ボードゲームは「勝つ」が目的?「楽しむ」が目的?
この回のきっかけは、ManaさんがXに投稿した1つの疑問でした。ボードゲームは勝つことが目的なのか、それとも楽しむことが目的なのか、という問いです。
ボドゲって勝つことが目的?楽しむことが目的?楽しむことが重要だとは思うんだけど、ちゃんと共通の目的である「勝つ」を目指さないと、ある意味ルールを逸脱している。
スポーツマンシップならぬボードゲーマーシップにのっとり、正々堂々勝ちを目指すことが楽しむコツである。
この投稿の背景には、いろいろな人と遊ぶ中で感じてきた違和感があります。
考える系のゲームなのに、負けてもいいや、大して考えないで遊ぶ、というエンジョイ寄りの人が同卓するパターンがあった、とManaさんは話します。
ボードゲームにはルール上、何点を目指すか、どう勝つかといった目的が掲げられています。それでも、勝たなくてもいい、楽しめればいいと考える人もいる、という指摘です。
なぜ「勝ちを目指す」ことが楽しさの土台になるのか
Manaさんは、一緒に遊んで楽しむのがボードゲームの一番の目的だとしたうえで、ルール上の目的である「勝つこと」がとても重要になると考えています。
勝つことは、その場のみんなに共通する目的になります。だからこそ、どうやったらいいか、相手をどう出し抜くかと考えを巡らせる面白さが生まれる、という見方です。
みんな真剣に勝つことにこだわって取り組んでいるのに、誰かそれを目指さないとすると、やっぱりゲーム自体がちょっと微妙な感じになってしまう。
もし全員が勝つことを目指さなかったら、ゲームとしては破綻してしまう、とManaさんは話します。だからこそ真剣に向き合ってほしい、という願いです。
勝ちにこだわりすぎると、なぜ楽しさが壊れるのか
一方で、勝ちにこだわりすぎるのも微妙だ、とManaさんは続けます。勝ちにムキになりすぎる状態です。
同卓してみんなで楽しむこと自体がボードゲーム全体の目的なので、その楽しさをなくすほどのこだわりは控えたほうがいい、という考えです。
ムキになって熱くなりすぎると、口が悪くなる人がいる、という具体的な問題も挙げられます。他人を罵倒したり、極端な例ではイカサマやズルをしたりするケースです。
そうなると、最終的なゴールである「みんなで楽しかったね」という気分を害してしまう、とManaさんは話します。
勝負事を投げ出して、自分はエンジョイだって言い放つのも、ちゃんと勝ちを目指している人に対して失礼だよね。
ここでManaさんは、楽しむことこそ最終ゴールだと整理し直します。楽しむために勝ちを目指す、という順番です。
勝ちだけを目指すと自己満足に終わってしまう。周りのことを考えながら、楽しむために勝つ。それぞれが勝ちを目指すからこそ楽しめる、という考え方です。
負けてもいい、大して考えないという態度。真剣に取り組む人に対して失礼になり、ゲームとして破綻しやすい。
ムキになって罵倒やイカサマに走る態度。みんなで楽しむという最終ゴールを壊してしまう。
協力ゲームで起きる「揚げ足取り」の落とし穴
話は、最近流行りの協力ゲームに移ります。それぞれが勝つのではなく、みんなで勝とうというタイプのゲームです。
一見、みんなが同じ目的を明確に目指すので足並みが揃い、罵倒なども起きにくそうに思える、とManaさんは話します。
ところが今度は、誰が足を引っ張ったのか、誰が良くないプレイをしたのか、という揚げ足取りやダメ出しに陥りやすい、という指摘です。
その原因も、やはり勝ちにこだわりすぎることにある、とManaさんは考えます。
一緒に遊ぶ人は、ゲームの強さのバランスも得意分野も様々です。戦略を巡らすのが得意な人もいれば、相手の心理を読むのが得意な人もいます。
そうした人が一緒に遊ぶからこそ変化が生まれて面白い。協力ゲームでも、苦手分野を他の人が補っていくところにこそ面白さがある、という見方です。
この人はここがあんまり得意じゃないというところは、いかにフォローして回れるのか。その自分の立ち回りがどうだったのかが、勝つために目指さなきゃいけないこと。
誰かがうまくいかなかったこと自体が、ゲームの予測不能な変数であり、楽しさの源になります。勝てなかったなら、自分がうまくフォローできなかったということだ、とManaさんは話します。
常に他責思考で「他者が」という形になっていくと、協力ゲームもなかなか難しい、という結論です。
長考は悪なのか?卓のバランスという考え方
勝ちにこだわりすぎる話題として、度々議論になるのが長考の問題です。長く考えると書いて長考、つまり考えすぎてしまう状態です。
長考は他者への攻撃ではありませんが、勝ちを目指すあまり、自分の手番で何分も何十分も考えてしまうことがあります。これも真面目ではあるものの、ムキになりすぎの分類に入る、とManaさんは整理します。
ただし、長考そのものが絶対に悪いとは言っていません。重要なのは、その卓のバランスだ、という考えです。
たとえば4人のうち3人がポンポンと手を出すタイプで、1人だけ長考するタイプだと、その人の番で場の進行が止まり、みんなが待つ状態になってしまいます。
普段長考してる人も、やっぱり場の状況に合わせて、考える時間っていったものを調整すべきだと思います。
みんなが長考するなら、がっつり長考しながら戦えばいい、とManaさんは言います。将棋や囲碁のプロリーグでは1時間以上の長考もありますが、それはそういう場だから許されている、という例です。
そういう長考する人と早打ちの人が同卓すると、変なゲームになってしまう。だから考え込んでしまう人は、周りの状況に合わせることが重要だ、という主張です。
Manaさんはこれを、一緒にご飯へ行く場面にたとえます。食べる速度の速い人と遅い人がいても、できれば食べ終わる時間は同じくらいがいい、という感覚です。
誰かがデザートを食べているのに誰かがまだメインを食べている状態はアンバランスだ、と個人的な考えを添えつつ、周りに気を使って食べる感覚がボドゲの考える時間にもつながる、とまとめます。
全員がじっくり考える卓なら、がっつり長考しながら戦っても問題ない。将棋や囲碁のプロリーグのような場と同じ発想。
周りが早く手を出す中で1人だけ長考すると場が止まる。周りの状況に合わせて考える時間を調整することが求められる。
マナー違反と「教え魔」問題
この話は、よくあるボードゲームのマナー問題にも発展する、とManaさんは話します。
ボードゲームカフェで出禁になるような明らかな行為はマナー違反だとしつつ、勝ちにこだわるかどうかはグレーで賛否両論のある領域だ、と位置づけます。
マナー違反に通じるものとして挙げられるのが、人の手に対する口出しのしすぎです。もっとこうしたほうがいい、その手はないわ、と他者の手を評価して指摘する行為です。
長考が始まると、周りは最善手を考えているのか、ルールがわからないのかと気になり、つい手を出したくなります。しかし教えすぎるのもマナー違反になりうる、という指摘です。
Manaさんはこれを、言葉を悪くすれば教え魔だと表現します。一見優しく見えても、自分で考えて自分でプレイするのがボードゲームの面白さの秘訣だからです。
他者に言われてその通りやるっていうのだと、ただの作業になっちゃうんですね。
教えすぎると、周りの人が楽しむためのコンピューター役を人間がやっているような状態になる、とManaさんは例えます。周りは面白くても、初心者本人はあまり面白くない、というわけです。
だからこそ、同卓した人みんながちゃんと楽しめて、このメンバーでまた次回もやりたいと思えるかどうかが基準になります。その観点からも教え魔は外れてしまう、という考えです。
結局ボードゲームの目的は「楽しむこと」
ボードゲームは、関わる人や一緒に遊ぶ人によって千差万別で、場の状況も様々です。だからこそ、みんなで同じ目的を目指すことが重要になります。
同時に、一緒に遊んでいる人への思いやりや気遣いをちゃんと考えることが、楽しむ秘訣だ、とManaさんは締めくくります。
楽しむために勝ちを目指す。勝ちを目指さなければ楽しさも半減してしまう。けれど他者への思いやりが欠ければ、その楽しさもまた損なわれてしまう、という一貫した考えが通っています。
番組の最後に、Manaさんは普段Xで発信していることにも触れ、なぜその投稿をしたのかという深掘りをこのポッドキャストで話していきたい、と語りました。
まとめ
この回は、勝つことと楽しむことのどちらを目的とするかという問いから始まり、長考やマナー、教え魔まで、みんなでボードゲームを楽しむための考え方が語られました。共通するのは、真剣に勝ちを目指しつつ他者を思いやるという姿勢です。
- ボードゲームの最終ゴールは楽しむことで、勝ちを目指すのはそのための共通の目的
- 勝ちを目指さないのも、こだわりすぎて罵倒やイカサマに走るのも、楽しさを壊してしまう
- 協力ゲームでは、苦手分野を補い合うことが面白さで、揚げ足取りは避けたい
- 長考は卓のバランスしだいで、周りに合わせて考える時間を調整することが大切
- 口出しや教えすぎは、初心者から自分で考える楽しさを奪ってしまう



