年間120本、月10本を回すDJの日常
今回のゲスト、DJ SETOさんは、関西を中心にダンスイベントで圧倒的な本数のDJを務めています。まずはその出演本数の話から始まりました。
去年数えたんですよ。去年1年で120本。
月10本ってことは、もう土日以上、平日も出ますよね。
金曜オール、土曜昼、土曜オール、日曜昼みたいな時もあります。夜勤昼勤夜勤みたいなのありますね。
出演の中心はダンスバトルのDJですが、夜のパーティーや音響、選曲まで、ダンスイベントの音にまつわることを幅広く手がけているといいます。
MCのPUNCHしょーへーさんは、関西の今のイベントはほとんどSETOさんが回していて、多くのキッズがSETOさんの音で踊っていると話します。それだけの数をこなしながら、SETOさん自身がどんな人物かは意外と知られていません。
あいつは一体何者なんだ?って思ってる人もまあいると思います。
Shazam前夜、必死に一曲を探した時代
この回のメインテーマは「DJの方に聞いてみよう。令和時代の音楽のあれこれ」。まず話題になったのは、DJがどうやって音楽を探しているのかという点です。
今はもうShazamって言って、音楽認識アプリなんですけど。
SETOさんは、そのShazamがない時代のことを振り返ります。YouTubeで「これ何の音やろう」と自分で探したり、高校の頃はタワレコでCDを試聴して買っていたといいます。Shazam ── スマートフォンで流れている曲を聞かせると、曲名やアーティストを自動で判別してくれる音楽認識アプリです
高校ぐらいの時からHIPHOPとか聴いてるんですけど、もうタワレコにCD見に行って試聴して買うみたいな時代ですね。
音楽との付き合いは小学校まで遡ります。TSUTAYAでCDを借りてテープに録音し、遠足のバスで流してもらっていたそうです。クラスに1人はいる「テープを持ってくる子」が、SETOさんでした。
クラスに一人ぐらいはおるんですよ。テープ持ってきて、これかけてみたいな。それは僕でしたね。
カセットからCD、MD、着メロ、着うたと、時代ごとの音楽との関わり方をすべて通ってきた世代です。だからこそ、一曲を手に入れた時の喜びの大きさが語られます。
ラジオで一瞬流れた曲名を必死にメモしたり、店員にワンフレーズ歌って曲を教えてもらったり。一曲の重みが今とはまるで違ったと、SETOさんは語ります。
一曲の重みっていうのが、今の子はまあそういうのちょっと経験できへんのかなみたいな。
ただし、それは今の子が劣るという話ではありません。時代が違うのだから、その時代に沿った音楽の触れ方になるのは当然だと、PUNCHしょーへーさんは受けとめます。
音楽からダンスへ、ロックからヒップホップへ
SETOさんの音楽の入り口は、親の影響やバンド文化でした。最初はロック、そしてパンクロックにハマっていきます。
音楽が必然と自分で好きになっていってって感じですかね。
高校の頃、サンテレビで放送されていたMTVの洋楽ランキングでネリーや50 Centに出会い、「俺はヒップホップかも」と直感したといいます。ここからストリートカルチャーへとのめり込んでいきます。
ダンスを始めた理由もヒップホップにありました。ファッションや音楽が好きなのに踊れないのはダサい、という感覚が出発点でした。
こんだけ俺ヒップホップとか言うて、踊れないのはダサいなと思って。
堺駅で毎週見学、仲間に入るまで
南大阪の泉州に住んでいたSETOさんは、ダンスができる場所を探し、彼女のバイト先の友達がダンスをしていると聞いて堺駅まで通い始めます。車で40分ほどの距離でした。
そこでやっていたのはポップの集まりでした。ヒップホップという音楽から入りながら、最初に出会ったダンスがポップだったのです。
最初はもう音乗れたらいいわと思ったから、ちょっとウェーブとかできるようになったらやめよって思ってたんですよ。
軽い気持ちだったはずが、そこからハマっていきます。仲間に入れてもらえないので、とにかく毎週見学に通ったといいます。
仲間入れてもらえないから、とりあえず見に行く。
毎週来る姿を覚えられ、「踊ってみ」と声をかけられます。テレビで見たことを真似して踊り、「まずヒットからやな」と言われて、仲間で練習させてもらえるようになりました。教えてもらうのではなく、見て覚えるスタイルだったといいます。
ダンスを始めたのは高校卒業後、19歳から20歳になる前の頃でした。その後、当時大阪で一番大きかったコミュニティのダンス大会「グダグダナイト」や、堺の「週末ナイト」に、無茶ぶりで出場していきます。
一年ぐらい一回戦で負け続けたりとかしながら、でもまあ毎月とりあえず出に行くと。
DJじゃないのにDJ、成り行きで広がった道
ここからDJとしての歩みに話が移ります。SETOさんの場合は、かなり特殊な入り方でした。もともと曲を多く持っていたため、ストリートの練習で「曲かけてや」と頼まれる選曲係を担うようになったのです。
瀬戸ちゃんちょっとなんか曲かけてや、じゃあこれかけますね、みたいな。
選曲係から、小さなイベントのDJを頼まれるようになります。順序が普通とは逆で、DJに呼ばれてから機材を買ったといいます。
DJ呼ばれたから、DJやらなあかんみたいな。
フリースタイルバトルが増えた時代の流れ、機材が揃っていくタイミング、mixiやTwitterの普及が重なり、SETOさんは気づけばDJになっていました。
時代の波に乗ってきた男です。
DJとしてのデビューは21歳頃で、キャリアはおよそ18年になります。ジャンルはロックやパンク、カントリーまで幅広く聴きますが、青春の入り口だったヒップホップを普段からよく聴くといいます。
Bandcampで掘る、バイキングのような選曲哲学
新譜の探し方も具体的に語られました。ヒップホップのトラックメーカーは正規配信をしていないことが多く、SETOさんはBandcampやSoundCloudを使うといいます。Bandcamp ── アーティスト自身が制作した楽曲をアップロードして販売できる音楽配信サービス。購入者が支払う金額を自分で決められる仕組みもあります
Bandcampっていう、自分で曲作ったやつを売ったりできるサイト。
メジャー曲のリミックスなどもこうしたサービスで見つかるといいます。Shazamでも出てこないコアな曲を、SETOさんはこうした場から掘っています。
膨大なイベントでの選曲について、SETOさんには芯があります。いろんな曲をバランスよくかけたい、という考え方です。
イメージはなんかもうバイキングきましたみたいな。寿司もあるし肉もあるしみたいな。
オールジャンルのイベントが多いため、来ている子たちにいろんな曲を聞いて育ってほしいという思いがあります。今は得意でないジャンルでも、長い目で「あの時の曲かっこいいかも」と思ってもらえたら嬉しいと語ります。
バトルの選曲も楽しいものの、SETOさん自身が一番楽しいのは、バーやクラブでレコードを回している時だといいます。気持ちよく流れる感覚が好きなのだそうです。ミナミのバーで、飲まずにトマトジュースを片手にDJをすることもあると笑います。
18年見続けたシーンと、休まないプロ意識
18年DJを続けてきたSETOさんに、ダンスイベントの変化を尋ねます。人口もイベントも増え、ダンスで食べていく人も増えて、シーンとしてはとてもいいことだといいます。
当時子供だった子たちが今はジャッジやプロ側として一緒に仕事をすることも増えました。SETOさんは自らを「みんなの親戚のおっちゃん」のような存在だと表現します。
PUNCHしょーへーさんは、MCと違い、いろんなイベントを渡り歩くDJは少なく、SETOさんが関西で最も多くのダンサーを見続けている存在だと指摘します。
MCやジャッジは当日誰かが代われても、DJだけは代えがきかない。だからSETOさんは体調管理を徹底し、これまで1000本以上の現場で、コロナ禍の一度以外は休んだことがないといいます。
夜中のイベントしんどかったら行きたくても行かないですし、もう寝るし絶対に。
オールナイト明けの現場でも「めっちゃ寝てきました」という顔で来ると話し、オーガナイザーに気を使わせないよう心がけているといいます。それが長く信頼される理由につながっています。
キッズの礼儀と、リスペクトの伝え方
最近のキッズダンサーについて、SETOさんはその礼儀正しさに驚くといいます。負けてもジャッジやDJブースに挨拶に来てくれる子が多く、指導する先生たちの姿勢の表れだと感じています。
僕らの時なんて、負けたら「お前と挨拶なんかしねえよ」みたいな感じだったんですけど。
SETOさんが大切にしているのがリスペクトです。ダンスをリスペクトすることで、自分もリスペクトされるダンサーになれると考えています。
自分がダンス見てもらいたいんやったら、やっぱ見なあかんっていう。
ただし、それは口で「リスペクトしろ」と言うものではないといいます。自分から気づいてもらうために、SETOさん自身がキッズだろうが誰だろうがリスペクトして接しているのです。
ワークショップでも、DJの腕そのものよりカルチャーや音楽への愛を伝えたいと話します。今はわからなくても、数年後に「あの時のあれか」と気づいてもらえたらいいという長い視点です。
音楽を「道具」にしないという願い
話は、シーンが広がったことの影の部分に及びます。ダンスに集中するあまり、音楽が踊るための道具になりかねない、という懸念です。PUNCHしょーへーさんがそれを言葉にすると、SETOさんは強く反応しました。
それ言いたかった。
SETOさん自身のイベントでも音楽を大事にしていて、勝つために聞くのではなく、表現したいから聞くという方向に、少しずつ音楽を好きになってほしいと願っています。
音楽がダンスバトルの道具みたいな感じになるとよくないんで。
ダンスも音楽も人間を映す鏡だという話になり、SETOさんは「人生は自分を映す鏡」という言葉を挙げます。何かしてもらいたい時は、まず自分からする、という姿勢です。
卓球からヒップホップへ、青春と音楽
ダンサーになる前、SETOさんは卓球部でした。しかも、かなり本格的に打ち込んでいたといいます。
堺三位、大阪では団体戦五位。ベストファイブ入って副キャプテンしてました。
室内競技なのに地黒で、他校から「なんで室内でやってるのにそんな黒いん」と言われたエピソードも披露されます。高校卒業後は中国に行こうかと考えるほど本気でしたが、プロを目指す道ではないと感じ、ちょうどヒップホップと出会います。
いや卓球じゃないなってなって。
卓球部時代もDo As Infinityやアジカン、BUMP OF CHICKENなどを聴いていたといいます。PUNCHしょーへーさんとは同世代で、青春と音楽がセットになっていた感覚を共有します。
一方、PUNCHしょーへーさんは高校からダンスをしていたため、みんなが聴くメジャー曲ではなく、ジェームス・ブラウンなどのファンクばかり聴いていたと振り返ります。人とは違う曲を聴く優越感も、当時の楽しさの一つでした。
みんなとちゃう曲聴いてる自分がかっこいいみたいな。
仕事にしない、毎日が休みで仕事
平日のSETOさんは、派遣やアルバイトをしながらダンスレッスンも行っています。中でも、障害のある子たちの放課後等デイサービスでのレッスンを10年近く続けているといいます。放課後等 ── 放課後等デイサービスのこと。障害のある子どもが放課後や休日に通い、遊びや活動を通して発達を支援する福祉サービスです
子供らと接するのすごい大好きなので、それもめっちゃ楽しくて。
DJ、ダンスレッスン、MC、かつてはゲーム実況やライターまで、SETOさんはいろいろなことを幅広く手がけます。一つを突き詰めるより、いろんなことを楽しんでできるタイプだといいます。
これだけ忙しくても苦にならない理由は、すべてを仕事にしたくないという考え方にあります。
好きだからこそ、遊びの感覚のまま続ける。無理しないことが継続の秘訣だという姿勢が、テンションの変わらなさや長く活動できる理由につながっています。
「チョリスベイベー」の由来と、宣言
SETOさんのInstagramの名前は「setochorisbaby」。mixi時代はヒップホップ好きらしいイキった名前でしたが、子供と接する機会が増える中で、怖い印象にならないよう親しみやすい名前に変えたのだといいます。
チョリスベイベーなんだこいつは、みたいな、とっつきやすいかなみたいなのにしようと思って。
この名前が功を奏し、子供たちからも「チョリスさん」などと呼ばれる、近づきやすい存在になりました。SETOさんは冗談まじりに、名前にインパクトがなくて悩む人は「チョリスベイベー」を使っていいと呼びかけます。
番組の締めは恒例の「宣言」です。SETOさんは、リスペクトを軸にした宣言を語りました。
バトルでは負けを誰かのせいにしたくなるものだと、SETOさんは理解を示します。それでも音楽を好きになってもらうために選曲で踊らせてあげたい、という思いが最後まで語られました。
みんなを引き出してあげたいなっていう。
まとめ
DJ SETOさんの歩みは、音楽への純粋な好きを起点に、成り行きで広がっていったものでした。一曲の重みを知る世代として、勝ち負けの道具ではなく表現として音楽を好きになってほしいという願いと、リスペクトを軸にした姿勢が、関西のシーンで長く信頼される理由になっています。
- SETOさんは年間120本、月平均10本のダンスイベントでDJを務める
- Shazam以前は、タワレコ試聴やラジオのメモで必死に一曲を探した時代だった
- 選曲は「バイキング」のように、いろんな曲をバランスよくかけることを芯にしている
- DJだけは代えがきかないため、体調管理を徹底し1000本以上休まず続けてきた
- 「みんなをリスペクトし、自分がされて嬉しいことを共有していく」という宣言で締めくくられた






