作詞とエッセイは何が違う?「チームプレー」としての歌詞
今回のゲストの高橋久美子さんは、1982年愛媛県生まれ。2003年にチャットモンチーへ加入し、ドラマー兼作詞担当として「シャングリラ」「風吹けば恋」などを手がけました。2011年に脱退した後は、文筆業と歌詞提供を軸に活動しています。
2019年には実家の農地が売却されそうになっていると知り、故郷での農業を決意しました。現在は1年の半分を愛媛の実家で農家として過ごし、2025年1月には文章論『いい音がする文章』を刊行しています。
平田さんがいまの仕事の中心を尋ねると、高橋さんは「メインはやっぱり執筆」と答えます。ただしその執筆の中でも、エッセイと歌詞はまったく別の仕事だといいます。
(作詞は)チームの一員になって、一緒に一つの作品をゴールに、まあゴールをみんなで目指すっていうチームプレーだと思いますね。
高橋さんにとって、エッセイは一人で書く自分の作品です。一方の歌詞は、作曲家や歌い手と組んで一つの曲を作り上げる音楽制作に近い仕事だと位置づけています。
高橋さんが長く組んでいるのが、原田知世さんの楽曲です。作曲とプロデュースを伊藤ゴローさん、作詞を高橋さん、歌を原田さんが担い、ボーカル録りの現場で歌詞や曲を変えることもあるそうです。高橋さんはこの3人の関係を「本当に一つのプロジェクトチーム」と表現しました。
ほかにも、いきものがかりの水野良樹さんが作曲、高橋さんが作詞というタッグでの仕事も多いといいます。作詞家と作曲家がペアになりやすい理由について、高橋さんは作曲家がプロデュースまで深く関わることが多く、やりやすさがあるのかもしれないと話しています。
9割が「曲先」の時代、歌詞はパズルになった
山崎さんが「楽曲が先にあって、その後に言葉を当てていくスタイルか」と尋ねると、高橋さんはチャットモンチー時代は逆だったと明かします。当時は歌詞が先の「詞先」がほとんどでした。
今の音楽業界だと9割ぐらいが楽曲、曲先なので。
バンドを脱退した後、高橋さんはメロディーに言葉を乗せるとはどういうことかを考え直したといいます。依頼があったのでやらざるを得ず、そこで鍛えられたという感覚です。
まずもうメロディーがあるってことは、音数が決まってるじゃないですか。
音数が決まっている枠に言葉をはめていく作業を、高橋さんは「パズルっぽい」と表現し、文章や文学とは真逆のものかもしれないと話しました。
歌詞が先にあり、そこへ曲をつける。書きたいように書けた
メロディーで音数が決まっていて、そこに言葉をはめていく。パズルに近い
山崎さんは、広告制作のコピー先行とデザイン先行の関係に似ていると応じます。デザインを先に決めると、レイアウトの都合で「ここに入るのは12文字」のように言葉の長さが決まることがあるそうです。
高橋さんも、作曲家との間では「ここの一文字、ちょっと『ね』を引っ込めてくれない?」「いや『ね』は外せません」といった問答になるといいます。曲がつけやすいと思って渡した歌詞に「今回、試してきたでしょ」と言われることもあり、高橋さんはそこに「脳みそが2つある面白さ」を感じています。
話題は、最近の音楽で歌詞が耳に入りにくいと感じる理由へ移ります。高橋さんは、洋楽が日本に入ってきて以降、1980年代ぐらいから曲先が中心になってきたとみています。
洋楽ってあれじゃないですか。言うたらみんな意味わからんけどなんか楽しいっていうので聴いてる。
意味がわからなくても音を楽しむ聴き方に日本人が慣れ、リズミカルな楽曲が流行るにつれて、曲を優先して後から歌詞を乗せる作り方が増えた、というのが高橋さんの見立てです。
ただし高橋さんは、いまの曲を否定していません。昔の曲は「泣きの歌詞に泣きのメロディー」で「やりすぎやろ」と感じることもあり、いまのさっぱりした曲もいいと話します。そのうえで、日本人の精神性そのものも変わりつつあるのかもしれないと付け加えました。
詩は日記の延長、歌詞は「この人が今歌うべきこと」を書く
平田さんは、エッセイのテーマを自分で決めているのかを尋ねます。高橋さんによると、日経新聞での連載のように毎週書く仕事では時事ネタを入れることもあり、農業をテーマに指定されることもあるそうです。
自分発のテーマと指定されたテーマはおよそ半々で、企画を持ち込むことはほとんどないといいます。エッセイについては、いろいろなテーマに臨機応変に応えて書いているということです。
一方で詩は別物です。高橋さんは中学生のころから、人に見せなくても日記の延長のような形で詩を書き続けてきました。詩はライフワークで、依頼もあまりないといいます。
では、歌詞と詩はどこが違うのか。平田さんが「音楽がつくかどうかの違いか」と尋ねると、高橋さんはもっと大きな違いを挙げました。
あとは自分じゃない人が歌うでしょ。
10代の子が歌うのかとか、これは原田さんが歌うとか、布袋寅泰さんが歌うってなったら、やっぱり俳優さんのようにいろんなものに変化しないといけない。
山崎さんは、歌い手を自分に落とし込んで書くのか、社会全体の中で「この人にこのメッセージを届けてほしい」と考えて書くのかを尋ねます。高橋さんは後者だと答えました。
この方が今これを歌うべきなんじゃないかっていうことも少し(考えながら書きます)。
その判断は一人ではしません。高橋さんはディレクターと「ちょっとこれ歌詞尖りすぎですかね」と話し合いながら作っているといいます。
朗読だったら1伝わっとるところが、メロディーとこの編曲によって100ぐらいになっちゃう。
歌詞はメロディーや編曲によって、言葉が消えることもあれば広がりすぎることもあります。高橋さんは「これサビじゃなくてAメロに持ってくるべきだった」と後から気づくこともあると話しました。アレンジまですべて完成した後に最後に歌詞を頼まれるケースも多く、それが一番「どうにもできん」と感じるそうです。
サトウキビと製糖所。愛媛の農業は「圧倒的にフィジカル」
山崎さんは2017年ごろ、物書きとしての高橋さんとラジオで仕事をしたことがあり、そのころは農業をしている印象がなかったといいます。高橋さんの実家はもともと農家で、チャットモンチー時代も休みにはみかんの収穫や稲刈りを手伝っていました。
現在の高橋さんは、自分が主体となってチガヤクラブ ── 高橋久美子さんが愛媛県四国中央市で立ち上げた農業チーム。有志の若い人たちが集まり、稼ぐためではなく、食べることや地域の環境保全を目的に活動していますという農業チームを作っています。
稼ぐ農業じゃなくて、自分たちが食べていったり、地域の環境を保全するためのチームとしてやっていってます。
チガヤクラブで主に育てているのは、みかんではなくサトウキビです。高橋さんの地元は香川県との県境にある四国中央市で、祖父がみかんを植える前はサトウキビ畑だったといいます。
香川や徳島では和三盆 ── 香川県や徳島県で作られる伝統的な砂糖。竹糖と呼ばれる在来品種のサトウキビを原料に、手作業で磨きをかけて作られる、きめ細かく上品な甘さが特徴ですの原料になるサトウキビが育てられています。一方、高橋さんの町では黒糖の原料になる沖縄系の品種を作っているそうです。
これまで頼っていた製糖工場が閉鎖したため、高橋さんは自分たちの製糖所を作り始めました。2月には沖縄へ研修に行き、直径1メートルほどの鍋を2つ置いたかまどで、薪をくべて煮詰める小さな工場を目指しています。
この夏も、猛暑の中でレンガを並べ続けていたといいます。山崎さんが「鉄腕DASHみたい」と言うと、高橋さん自身も「鉄腕ダッシュですよね」と笑いました。
山崎さんが「その時は言葉のことは忘れているのか」と尋ねると、高橋さんは体の重さを強調します。
体ありきで体が愛媛に行かないとできない。でも言葉っていうのは東京にいても愛媛にいても書けるんです。
だから愛媛へ帰るときに「ゆっくりしてきてね」と言われても、高橋さんの感覚は「戦場に行く感じ」です。ずっと外にいて、疲れすぎて夜は寝るしかなく、そうした生活を1か月交代で続けています。
では農業で言葉は変わったのか。高橋さんは、みんなが「自然によって言葉が変わった」という答えを期待しているのはわかっていると前置きしたうえで、ダイレクトにこんな言葉が浮かぶようになったということは特にないと答えました。
ただし、まったく影響がないわけではないといいます。生まれ育った場所で両親と暮らしながら農業をするのは「もう一回10代に戻った感じ」があり、県外のチガヤクラブのメンバーが11部屋ある実家に1〜2週間泊まりに来ることもあります。
自分がいた時は守られてたんだなっていうのも感じながら、次は自分たちがここ(地元)を守っていく代なんだななんていうことも感じながら(書いています)。
東京で机に向かうより、体験が書かせてくれる部分がたくさんある。地元を再発見する感覚が、執筆にも結びついていると高橋さんは話しています。
脱退後、文筆業はどう仕事になった?「ご祝儀は3年まで」
平田さんは、バンドを離れてから文筆活動を本格的に始めるまでの経緯を尋ねます。高橋さんは、最初から文筆家を目指していたわけではないと答えました。
チャットモンチー時代は、曲を作り、プロモーションをして、全国ツアーを回ることを延々と繰り返していたそうです。脱退は「走り切った」という感覚からでした。
なんかまあ一回このバーっとした渦の中から抜けてみようって思ったぐらいの感じなんですよね。
脱退後の1年ほどはほとんど仕事をせず、徳島や長野で個展を開くなど、好きなことだけをしていたといいます。文筆の仕事が来るようになったきっかけは、チャットモンチー時代の歌詞でした。
チャット時代の歌詞って、自分で宣伝しなくてももう広がっていってくれるわけなので。
バンド脱退
多忙な日々から一度抜けるために脱退。文筆家になるつもりはなかった
休養期間
1年ほど好きなことをして過ごし、個展を開く
問い合わせ窓口
友人が作ったホームページの問い合わせから依頼が届く
依頼に応える
歌詞、エッセイ、小説と、来た依頼に「じゃあ書きましょうか」と応じていく
山崎さんが「狙って小説やエッセイに行こうとしたことは」と聞くと、答えは「ゼロ」でした。そのうえで高橋さんは、先輩から言われた印象的な言葉を紹介します。
ご祝儀でもらって、この発注してもらえるのは3年までなんだよって。
元バンドメンバーという肩書きで来る「ご祝儀」の依頼は3年まで。その間に手を抜けば仕事は来なくなるので、一本一本に魂を込めなければいけない。高橋さんはそう聞いて、真面目に仕事を積み重ねてきたといいます。
山崎さんは、事務所や先輩から型を学んだわけでもないのにどう書いてきたのかと疑問をぶつけます。高橋さんが「文章ってみんな書けるんじゃないですか?」と返すと、山崎さんは即座に「書けませんって」と否定しました。
山崎さんは雑誌で2年間書評を連載した経験があり、とても大変だったと振り返ります。高橋さんも雑誌『ダ・ヴィンチ』で書評を担当していた時期があり、「一番難しいよ、書評なんて」と応じました。
今までテーマなんて出されることはチャットの時はなかったから、書きたいように書いてたのに、テーマとかタイアップが決まっててとか、そういう規制の中で書くっていうのが、面白かったです。
(枠があることは)自分の幅を逆に広げてくれた気がするんです。
断る勇気と、断り方の悩み。文章のニュアンスはどう伝える?
バンド時代は事務所やマネージャーがいましたが、独立すると価格交渉や契約も自分で担うことになります。平田さんがどうしているのかを尋ねると、高橋さんは「てんでダメですよ」と笑い、最初は請求書の書き方もわからなかったと明かしました。
仕事を受ける基準について、高橋さんは「これ私がやるべきなのかな」と考えるといいます。最初は作家の先輩に「訓練だと思って来たものを拒まず全部やりなさい」と言われ、どんな小さな仕事も引き受けていました。
先輩の助言どおり、来た仕事は小さなものでも拒まずすべて受ける
時間に限りがあるので、未来が見えるか、やったことがなく広がりそうかで判断し、断る勇気を持つ
今これはちょっとやらんでもええかもしれんっていうのは昔は断りよらんかったけど、今は断る勇気を持つようになりました。
断るのは難しいという話に、MCの2人も共感します。平田さんは、自分がやる意味があるかを一番に考え、ほかの人がやっても同じ結果になりそうなら「もっと得意な人がいると思いますよ」と伝えることがあるそうです。
高橋さんが特に困るのは、スケジュールを理由に断ったら「じゃあいつなら空いていますか」と返されるケースです。山崎さんも、会食を減らしても何も変わらなかったと気づいたものの、断り方の正解はわからないと話しました。
メールやチャットでの断りは、ニュアンスの伝え方が難しいものです。高橋さんは「とげとげにならんように」気をつけているといいます。
丸で終わったらちょっと怖い、やっぱり怖いっていう感じわかるようになってきた。断る時に丸。
高橋さんは、真顔で断っている感じが出ないように、あえてビックリマークをつけることもあるそうです。山崎さんの事務所では、山崎さん本人は受けたい気持ちを出しつつ、秘書やスタッフが断る「ダブル」の形を取ることがあるといいます。平田さんは、メールで秘書という別人格を立ててやりとりする人の話も紹介しました。
原稿料は交渉しない、でもイベントは断る。高橋さんの価格の線引き
価格交渉については、高橋さんは決まっていてほしい派です。文芸の世界では1文字いくらといった規定があることが多く、最近は依頼時に金額が提示されることが増えたといいます。
平田さんは、その背景の一つにフリーランス法 ── 2024年11月に施行された「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」の通称。発注者に対し、業務内容や報酬額などの取引条件を書面などで明示することを義務づけていますがあると説明しました。依頼する時点で条件を明示することになっているためです。
驚いたのは山崎さんです。高橋さんは原稿料について交渉したことがないといいます。雑誌の1500字のエッセイなどは大体金額が決まっていて、作家を始めたときから「決まっている世界なんだ」と思っていたそうです。
ところが話しているうちに、高橋さんはイベントについては交渉していることに気づきます。「この額ではできまへん」と伝えたこともあるそうです。
なんかエッセイとかだと自分の修行になるんですよ。だからいくらでもこのテーマで書こうと思って書けるんです。
でもイベントってめちゃくちゃもう5日間ぐらい寝込むぐらい疲れるんです、私。
イベントはとにかく吐き出すだけなので、対談相手が面白い場合や、いま強い興味があるテーマでなければ、あまり受けていないといいます。平田さんは、自分の本業から外れる仕事は、やってもいいと思える価格でなければ受けないことが、自分を守るために大事だと応じました。
お金の話は野暮なのか?印税と「関わった全員」への分配
平田さんは、出版でも物価上昇に合わせて原稿料が変わってほしいと話し、翻訳料などは何十年も価格表が変わっていないという話をよく聞くといいます。
山崎さんは、自分が長く価格交渉をしてこなかった理由を打ち明けます。クリエイティブで世界を変えようとしているのに、お金のことでちまちましている場合ではない、お金の交渉をするデザイナーはダサい、という感覚があったそうです。
高橋さんは、文筆の世界にもその空気は「めっちゃある」と答えました。音楽業界ではさらに強く、「お金の話をする人はまず干されますよ」と先輩に言われたところから始まったといいます。
一方で高橋さんは、作詞が基本的に印税であることにも触れます。無名の歌い手でも、自分の歌詞の力で大きく売れれば自分にも入ってくる。そう考えればいいと聞き、ある意味では守られているのかもしれないと話しました。
番組内では、海外では関わった人に広く分配される仕組みがあることも話題になりました。高橋さんによると、日本では作詞・作曲・歌唱に印税が入る一方、エンジニアには入りません。海外ではディレクターやプロデューサー、エンジニアにも何パーセントかが分配されるそうです。
作詞・作曲・歌唱に印税が入る。エンジニアには入らない
エンジニア、ディレクター、プロデューサーなど関わった人にも分配される
高橋さんは装丁家とも同じ話をしたといいます。本がヒットしたのは装丁のおかげかもしれないのに、装丁家や挿画家にはお金が入りません。
何をきっかけに手に取ってくれるかって言ったら、私のこと知らん人が手に取る時は装丁かもしれません。
山崎さんは「印税システムいいな」と言いますが、高橋さんはどちらがいいかはわからないと返します。昔のようにメガヒットが出にくい時代には、まったく売れないことも多く、金額が決まった買い切りを好む人もいるからです。
山崎さんは建築の例も挙げました。設計料が総工費の何パーセントと決まっていると、施主のためにコストを下げるほど自分の取り分も下がってしまう。高橋さんは、お金の計算をする頭は創作とは「脳みそ違う」と感じ、だからこそ仕事はチームでやるものなのだと納得していました。
ドアツードアで7時間。ツアーバスで歌詞を書いた全方位型バンド時代
高橋さんの愛媛の実家は、松山空港から電車やバスを乗り継いでさらに3時間ほどかかります。東京からはドアツードアで7時間ほどの移動です。
平田さんが移動時間の使い方を尋ねると、高橋さんは読書もするものの、飛行機では割と寝ているといいます。愛媛での「戦い」に備えて、いまのうちに寝ておこうという感覚です。
ただ、チャットモンチー時代は違いました。照明スタッフなどチーム全員でバス移動しながら全国ツアーを回り、その移動中に次の次のシングルの歌詞を書いていたそうです。
ボーカルのえっちゃんに、できたって言って渡したら、えっちゃんがホテルの私の隣の部屋で曲をつけてるっていう(忙しさでした)。
なぜそこまで忙しかったのか。高橋さんは、チャットモンチーが「全方位型」と言われるバンドだったことを挙げます。
作詞、作曲、編曲、それから演奏、歌唱、全部自分たちでやるでしょ。それってまあまあ大変なんですよ。
アレンジャーもつけずに、すべて自分たちでスタジオに入って作り込む、とにかく時間が必要なバンドだったといいます。平田さんは、20代だったからこそできたのだろうと応じました。
東京と愛媛の二拠点生活。チューニングを442から440へ
いまの東京と愛媛のバランスについて、高橋さんは「だいぶ無理言っとる」と答えます。年齢が若返ることはないのに、製糖所づくりなど、やることは増えているからです。
それでも、どちらかに絞るつもりはありません。愛媛にも大地や山や海はありますが、まとまった時間で執筆でき、ライブや展示、映画などの文化的な刺激を受けられるのは東京だといいます。
クリエイティブの拠点。落ち着いて執筆でき、ライブや展示、映画に触れられる
ほぼ畑にいる生活の拠点。創作の練習は夜に行う
平田さんは、環境やコミュニティが違うと人格も変わらないかと問いかけます。平田さん自身は、フリーランス協会の代表として前に出るときと、広報として黒子に回るときでは振る舞いが違い、「帽子をかぶり変えている」感覚だといいます。
高橋さんはこれに「わかる」と答えました。東京では、自分のことをわかってくれる好きな人たちと仕事をしてきました。ところが愛媛では、地元の校長先生にワークショップのチラシを届ける日を電話で相談するなど、まったく違う相手と向き合っています。
初めて社会人になったんやと思って。
今までの自分を少しだけチューニングを442から440に変えるぐらいの。若干合わせにいく。
チューニング ── 楽器の音の高さを合わせること。基準音のラ(A)を440Hzや442Hzに設定するのが一般的で、数ヘルツの差でも響きの印象が変わりますをわずかに変えるように、いつもの自分を少しだけ相手に合わせる。打ち解けてきたら、もう少し方言でも話せるだろうと高橋さんは話していました。
居場所が複数あると折れにくい。畑で問われる、東京とは違う評価軸
平田さんは、場によって文体も変わると話します。自分の文章をAIに学習させる試みが話題になっているものの、平田さんの場合は媒体ごとに文体が違うので、いくつものパターンのAIが必要になりそうだといいます。
平田さんは、平野啓一郎 ── 小説家。著書『私とは何か「個人」から「分人」へ』で、人は対人関係や場ごとに異なる「分人」を持つという考え方を示しましたさんが分人について書いた本にしっくりきたと紹介しました。物差しが1つではないと、ある場所で窮屈でも別の場所で違う見方ができるので楽になる、という考えです。
高橋さんはこれを、子どもの居場所の話に重ねます。居場所が1つだけだと、そこでの否定がすべて自己否定になります。しかし学校や習い事など複数の居場所があれば平気でいられる、という話です。
高橋さんは、チガヤクラブに来る人たちも居場所を求めているのではないかといいます。入会理由のアンケートで「農業に興味があったから」に丸をつける人は少なく、ほとんどが鎌も鍬も持ったことのない初心者だそうです。
(チガヤクラブに)みんなじゃあなんで来てるかっていうと居場所なんですよね。
メンバーの多くは会社と家の往復になっていて、新しい人と交流したい、経験を増やしたいという理由で来ているといいます。高橋さんは、サードプレイスを求めているのだと受け止めています。
愛媛では、高橋さん自身もまったく違う評価にさらされます。東京では編集者や仲間が高橋さんのことをわかってくれていますが、地元ではただの「高橋さん家の変な次女」です。
地元での評価軸は、畑をきれいに作っているかどうかです。畑には壁がないので、草が生えていればすぐ近所に見られてしまいます。高橋さん自身も、茨城や埼玉に行くと人の畑ばかり見てしまうと話し、MCの2人はデザイナーが他人のデザインを見てしまうのと同じ職業病だと笑いました。
編集者や仲間が、作家としての高橋さんをわかってくれている
畑がきれいかどうかで見られる。周りからは「高橋さん家の変な次女」
物差しを複数持っていれば、片方の場所でだめだと言われても、来週は東京に行くと思えば少し気楽になれる。複数の居場所を持つ話は、高橋さんの二拠点生活にもそのまま当てはまっていました。
『いい音がする文章』が伝える、自分の音で書くということ
ここで話題は、高橋さんの著書『いい音がする文章 ―あなたの感性が爆発する書き方―』に移ります。高橋さんは、歌詞にビートがあるように、散文や小説やエッセイにもそれぞれのいい音がある、という本だと説明しました。
では、その「いい音」とは何なのか。高橋さんは、何事もまずは真似から始まり、人の作品を読んで自分の好きな文章を知るところからだと前置きしたうえで、次のように答えています。
自分のいい音が見つかって、書きたいように書けるっていうことがやっぱいい音なのかなってまずは思うから。
自分らしい文体で書けていること、それがいい音なのだろうと高橋さんは考えています。そして、一番簡単そうなことが社会の中では淘汰されてきたとも話しました。「お世話になります」から始まるビジネス構文はその一例です。
本には、国語の授業で文章の型を教わった経験についてのエピソードも出てきます。小学校では、です・ます調で書くなら最後まで揃えなければいけないと習いました。
高橋さんは作家になってしばらくしてから、です・ます調の中にあえて崩しを入れるようになったといいます。山崎さんも、本を読んで「自由でいいんだ」と感じたそうです。
もうちょっと自分流に崩していっても誰も怒らんよって。
書くのが苦手な山崎さん、日記を燃やす高橋さん。メモは意味がわからなくてもいい
山崎さんは、自分らしい文章について考えたことがなかったと打ち明けます。喋ることや絵を描くことでは自分流を突き詰めてきましたが、文章は機能すればいいと考えてきました。
意味を伝達する記号としてしか使ってないから、スタンプで代用できんだったらスタンプの方がいいと思って。
これに対して高橋さんは、言語の中では喋ることが一番難しいと考えています。相手の顔を見て、傷つかないかを考えながら、0.5秒の間に言葉を出したり引いたりしなければならないからです。
山崎さんが文章を重く感じる理由は、文章が残り続けるからだといいます。生きた証として打ち込む「楔」のようなものだという感覚です。平田さんは逆に、学生時代は毎日を細かく日記に残していたタイプで、いまのFacebook投稿も自分や将来の子どもたちのためだと話しました。
一方の高橋さんは、過去の日記の多くを燃やしてきたといいます。出すものはきちんと出すが、見られたくないものは残さない。日記や詩は、自分のために書いているものだからです。
気持ちが整理されるし、今自分が何を求めてるかとか、どうなりたいのかがなんかわかってきますね、書いたら。
山崎さんは、思いついたアイデアを言葉でメモしても、2週間後に読み返すと何を言っているのかわからず消してしまうと話します。まだ概念化されていない潜在的なものを捕まえようとしているので、言葉にした瞬間にずれてしまうのだといいます。
高橋さんは、本の取材で伊藤ゴローさんに聞いた話を紹介しました。伊藤さんはいいメロディーを思いついたとき、音で録音するのではなく、感覚や気持ちを言葉で残し、後からそれをメロディーにするのだそうです。
意味わからんけど、それがね、歌詞とか詩ってね、意味わからんでもいいんですよ。
3年後に見つけたメモの意味がわからなくても、単語と単語の組み合わせが面白ければ、歌詞や詩としては成立します。山崎さんは「じゃあ消さなきゃよかった」と笑いました。高橋さんは、歌詞は音と言葉のちょうど間にあり、どちらかといえば音の方が強いのかもしれないと話しています。
平田さんは、本に出てくる「声は臓器」という言葉について尋ねました。きっかけは、あるトークイベントで能楽師の有松遼一さんが謡を披露したことでした。
マイクを通さずに体全体が振動して声が出る様子を見て、高橋さんは「体って筒なんやな」と感じたといいます。
形はないけれど、声にはその人の生き様が出る。早口の人と間合いがゆっくりな人では性格も違うように、書く文章にもその人の間合いとビートがある、というのが高橋さんの考えです。メールでもLINEでも、少し自分をオープンにして書けば、新しい面白さにつながるのではないかと話しました。
AIで書いた文章は読まれない。下手でいびつなものに惹かれる理由
平田さんは、事務的なやりとりでも人となりを込めることで、相手に自分を理解してもらいやすくなると話します。だからこそ、AIに返信文を書かせることには抵抗があるといいます。
山崎さんは「俺使ってる」と言いつつ、違和感にも共感していました。スタッフが定型文を書き、署名だけ手書きするお礼状を書いているとき、これでいいのかと思うことがあるそうです。
AIでかき取るなっていうのわかるから。お礼状だとしてもあってなって読まない。
私は多分作家としてはどうやってでも最後まで面白く読んでほしいっていう執念があるんだと思うので、だからどんなメールの返事でも、ちょっとは(足跡を残したい)。
平田さんは、いいアイデアでもAIでプレゼン資料にした途端に凡庸になってしまう問題にも触れました。自分の書いたものをAIの要約だけで「理解しました」と言われるのも、言い回しにこだわっているだけに嫌だといいます。
背景には、長い文章を読む耐性が落ちていることがあるのかもしれません。平田さんは子どもたちを見ていても、短くすぐに結論を求める傾向を感じるそうです。高橋さんは、長い文章が生まれにくい「大変な時代」に自分たちの職業は入っていると受け止めています。
下手なものとかいびつなものにものすごく惹かれるから。
整ったものではなく、ざらざらした手触りのもの。高橋さんは、世の中が二極化しているからこそ、インディペンデントで作られたものの魅力が再確認されていると話します。平田さんは、フリーランス協会のオウンドメディアで文学フリマやZINEを取り上げた記事に大きな反響があったことを紹介しました。
高橋さんの本の帯には「AIには書けない人間の証」という言葉が載っています。平田さんは、自分の言葉、自分の音を大事にすることは生き残るうえでも大切だとして、それを大事にしたい人にこの本を薦めていました。
これからの目標は、製糖所の完成と文筆・農業の足場づくり
最後に個人としての目標を聞かれた高橋さんは、まず製糖所を完成させることを挙げました。12月にはサトウキビの収穫が始まるので、それまでに煙突もつけて完成させなければいけないといいます。
もう一つは、文筆業と農業の両立を安定させることです。高橋さんは、周りからはうまくやれているように見られがちでも、実際はまだぐらぐらしていると話します。そのうえで、足場をしっかりさせることを今後1〜2年の目標に掲げました。
山崎さんは、この回を通して言葉をちゃんと考えてみようと思ったと語りました。文章を書くことへの自分なりの答えをまだ持っていないと改めて気づき、そのことを前向きに受け止めています。
本はすごい好きだし、文章を読むのもすごい好きだから、その向き合い方の可能性がまだこんなにあるんだなっていうのは、僕が今日ちょっと嬉しかったことですね。
平田さんが「これだけ喋れるなら書けるはず」と言うと、山崎さんは考える前に口が動いている、つまり反射であり身体性なのだと返します。平田さんは「農業やん」とつっこみ、体と言葉をめぐるこの回の話が最後にもう一度つながりました。
山崎さんは、自分らしい文章とは何かを考えずに書いている人は多いはずだとして、高橋さんの本を「すべての方におすすめ」と締めくくりました。
まとめ
高橋久美子さんは、チャットモンチーの渦から一度抜けたあと、依頼に一つずつ応えながら文筆家になりました。いまは作詞、エッセイ、詩、そして愛媛での農業を行き来しながら、場所ごとに少しずつ自分をチューニングしています。その中で一貫しているのは、上手さよりも自分の間合いとビートで書くこと、つまりAIには書けない「いい音」を探し続ける姿勢です。
- エッセイは一人で書く作品、歌詞は作曲家や歌い手と組むチームプレー。曲先が9割の時代には、作詞は音数にはめるパズルに近い
- 脱退後の仕事は昔の歌詞をきっかけに届き、「ご祝儀は3年まで」という言葉を胸に、一本一本に魂を込めてきた
- 原稿料は交渉しないが、5日寝込むほど消耗するイベントは価格で線を引く。お金の話を野暮とする空気や分配の仕組みにも課題がある
- 東京と愛媛という複数の居場所と評価軸を持つことで、一方での否定が自己否定になりにくくなる
- 「声は臓器」であり、文章にもその人の間合いとビートが出る。上手な文章はAIが書けても、下手でいびつな人間の文章にこそ人は惹かれる






