初めての虎ノ門オフィスと、沖縄への着任
番組ホストの中澤理香さんが迎えたのは、普段は沖縄にいる「ゆいかじ交通」の酒匂大さんです。この日は、翌日に全拠点が集まる上半期のお疲れ様パーティーがあり、少し早く東京に来たタイミングでの収録でした。
酒匂さんは、入社してから虎ノ門のオフィスに来たのはこの日が初めてだといいます。入館証の使い方もわからない状態でした。
実は入社して初めてで、まだかれこれ10分ぐらいしかオフィスに来てないというか。
酒匂さんは2015年に社会人になり、リクルート(当時リクルートライフスタイル)で日常消費領域のマッチングから7〜8年ほどキャリアを積みました。その後スタートアップに移り、直近では軽貨物のマッチングプラットフォームで営業の責任者を務めています。
転職を経て、2026年3月1日にnewmoへ入社。そのまま沖縄に着任したため、東京のオフィスとは縁がないまま働いてきました。newmoの中でも珍しいタイプの入社だといえます。
開業16日前、白線もない駐車場からの立ち上げ
酒匂さんが入社したのは、ちょうど「ゆいかじ交通」の立ち上げが大詰めを迎えたタイミングでした。3月16日の開業は確定していたものの、現場はまだ整っていませんでした。
当時でいくとまだ建物もほぼボロボロで、駐車場なんて白線も引いてないみたいな状況で、あと16日でこれはオープンできるのかみたいなところから入ったのを覚えてます。
「ゆいかじ交通」は、newmoが沖縄でゼロから立ち上げたタクシー会社です。構想からはおよそ2年、松本良祐さんらが足かけで準備を進め、その最後の開業前に酒匂さんへバトンが渡されました。
newmoは全国でタクシー会社をM&Aや新規立ち上げで展開していますが、新規立ち上げができるのは沖縄本島のような限られた場所だけです。中澤さんは、そこでキャリアを築きたい人と出会うのは採用上とても難しいと話し、酒匂さんとの巡り合わせを「すごいラッキーなタイミング」と振り返ります。
なぜ移住だったのか。徳之島で育った原体験
酒匂さんが移住を軸に考えていた背景には、鹿児島の徳之島出身という原体験があります。奄美大島のさらに先にある島で、船で行くなら沖縄のほうが近いといいます。
徳之島の人口は現在およそ2万5000人。酒匂さんが育った頃は3万人ほどいましたが、この10年ほどで5000人も減っています。実家では祖父が家業を営んでおり、地方でのビジネス感覚を養いたいという思いがありました。
ずっとIT畑というか、テクノロジーを中心とした企業で生きてきたので、突然地方に行ったら自分がどうなるかわからないみたいなのは不安としてはあって。
その不安と、地方に根ざしたいという思いが連結できるキャリアパスを探していたところ、newmoと巡り合ったといいます。
酒匂さんは18歳まで島で暮らし、そこから青山学院大学へ進学しました。徳之島から渋谷への移動は、大きなギャップだったと振り返ります。
人生で一番つらかった1週間と、逃げ込んだ場所
都会に出てきた当初、酒匂さんは人生で一番つらい時期を過ごしたといいます。野望を持って上京したものの、なまりが強く、言葉が通じませんでした。
一番人生でつらい時いつかって言われると、その時期が一番つらくて。1週間ぐらいまず言葉が通じなくて、その一等地の磨かれた学生たちの中に田舎者が一人入るみたいな感じなんで。
友達ができず、授業が終わると近くにあったファーストキッチンに逃げ込んでいたといいます。友達ができていないことを知られたくなかったからでした。
時限が終わると、友達できてないのがバレるの嫌だったんで、さっとファーストキッチンに逃げ込むみたいな行動をすごいやってました。
もっとも、その1週間を越えると、酒匂さんは大学生活を満喫していきます。適応能力の高さは、後の移住にもつながる特徴です。
新卒でリクルートを選んだ「選択肢の最大化」
酒匂さんが新卒でリクルートを選んだのは、「選択肢の最大化」というテーマがあったからでした。きっかけは、島の同級生たちのキャリア選択を見て感じたことだといいます。
島には酒匂さんより頭のいい人やスポーツができる人が大勢いました。しかし卒業のタイミングで取る選択肢が、親のキャリアの延長など、とても狭く感じられたといいます。
その人たちがキャリアをどうしようかと悩んでる時に取る選択肢がとっても狭く当時感じていて、なんかもったいないなという感覚を幼ながらに持っていて。
日常的な選択が最適化されていけば、大きな決断のときにも多くの選択肢から選べるのではないか。そう考えた酒匂さんは、マッチングプラットフォーム ── サービスの提供者と利用者を仲介し、両者を結びつける仕組み。リクルートの求人・宿泊予約・軽貨物配送など、酒匂さんが約10年携わってきた領域ですが伸びていたリクルートを選びました。
起業したいという思いも片隅にありつつ、まずは選択肢を広げることを重視していたといいます。
35歳の自分を考えた。変化点は早く作らないと重くなる
社会人になってからの約10年、酒匂さんはずっと東京で働いてきました。地方人材と自認し、いつか異動になると思っていたものの、東京の生活が楽しく、そこに甘えていたと振り返ります。
今回の転職で移住を第一目的にしたのは、35歳の自分を具体的に考えたことがきっかけでした。
自分の変化点を早く作らないと、そこから先にもう一段チャレンジするのがどんどん重くなっていく感じがあったので、早いタイミングでやったほうがいいなって。
変化点は早く作らないと重くなるという考えが、移住の決断を後押ししました。ただし、この結論に至るまで、30歳から33歳頃まではずっと悩んでいたといいます。
目の前のお仕事はすごく楽しくさせてもらっていたんですけど、一方でなんか足りないなとか、こうじゃない自分ってどうしてたんだろうとか、そういうのは考えることは多かったんで。
奇跡的なタイミングで出会ったnewmo
酒匂さんは、以前から付き合いのあったエージェントに「移住してビジネスをしたい」と相談していました。条件はフルリモートでもよいものの、遠くから東京の仕事をするのではなく、地方にちゃんと入ってやっていきたいというものでした。
ところが、地方のドメインで事業をするスタートアップはマーケット的に少なく、選択肢はフルリモートを認める企業が中心になっていきました。それでも酒匂さんは3月までに移住すると決め、最後の3社に絞り込んでいたといいます。
そのタイミングで、全く別のエージェントからnewmoの話が舞い込みました。
一応話だけしたんですけど、「newmoっていう会社があって、実は沖縄で何か立ち上げたいって言ってる」みたいな。「まあでも話だけ聞きましょうかね」みたいな感じで。
すでに別の会社と話がまとまりかけていたなかでのカジュアル面談でした。移住のエリアとしては、実家の鹿児島にすぐ行ける九州全般を広く見ており、都市としての利便性なら福岡、観光や地縁の親和性なら沖縄と考えていたといいます。
福岡か沖縄か。最後まで迷った二択
最終的に酒匂さんは、福岡で別の会社に行くか、沖縄でnewmoに入るかという二択で迷いました。福岡は東京に似ていて家族としてのリスクが低い一方、沖縄への移住は家族にとってハードルが高かったといいます。
それでも、やりたいことは「地域に接続する」ことでした。酒匂さんは選考の過程で家族の不安を正直に伝え続けました。
newmoは移住して就職する初めてのケースということもあり、移住のケアや手当を選考のなかで調整してくれたといいます。それが家族の納得につながり、決め手になりました。
これであれば家族も含めて納得できるみたいなプランをいただけたので、やりたいことはそっちだったんで決めました。
目の前で乗務員が稼いで帰ってくる、手触りのある仕事
実際に入ってみて、酒匂さんは仕事の手触り感を強く感じているといいます。タクシー事業は、乗務員が実際に乗務し、お客様と巡り合って初めて売り上げが立つビジネスだからです。
今目の前に出て行った方々が実際に稼いで帰ってくるっていう体験を見れるし、街の中を自分が運営しているタクシーが走っていくみたいなところも見れたりする。
これまでのITビジネスでは、企画してリリースしても、使われている瞬間を自分事として捉えにくかったといいます。今は一走行をどう管理監督するかまで関わるため、手触り感が大きいと話します。
事業を支える業者との関係も顔が見える状態で、仕事だけでない付き合いができそうだと酒匂さんは前向きに捉えています。
すごい末永い付き合いというか、仕事だけじゃない付き合いができそうな気がしていて、ウェットでいいなと思ってます。
馴染むのが早い理由。同級生300人の島で育った
中澤さんは、酒匂さんが地元に馴染むのがとても早い印象があると話します。その背景にも、幼少期の環境がありました。
徳之島は人口2万人ほどで、同級生は300人ほど。島から出るのは大きな選択のため、多くの人が島の高校に進みます。すると、偏差値も進路もバラバラな人たちと一緒に過ごすことになります。
いわゆるヤンキーみたいな子もいれば、スポーツがめっちゃできる子もいて、勉強がすごいしたい子もいて、一般的に括れないような人たちと一緒に過ごすので。
そうした多様な相手とのコミュニケーションを幼い頃から重ね、まとめる経験を積んできたことが、今の馴染みの早さにつながっているといいます。
新参者でも「前からいますけど?」という顔でいる
酒匂さんが新しい環境で意識しているのは、マインドセットです。新しい顧客に対しても、1年ぐらいそこにいる気持ちで臨むといいます。
自分が逆の立場だった時に、そわそわされてるとやっぱ気使うなと思ってて。もうはるか昔からいましたぐらいの感じでいると、向こうも自然と接してくれるんで。
相手も、こちらが構えていなければ、昔からいたかのように接してくれる。それが酒匂さんの実感です。この「昔からいた顔で行く」という姿勢が、地元への入り方を軽くしています。
ウェットな関係は怖くないか。リスペクトがあれば同じ
中澤さんは、地元のビジネスにはしがらみもあり、ITから来た若者にはウェットなコミュニケーションが怖く見えるのではないかと問いかけます。酒匂さんの答えは、コミュニケーションはどこでも多かれ少なかれウェットだ、というものでした。
場所が変わっただけで、一人ひとりにリスペクトを持って接すれば自ずと開けていく。酒匂さんはそう実感を持って話します。
人として嬉しいこととか悲しいことって基本共通というか、ホモサピエンスとしての特性みたいな感じだと思うんで、そこだけはしごを外さなければ。
大事なのは、自分の背景理解が浅いという前提を持つことだといいます。急に来た人間が勝手にいろいろ変えようとすれば、それは相手の文脈から外れた行為であり、どこであっても怒られる。だからこそ、区別も特別扱いもせず、自分らしくいることが大切だと話します。
急に来た奴がいろいろガチャガチャ変えようとしたら、それは彼らの文脈から外れたことをしているんで、怒られるでしょみたいなのは、どこ行っても一緒かなって。
着任初日、荷ほどきもせずに12時間の飲み会へ
地元でビジネスをした経験がないなか、酒匂さんはどう人脈を広げたのか。着任初日のエピソードが象徴的です。
祖父の知り合いで、東京にいた頃から世話になっていた人が沖縄にいました。荷物もまだ届かない空のマンションの前で、酒匂さんは車の入手方法を聞こうとその人に電話をかけます。
どうやったら車って手に入れられますかって聞いたら、車はどうでもいいからとりあえず飲み行こうぜって言われて。
午後に引っ越しの予定だったにもかかわらず、昼から回転する中華テーブルの店に連れて行かれます。最初は家族同士の4人でしたが、次々と「紹介したい」と人が集まってきました。
たくさんの人が来てくれて、僕は永遠に帰れず、12時間飲み始めて、その日は夜の1時ぐらいまでずっと立ち代わり入れ替わりの紹介の時間があり、これが沖縄なのかみたいなインパクト。
結局、酒匂さんは引っ越しの戦力にならず、奥さんだけを家に帰したといいます。この初日のことは、今でも奥さんに「あり得ないぞ」と怒られるそうです。
誘いは断らない。わらしべ長者式に人脈が増える
この飲み会で得た繋がりは、そこで終わりませんでした。一人がまた別の人を紹介してくれる連鎖が起きていきます。
そこでできた繋がりが、その人がまたさらに10人の人を紹介してくれるみたいなのがめっちゃ起きるんで。
中澤さんはこれを「わらしべ長者みたいな」「RPGのゲームみたいな」と表現します。酒匂さんは、あちこちに顔を出し、少しでも呼ばれたら行ってみることを繰り返したといいます。
沖縄では、繋がりを作ること自体に価値を感じる人が多いと酒匂さんは話します。先輩の代から受け継いできた繋がりのなかで自分も成長してきたという自負があり、特に若い人には歓迎的だといいます。
なんでそんな若いのにここに来たの?みたいな風にまずなるんで、圧倒的にいろんな人からチヤホヤしていただける。
newmoを知っている人も少なくなく、タクシーが捕まらないという交通課題は誰もが感じています。それを解決しに来た人だとわかると、繋いでくれる動きが思った以上にあるといいます。
沖縄のタクシー事情。10年で乗務員が半減、観光客は過去最高
ここで話は、沖縄のタクシー事情そのものに移ります。酒匂さんによれば、この10年ほどで乗務員の数はおよそ1万人から5000人まで減っているといいます。
乗務員や事業者の減少は全国的な傾向ですが、沖縄はその角度が比にならないほど急だといいます。一方で観光客は年々最多を更新し、コロナからのV字回復も終わっている状況です。
タクシー使いたい人はめちゃくちゃいるんだが、それを供給サイドで支える方がいないっていうのが地域の課題としてもあって。
この供給不足は観光客だけの問題ではありません。観光需要にタクシーが引っ張られると、病院やスーパーに行きたい高齢者の移動が難しくなります。移動がネックとなり、さまざまな経済活動を阻害していると酒匂さんは見ています。
三世代で暮らす島。送迎だけで1日が終わる
沖縄は公共交通が少なく、日常的にタクシーを使う場面が多い地域です。その背景には、家族構成の特徴もあります。
沖縄は合計特殊出生率 ── 1人の女性が生涯に産む子どもの数の平均を示す指標。沖縄県は全国でも高い水準が続いていますが高いエリアで、子どもが多く、親も若い傾向があります。仕事をしながらの子育てがマストになっているといいます。
さらに、祖父母も一緒に暮らす世帯が多く、三世代で住んでいるケースも珍しくありません。その結果、家族の送迎だけで1日が終わってしまいかねないといいます。
一日が本当に、支えられる人の移動だけで終わってしまうみたいな感じのことになりかねない。
本来なら仕事をして稼げる時間が送迎に費やされてしまう。だからこそ、車と移動の問題は切っても切れないと酒匂さんは話します。
東京とは全然違う。目的地に着かないこともある
那覇の街も、駅を中心に発達した東京とは事情が異なります。モノレールはあるものの、普段使わない人も多いといいます。
モノレールの駅周辺は東京のように発達しておらず、少し離れると徒歩の距離が生じます。強い日差しのなかを歩くのは負担が大きく、何かしらの移動手段が必要になります。
乗車体験そのものも東京とは違うと酒匂さんは話します。麦わら帽子をかぶったベテランの乗務員が多く、南国らしい雰囲気があるといいます。
いい意味でも悪い意味でもゆるいみたいな雰囲気。
一方で、目的地にたどり着けないケースも多いと酒匂さん自身が体感しています。自分でGoogleマップでナビをすることが、5〜6割はあるのではないかと話します。
アプリ配車が7割。沖縄で圧倒的に強いプラットフォーム
ゆいかじ交通の配車内訳を見ると、流しが3割、アプリが7割で、アプリの比率が高いといいます。観光客だけでなく、地元の人もアプリを使っています。
沖縄で特に強いのがDiDi ── タクシー配車アプリの一つ。都市ごとに配車アプリのシェアは異なり、沖縄ではDiDiが県民に最もインストールされていると酒匂さんは話しますです。地場で沖縄を中心に発達したプラットフォームで、CMもよく流れており、県民が最もインストールしているアプリだといいます。
酒匂さんは、DiDiが地域の協会とも深く連携しているため、ゆいかじも足並みを揃えて付き合っていると説明します。
飛び越えずに、でも早く。ゼロから作る匙加減
newmoが沖縄でゼロからタクシー会社を立ち上げるなかで、酒匂さんが強く意識しているのが「飛び越えないこと」と「早さ」の両立です。
交通課題は生活に直結しており、地方の商圏に適した進め方があると酒匂さんは考えています。いきなり飛び越えることはしたくない一方で、解決が遅れれば課題は後の世代に蓄積されていきます。
これ早く解決しないと、県民の人からも観光客の人からもタクシーという産業自体が諦められてしまう可能性があるなというふうにすら思っていたりする。
飛び越えない範囲でちゃんと馴染みながら早くいくという、難しいチャレンジだと酒匂さんは話します。乗務員の教育には一度にできる量に限りがあり、質を無視して数だけ増やしても課題解決にならないといいます。
需要に対して順序立ててクリアしていく必要があり、これはプラットフォームの運営に近い感覚だといいます。供給と需要をコントロールしながら、マーケットが受け入れられる形で進めることが重要だと話します。
2つ目の営業所へ。2拠点で280人を雇用できる規模に
乗務員の採用は、エリアによってやり方が変わるのが大きなポイントです。乗務員も車で通勤するため、営業所までの所要時間が働きやすさを大きく左右します。
一つの営業所を巨大化して集中的に採用しようとしてもうまくいかず、分散させてそれぞれの土地に合った人が活躍するモデルになるといいます。タクシーだけでなく、不動産なども視野に入れながらバランスを取っていく方針です。
立ち上げから間もなく、2つ目の営業所が動き出します。1つ目は那覇の南のエリアである南風原、2つ目は那覇市内でモノレールで行けるエリアになるといいます。
那覇の南のエリアを対象。車両は最大70台規模で、開業から日が浅いなか45台ほどまで稼働
モノレールで行けるエリア。車両は最大70台規模で、2拠点合計で約140台
2拠点を合わせると、車両は約140台、雇用できる乗務員は約280人規模になります。1つ目の南風原はすでに45台ほどまで稼働しており、次の場所を早く見つけないと拡大が滞ってしまう状況だといいます。
沖縄チームがうまくいっている3つの理由
中澤さんは、沖縄チームが社内でも楽しそうに見え、全社MVPも獲得していると話し、うまく回っている理由を尋ねます。酒匂さんは、3つの要素に支えられていると答えます。
適切な人
newmoから適切な属性を持つ人が派遣されている
環境
自然あふれる沖縄の優しい人たちのなかで活躍できる土壌がある
戦略
元々描いていた戦略が8〜9割方当たっている
この3つが掛け合わさった結果として、チームに大きな成果が出ていると酒匂さんは分析します。活躍できる土壌に強い武器を持たせてもらっているという感覚だといいます。
newmoとゆいかじの距離感。ノウハウをローカライズする
社外にはあまり伝わっていない、newmoとゆいかじの関係についても話が及びます。ゆいかじは現地のタクシー事業会社で、newmoが横串の機能やノウハウを注入する構図です。
車両の調達や不動産といった機能、人に紐づく経験値をnewmoが先に注ぎ込むことで、ゼロから始めるよりも圧倒的に早いスピードで立ち上げられているといいます。
一方で、沖縄に根付いて成長していくには、いつまでもnewmoから派遣される人に頼るわけにはいきません。今はちょうどその転換期にあると酒匂さんは話します。
ゆいかじで採用した方々で、沖縄でビジネスが拡張できるみたいなところの再現性を見極めに行っている。
元々newmoが持つノウハウを、人材も含めてローカライズしていく段階だといいます。経営会議では毎週レビューが行われ、スピード感が必要な部分はnewmoのリソースで解決しながら進めています。
唯一「早い」と思ったこと。仲間が次の立ち上げへ
中澤さんが「入ってからこれはやばいと思った瞬間」を尋ねると、酒匂さんはもっと大変だと思っていたと前置きしつつ、一つだけ想定より早かったことを挙げます。それは、メンバーの入れ替えのタイミングでした。
これはnewmoが沖縄以外でも順調に成長している証でもあります。北海道や名古屋など、次々と新しい拠点のリリースが出ているためです。
1年間ぐらいは沖縄にいると思って一緒に頑張ろうねって入ったら、2ヶ月ぐらいで違うところ行きますってなったんで。
中澤さんも、立ち上げで沖縄を訪れた際、メンバーに「いつまでいるんですか」と聞くと「わからない」と返ってきたと振り返ります。地元を守るチームからすれば、早く吸収して独り立ちしないとメンバーが次の拠点へ行ってしまう構図です。
地場で採用した人材もnewmoを好意的に捉えており、多様なビジネス経験を持つ人が入ってくることで学びも多い環境だといいます。そのぶん、毎月のように送別会が発生しているそうです。
変わったのは、飲むものが芋焼酎から泡盛になったこと
移住で生活が大きく変わったのかを問われた酒匂さんは、意外にも大きくは変わっていないと答えます。お酒が好きなのは変わらず、飲むものが変わっただけだといいます。
芋焼酎から泡盛に変わっただけで、やってることはあんま変わらないなと思いますけど。
一方で、東京では持っていなかったマイカーを手に入れたことが生活の変化です。沖縄はコンパクトで、東京なら軽井沢に行くような感覚のハードルで、20分ほどで自然豊かな場所まで行けるといいます。
家族のライフスタイルの変化を一番気にしていた酒匂さんですが、奥さんは前向きに移住に取り組み、地場の企業へ転職したといいます。長く沖縄にある企業のコミュニティでの過ごし方を、楽しそうに聞いているそうです。
地方のアセットをビジネスにする、その先の野望
今後の野望について、酒匂さんは「地方のアセットをビジネスに昇華させること」を挙げます。東京のスタートアップのような感覚で地方でも働けるようになれば、働く人も面白く、地方の魅力的な資源も生きるという考えです。
地方って独特の魅力的なアセットをたくさん抱えているんで、そのアセットがちゃんとビジネスに昇華していくみたいなことができていくと望ましい。
酒匂さんの言うアセットには、観光資源だけでなく、家族が密集して暮らす環境なども含まれます。東京では物価などの制約でできないことが、沖縄では部分的にできると感じているといいます。
たとえば、親戚総出の家族イベントが毎月のように発生します。温かい環境だと感じる一方で、それが持続可能かと問われると、第二・第三の産業が育たなければ子ども世代には厳しいと酒匂さんは見ています。
特に出身の徳之島は10年で5000人が減っており、このままではあと20年でなくなるのではという危機感があります。良い部分を残しながら持続可能にすることに、酒匂さんは挑戦したいと話します。
いつか島の家業も。後継者不足はどこも同じだった
将来的には、徳之島に限らず、すでにある家業を横や縦に展開して変えていくのが一番やりやすいと酒匂さんは考えています。その家業も、今のタクシー事業と課題が似ているといいます。
めちゃくちゃ高いスキルを持った職人さんみたいな方がいらっしゃるんですけど、後継者がいなかったりして、採用に困っている。
後継者不足や採用難は、沖縄の他の事業者も同じことを口にするといいます。ゆいかじで築いた採用のプロセスは、そのまま横に注入できる可能性が高いと酒匂さんは見ています。
立ち上がりはしんどい。光が見えないまま走る時期
順調な話が続くなか、中澤さんはあらためて大変さを尋ねます。酒匂さんは、立ち上げはやはりしんどいと正直に語ります。
立ち上げたばっかりはしんどいはしんどいんですよね。光が見えない状態でずっと走ってるみたいな局面ももちろんあったりするんで。
この事業の特性として、同じことをやっている人がほぼいないことがあります。車両調達、採用など各自がバラバラの役割を持つため、営業のようにモメンタムが生まれにくく、孤独になりやすいといいます。
だからこそ、酒匂さんは意図的に一緒にいられる空間や話せる空間を作ったほうがよいと考えています。飲み会が多いのも、孤独を感じさせないための文化づくりの一環だといいます。
マネジメントで意識しているのは、普段は恥ずかしくて言わないことをちゃんと伝えることです。バラバラの仕事をしていると短期視点になりがちなため、視線を上げ、遠くを見られるようにするのが役割だといいます。
7、8割は基礎行動をしっかりやるんだが、あとの2割はチャレンジしていかないと、いつまでも早く大きくはならない。
自分で発表しながら、自分がMVPだった話
中澤さんは、全社MVP発表での印象的な出来事を持ち出します。ゆいかじの責任者である酒匂さんが、高木さんのMVPを発表したところ、続いてもう一人として自分の名前が呼ばれたのです。
酒匂さんは、高木さんのMVPは事前に知っており、その日は一日中、高木さんへのコメントを考えていたといいます。
最後のMVPでアウトプットしないといけないっていうタイミングで自分がパンって言われたんで、もう意味わからんかったですね。一瞬頭真っ白でした。
その後、酒匂さんはチャンネルで「ゆいかじから2名もMVPが出るのはチームへのMVPだと思っている」と綴りました。個人でできることはほぼなく、みんなの頑張りで初めてアウトプットが出る面白さがあると話します。
個人でなんとかできることはほぼないんで、みんなが頑張って初めて何かしらのアウトプットが出るっていう面白さが、合う人はとってもいい。
newmoは「自己実現が無限にできる場所」
番組の締めくくりに、中澤さんは「newmoは酒匂さんにとってどんな場所か」を尋ねます。酒匂さんの答えは、「自己実現が無限にできる場所」でした。
自己実現がなんか無限にできる場所だなと今は思ってまして。地方に移住するとかもそうですし、新たなチャレンジもそうですし。
大きなミッションに対し、それぞれのバックボーンを生かして最適な打ち手を考える。酒匂さんは、これまでの営業やPL管理、マネジメントといった経験が、それぞれ生きている感覚があるといいます。
足りない部分を補ってくれるメンバーも多く、学びつつ自分のアウトプットを出す挑戦を高頻度でできる環境だといいます。基本は「じゃあやりなさい」と任され、やり方は自分で考える文化です。
何でも求められるし、基本は「じゃあやりなさい」って言われるんで、やり方を考える。
最後に中澤さんは、このポッドキャストも「勝手にやろう」と始めたものだと触れ、翌日にゆいかじメンバーが東京に集まることを予告して収録を締めくくりました。
まとめ
離島出身のIT人材だった酒匂大さんが、35歳を前に「変化点を早く作る」ことを軸に東京を離れ、沖縄でゼロからタクシー会社を立ち上げるまでの選択と現在地を語った回でした。地元に馴染む流儀から、立ち上げのしんどさまで、正直な言葉が並びました。
- 酒匂さんは徳之島出身で、地方に移住してビジネスをすることを軸に転職し、開業16日前のゆいかじ交通に参画した
- 35歳を前に「変化点は早く作らないと重くなる」と考えたことが、移住の決断を後押しした
- 沖縄のタクシーは10年で乗務員が半減する一方、観光客は過去最高で、供給不足が高齢者の生活も圧迫している
- ゼロからの立ち上げでは、地域の文脈を飛び越えず、しかし早く進めるという匙加減が問われる
- 立ち上げは各自の役割がバラバラで孤独になりやすく、意図的にチームで話せる空間を作ることが重要だと酒匂さんは話す







