日本語ロックを終わらせたバンド、はっぴいえんど
本題のヒップホップに入る前に、福の神さんが「言い忘れていたバンドがある」と切り出します。それが、1970年前後に活動したはっぴいえんど ── 細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂による日本のロックバンド。活動期間は短かったものの、後の日本の音楽シーンに大きな影響を残しましたです。
当時の日本には、ロックを英語で歌うべきか日本語で歌うべきかという論争がありました。ロックンロールは海外のもので、そのリズムには英語のほうが合わせやすかったからです。
その論争に決着をつけたのが、はっぴいえんどでした。日本語でロックをやるという金字塔を打ち立てたというのが福の神さんの見立てです。
英語で歌うべきか日本語で歌うべきか論争に決着をつけたのがはっぴいえんど。
福の神さんが驚くのは、はっぴいえんどの活動が短かった一方で、メンバーが80年代に及ぼした影響の大きさです。メンバーはそれぞれ違うジャンルへ進み、そのすべてを底上げしていったといいます。
一人はテクノバンドYMOへ、一人は松田聖子らアイドルに高品質な楽曲を提供し、一人はシティポップを築いていったと福の神さんは整理します。
ロックというものが借り物じゃなくなった瞬間っていうのかな。日本だから生まれたロックだなみたいなのを感じさせてくれたのがはっぴいえんど。
安藤さんは、それまでの日本のロックは、グループサウンズのように海外の真似が中心だったと補足します。福の神さんは、はっぴいえんどを「日本のビートルズ的な存在」と表現しました。
ニューヨーク大停電が広げたDJ文化
ここから本題のヒップホップへ入ります。安藤さんがまず取り上げるのが、1977年のニューヨーク大停電です。前回話し忘れていた重要な契機だといいます。
停電が起きたとき、貧困層の若者たちが街の電気屋からターンテーブル ── レコードを回して音を出す機材。DJがレコードをつなぎ、こすって音を出すスクラッチなどに使いますやミキサーを大量に略奪しました。当時これらの機材は高価で、低所得層には手が届かないものでした。
その結果、DJ機材が一気に人々の手に渡り、DJ文化が急速に広まったと安藤さんは説明します。もともと電気を盗んでパーティーをしていた文化が、機材を得て大きく広がっていったわけです。
停電ってすげえな。
1977年 ニューヨーク大停電
街全体が停電する
機材の略奪
高価なターンテーブルやミキサーを電気屋から盗む
DJ機材が普及
低所得層にも機材が行き渡る
DJ文化の拡大
パーティー文化が一気に広がる
福の神さんは「大停電の翌年は出生率が上がるらしい」と脱線しますが、安藤さんは東日本大震災時の計画停電では変化がなかったと返し、話を戻します。
Grandmaster Flashが変えた、ラップの中身
安藤さんによれば、ヒップホップとラップが大きく変わるのは、1982年頃にGrandmaster Flashが登場したときです。それまでのラップは、パーティーで踊るための楽曲を煽るMCの役割に近いものでした。
当時のラップは、コールアンドレスポンスのように場を盛り上げる司会に近く、韻も簡単なものでした。それを変えたのが「The Message」という曲です。
この曲は、黒人の貧民街であるゲットー ── 都市の中で貧困層や特定の人種・民族が集まって暮らす地区。ここでは黒人の貧困層が暮らす街を指しますの現実を淡々と描きました。割れたガラスが散乱し、ゴミが回収されず臭い、部屋にはゴキブリがいる、そうしたリアルな描写がリリックに増えていったといいます。
俺もうギリギリやからもうこれ以上押すなって言ってきてるんです。
福の神さんは、ロックがビジネスとして肥大化する中で、社会風刺の役割をヒップホップが逆に担っていったと整理します。
ちゃんとこう、下級層の暮らしを表現として風刺して発信していくってことが、ロックはだんだんビジネスとして肥大化してる中で、ヒップホップがそれを逆に担っていた。
なお、加藤さんが「ラップとヒップホップの違いは?」と尋ねると、安藤さんは、音楽ジャンルであるヒップホップの上に乗るボーカル表現がラップだと説明しました。
Run-D.M.C.とAerosmith、そして楽器のいらない音楽
続いて安藤さんが挙げるのが、Run-D.M.C.です。エアロスミスと組んだ「Walk This Way」で、ヒップホップとして初めて全米チャートで上位を取ったといいます。アングラだった音楽が、広く伝わるようになった転機です。
福の神さんは、この曲がRun-D.M.C.来日時に「笑っていいとも!」にも登場し、元ジャズメンのタモリさんが即興でラップした逸話を紹介します。
ここで話は、パンク出身のBeastie Boysがヒップホップに転向したことに移ります。福の神さんは、パンク精神を表現するのにヒップホップが向いていたと語ります。
パンクは、複雑化したロックを3つのコードだけで鳴らす、シンプルな表現でした。ヒップホップはさらに進んで、楽器も弾けなくていい、楽譜も読めなくていいという表現になったと福の神さんは説明します。
ヒップホップになってくると、もうコードなんていらない、楽器も弾けなくていい、ターンテーブルがあったら曲をつないで言いたいこと言えばいい。
複雑なロックを3つのコードだけで鳴らす。楽器は弾く
楽器も楽譜もいらない。ターンテーブルで曲をつなぎ、言葉を乗せる
帽子がまっすぐな理由と、ギャングスタ・ラップ
ヒップホップが広がる中で、ギャングスタ・ラップが出てきます。安藤さんは、ヒップホップのマッチョなイメージの背景を語ります。でかいチェーンやダボダボの服、まっすぐ被った帽子などです。
帽子がまっすぐなのは、強奪してきた新品をそのまま被っているからで、「盗んできたそのままだ、悪いだろう」という文化だったと安藤さんは説明します。
要は強奪してきて、そのまま被ってまっすぐの状態だから、新品そのまま被ってきたぜっていう意味なんですよ。
ギャングスタ・ラップ ── 犯罪や暴力など、街の過激な現実を歌詞にするラップのジャンル。ここでは「悪いことを歌うラップ」として紹介されていますについて、福の神さんは端的に「悪いラップ」「犯罪する人たちが歌うラップ」だと説明します。
福の神さんは、ヒップホップが市民権を得たあとは、成り上がりの手段になっていったと指摘します。低所得層が大金を稼ぐ道が限られる中で、マイク一本で一攫千金を狙えるからです。
今のSNSに近いもんだけど、いっぱいリアクションもらうためには過激なことをしてった方がリアクションもらえるっていう構造って多分昔からあるはずで。
自分の犯罪を歌にすればリアクションが大きく、得られるお金も大きい。福の神さんは、これを「いいね取り合戦」に近いものだったのではと語ります。
韻の進化と、政治を語るPublic Enemy
ラップ自体も技術的に進化していきます。安藤さんによれば、それまで語尾だけで踏んでいた韻が、フレーズの真ん中でも踏まれるようになりました。これが中間韻です。
福の神さんは、韻を踏むこと自体が音楽の大きな発見だと語ります。クラシック以来、弦楽器や打楽器を弾く手法が続いてきた中で、韻はこれまでの音楽になかった手法だという見立てです。
韻を踏むって多分ね、なかった。これまで音楽に。なかったとんでもない発見な手法な気がするな。
一方で、ギャングスタ・ラップとは反対に、社会に問いを投げかける流れも生まれます。その代表が、名前がそのまま「公の敵」を意味するPublic Enemyです。
安藤さんは、彼らの政治性を象徴する例として、曲の冒頭にキング牧師 ── マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。1960年代アメリカの公民権運動を率いた指導者で、人種差別の撤廃を訴えましたの演説をサンプリングで入れる手法を挙げます。
代表曲「Fight the Power」は、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』で使われ、キング牧師の演説から曲が始まります。権力と闘えという、政治性を強く帯びた音楽です。
アフリカに帰る、インテリなラップの登場
この時期、もう一つ新しい流れが生まれます。A Tribe Called QuestやDe La Soulに代表される、Native Tonguesと呼ばれる集団です。
安藤さんによれば、ヒップホップは集団になりやすい音楽です。互いのステージを見て「いいやん、うちに来いよ」と声をかけ合い、「俺たち似てるぜ」と集まってできたのがこのコレクティブだといいます。
Native Tonguesは、アフリカの音楽をもっとヒップホップに取り入れていこうとする集団でした。ジャズの音を入れたり、内省的で哲学的な歌詞が多かったりと、アカデミックな方向へ進みます。
悪いラップ、社会風刺ラップ、ちょっとインテリラップ。
犯罪や過激さを歌う「悪いラップ」
権力批判など政治性を帯びた「社会風刺ラップ」
福の神さんは、黒人のルーツがアフリカにあるというDNAに従いつつ、流行のヒップホップに伝統的な音を入れたらどんな化学反応が起きるかというインテリジェンスがあったと語ります。
安藤さんは、A Tribe Called Questの魅力を、ジャズをサンプリングし、音を切って曲を組み立てる構成の新しさに見ます。福の神さんは、あるものをつなぎ再構築するサンプリングそのものの価値が上がったと補足します。
刹那と幸福。80年代のキラキラとドロドロ
音楽をほとんど知らない加藤さんが「人間って難しいな」と切り出します。感情に嘘をついて働き続ける現代のサラリーマンと、感情のままに刹那的に生きる人々の対比です。
加藤さんは、過酷な状況で選択肢が少ない中、感情に従って動いた時に出てくる音楽と、嘘をついて働く人々を比べ、どちらも人間は難しいと感じたと話します。
選択肢が少ない中で、自分の感情に従って動いた時に出てくる音楽みたいな、ここで生まれてる情景。
福の神さんは、刹那的な生き方は長い目で見れば決して幸せではないと語ります。周りの環境的にライフプランを描けず、目の前の仕事すらない状況だから、手段がないのだといいます。
長い目で見たら決して幸せなことではないからね。感覚に身を任せて。
安藤さんは、80年代の構図を、黒人の音楽だったロックが白人のものになっていく一方で、黒人はヒップホップへ向かった、社会的な分断と格差の話として整理します。
キラキラしているイメージの80年代に、同時にドロドロしたムーブメントがあったというのが、この回で見えてきた80年代の姿です。福の神さんは、この強いコントラストが90年代で混ざり合っていくイメージだと語ります。
キラキラとドロドロのコントラストが激しい80年代
ソ連やベルリンの壁がなくなり、中間色へ混ざり合う90年代
福の神さんは、資本主義が拡大した80年代の内的要因が、これまでの戦争のような外的要因とは違う軋轢を生んだと指摘します。そして、続く90年代は「こんなの一生続かねえよな」という空気から始まると予告し、この回を締めくくりました。
まとめ
この回は、パーティーで踊らせる音楽だったヒップホップが、80年代のわずかな時間で、街の現実を語り、政治を批判し、ルーツを探る表現へと多様化していく流れをたどりました。楽器も楽譜もいらないという前提の変化が、その速度を支えていたと考えられます。
- はっぴいえんどは日本語ロックの金字塔を打ち立て、そのメンバーがYMOやシティポップなど80年代の各ジャンルを底上げした
- 1977年のニューヨーク大停電による機材の略奪が、DJ文化の急速な拡大を後押しした
- Grandmaster Flashの「The Message」を境に、ラップは盛り上げ役からゲットーの現実を語る表現へ変わった
- 80年代後半には、ギャングスタ・ラップ、Public Enemyの社会風刺、Native Tonguesのインテリラップへと多様化した
- キラキラとドロドロが極端に同居した80年代のコントラストは、90年代で混ざり合っていく






