水害に触れてから、日本語をテーマにする回へ
冒頭で二人は、先月8月に起きた水害の話題に触れます。まず被害に遭われた方への言葉から始めています。
ソビアは、自分の身近な知り合いに被害に遭った人はいなかったといいます。ただ、悲しい事件であることには変わりないと話しています。
私の周りの人、知り合いとかみんな無事で、ありがたい。もちろん悲しい事件なのは悲しいです。
ダイキは、今年8月の水害でまだ行方不明の方も多くいることに触れ、被害に遭われた方が少しでも早く日常を取り戻せることを願うと述べています。
そのうえで、二人は元気なので、ポッドキャスト自体はいつものトーンで進めると切り替えます。今回のトピックは日本語です。
そもそもJLPTとは何か、N2合格の意味
今回のテーマは、ソビアが7月に受けたJLPT ── Japanese Language Proficiency Testの略。日本語能力試験のこと。日本語を母語としない人の日本語力を測る試験で、N5からN1までの5段階がありますがきっかけです。年に2回、7月と12月に実施される日本語の能力を測る試験です。
この試験はN5からN1までのレベルがあり、外国人が主に受けます。ダイキによれば、あるレベルに合格すると仕事を取りやすくなったり、レベルの取得そのものが就職の条件になったりすることもあるといいます。
ソビアが今回合格したのはN2です。ダイキはこれを、日本人にとっての英検2級のようなものだと例えています。
合格。イエーイ。
イエーイ、おめでとうございます。
N2に受かったことを受けて、この回では日本語の勉強や、外国人が日本語をどう感じているかを話していくと二人は決めます。
フルタイムで働きながら、あまり勉強せずに合格
最初のテーマは、ソビアがどうやって日本語を勉強したのかです。本人は「ちょこちょこ勉強した」と答えますが、ダイキは、実際にはあまり勉強していないと明かします。
ソビアはフルタイムで仕事をしているため、今回は真面目に勉強できなかったといいます。そもそも7月にN2を受けるつもりはなかったそうです。
ソビアは2024年4月に日本語学校を卒業して引っ越して以降、勉強も試験も受けていなかったといいます。今回の受験は約2年ぶりでした。
一度はスキップしようと考えていたものの、ダイキに促されて受けることになったとソビアは振り返ります。合格は本人も期待していなかったといいます。
今回もう(受験を)スキップしようと思ったけど、でもダイキさんが無理やりさせて。じゃあちょっと受けてみようって感じだった。
ソビアは、まず結果を見て、落ちたら真面目に勉強しようと考えていたと話しています。12月にもう一度受けるつもりだったからです。
N2とN1、その難易度の差
ソビアがN1を取れば、日本語の資格としてはほぼ完璧になります。ただ、ダイキもソビアもN1の難しさを指摘します。
ソビアによれば、N2とN1の差は、N3とN2の差よりも広いといいます。今から真面目に勉強しても、12月のN1合格は難しいと本人は感じています。
N3とN2のギャップより広い、N2とN1の違いが。
ダイキも、知り合いでN2を持つ人はよく聞くが、N1を持つ人はほとんど聞かないと話します。仕事を見つける上ではN2で足りる場面も多いようです。
ソビアは、仕事内容によって求められるレベルが違うと補足します。カスタマーサービスのような仕事ならN2で大丈夫だといいます。
一方で、オフィスワーカーのような仕事では、最近は基準が厳しくなり、N1が必要なところも多いのではないかとソビアは話しています。
ダイキは、日本で外国人が働ける枠が広がり、N4でよいという制度も増えていると触れます。ただし、日本人と対等にコミュニケーションを取る仕事ではN1が理想だと述べます。
ダイキは合格者数のデータにも触れます。2025年第1回では、N2の合格者数がN1の倍以上多いといいます。合格率もN1が28%、N2が34%で、N1のほうが低い数字です。
ダイキは、N1では日常であまり使わない言葉も出てくるため、難しいと感じています。ソビア自身も、N1はいずれ受けたほうがいいと考えています。
もし日本に長く住むつもりであれば、絶対受けた方がいい。
ただし、今すぐ受けるつもりはないとソビアは話します。日本語を使う機会が今後もあるかどうかで、必要性も変わってくるからです。
日本語を勉強し始めた理由は「日本に住みたかったから」
ダイキは、ソビアが日本語を勉強し始めた理由を尋ねます。ソビアの答えはシンプルで、日本に住みたかったからです。
(日本語を勉強し始めた理由は)もちろん日本に住みたかったから。
アニメが好きだったことも理由の一つでしたが、それがメインではなかったとソビアは説明します。日本に行くと決めてから、勉強を始めたといいます。
最初はネパールにある日本語学校で、ひらがな、カタカナといった基本だけを学んだそうです。ネパールにいる間の日本語のレベルは、N5程度だったといいます。
ただ、教室に通う前からアニメなどで基本的な日本語は知っていたため、ソビアは学校の授業が特に大変だとは感じなかったといいます。
(教室で習ったのは)自分が知ってることを教えられたから。
N5を飛ばしてN4合格、そして日本へ
ソビアはネパールにいる間に、N5を飛ばして直接N4の試験を受け、合格していました。
その理由は、日本の日本語学校に入るのに、資格の有無は条件ではないからだとソビアは説明します。ただ、最低限のレベルの資格があれば、日本に来てから少し上のレベルから勉強を始められるといいます。
そのため、ネパールではN5かN4を受ける人が多く、ソビア自身はN4を選んだそうです。N4に合格して、2022年5月に日本へ来ました。
日本に来たあとは進みが速く、N3はすぐに取ったといいます。5月に来た学生は7月の試験を受けられないため、ソビアは2022年12月にN3を受けました。
2年目のN2挑戦は不合格、そして地方への就職
2年目の計画では、7月にN2、12月にN1を受けるつもりでした。ダイキは、そのペースを「ハイスピードな」と評しています。
しかし、実際には思ったようにいかず、N2を受けて不合格になってしまいます。その時期は学校の卒業式と重なっていました。
卒業後、ソビアは就職し、それまでと全く違う田舎に移りました。試験を受けるにも愛知まで行かなければならず、勉強を続けにくい環境だったといいます。
三重県から名古屋の会場まで行くには、日帰りが難しいとソビアは話します。ダイキは行けるのではと言いますが、ソビアは一泊が必要だと反論します。
(三重から名古屋の会場は)一泊しなきゃいけないよ、絶対。
さらに、初めての仕事で余裕がなかったこともあります。半年経ってもまだ慣れておらず、2024年はとても忙しかったと振り返ります。
忙しさの中身は、仕事量というより、新しい環境への適応でした。学校と職場では日本語のレベルも違い、慣れるのに時間がかかりすぎたといいます。
メニューが教えてくれた「生きた日本語」
ソビアが働いたのはホテルのレストランでした。三重の方言に加え、聞いたことのない料理のメニューも全部覚える必要がありました。
JLPTの教科書ではなく、仕事で使うメニューを家に持ち帰って調べていたとソビアは話します。お客さんの前で料理を説明しなければならなかったからです。
ダイキは、そちらのほうが生きた日本語だと応じます。英語が通じない相手と、仕事として日本語でやり取りする経験だったからです。
ソビアは、この時期は毎日不安だったと振り返ります。お客さんの言うことが分からなかったらどうしよう、分かっても答え方が分からなかったらどうしよう、という不安だったといいます。
自分のお客さんが言ってることわからなかったらどうしようみたいな。わかってもどうやって答えしようみたいな。
メニューは3ヶ月ごとに変わっていました。ソビアは、そのたびに新しい料理を勉強していたといいます。今ではほとんど覚えていないそうです。
レストランでは、地元の米や、ヨーロッパと日本の味を混ぜた創作料理も出ていました。ソビアはそうした料理に触れて、名前や材料を覚えていったといいます。
日本酒や焼酎も、ソビアにとっては新しい世界でした。お酒を飲まない本人は、日本酒だけでこれほど種類があるとは知らなかったといいます。
本当に人生で初めて。しかも日本酒だけの種類こんなあるなんて知らなかった。
炊き込みご飯や茶碗蒸しといった料理も、ソビアはこの仕事で初めて知りました。土鍋で炊いた、魚や竹の子が入ったご飯もあったといいます。
さらに、その店の料理はシェフがカスタマイズしたものが多く、一般的なレシピとは違いました。そのため、料理をサーブするだけでなく、何が入っているかを説明するのもソビアたちの仕事でした。
ただサーブだけするんじゃなくて、こちらはこれこれが入ってるとか(説明する)。
マネージャーが事前に説明してくれることもありました。三重県の食材について、お客さんから何を聞かれるか想定して備えていたそうです。
初めての就職が一番つらかった理由
2024年、新しい環境で日本語を使うことが、ソビアにとって一番つらかったといいます。日本に来たときよりも、慣れるのが難しかったそうです。
日本語学校は外国人のための場所なので、先生たちも学生も、本物の日本の世界とは少し違うとソビアは説明します。バイトである程度は分かってきても、そのレベルにはまだ届いていなかったといいます。
フルタイムの仕事はそれとは比べものにならなかったと本人は振り返ります。バイトを除けば、日本に来て初めての仕事だったことも大きかったようです。
もし名古屋でそのまま就職していれば、周りの場所も分かっていて慣れていたはずだと、ソビアは対比します。しかし三重は、新しい場所、新しい仕事、新しい人たちのすべてでした。
三重だと本当に新しい場所に行って、新しい仕事をやって、新しい人たち。
職場のレストランに外国人は最初二人しかいませんでした。後から中国人が一人加わりましたが、その人は別のホテルから異動してきた社員で、日本語もとても上手だったといいます。
ダイキは、あの環境なら日本人でも、都会から地方へ移れば最初は大変だろうと応じます。移動手段もなく、車がないと生活できない場所で、ソビアは自転車だけで過ごしていました。
遅かったけれど、確かに合格した
その後ソビアは千葉に移り、ダイキと生活を始めます。それから1年ちょっと経って、今回のJLPTを受けたことになります。
ソビア自身は「遅かった」と振り返ります。ダイキも同意しつつ、二人とも合格は思っていなかったからこそ、よかったと締めくくります。
遅かったです。
この日の話はここまでで、次回は別の角度から日本語について話す予定です。二人はここで一区切りをつけています。
まとめ
フルタイムで働きながら、あまり勉強できないままN2に合格したソビア。その裏には、ネパールでのN4合格から日本での就職、地方のレストランでメニューと格闘した日々がありました。資格の点数以上に、生きた日本語をどう身につけてきたかが伝わる回でした。
- ソビアは7月のJLPT N2に合格。フルタイムの仕事で真面目には勉強できず、ダイキに促されて受験した
- N2とN1の差はN3とN2の差より広く、2025年第1回の合格率もN1が28%、N2が34%とN1のほうが低い
- 日本語を学び始めた理由は「日本に住みたかったから」。ネパールではN5を飛ばしてN4に直接合格した
- 三重のホテルのレストランでは、方言や創作料理のメニュー、日本酒や焼酎の種類など、教科書にない「生きた日本語」を仕事で覚えた
- 初めての就職は一番つらく、新しい場所・仕事・人への適応に時間がかかった。千葉に移って1年ちょっと後、今回の合格に至った






