「法之道」はもともと誰が作ってきた新聞なのか
聞き手の天下正信さんは、以前のインタビューで男子部と学生部が交代で編集を担当していた時代があったと聞いていました。その時代を経て、なぜ今の編集体制に至ったのかを遠藤信義さんに尋ねます。
遠藤さんはまず、法之道がどういう新聞なのかという前提から説明します。これはお寺が行っている新聞であり、その位置づけは創刊当時から現在まで変わらないといいます。
まず、法之道という新聞は、お寺の新聞なんですね。要するに御主管がなさっていることなんです。
遠藤さんによれば、法之道は法道院の第3代・観妙院日慈上人が、戦争で散り散りになった信徒を教化育成するために始めた「法道会通信」がもとになっています。
遠藤さんの説明では、最初の「法道会通信」はガリ版刷りで、御主管が筆をとって手作業で印刷し、配っていたものでした。それを今のタブロイド版印刷に改めて発行したのが法之道だといいます。
御主管が筆をとって、それで印刷して、印刷つっても機械で印刷するわけじゃない、全部手で印刷して、それで配った、そういうのが初めなんですね。
青年部が編集した時期と、原点への回帰
遠藤さんによれば、途中で観妙院日慈上人が青年部の育成のために、男子部と学生部という青年部に編集をさせた時期がありました。
ただし、その時期の紙面を今から見ると、遠藤さんは「赤面するような紙面だ」と振り返ります。法之道がお寺の新聞であるという理解が十分でなく、編集する側が自分たちの思うままに作っていたというのがその理由です。
(法之道が)お寺の新聞であるということをちゃんと理解できてなくて、自分たちが思うがままに作っていたという時期だったと思うんですね。
その後に編集長になった岡本肇さんは、草創の頃の法之道の社員でした。遠藤さんは、この岡本さんから法之道とは何かを徹底的に教え込まれたといいます。
天下さんは、一時期は育成の場として法之道があったものの、そこから再びお寺の機関紙として正しい情報を伝える原点に戻っていったのだと整理します。遠藤さんもその理解に同意しました。
お寺の立場で文章を書くとはどういうことか
天下さんは、岡本肇さんが中心となって今の路線になった後、遠藤さんがどのように編集方針を受け継いできたのかを尋ねます。
遠藤さんは、前編集長から法之道はこういうところなのだと徹底的に教わったと語ります。文章の書き方についても、お寺の立場に立って書くことを教え込まれました。
(法之道は)お寺のなさることですからね、お寺の立場になって文章を書くんだと。
遠藤さんによれば、講中の立場で文章を書くのと、お寺の立場で文章を書くのは違うといいます。この立場の違いこそが、法之道の編集の根本にあると位置づけられています。
御主管の言葉を末端まで正確に届けるために
天下さんは次に、寺院の機関紙としての信頼性と、編集上の苦労について尋ねます。発信する側と受け取る側の信頼を損なわないために気をつけている点は何かという問いです。
遠藤さんは、法之道は昔から「御主管からの手紙が家に届く」と言われ、皆が一生懸命読んできた新聞だと説明します。だからこそ、御主管のご指導や言葉を末端まで伝えることが最も大切だといいます。
遠藤さんによれば、教学のことなどは御僧侶(お所化さん)に書いてもらうこともありますが、書いてもらったものをそのまま載せるわけではありません。編集する側も教学をしっかり勉強しなければならないといいます。
遠藤さんは、原稿を書くお所化さんは修行の身であるため、言い回しがおかしかったり変だったりする箇所もあると語ります。それを教学の上からも日本語の上からも修正する必要があり、そこが苦労だといいます。
もっとも、最終的な判断は御主管が行います。遠藤さんたちがチェックした原稿も、最後は御主管がご覧になってOKが出る流れになっています。
体験発表は「折伏したかどうか」ではない
遠藤さんは、体験発表の原稿を例に、多くの人が誤解している点を指摘します。「折伏ができていないから体験は書けない」と言う人が多いものの、それは大きな間違いだといいます。
(皆さん)折伏ができてないから体験書きませんって言うんですよ。これね、大きな間違いです。
遠藤さんによれば、体験発表とはご本尊様の功徳を自分が体験して人に伝えることです。病気が治った、家庭不和が良くなった、人間関係が良くなったなど、一つ一つがご本尊様の功徳であり、折伏したことだけが題材ではないといいます。
遠藤さんは、この基本を教わっていない人が多いため、体験発表の原稿にはご本尊様への感謝の言葉が一つもない場合があると語ります。その場合は編集側で書き足す必要があるといいます。
限られた紙面と、文字の大きさをめぐる悩み
遠藤さんは、体験発表を毎号載せたいという方針はあるものの、原稿が長すぎるという課題を挙げます。講中で言われている目安は10分ほどとのことですが、それをそのまま載せると2面を取ってしまうといいます。
そのため遠藤さんは、一番言いたいところをピックアップして編集します。ただ、書いた人は一生懸命書くため「随分削られた」と感じられることもあると語ります。途中で本人にも確認しながら進めているといいます。
天下さんは、体験発表にはそれなりのボリュームがあるものだと皆が思っているため、この程度の体験で載せてよいのかと遠慮する気持ちがあるのかもしれないと応じます。
遠藤さんは、これは文字の大きさの問題にもよると説明します。昔は小さい文字で1行15文字ほどでしたが、今は11文字になり、字は大きくなった一方で、載せられる字数は少なくなりました。
(1行を)11文字にすると字は大きくなるんですよ。大きくなるんだけど、トータルの字数が少なくなってきちゃうんです。
遠藤さんによれば、世間の新聞も文字がどんどん大きくなっており、読みやすさとの兼ね合いで紙面に載せられる内容量が変わってくるといいます。
紙に残すことは「二百年史」の基礎資料になる
天下さんは、活字離れが進み紙媒体を読む機会が減る中で、機関紙として情報を残すことの重要さをどう感じているかを尋ねます。
遠藤さんは、法之道の大きな目的を2つ挙げます。1つは信徒の信心を育てること、もう1つはお寺の行事を写真も含めて紙面に残していくことです。
遠藤さんによれば、法道院百年史を作った際、観妙院日慈上人の時代に法之道が写真をとって記事を書いていたため、いつ何があったかが記録として残っていました。法之道は百年史の基礎資料でもあったのです。
そのうえで遠藤さんは、今やっていることは現在を報道することと、次に来る法道院二百年史を作るときの基礎資料を今から集めることの2つだと語ります。
データと紙、どちらか一方では残らない
天下さんは、報道とデータベースの両方を睨みつつ記録を残しているのだと整理します。遠藤さんは、紙媒体とデータの問題は非常に悩ましいと応じます。
遠藤さんによれば、データは災害や落雷などで一瞬で飛んでしまうことがあります。一方で紙媒体も、大きな火災があれば燃えてしまうことがあります。
だからこそ遠藤さんは、両方できちんと取っておかなければ、二百年史のときに資料がなくなってしまうと危惧します。百年前のことを覚えている人はいないため、記録がなければ法道院の百年が失われてしまうというのです。
百年前のことを覚えてる人いますか?って言ったらいないですよ、そんなの。だから法道員の百年がなくなっちゃうんですよ。
遠藤さんは、法之道には現在の信心を倍増していく側面と、法灯相続などお寺を継続していくための将来に向けた側面の両方があると語ります。
仏教用語は「聞くだけ」では伝わらない
天下さんは、自身のインタビュー経験に触れつつ、話し言葉だけでは仏教用語が理解しづらいと感じていると語ります。漢字は意味も見た目で表すため、紙面として残すことがより重要な分野なのではないかと問いかけます。
遠藤さんは、以前御主管であったころの日如上人に、法之道の編集方針の一つとしてある提案をしたエピソードを紹介します。きっかけは「創価学会の抱負は広くて深い」という日顕上人の話でした。
遠藤さんは、その「広くて深い」の意味を自分なりに考える中で、言葉の問題に行き当たったと語ります。学会員が使う読み方と、本来の正しい読み方にずれがある例に気づいたのです。
破邪顕正(はじゃけんしょう)って言葉ありますよね。あれ破邪顕正(はじゃけんせい)って言ってみたいね。
遠藤さんは、こうした語について法之道でルビを多く振って正しい読み方を示したいと提案したところ、御主管から「やりなさい」と言われたといいます。以来、法之道はルビを大きく多く振るようにしています。
漢音・呉音・仏教読みを立て分ける
遠藤さんによれば、日本語の漢字の読み方には漢音・呉音・仏教読みの3つがあり、これをきちんと立て分けていくことが大切だといいます。
遠藤さんは、時代によって言葉はどんどん変遷していくものの、仏教用語や信心に関する言葉は変えてはいけないと考えていると語ります。
具体例として遠藤さんは、一般に使われる読みと仏教用語としての読みの違いをいくつも挙げます。読み方の違いを正しく紙面に出していきたいという考えです。
仏教用語では母音の次が濁るという法則があり、一般的な読みと区別する必要がある
年号であり仏教用語ではないため「ん」の次が濁らず、そのまま「ぶんおう」でよいという説明
遠藤さんは、一般世間で使う読みと仏教用語としての読みを使い分けて紙面に示していきたいと語ります。
「間違いは指摘してほしい」という編集姿勢
天下さんは、読み方に迷ったとき法之道を参照すれば確実だという拠り所になる意味でも貴重だと述べます。
遠藤さんは、そう活用してもらえればありがたいとしつつ、作っているのは専門家ではないため間違いもあると率直に語ります。
間違えたところはどんどん指摘してください。説明できることは全部説明しますし、私の方もわかんないことは教学部に聞いてみたりしますので。
天下さんが読者からの反応があるかを尋ねると、遠藤さんは批判的な意見も肯定的な意見も、いろいろなリアクションが来ると答えました。
スマホ世代に「信心」をどう伝えるか
天下さんは最後に、生まれた時からスマホを持つ若い世代に正確な情報を伝えるための今後の展望を尋ねます。
遠藤さんは、今の講中全体を見ると活動の仕方は教えるものの、信心そのものを教えていないと感じると語ります。
遠藤さんによれば、昔は三世代同居が多く、ご本尊様やお寺に対する信心は祖父母から教わってきた人が多くいました。ところが核家族化が進み、親世代も途中で入信した人が多いといいます。
遠藤さんは、途中で入信した人たちは教えてもらってこなかったためわからず、子供に伝えることができないと指摘します。ここに問題があると考えています。
遠藤さんは、大聖人様が「はじめ日蓮一人」と言い、そこから二人三人と増えていった話を引きます。勝手に増えたのではなく、初めの人をちゃんと育成し信心を教えたからこそ、次の人へと繋がっていったのだと語ります。
遠藤さんは、折伏して数をあげればよいと捉えられがちだが、そればかりではないと述べます。折伏したらきちんと育成し、自分の子供には自分が責任を持って信心を伝えていくことが大切だといいます。
遠藤さんは、こうした信心を伝える側面を法みの道で今一生懸命出そうとしていると語り、それがこの先大切になってくることだと締めくくりました。
まとめ
今回のインタビューでは、法之道編集長代行の遠藤信義さんが、お寺の機関紙という立場から、伝えることと残すことの両面について語りました。単に情報を届けるだけでなく、正確に伝え、将来のために記録し、信心そのものを継承していくことが編集の根底にあることが示されました。
- 法之道はお寺の新聞であり、講中の立場ではなくお寺の立場で文章を書くことが編集の根本にある
- 体験発表は折伏の有無ではなく、ご本尊様の功徳を人に伝えるものであり、感謝の言葉が核心となる
- 紙とデータの両方で記録を残すことが、次の「法道院二百年史」の基礎資料になると遠藤さんは考えている
- 仏教用語はルビや読み分けを紙面で正しく示すことに力を入れており、間違いの指摘も歓迎している
- 活動だけでなく信心を教え、折伏の後にきちんと育成することが、若い世代への継承の課題だとされた





