なぜ「神様なんていない」は否定の中の否定なのか
今回のマジスピラジオは、前回「神への反抗期からの卒業」の続きとして、思考と運命の法則、そしてなぜ絶望こそが真の救いの入り口なのかがテーマです。
林さんは前回、この世界に戦争や対立が絶えないことを理由に「本当に神様なんているのか」と考える姿勢を、魂の小児病と呼びました。かなり厳しい表現です。
林さん自身、自分の配信を聞き直して前回はやや突き放した内容だったと感じたそうです。そこで今回は、その補足も兼ねて話が進みます。
前回の内容だけではちょっと突き放したような感じもしますので、今回はその補足も兼ねて話をしていきたいと思います。
林さんの見方では、どれだけ論理的に正しくても、自分や他人、社会、世界、宇宙を否定するものはネガティブだとされます。
「神様なんていない」という考えは、その中でも否定の中の否定だといいます。自分が何によって生まれ、生かされ、死んでいくのか、その根本を否定しているからです。
論理や説教では人は変わらない。反抗期という壁
林さんによれば、こうした否定的な心の運用に従って運命はどんどん悪くなります。それは心の法則に従った当然の結果だといいます。
難しいのは、これをいくら論理的に諭しても伝わらないという点です。まさに反抗期の構図だと林さんは説明します。
親や先生や先輩が「あなたね、本当はこうしたほうがいいんだよ」と、いくら教えたとしても「知るか、バカヤロー」って反発をしてしまうわけですね。
カウンセリングの現場でも、論理や説得、説教で人は変わらないと林さんはいいます。素直であることが最も大事ですが、反抗期の人は素直になれないからこそ反抗期なのだと語られます。
だからこそ、否定的な心の運用で運気が落ち、その苦しみに追い込まれる中から、自分で掴んでいくしかない。ここが厳しい部分だとされます。
思考は現実化しないが、運命は思考の流れに沿う
林さんは「思考は必ずしも現実化しない」と明言します。思ったことがそのまま現実になるわけではない、という立場です。
ただし、運命や人生の流れは、思っていることの流れに沿っていくといいます。ポジティブに考えればポジティブに、ネガティブに考えればネガティブに傾いていくという説明です。
ポジティブに考えていればポジティブになっていくし、ネガティブに考えていればネガティブになっていく。これは法則です。
林さんはこれを法則であり、道であり、摂理であり、原則だと位置づけます。従わないものは滅び、素直に謙虚に従うものは繁栄するという宇宙法則です。
同情しない「法則の神」がなぜ真の平等なのか
林さんは、この宇宙法則は同情しないと語ります。神様がいたらこんなひどい世の中にはならない、という気持ちは分かるとしつつ、法則はあくまで心のあり様によって働くと説明します。
林さんは時事にも触れ、どこかの国の大統領が誘拐されたというニュースや、金融資本家が資源を奪おうとする動きを例に、戦争や紛争が誰かの金儲けとして行われていくと述べます。
そうした世界を嘆きたくなる気持ちは分かるが、法則は同情しない。人情からすれば冷たいけれど、これこそが真の平等であると林さんはいいます。
社会的立場を問わず、法則や道にのっとる者は時間がかかっても繁栄していく。見方を変えればこれほどありがたいものもない、救いに見えるかもしれないと語られます。
心のあり様に応じて公平に運命が流れる。同情はしないが、立場を問わず従う者が繁栄する平等なシステム。
観音様や阿弥陀様、守護霊・指導霊など。助けを求めれば応え、救い取ろう抱き取ろうとする慈悲の側面。
林さんは、水が高きから低きに流れるのを誰も可哀想と思わないように、法則にも感情の入る余地はないと例えます。
山の高いところから低い平地まで水が流れていくのは、それかわいそうなんですか。下から上に登っていけばいいのに、なんて思う人いないでしょ。
空気や水のように「気づけない法則」に目を開く
林さんは、魚が水を意識せずに生きているように、人間も普段は空気を意識しないと語ります。しかし、それがなければ肉体は厳しい状況に追い込まれます。
目に見えない精神や魂の法則は、なおさら気づきにくい。あまりに当たり前すぎて認識できないと林さんはいいます。
逆に言えば、普段からこの法則を意識していれば人生の勝者になれる、というのが林さんの主張です。
林さんはこの状態を、自分で心の目を閉ざしておきながら神様がいないと言うようなものだと表現します。
直感やインスピレーションという形で神の声は届くのに、その回路を閉ざして何も聞こえないと嘆くのはおかしい、と林さんは指摘します。仏教でいう無明、自分で明かりを消しておきながら真っ暗だと言う状態だといいます。
不幸の三原則と、抵抗としての地獄
林さんは、説得や説教では人は変わらず、素直でない多くの人はとことん苦しむと語ります。お釈迦様の「自灯明」を引きながら、自分で明かりを掲げて生きる大切さを説きます。
続いて林さんは「不幸の三原則」を挙げます。自己憐憫、依存心、責任転嫁の3つで、スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんの言葉を借りたものだと明かします。
- 自己憐憫:自分はなんてかわいそうなのと自分に酔う
- 依存心:誰かに寄りかかる姿勢
- 責任転嫁:あいつが悪い、環境が悪い、神様が悪いとする
林さんはこれを魂の小児病だとし、罪穢れを生み、結果的に不幸になると説明します。不幸になって反省できればまだよいが、さらに神を呪ったり前世の報いのせいにしたりするのは違うといいます。
林さんによれば、過去世を持ち出すまでもなく、今生の心の運用がひどいからそうなっている。それをまず理解しようという呼びかけです。
そして林さんは、地獄とは抵抗のことだと語ります。現実は自分たちの自由意志が生んだ結果であり、良くも悪くもその心の運用の結果として受け入れるべきだといいます。
自分の思い通りでないと抵抗するから苦しみが生じる。言葉で分からなければ現実で味わうしかない、として現実の苦しみがやってくると説明されます。
安っぽい希望より、徹底的な絶望を
林さんは、現代のスピリチュアルや自己啓発、セラピー周りに安っぽい希望や安直な答えが溢れていると指摘します。多くの人は答えを欲しがりますが、人生の深い問いに答えはなく、問い続けるしかないといいます。
検索すればすぐ答えが出る時代、そしてAIの登場でそれが加速する中で奪われたのは、希望する力ではなく絶望する力だと林さんは語ります。
林さんは、魂の力とは絶望できる力であり、本当の希望は絶望の中から立ち上がってくると述べます。
神様なんていないと思う自由はあるが、その考え方がもたらす現実を徹底的に味わってほしい。林さんは、コメントをくれた人へそう返すとして、魂の成長の過程では絶望は必須だといいます。
絶望から逃げず、デッドゾーンで気づく
林さんが願うのは、絶望から絶対に逃げないことです。しかし現代には、絶望から目を逸らす仕掛けが数多くあると指摘します。
スピリチュアル、自己啓発、セラピーもその一つで、安直な答えで絶望に絆創膏を貼って見ないようにする。表面的には綺麗でも、本当の希望も立ち上がらなくなると林さんは警告します。
むしろ絶望の中に踏みとどまり、自我の壁が破れ、自分が何によって生かされているのかに、死の領域まで追い込まれて気づくしかないといいます。
デッドゾーン、死の領域ですね。そこに追い込まれて気づくしかない。
林さんは少年漫画を例に挙げます。戦いで追い込まれた末に新しい技や打開策を思いつく描写は、ピンチはチャンスという構図だといいます。
チャンスは好機であると同時に危機でもある。ちゃんと絶望してデッドゾーンまで追い込まれること自体が魂の力であり、陰極まれば陽だと林さんは語ります。
地獄で仏に会うから、光のありがたさがわかる
林さんは「地獄で仏に会う」と表現します。平場で仏がいても普段は感謝しないが、地獄で仏に会えば深い感謝が生まれるといいます。
本当は平場で仏に会えればよいが、人はなかなか素直でない。だから一度地獄に行き、真っ暗闇から初めて光のありがたさを知るのも一つの道だと林さんは語ります。地獄は100%悪いわけではないという見方です。
本当は不平不満で生きるより、喜びと感謝に生きるほうが楽だと林さんはいいます。明るく生きることには天、宇宙法則が味方するからです。
薄汚れた世界の中でも明るい方面を見て生きたほうが、天の法則が味方する。だからそのほうがいいに決まっている、というのが林さんの主張です。
心のしつけと、決して沈黙しない神々
林さんは、これは自由意志の問題であり、もっといえば習慣の問題だとして「心のしつけ」という言葉を使います。小児病とはしつけがなっていない状態だという説明です。
心のしつけは親も学校の先生も教えてくれないので、自分で学ぶしかない。今回はそのヒントを提供しているのだと林さんは語ります。
そして、どれだけ暗黒に落ちていても、そこには観音様や阿弥陀様、守護霊や指導霊といった存在が目に見えなくてもおられると林さんはいいます。信ずるしかない世界だが、自身は波動で分かるから伝えていると述べます。
林さんによれば、神々は決して沈黙していません。ただ人間の言語がないため、背後で涙を流しながら、こちらが振り向くまで待っているといいます。
観音は「音を見る」と書きます。だから助けてくださいと懇願すれば応えてくれるが、言わなければやってこられない。これもまた法則だと林さんは説明します。
神を否定する言葉のなかに、すでに神がいる
林さんは、神を否定するならとことん、死ぬほど嘆けばいいといいます。ただし、そこには一つの矛盾があると指摘します。
神様がいないと嘆けるのは、そこに対象があるからです。否定するにはその存在を認めていなければ否定できない、という論です。
神様なんていないと言いながら、言葉に神様って言ってるわけですよね。神様がいないいないって言って、そこに神様いるじゃんって私は思います。
言葉は神でも仏でも宇宙でも法則でも何でもよいが、そういったものから人は逃れられない。それは私たちの大きな親であり、保護者としてどこまでも追いかけてくると林さんはいいます。
だからこそ林さんは、神は不在としてすでにここに現れている、と表現します。あとはそれに気づくかどうかだといいます。
法則の神と愛念の神を循環させる
林さんは、神には2つの側面があると整理します。一つは、前回と今回語ってきた法則としての神です。
法則の神は、ネガティブならネガティブに、ポジティブならポジティブになる公平なシステムで、真の神のもとの平等だといいます。ただし、これだけだと冷たいと林さんは補足します。
もう一つが、観音様や阿弥陀様、守護霊や指導霊のように、救い取ろう抱き取ろうとする慈悲としての神、愛念としての神です。
助けてくださいと叫んだら、そこに応えてくださるような愛念としての神もいらっしゃるわけです。
八百万の神々には、冷たく公平な神もいれば、叫びに応える愛念の神もいる。林さんは、この2つの側面を循環させていくことがとても大事だと語ります。
どちらも目に見えず耳にも聞こえないので、目の覆いを取り、耳の詰まりを取らねばならない。それを学ぶのが真のスピリチュアルだといいます。
ぬるま湯の絶望に逃げず、本当の光明へ
林さんは、絶望を本当に味わった者だけが深い信仰の領域に至れると語ります。現代は希望ばかりが語られるが、まずは絶望が先だという順番の話です。
これは受けが悪く、人にも好かれず、再生回数も稼げないので、ほとんどの人が言わない。だからこそ言うのだと林さんは述べます。絶望を味わった中から本当の希望が立ち上がるという主張です。
林さん自身がスピリチュアル世界に本当に関心を持ったのも、一番絶望していた時期だったと明かされます。詳しい話は時間の都合で別の機会にとされました。
林さんは、安直な希望にすがらないことと同時に、中途半端な否定や絶望にも逃げないことを求めます。中途半端な絶望はある意味ぬるま湯だといいます。
見た目はしんどいアピールをしておきながら、実際に波動として本当の潜在意識まで見ていくと、実は結構気持ちいいぬるま湯につかっているということもあるわけです。
これを聞いてドキッとするなら、自分の心の中の本当に暗いものを見つめなければならない。それには勇気が要るが、その勇気を持った人にしか本当の希望、本当の光明は得られないと林さんは締めくくります。
まとめ
第346回は、思考と運命の法則と神の2つの側面を軸に、なぜ絶望こそが真の救いの入り口なのかが語られました。林さんは、安易な希望にも中途半端な絶望にも逃げず、法則の神と愛念の神を循環させることが真のスピリチュアルだと説きます。
- 「神様なんていない」は否定の中の否定であり、心の法則に従って運命は悪化していく
- 思考はそのまま現実化しないが、運命や人生の流れは思考の傾向に沿っていく
- 法則の神は同情せず公平だからこそ真の平等であり、立場を問わず従う者が繁栄する
- 現代に足りないのは希望ではなく絶望する力で、本当の希望は絶望の中から立ち上がる
- 冷たい法則の神と、叫びに応える愛念の神という2つの側面を循環させることが大切





