はラーメン店から袋麺、カップ麺まで幅広く食べ、今月のベスト10や新店のベスト10を公表しています。
一方で田中さんは、ラジオ番組『日曜天国』に登場するラーメン中心の生活の人が、1日3食ラーメンになって体調を崩していた話を紹介します。けんすうさんも塩分がすごいと応じます。
井手隊長はやっぱりあの、昼ラーメン食べて夜は少なめにしてるって言ってました。
田中さんは、ラーメンを中心に置いてほかの食事を合わせる考え方を、自分の運動との主従関係と同じだと受け止めます。けんすうさんは、SUSURUさんも同じことを言っていたと補います。
締めくくりに二人は、ドラクエ回が伸びた理由がまだ掴めていないと話し、リスナーに「何派か」とおすすめのラーメン店をコメントで教えてほしいと呼びかけています。
まとめ
ラーメンをテーマにした今回は、厨房バイトの体験からブームの変遷、二郎やチェーン店、家庭用や袋麺まで、二人の遍歴とラーメンとの付き合い方が具体的に語られました。
- 田中さんの初バイトは中3の夏の横浜家で、ガラ剥がしとゆで卵1000個から始まった
- 田中さんの整理では、ラーメンブームは札幌味噌から引き算の中華そばまで第6次くらいに来ている
- 田中さんは食感重視で、今は油そば・つけ麺・台湾まぜそばだけを食べている
- けんすうさんは、ラーメンが文化になった今、本物に挑む偽物として袋麺が面白いと考えている
- ラーメンを仕事にする人は、昼にラーメンを食べたら夜を減らすなど一食一食を大事にしている






