子供の頃の自由研究は何を作った?
この回は、蛇が運営するDiscordサーバーの宣伝を兼ねた雑談回として始まります。テーマは「自由研究をしよう」です。
鼠は小学生の頃、当時住んでいた山梨県で武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いを取り上げ、全国への戦いの様子を詳細な地図にまとめたと話します。川中島の戦い ── 戦国時代、武田信玄と上杉謙信が北信濃の支配をめぐって数度にわたり戦った合戦。決着はつかなかったとされる。
一方の蛇は、中学時代に超弦理論に憧れ、数十ページのレポートを書いたと振り返ります。超弦理論 ── 物質の最小単位を点ではなく「ひも(弦)」と考える物理理論。超ひも理論とも呼ばれる。
「グラビトンのひもはこういうふうになっています。宇宙はメンブレンで」みたいな話をダラダラ書いて提出したら、Sの評価がもらえたんですよ。
コメントに「わからなすぎて逆に面白かった」って言われたりして。
さらに蛇は、小学校のときにツルグレン装置を作った経験も語ります。土の上から白熱電球で光を当て、熱を嫌がって下に逃げる微生物を漏斗の下に集める仕組みだといいます。
そうして集めたクマムシや線虫を顕微鏡で観察したそうです。鼠は「親の力を借りまくっていた」と、対照的な自分の自由研究を明かします。
「自由研究ラボ」はどんな場所?
話題は、蛇が運営するDiscordサーバー「自由研究ラボ」へ移ります。テーマはまさに「大人の自由研究」です。
「自由研究ラボ Discord」とかで調べていただければ、すぐ見つかると思います。
参加者は30人から40人ほど。物理系出身の蛇の友人も加わり、量子力学の輪読も行われているといいます。
ただし、参加者は理系に偏りがちだと蛇は話します。人文学系の人にもぜひ入ってほしいと呼びかけます。
これに対して鼠は、文系のほうがコミュニティ運営は難しいのではないかと指摘します。理系には共通言語があるのに対し、文系には「己の感想に文句を言ってはいけない」という暗黙のルールがあるからだといいます。
「それってあなたの感想ですよね」みたいな。だからその意味だと、ちょっとキャンセルカルチャーを作ってしまいかねないという。
蛇はこれを受け、否定してはいけないという姿勢を突き詰めると、文化相対主義を根拠に自分の主張を論理立てて説明せず通そうとする態度につながりかねないと応じます。文化相対主義 ── それぞれの文化に優劣はなく、その文化の価値観は当事者の文脈で理解すべきだとする考え方。
蛇が再現したかった「研究室」という空間
蛇はサーバーを作ったきっかけを語り始めます。それは、大学時代の研究室が好きだったという原体験でした。
その研究室には簡単な教室空間とキッチンがあり、よくご飯を作っていたといいます。研究する場所でありながら、生活空間でもあったのがよかったと振り返ります。
物理関係なんで物理の話もめちゃくちゃするんですけど、それ以外の話もめちゃくちゃできる環境だったんですね。
小説の話や哲学の話、競馬の話までできて、チェスを指すこともあったそうです。リラックスできるその雰囲気を、蛇はサーバーで再現したかったと話します。
この話を受けて、鼠は自分が理想とする「アゴラ」という場所とつながっていると語ります。番組名にも込められた、この理想の広場のイメージが、後半の議論の土台になっていきます。
なぜ「中間共同体」が大事なのか
鼠は、特定のコミュニティの大切さについて、社会学者の宮台真司が言う「界隈」を引きながら語ります。宮台真司 ── 日本の社会学者。若者論やサブカルチャー論などで知られ、近年は「界隈」をキーワードにした活動を行っている。
ただし鼠は、界隈に行き過ぎると発散してしまうため、もう少し高尚なものとして保っておきたいといいます。そのうえで、中間的な共同体を今後増やしていくべきだと主張します。
鼠は、番組が大きくなったら「あぐらのアゴラコミュニティ」を作りたいという構想も語ります。参加者を「アゴラーさん」と呼びたいそうです。
ここで、番組がGoogleフォームでお便りを募集していることも紹介されます。ただし、まだ投稿がないため、このままでは自作の手紙を読む回になりかねないと2人は笑います。
性別欄は動物の種類になっていて、ハリネズミなど好きな属性で投稿できるといいます。
3つのカテゴリーと「先生と生徒を作らない」こだわり
蛇は、サーバーが「コミュニティ」「ラボラトリー」「キッチン」という3つのカテゴリーで構成されていると説明します。これはあの研究室の再現でもあります。
コミュニティ
教室空間。何でも自由に話していい場所
ラボラトリー
切り替えて、できるだけアカデミックに真剣に考える場所
キッチン
研究室のキッチンの再現。自炊の写真などが投稿される場所
勉強相談のコーナーでは、高校生が宿題の解説を求めたり、大人が思いつかないような疑問が投げかけられたりするといいます。蛇は一例として「虚数係数の二次方程式に判別式が使えないのはなぜか」という問いを挙げます。
蛇は、アカデミックには問いの立て方自体に作法があり、研究室に所属した時点で扱うテーマが決まりがちだと指摘します。だからこそ、普通に勉強する中で生まれる小さな問いを拾いたいと考えています。
蛇がこのサーバーでこだわっているのは、先生と生徒を作らないという点です。
コンセプトとしては、みんなが先生で、みんなが生徒というような感じでできたらいいなと思ってますね。
蛇は、厳密に「これはこうですよ」と言えることは本当に少ないと感じているといいます。
AIの時代に「立ち止まって問える場所」の価値
鼠は現代社会の風潮として、決めつけ的にものを言うことをみんなが怖がっていると指摘します。主張を展開しようとすると、すぐに根拠の提示を求められるからです。
「あなたの感想ですよね。ソースあるんすか?」って、すぐひろゆきがログインするっていう。
鼠は、厳密な学問的議論では典拠の提示が大前提だと認めます。そのうえで、根拠は怪しくても言いたいから言うということができる中間共同体の場が大事だと述べます。
蛇は、カテゴリーを分けているのはまさにそのためだと応じます。ラボラトリーではガチな議論をする一方、別の場所では「これって何だろう」と立ち止まれるようにしているといいます。
鼠は、中途半端な意見を一旦出すことには、誰かに訂正されて危ない方向に行く前に立ち止まれる意味もあると加えます。詐欺に遭いかけた人がAIに聞いて気づいた例などを挙げます。
一方で鼠は、人生の選択権を外部のツールに完全に委ねることは危険だとも語ります。だからこそ、いろんな人に自分の意見を照らして答えが返ってくる場所を作るべきだといいます。その代表例がバーや喫茶店だと話します。
チャットがAIに侵食される時代の「無知の知」
蛇は、本当は対面のほうがいいと考えています。理由は、チャットという性質がAIに侵食されているからです。
レスバってもう成立しないと思うんですよ。お互いがどっちが強いAIモデルを使ってるかっていう勝負になっちゃうので。
蛇は、チャットの世界では自分の理解を超えたことを無限にできてしまうと指摘します。だからこそ必要なのは、この分野をまだ理解していないという認識だといいます。
ああ、無知の知。
蛇は、AIを使えばプログラミングも難しい計算もアウトプットできてしまうと語ります。だからこそ、できるような気持ちになってしまうといいます。
そこで、恥ずかしくて人に聞けないような疑問をポッと投げ、自分なりに考えて答えを出す。それをやらない限り、自分の脳は発達していかないと蛇は話します。
衆愚化ではなく「知の均質化」という現代の病理
鼠は、現代の病理として個人の均質化がよく言われるが、知の均質化も問題だと語ります。知識人が大衆を批判するとき「衆愚化」と言うが、それは違うといいます。
蛇も、人々はむしろ平均的には賢くなっていると同意します。問題は、外れ値に対する許容度が下がっていることだと2人は捉えます。
蛇は、民主主義のシステムの強さを、多様な視点による危険察知にたとえます。ところが、反応の閾値がみんな同じになると、ある瞬間に全員が同時に反応してしまい、システムとして機能しなくなるのではないかと述べます。
鼠は、オオカミの群れではリーダー格が一番後ろにいる例を挙げます。全体を見渡せて、仲間が襲われたとき最後に犠牲になるからだといいます。
さらに鼠は、民主主義の起源であるアテネのアゴラに触れ、民兵が「命をかけて街を守るのだから権利をよこせ」と主張した論理が本来だったと語ります。アゴラ ── 古代ギリシアの都市国家における、市民が集い議論や政治を行った広場。番組名の由来にもなっている。
外れ値を許容しない社会と、キャンセルカルチャー批判
2人は、今の議論が左翼批判のように見えて、実はリベラルな立場だと確認します。外れ値がいっぱいいる社会のほうが絶対にいいという結論です。
鼠は、自作のSF小説を例に語ります。全員の無意識が一致することでものの考え方が均質化し、最終的に一人称の「I」が消失してしまう社会を描いたといいます。
一人称が「We」しかないから、一人で「我々」っていうっていう。
蛇は、それがジョージ・オーウェルっぽいと応じます。2人は、AIによってAI的なものの考え方しかできない人が増えていることへの危機感を共有します。ジョージ・オーウェル ── 『1984年』などで知られるイギリスの作家。全体主義による思考や言語の統制を描いたことで知られる。
話は締めくくりへ向かい、鼠は中間共同体やコミュニティの重要性を、外れの人間もいていいと言えることだとまとめます。
同時に、コミュニティを本当に荒らす相手にはお灸を据える必要があるとも述べます。ただしそれは言論統制ではなく、より良い議論のための土台作りだといいます。
鼠は、この苦しみを分かっていない者がキャンセルし続けることこそがキャンセルカルチャーだと批判します。2人はキャンセルカルチャーを全く肯定しないと明言します。
新コーナー「今週の沈黙」の顛末
話題が一区切りつくと、蛇が今週から始まるという新コーナーを切り出します。その名も「今週の沈黙」です。
我々これまで、やっぱり語り得ぬものについて語りすぎてきたなっていう自省があるんです。
これはウィトゲンシュタインの言葉をもじった前振りで、2人はどちらが沈黙に耐えられるかを競うといいます。ジョン・ケージの「4分33秒」も引き合いに出されます。4分33秒 ── 作曲家ジョン・ケージの作品。演奏者が楽器を演奏せず、その場の環境音などが「音楽」として提示される。
しかしラジオで沈黙するという企画自体が成立せず、蛇はお菓子を食べ始めてしまいます。鼠は「今週の沈黙じゃねえのよ」と突っ込みます。
その後、2人は喋りすぎてしまう性質について語り合います。蛇は喋った後にひどく後悔すると打ち明けます。
「うわぁ、どうしよう。もう生きていられない」って思う。
鼠が心配して声をかけたことから、話はゲーム「League of Legends」のプレイヤー名の話などへと脱線し、雑談らしい賑やかな締めくくりを迎えます。
まとめ
自由研究ラボの宣伝から始まったこの回は、蛇が理想とした研究室の空間の再現という原点を軸に、中間共同体の意義や、AI時代の知の均質化という主題へと広がっていきました。2人が最後にたどり着いたのは、外れ値の人間もいていい「広場」を作ることの大切さです。
- 蛇が運営するDiscord「自由研究ラボ」は、大人の自由研究をテーマに、輪読や勉強相談が行われている
- サーバーは「コミュニティ」「ラボラトリー」「キッチン」の3カテゴリーで構成され、先生と生徒を作らないことをこだわりにしている
- AIによってチャットでのレスバや均質な思考が広がる中で、立ち止まって問い、無知の知を自覚できる場が重要だと語られた
- 現代の病理は衆愚化ではなく知の均質化であり、外れ値への許容度が下がっていることが問題だと2人は捉える
- コミュニティの荒らしへの対処は苦しみを伴う土台作りであり、キャンセルカルチャーとは明確に区別される







