ボドゲのデジタル化そのものはむしろ肯定的
今回のエピソードでManaさんがまず前置きするのは、ボードゲームのデジタル化そのものへの姿勢です。デジタル化には昔から肯定的だと話しています。
Manaさんは、オインクゲームズのアプリや、SWITCHで遊べるようになった作品、ノッカノッカ ── 2人用のアブストラクトボードゲーム。ここではアプリ版が存在する例として挙げられているや動物将棋などを、デジタルで遊べるボードゲームの例として挙げています。
さらに、BGA ── ボードゲームアリーナ。多数のボードゲームをオンラインで遊べる大規模プラットフォームのように、ボードゲームをデジタルで遊べる大きなプラットフォームもあると触れています。
一箇所に集まらなくても離れた人と遊べる点で需要があり、いい雰囲気で盛り上がっていた、とManaさんは振り返ります。
ボドゲをデジタル化にするって言ったことはもうめちゃめちゃ肯定的です。
リアルで遊ぶ楽しみ方もある一方で、ゲームルールやデザインがしっかりしていて面白い作品なら、手軽に遊べるデジタル版には需要があると考えています。
これまでのデジタル版が「こだわって」作られてきた理由
Manaさんが強調するのは、これまで出てきたデジタル版が、きちんとこだわって作られてきたという点です。世界観やアートワークをちゃんと作り込み、ボードゲームの良さをデジタルに転換していると話します。
その上でManaさんは、デジタルにはデジタルの遊びやすさがあると整理します。オフラインはルールを柔軟に変えられ、人の手で処理する魅力がある一方、デジタルには別のメリットがあるという見方です。
デジタルの遊びやすさとして、Manaさんはルール外のことができない点や、次に取れるアクションがナビゲートされる点を挙げています。
ルールを柔軟に変えられ、人の手で処理していくところに魅力がある
ルール外の操作ができず、次のアクションがナビゲートされるなど遊びやすさがある
ただし、オフラインのボードゲームを単純に移植するだけでは面白くない、ともManaさんは言います。デジタルゲームにはデジタルなりの面白くする作法や工夫があるという考えです。
同じものをそのままデジタルにすればオフラインの方が面白いとなりがちだが、操作性やデジタルでしかできない要素を面白さのプラスアルファとして組み込めば良い、とManaさんはまとめています。
「AI汚染」という強い言葉を使った理由
デジタル化に肯定的なManaさんが、なぜ「AI汚染」という強い言い方をするのか。ここからが今回の本題です。
Manaさんは、AIで手軽にボードゲームをデジタル化できてしまう点が悪影響になり、ここから混乱の時期に入りそうだと感じたと話します。
実際にManaさん自身、テストプレイやモックを作る際に、自分で作った説明書をAIに読み込ませ、ブラウザで遊べるボードゲームにしてもらっているといいます。コンピューター対戦や相手の力量設定まですぐできてしまうそうです。
テストプレイ会に持っていく前に自分で粗を見つけたり、ゲームとして回るか確かめたりできる点で、この手軽さはとても便利だとManaさんは認めています。
問題は、その手軽さの向く先です。自分の作品ならまだしも、他人の作品や世の中に出ている作品の説明書をAIに読み込ませても、簡単にゲームができてしまうと指摘します。
その説明書をAIに読み込ませてゲーム作ってねっていう風にしても簡単にできちゃうわけなんですよ。
ゲームシステムは「レシピ」のように守られにくい
ここでManaさんが説明するのが、ボードゲームのゲームシステムやルールが法律的にあまり守られないという前提です。著作物ではないという解釈らしいと話します。
アートワークやデザインは著作権で守られるが、ゲームシステムは料理のレシピのような扱いだ、とManaさんは例えます。
調味料の調合や手順でこの料理ができる、というのがレシピであり、ボードゲームのゲームシステムもどんな動きをするかという手順の定義になる、という整理です。模倣されてもお咎めなしで、それを禁じる法律はないとManaさんは言います。
一方で、ゲームの名前には商標権、デザインやアートワークには著作権があるが、ゲームシステムだけは守りにくいという議論が昔からある、とも補足します。
それでもボードゲーム界隈ではシステムを考える人へのリスペクトが高く、別の出版社が商品化する際もライセンス契約や監修があった、とManaさんは従来の慣習を説明します。
リスペクトも愛もない「適当な量産」が見え始めた
従来の慣習がある一方で、Manaさんはその穴をつくこともできてしまうと指摘します。説明書を読み込んで出力し、デザインも名前も適当にして公開する、といったことが可能だという話です。
そういったものを最近ちょろちょろ見かけるようになってきた、とManaさんは言います。特定の作品名は挙げないものの、いろんなところで目にするようになったそうです。
もちろん作者と連絡を取り、許可を得て手軽に遊べるサンプル用に作っている人もいる、とManaさんは断っています。問題視しているのは、そうではない適当な作りの方です。
UIも明らかにAIで作ったとわかるもので、アートワークも適当。そうしたものをポンポン出している人を見かける、とManaさんは話します。
もう簡単に言うとボードゲームに愛がないというか、作者に対してリスペクトがないというか。
遊びやすさを工夫したりデザインにこだわったりすればまだわかる、オマージュと明言されていればわかる、とManaさんは言います。しかし実際は本当に適当で、さらに量産できてしまう点を問題視しています。
遊んだことがあるのか疑わしいアレンジが入っていることもあり、そういうことをする人は普段ボードゲームを遊ばない、愛のない人ではないかとManaさんは推測します。
お金儲け目的の「別勢力」が入ってきている感覚
Manaさんは、こうした量産をあえて世に出す動機についても踏み込みます。ボードゲームが流行ってきている点や、アフィリエイトなどのお金儲けを狙っているのではないかという見立てです。
AIでサービスをガンガン立ち上げていこうという界隈の人たちが、ボードゲームに入ってきている気がする、とManaさんは話します。それがどんどん広がっていく未来があり得ると懸念しています。
さらにManaさんは、そういう人たちに必要なのは説明書だけだと指摘します。アートワークすら適当でよいなら、材料は説明書だけで済んでしまうという理屈です。
一方でユーザー側には、説明書を読みたいというニーズがある、ともManaさんは言います。自身も、魅力を伝えることを優先しつつ、読もうと思えば読める位置に説明書を置いているそうです。
ここでManaさんが強く懸念するのが、その説明書が「参考」を超えて使われる未来です。世の中の説明書を大量に取ってきて、AIに読み込ませ、適当なウェブアプリを量産できてしまうと警告します。
もうゲームマーケット2027春の(ボードゲームの)ウェブアプリ全部作ってみましたみたいなサービスがポンと同時に出来上がっちゃってもおかしくないわけなんですよ。
Manaさんは、ゲームマーケットのサイトで説明書を公開している人もいるため、AIで巡回して説明書を集め、すべてウェブアプリ化する作業も自動化できてしまうと語ります。こうした「別勢力」が界隈を散らかす懸念から、あえて「AI汚染」という強い言葉を使ったと説明しています。
問われるのは法律よりも「モラル」
Manaさんが繰り返し強調するのは、AIそのものは便利で自身もよく使う、という前提です。問題は使い方だと整理します。
もちろんAIはもう使い方によってはとても便利ですし、私もよく使っているんですけども、やっぱ節度を持った使い方だとか。
Manaさんは、やっていいのかという法律の話だけでなく、画面の向こうには人がいて、それを作った人の手があるという視点を持てているかどうかが重要だと話します。そこで問われるのがモラルの部分だという主張です。
さらにManaさんは、自分自身の立場に引きつけて語ります。イラストもデザインもできない自分にとって、売りはゲームシステム、つまりルールだからです。
コンポーネントやアートワーク、プロダクトデザインもすべて自分がプロデュースしているが、自分の内面から出た一次情報、いわば原液は説明書でありゲームルールだ、とManaさんは表現します。
他のゲームを参考にしたり似てしまう部分はあっても、一度自分の中で解釈して吐き出したものであり、パクっているわけではない、とManaさんは自分の制作を説明します。
それに対しAIなら、側だけ適当に変えて出してしまえる。模倣してアレンジを加えるという行為すら、AIなら手間なくできてしまう点が危険だと感じたそうです。
Manaさんは、Xで実際のやり取りを見て出来上がったものを確認したところ、本当に適当でひどかったと述べ、そこで憤りを覚えたと明かしています。
AI時代に「守られるもの」と「守られにくいもの」
ここからManaさんは、AIが当たり前になる社会全体の話へ視野を広げます。イラストやデザインをAIで作ることは、デザイナーには不満でも避けて通れないのではないか、という見立てです。
Xの投稿や広告、コンビニのポップ、街中のポスターまでAIばかりになり、しかもAIだと隠そうともしていない、とManaさんは現状を描写します。
最初はAIの絵に「うわっ」と思う人がいても、世の中に溢れて便利に使われ続ければ慣れてしまう、とManaさんは考えます。「AIだな」と思っても「だから何」という話になっていくという見方です。
その上でManaさんは、AIを使わない人の手の芸術品や工芸品にこそ価値が見出され、著作権という強みで守られていくと整理します。その人にしかできないタッチや世界観は守られるという見立てです。
人の手による芸術品・工芸品。その人にしかできないタッチや世界観は著作権で守られる
ボードゲームのゲームシステムやルール。特徴は出ても、法律的に守られる仕組みがない
問題はボードゲームのシステムだ、とManaさんは話を戻します。作者ごとの特徴は出ても、それが守られる仕組みは何もないという難しさです。
特にデジタル版はコピーが容易で、氾濫すればどこが出典元かも分からなくなる、とManaさんは懸念します。
「適当なアプリには負けない」という確信
一方でManaさんは、そんなコピーが溢れても絶対に面白くはならない、と強い自信も示します。
アナログとしてこだわり、アートワークも含めて総合的に作っているので、説明書をAIに読み込ませただけのアプリに負ける気は全然しないとManaさんは言い切ります。
だからコピーがあちこちにあっても影響はないとしつつ、それでも治安が悪く気持ち悪い、いい気はしないと本音を漏らしています。
絶対負けないですし、そんなんで遊ぶ人はいないだろうっていうふうに思うんですけども。
普段ボードゲームを遊ばない層でも面白さの差は出るはずだ、とManaさんは考えます。ただし、微妙なものが逆に一般化される可能性にも触れています。
微妙なアプリで少し遊んで気になり、本格的なボードゲームに入っていくルートができるかもしれない。とはいえ今の段階ではどうなのか、とManaさんは判断を保留しています。
何でも作れる時代に問われる「何を作らないか」
Manaさんは、何でもAIで作れる時代だからこそ、逆の問いが立ち上がると語ります。
何でも作られて氾濫すれば、差別化の軸は結局、本当に面白いもの・本当にいいものになるはずだ、とManaさんは考えます。
そこに無謀に挑む側は数やバリエーションで攻めてくる。対してクオリティでどれだけ勝つかを考える必要はあるが、それでも大量に来られると「うざったい」とManaさんは率直に述べます。
だからこそAIを使う人にも節度を持った使い方が必要ではないか、とManaさんは呼びかけます。
盛り上げたい人か、抜け道を使う人か
Manaさんは、テンションで喋っていてうまくまとめられないと前置きしつつ、懸念の輪郭を語ります。
ボードゲーム界を盛り上げよう、間口を広げようと頑張りすぎて事故ってしまった、というならまだいい、とManaさんは言います。
問題は、界隈で生きていく気がなく、慣習も知らず、抜け道があるなら利用してやれという姿勢の人たちだ、とManaさんは指摘します。そうした動きがガンガン来ると、混乱し空気が悪くなりそうだと懸念しています。
デジタル化には賛成、AIも便利で使った方がいい。ただ変な使い方で業界が汚染されるのは好きではない、というのがManaさんの立場です。
自分は何を作っているのか、という教訓
最後にManaさんは、この一件を自分自身への学びとして受け止めます。AIが当たり前になり、みんなの常識が変われば、そちらに寄っていくという見立てです。
だからこそ、そもそもボードゲームとは何か、自分が提供できている価値は何かを見つめ直して磨かないと、手軽さや数の勢いに飲まれる可能性がある、とManaさんは話します。
自分のボードゲームが勝手にコピーされてあちこちに散らばったら、自分は何を作っていたのかと分からなくなる。そうなる前に指針を持っておいた方がいい、という教訓です。
私はこれを作っています。これが強みですっていうような、これが商品なんですみたいな、そういったものをちゃんと強く言える(指針を持っておきたい)。
これはボードゲームに限らず、日常で働く人にも「自分はこの仕事で何の価値を生み出しているのか」という問いが近いうちに来る、とManaさんは広げます。
その問いに答え、自分なりの付加価値をどう乗せるかを磨いていく時代が必ず来る。だから今から一緒に準備していこう、とManaさんは配信を締めくくっています。
まとめ
ボードゲームのデジタル化やAIの活用そのものにManaさんは肯定的です。問題視しているのは、作者へのリスペクトも愛もないまま、説明書からゲームを量産する使い方の方です。守られにくいゲームシステムという弱点を突かれる時代に、作者は自分の価値を見つめ直す必要がある、という回でした。
- デジタル化もAIも便利で肯定的だが、こだわりの有無で作品の質は大きく変わる
- ゲームシステムはレシピのように守られにくく、AIで側だけ変えた量産が可能になっている
- 問われるのは法律よりモラルで、画面の向こうの人と作者の手を意識できるかが分かれ目
- 何でも作れる時代だからこそ「何を作らないか」と「自分の価値は何か」が重要になる

