なぜ家族で庄内のマクドナルドへ?
サエキタカフミさんの「食べ物を因数分解してみようシリーズ」は、前回の「家で食べるカレーが一番うまいのでは」という話に続き、今回が第2弾です。
サエキタカフミさんの家には3歳と1歳ほどの子どもが2人いて、土日の昼か夜はほぼ外食、それもファミレスなどに行くのが定番だそうです。
子どもたちは車に乗るとよく寝てくれるため、お昼寝を兼ねて車を走らせることも多いといいます。そのドライブ中に、大阪の庄内駅の近くにあるマクドナルドのポテトが「日本一美味しい」と言われている、というSNSで見た話を思い出しました。
知らないですよ。それ以上の話は。けど、なんか思い出して。
噂の詳しい中身は知らないまま、家からお昼寝の時間稼ぎにちょうどいい距離だったこともあり、せっかくだから行ってみようということになりました。
ふにゃふにゃなのに美味しかったポテトの正体
実際に庄内のマクドナルドでポテトを食べてみると、確かに美味しかったものの、パリッ、サクッとした食感ではなく、正直ふにゃふにゃだったそうです。
まあマックのポテトってそういうなんか当たり外れみたいなのあるじゃないですか。
塩が濃いわけでもなさそうで、夫婦で食べながら「美味しさの理由は温度だろう」という話になりました。
サエキタカフミさんは、揚げ油が特殊なのか、ポテトを保温するライトの仕組みが違うのか、あるいは揚げてから何分以内のものを出すという基準がとても短いのか、と性格上いろいろ考えたといいます。
結論として、サエキタカフミさんは熱いポテトこそが美味しさの正体だったと受け止めています。
がっかりしなかったのはなぜか? 期待値コントロールの話
サエキタカフミさんは「本当にこれで日本一なのか」と感じつつも、半分はネタだろうと思って行っていたため、がっかりはしなかったといいます。この「がっかりしなかった」という事実への引っかかりが、思考が回り始める起点になりました。
ここに何かこう、マーケティング的示唆が詰まってるような気がしたんですね。
サエキタカフミさんがまず整理したのは、ポテトの美味しさを決める変数です。芋そのものの素材の良さ、揚げたてかどうか、食べるときの温度などが掛け算されて、最終的な美味しさが決まると考えています。
掛け算なら各因子のスコアを上げれば結果も大きくなります。ただ、店舗では芋を美味しくすることはできず、塩の量も本社のルールで決まっているはずなので、店でいじれる要素は温度だけだったのだろう、とサエキタカフミさんは考えました。
もう一つの視点が、ポテトの「ガチャ要素」です。同じ店でも日によってふにゃふにゃだったりするのを客も知っているので、マックのポテトへの期待値はもともとそれほど高くありません。
最低品質でもうまい、たまにその最低品質をどんどん上回ってくるっていうのが、めっちゃこう、マーケティング的に上手なとこだなみたいに思ってて。
「日本一」の看板はハイリスクハイリターン
庄内のケースでは、ガチャ要素のあるポテトに「日本一」という看板が乗りました。本来、大きな看板を掲げれば、それに見合う実力がないと失望につながります。
商品設計ではこれをコンセプトとパフォーマンスのギャップと呼び、学術的には期待不一致理論 ── 顧客満足は、購入前の期待と実際の体験との差で決まるとする考え方。期待を下回ると不満、上回ると満足につながるとされますというそうです。期待を下回ると不満に、上回ると満足になるという考え方です。
庄内のポテトは日本一という触れ込みに対して、実際は「熱いふにゃふにゃポテト」で、期待とは一致していませんでした。それでもサエキタカフミさんががっかりしなかったのは、ばらつきが前提だったからだと自己分析しています。
一方で、日本一という触れ込みによって、サエキタカフミさん自身を含め確実に人は来ています。看板を掲げる前後で比べれば、売上も上がっているのではないかと推測しています。
まあ、いわばビッグマウスみたいなもんですよね。こう大きいことを言うと、その分期待値も上がるから、その高い期待値をクリアしないといけなくなると。
期待との不一致がそのまま失望になり、ハイリスクハイリターン
期待値がもともと低めで、看板を高く掲げても失望されにくい
ただしサエキタカフミさんは、AI時代は以前にも増して信用が大事だとも話します。ばらつきが許されない商品で大きな看板を掲げれば、過大広告や優良誤認 ── 商品やサービスの品質などを、実際より著しく優れていると消費者に誤解させる表示。景品表示法で禁じられていますのようになり、信用を失うだろうという見立てです。
音楽などの表現物にも当てはまるのか?
サエキタカフミさんは音楽活動もしているため、この考え方を表現活動に当てはめてみました。表現物が聴き手に刺さるかどうかは、作り手から見れば運次第のところがあります。
表現者自身がこう、点ではないと思ったものが、受け取る人にとっては点なこともあったりするわけですよ。
サエキタカフミさんは、表現物もある意味でばらつきのあるものだと捉えています。待ってくれる人が少なからずいる中で、毎回点を目指して出すはずだった作品が出せなくなるのは意味がない、と改めて感じたそうです。
それでも、最低限の品質は守らないといけないというのが、サエキタカフミさんがこの回でたどり着いた結論です。
まとめ
庄内のマクドナルドのポテトは「ただ熱いだけ」でも美味しく、サエキタカフミさんががっかりしなかった理由を掘り下げると、ばらつき前提の商品ならではの期待値の仕組みが見えてきました。その気づきは、音楽などの表現活動にもつながっています。
- 庄内のマックのポテトはふにゃふにゃだったが、熱さが美味しさの正体だった
- ガチャ要素のある商品は期待値が低めなので、大きな看板を掲げても失望されにくい
- ばらつきが許されない商品での誇大な看板は、信用を失うリスクが高い
- 表現物も当たり外れがあるからこそ、最低品質を守りつつ出し続けることに意味がある




