ドラマで活躍する俳優に、まだ知られていない「B面」とは?
この回のゲストは、俳優の城田優さんです。番組には「あだ名とタメ口で呼び合う」というルールがあり、城田さんは「優ちゃん」と呼ばれることになりました。
城田さんはGACKTさんとはほぼ初対面だったこともあり、タメ口に戸惑いながらも「頑張ります」と応じます。ルールに合わせようとする姿勢に、ARCHIEさんは嬉しそうです。
なんで。これ難しいです。頑張ります。頑張る。頑張る。はい。頑張ります。
GACKTさんは、Netflixで話題のドラマで城田さんの姿を見て驚いたと話します。そんな人気俳優がなぜこの番組に出たのか、という問いに答えたのはARCHIEさんでした。
(この番組は)ミュージカルスター、俳優としての優ちゃんはみんな知ってるわけだけど、それ以外のこと知らないんで知らしめておこうか。
ARCHIEさんによると、城田さんには「B面、C面、D面、E面」がある、つまり俳優以外にもいくつもの顔がある、という話を聞いて番組に誘ったといいます。この回は、その知られざる面を一つずつ掘り下げていく構成です。
13歳の少年が夢見た「福山雅治さんのような存在」
最初に取り上げられたB面は、音楽への熱意です。城田さんが自分の意思で事務所に所属し、レッスンを受け始めたのは13歳のころでした。最初に入ったのは、アーティストが多く所属する音楽系の事務所だったといいます。
当時のマネージャーからは、歌もお芝居もできる「福山雅治さんのような存在」を目指そうと言われていました。27年ほど前のことで、城田さんは「来年の今頃には」と期待しながら毎年を過ごしていたそうです。
こう街も歩けなくなって。で、歌も大ヒットして、ドラマにも出演してみたいなことをめちゃくちゃ夢見ながら生活してるんですけど、待てど暮らせどそういう時間は。
ARCHIEさんが「でも叶ったじゃん」と返すと、城田さんは俳優としては叶ったものの、音楽の面は違うと答えます。城田優という名前や顔は知られていても、作詞作曲まで自分で手がけていることは、ほとんど知られていないのではないかというのです。
一番やりたかったのは音楽で間違いないです。
城田さんは小学生のころから作曲を始め、中学の作文にも「曲を世界に届けたい」と書いていたといいます。影響を受けたアーティストとして最初に挙げたのは宇多田ヒカルさんでした。
城田さんは宇多田さんについて、日本語と英語のバランスで日本のR&Bを確立した、唯一無二の世界観を持つアーティストだと語ります。ほかにもEXILE、CHEMISTRY、コブクロ、KinKi Kids、V6、久保田利伸さんなど、幅広いJ-POPを聴いてきました。
中学時代には、父から譲り受けたギターで独学でコードを覚え、作曲を始めています。歌って踊って芝居もする大手男性アイドル事務所のタレントに憧れて、オーディションを何度か受け、落ちた経験もあると明かしました。
「U」として顔を隠してデビューしたかった20代
城田さんは20代半ばに、エイベックスから「U」という名義で約1年間アーティスト活動をしています。ただ、当時はドラマと映画を掛け持ちする最も忙しい時期で、ほとんど寝る時間がないまま曲作りとレコーディングを続けていました。
「U」という名義は、城田さん自身が言い出したものでした。俳優としての先入観なしに、音楽そのものを評価してほしかったからです。
名前を変えて顔も隠してやりたい。で、何枚かめで、そのある程度もし浸透していたら、実は僕でしたっていう風にやりたい。
しかし、デビュー直前になって「顔を出してほしい」と方針が変わります。城田さんは断れず、ジャケット写真を顔のわからないものにするという中途半端な形で折り合いをつけたものの、結局は顔を出すことになりました。
名前と顔を隠して音楽だけで評価され、浸透してから正体を明かす
直前に顔出しへ方針転換。前提が崩れ、思い描いたプランが進まなかった
城田さんは、曲がうまくいかなかったことの言い訳にはしたくないと前置きします。そのうえで、目指していたレールではなかったこと、もっと時間をかければ洗練されたものが作れたのではないかという後悔が残ったと振り返りました。
スペインと日本、二つの国で感じた疎外感
ARCHIEさんは、城田さんと以前話したときに気づいたことを持ち出します。ハンサムに生まれたせいで、自分の本質が届いていないという不安があるのではないか、という問いです。
当時は特にその俳優としてとか、テレビに出ている人として、まあある意味有名であることが足かせになると僕は思ってしまったんですよ。
城田さんは、「役者が歌い出した」と見られるのが嫌だったと続けます。音楽は元々の夢だったからこそ、勢いで売れたから歌を出したとは思われたくなかったのです。今はもう割り切っていて、隠そうとは思っていないと話します。
その流れで城田さんは、容姿コンプレックスがあったと打ち明けました。ARCHIEさんは驚きますが、城田さんは顔のパーツに不満があるという意味ではないと説明します。
城田さんは幼いころ、バルセロナの現地の学校に通っていました。30年以上前のことで、学校には城田さんの兄弟以外にハーフやアジア系の子どもがいなかったといいます。
チノチノってずっと言われてたもんだから、僕は日本に帰れば自分の居場所があるって信じてたんです。
ところが、家族で日本に戻り東京都立川市の学校に転入すると、初日に「外人だ」と言われます。その言葉の意味を親に聞いた城田さんは、日本でも自分は受け入れられないのだと感じました。
バルセロナ
現地の学校で毎日「チノ」とからかわれる
立川市
転入初日に「外人」と言われ、ここでもダメだと感じる
芸能界
「君みたいな顔の子はいないから役をあげられない」と言われる
結果
人種として指をさされ続け、容姿コンプレックスが増幅
全然僕は自分の顔が不細工だとは思ってないです。ただ、人種として指をさされ続けて、お前は違う、お前は違うって言われ続けて。
城田さんの容姿コンプレックスは、外見の好き嫌いではなく、繰り返し「違う」と言われ続けた経験から生まれたものでした。
14年ぶりのアルバムを、なぜ自主レーベルで作ったのか?
話は今回のアルバムに移ります。城田さんにとって、オリジナルアルバムは14年ぶりです。その間もミュージカル曲やJ-POPのカバーアルバムは出していましたが、ゼロから音楽を作るのは久しぶりでした。
城田さんは前年末に40歳を迎え、大手事務所から独立しています。会社が軌道に乗り、仕事のバランスを自分で決められるようになったことで、制作とレコーディングのために丸1か月を空けることができたといいます。
(アルバムでは)よし、じゃあここでもう自分のやりたかったことをしっかりと成仏させようじゃないですけど、っていうマインドでアルバムを制作しました。
アルバムは、自主レーベルL&P RECORDSからのリリースです。当初はレーベルと組む予定もありましたが、城田さんは自分でお金を出し、責任も負う道を選びました。
せっかくだったらもう言い訳できない状況、いや、レーベルがもっと頑張ってくれればとかっていうことが言えない状況に自分で。
城田さんは「大赤字覚悟」で、溜めてきたものを全部作品にしたと話します。今回は俳優と思われているかどうかに関係なく、音楽が好きで作って歌っているというスタンスで届けたいといいます。ARCHIEさんは「それに必要な14年だったのかもね」と受け止めました。
14年前とは何が変わった?流行に乗らない曲づくり
GACKTさんは、14年を経て音楽の作り方がどう変わったかを尋ねます。14年前のアルバムは、作詞・作曲・編曲のほとんどを城田さん一人で手がけ、プロのトラックメーカーが少し手直しする形でした。
一方、新作『¡Que será será!』は多くのクリエイターと一緒に作っています。城田さんは自身の編曲のセンスには自信がないと話しつつ、メロディーと歌詞は基本的に自分の思いを形にしているといいます。
14年前。作詞・作曲・編曲をほぼ一人で行い、プロが少し修正
新作『¡Que será será!』。多くのクリエイターと共同制作し、メロディーと歌詞は城田さんの思いを軸にする
城田さんは、若いころはテレビに出たい、有名になりたいという欲求が強かったと振り返ります。30代に入って演出やショートドラマの監督、プロデュースなど裏方の仕事を経験し、今は裏方が楽しいと感じるようになりました。
ARCHIEさんが人のプロデュースも勧めると、城田さんは将来的にはやりたいと答えます。ただ、今の会社はようやく城田さん自身の俳優・歌手としての活動を支える体制ができた段階だといいます。
曲づくりのこだわりについて、城田さんは流行に乗った音楽は一切作っていないと話します。「この曲みたいなものを作ろう」というリファレンスから始めるのも好きではないそうです。
例えばね、ジャスティンビーバーのSorryみたいな曲を作ろうみたいなことはやったこともないし、僕自身あんまりこだわりとしてやりたくないっていうふうに思ってます。
城田さんは自宅で作ったデモを持ち込み、トラックメーカーとテンポや楽器の方向性を決めて形にしていきます。自分から生まれたもの、共作者から生まれたピースを広げていくことにこだわりがあるといいます。
俳優の「役割」と、歌でしかできない「自己表現」
GACKTさんは、芝居では表現できず、音楽だからこそ表現できるものがあるのではないかと問いかけます。城田さんは、俳優の仕事はフィクションの世界で一人の人生の一部分を切り取り、その感情を表現することだと説明しました。
例えば僕は暴力とか大反対だし、当然戦争も反対です。ただ、役柄によっては暴力めちゃくちゃ振るわなきゃいけないこともある。
フィクションの中で与えられた役割をこなす。自分の思想と異なるセリフを言うこともある
自分の頭から生まれた言葉や、自分の経験から感じたことを作品に落とし込める
城田さんにとって、俳優として重要なのは与えられた役割をこなすことです。それに対して今回のアルバムでは、自分が思っていることや疑問として訴えたいことを歌詞にでき、表現として圧倒的に違うと話します。
GACKTさんは、歌は人から人へ渡っていくものだと指摘します。城田さんも、カラオケの履歴に自分の曲が入っていると、とてもテンションが上がると笑います。
誰かが僕の曲をこの空間で歌ってくれたんだっていう。
城田さんはさらに、聴いた人が自分と違う解釈を持つことも歌の面白さだと語ります。ARCHIEさんは、歌は歌っている時にしか存在しないから、映画よりも一体感の距離が近いのかもしれないと応じました。
クラブ員にいちばん聴いてほしい曲として、城田さんが挙げたのは表題曲『¡Que será será!』です。SNS社会で誰かと自分を比べて悩んでしまうことは、城田さん自身にも経験があるといいます。
ARCHIEさんは、同じ満員電車に乗り続けるループに疲れた人こそ、一度肩の力を抜いてこの曲を聴いてほしいと重ねました。アルバムは11月18日リリースで、アルバムを引っ提げた東京・大阪の2公演のライブも予定されています。
『プリティ・ウーマン』の全曲訳詞を直談判した理由
続くC面は、ミュージカル『プリティ・ウーマン』の日本人キャスト版です。城田さんは映画でリチャード・ギアが演じた実業家エドワードを演じただけでなく、日本版の上演台本と訳詞も初めて手がけました。
きっかけは、城田さんが以前出演した『キンキーブーツ』の演出家ジェリー・ミッチェルさんです。ブロードウェイのスーパースターであるミッチェルさんが城田さんを高く評価しており、『プリティ・ウーマン』のエドワード役に決まりました。
そこから先は城田さんの発信でした。日本のミュージカル界の訳詞に言いたいことがあった城田さんは、プロデューサーに訳詞の担当が決まっているかを尋ねたのです。
(訳詞は)「まだ決まってません」って言われたんで、もう「コンペで構わないんで一曲書かせてください」と。
城田さんは訳詞の経験がなく、英語も日常会話程度だと話します。それでも数曲を聴いてもらうと評価され、部分的にやるか全曲やるかを問われました。城田さんは「Go big or go home」の気持ちで全曲を選び、言った直後に「終わった」と思ったそうです。
城田さんがこだわったのは、英語のライミング ── 歌詞の行末などで似た音をそろえて韻を踏む技法。英語の歌詞では一般的で、リズムや心地よさを生む重要な要素とされますとグルーヴを日本語に移すことです。多くの日本版では韻が崩れたり、音符の数が合わなかったりする場面を、城田さんは何作も見てきました。
日本人が歌った時に何の遜色もなく、英語のように滑らかに聞こえるグルーヴが出せる訳詞というものを目指したんですね。
台本では特にコメディが難しかったといいます。英語では大受けする場面も、直訳するとシーンとなりがちです。城田さんは言葉そのものより「どんな雰囲気の場面にしたいのか」という意図を大切にし、演出家や演出助手と毎日やりとりしながら直していきました。
当初の担当は訳詞、脚本の翻訳、主演でした。ところが稽古が進むと、アメリカ側の演出チームから芝居のニュアンスを毎日聞かれるようになります。城田さんは、演出の権限がないまま役者に注文をつけるのは難しいと伝えました。
配役
ジェリー・ミッチェルさんの評価もあり、エドワード役に決まる
直談判
訳詞のコンペ参加を申し出て、全曲の訳詞と台本を担当
稽古
演出チームから毎日ニュアンスを聞かれ、求められる役割が増える
クレジット
稽古開始から1〜2週間で、アメリカ側の要望により演出補に
城田さんの話を受けたアメリカチームはプロデューサーのもとへ行き、城田さんに演出補のクレジットを渡すよう求めました。ARCHIEさんは、海外で見た翻訳ミュージカルが本場と比べて物足りなかった経験を語り、それを乗り越えた仕事だと評価します。
GACKTさんが出演と裏方の両立の難しさに触れると、城田さんは全体を把握できることは強みだと答えます。翌年の2作品では演出も務めると明かし、話題はインド映画『RRR』の舞台化へ移りました。
城田さんは『RRR』で、主人公の一人ラーマを演じます。もう一人の主人公ビームは尾上松也さんです。当初は演出と主演の依頼でしたが、城田さんは自ら手を挙げて脚本や訳詞、さらに音楽も担当することになりました。
僕は今回、演出と脚本と訳詞と出演と音楽という、今までで一番多いクレジットを。
クリエイターの対価が低い?日本のエンタメ界の課題
ARCHIEさんは、役割が増えたときのギャラ交渉やエージェントは大丈夫なのかと尋ねます。クリエイター気質の人は交渉が後回しになりがちだ、という心配からの問いでした。
城田さんは、誰が悪いわけでもないと前置きしつつ、クリエイターが本当にお金をもらえないことに驚いていると話します。ミュージカルに出演するギャランティーと、脚本や演出のギャランティーには「雲泥の差がある」といいます。
GACKTさんは、日本ではクリエイティブな仕事に対価を求めることが、どこか汚れたことのように見られがちだと指摘します。城田さんは「ほんと間違い」と応じ、やった分だけフィーは払われるべきだと話しました。
ARCHIEさんは、自身の対応を具体的に語ります。予算がないと言われたら「やめれば」と答え、それでも進めるなら成功時の歩合、つまりアップサイド ── 事業や作品が成功したときに得られる追加の利益のこと。投資や契約の場面で、成果に応じた取り分を指して使われますを必ず要求するといいます。
間違いない。500円のバーガー食いたいのに408円しかなかったら食べられない。
ARCHIEさんは、Netflixが支持されるのはこうした点でフェアだからだとも付け加えました。
ミュージカル化不可能と言われた『RRR』にどう挑むか
舞台『RRR』の公演は翌年3月に始まり、大阪、博多、東京を巡ります。東京公演は5月ごろの予定です。GACKTさんは『RRR』を「一番好きなインド映画」と呼び、長い映画を4回観たといいます。
GACKTさんは、城田さんが演じるラーマは、警察官でありながら正体を隠して使命を背負う大変な役だと熱弁します。そのうえで、歌ですべてを表現するインド映画の歌をどう訳すのかと尋ねました。
今もう一生懸命やってますよ、家で夜な夜な。
特に話題になったのが、映画のエンディング曲「エッタラジェンダ」です。GACKTさんは、インドの闘争の歴史と戦ってきた人たちへの賛歌であり、あれほど良いエンドロールはないと語ります。城田さんはその曲を日本語にし、歌って踊ることになります。
城田さんによると、この作品はミュージカル化は不可能と言われるレベルだそうです。肩車や虎との戦いなど、物理的に無理に見える場面を、美術やアクションチームと何度も打ち合わせながら形にしようとしています。
物理的にこれ無理じゃんっていうものを、なるべくやっぱり演劇の力と映像の力だったり、音楽の力だったり、いろんなものを借りて、RRRファンの方にも楽しんでいただけるようなものを作ろうと。
GACKTさんが燃える橋での救出シーンについて聞くと、城田さんは「もちろんです」と答えます。ただ、その場面は今まさに課題になっているとも明かしました。
ARCHIEさんは、ハリウッドではトム・クルーズのように俳優が自らプロデュースするのは当たり前だと指摘します。日本では役割で押さえつけられがちだと話すと、城田さんも「カテゴライズされちゃいますよね」と応じました。D面とE面はGACKTさんが冗談で「デンジャラスとエロ」とまとめ、深入りせずに話を進めます。
GACKTとARCHIEが提案する「クリエイティブスタジオ」構想
最後に城田さんは、二人へ相談を持ちかけます。今は表に出る仕事でしか対価を得られていないものの、新しいジャンルで起業する知識も余力もないと感じていたのです。
(僕の)もしかしたら器用貧乏とされてる部分なのか、宝の持ち腐れなのかわかんないですけど、もっとなんか伸ばせる部分とか、今日のお話を経て、なんかこうアドバイスがあれば。
ARCHIEさんはまず、一作で大金持ちになれる状態をエンタメ界に作るべきだと話します。そのためには、自分で自分のことを交渉できない以上、有能なエージェントが必要だといいます。
ARCHIEさんはさらに、舞台や映画は集団芸術であり、キャスティングまで権限を持って初めて全体を表現できると指摘します。そのため、新しい仕組みの芸能事務所をやるべきだし、城田さんはやる人だと話しました。
GACKTさんの提案は「クリエイティブスタジオ」です。LDHが興行からミュージックビデオまで自分たちで作るように、城田さんは日本とスペインの背景を持ち、出役と裏方の両面で越境していると評価します。
ARCHIEさんは、建築事務所や村上隆さんのように、トップの名前のもとで弟子たちがチームで動く形を例に挙げます。人生100年の時代なら、40歳の城田さんはあと30年ほどスタジオのトップとして活躍できるといいます。
ARCHIEさんは、会社は生き物のようなもので、損も得もすると話します。自分でお金を集めなければと思い込まず、その時のバイブスに合った人に出資してもらえばよいと勧めました。
城田さんは「ちょっと本当にやりたいですね」と前向きです。ARCHIEさんが名前を「優ちゃんスタジオ」と提案すると、城田さんは「名前がダサい」と即答し、GACKTさんも全面的な再検討を求めて笑いのうちに収録を終えました。
まとめ
城田優さんは、13歳で抱いた音楽の夢と20代の後悔を経て、40歳で自主レーベルから14年ぶりのアルバムを届けました。訳詞や演出、作曲へと役割を広げる姿から、俳優の枠を越えて「作る側」へ進むクリエイターとしての現在地が見えてきます。
- 城田さんは13歳から歌手を夢見ており、20代の「U」名義の活動では顔を隠す計画が崩れて悔いが残った
- 容姿コンプレックスは、スペインと日本で「違う」と言われ続けた経験から生まれたもの
- 14年ぶりの『¡Que será será!』は、自主レーベルで流行に頼らず、自分から生まれたものを軸に制作した
- 『プリティ・ウーマン』では全曲訳詞を直談判して演出補となり、『RRR』では演出・脚本・訳詞・主演・音楽の5役を担う
- GACKTさんとARCHIEさんは、クリエイターの対価の低さを課題に挙げ、「クリエイティブスタジオ」設立を提案した






