80年代の日本の音楽は、なぜ欧米より約10年遅れたのか
話の始まりは、80年代に欧米でロックが最も売れていた頃、日本の音楽はどうだったのかという問いです。
樋口さんは、当時の日本の音楽状況を整理します。70年代から続くフォークの流れがあり、そこからロックへ向かう動きと、ポップスへ向かう動きが並行していたといいます。
その頃日本では、70年代から続くフォークの流れの中でロックを奏でる側面もありつつ、フォークの流れの中からポップスに行く潮流もありつつ。
そのなかで最も大きかったのが、シンセサイザーを取り入れた大衆寄りの音楽の潮流だと福の神さんは話します。分かりやすい例として、福の神さんはYMO ── イエロー・マジック・オーケストラの略。坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏によるバンドで、シンセサイザーを使ったテクノポップで国内外に影響を与えましたや坂本龍一さんの名前を挙げました。
一方で、福の神さんが80年代の日本で大きかったと語るのがTHE BLUE HEARTSです。すでにパンクをやるバンドはいたものの、多くはマニアだけが知る存在でした。それを一般大衆に知らしめたのがTHE BLUE HEARTSだったといいます。
一般大衆には目の触れないところ、もうマニアな人だけは知ってるみたいな世界だったのを、ボンとメジャーなところに突き上げて、一般大衆的にパンクロックというのを知らしめたのがブルーハーツだった。
ここから日本ではバンドブームが起こります。ただし、福の神さんによれば欧米から10年ほど遅れて、ハードロックやグラムロックといった様々なジャンルが後追いで生まれていったといいます。
なぜ約10年のタイムラグが生まれたのか。安藤さんは、海外のミュージシャンを見てかっこいいと思ってから日本で取り入れるため、完成までに時間がかかったこと、そしてリアルタイムに海外の情報へ触れられなかったことを挙げます。
そのタイムラグを埋めたのがメディアだと二人は指摘します。日本の雑誌が取り上げ始めたことや、MTV ── 1981年にアメリカで開局した音楽専門テレビ局。ミュージックビデオを24時間流し、音楽の受け取られ方を大きく変えましたが日本の深夜に流れるようになったことで、80年代後半から90年代初頭にかけて距離が縮まっていったといいます。安藤さんは小林克也さんの名前も挙げました。
海外を見てかっこいいと思ってから取り入れるため完成までに時間がかかり、リアルタイムに情報へ触れられなかった
日本の雑誌がとりあげ、MTVが深夜に流れるようになったメディアの役割
レーガンのアメリカで、旧工業都市に麻薬が広まった
ここから安藤さんが、80年代がどういう時代だったのかを背景から解説していきます。まずアメリカでは、1981年にロナルド・レーガンさんが大統領になりました。
レーガンさんが掲げたのは、小さい政府、規制緩和、そしてトリクルダウン経済 ── 富裕層が豊かになれば、その富が徐々に下の層にも滴り落ちて社会全体が豊かになるという考え方でした。安藤さんは、これは日本のアベノミクスに近い発想だと説明します。
しかし実際に起きたのは、格差の急拡大でした。背景には、1970年代後半からのスタグフレーション ── 景気が停滞しているのに物価が上がり続ける状態。不況とインフレが同時に起こるため対処が難しいとされますがあり、成長しないのにインフレが進む状況が続いていたといいます。
(スタグフレーションは)今の日本のような話ですか?
製造業の雇用がなくなっていき、労働者階級の生活基盤が崩壊していったと深井さんは語ります。分かりやすい例として、ニューヨークのサウスブロンクスやデトロイト、フィラデルフィアといった旧工業地帯が壊滅的な状態になったことを挙げました。
財政が厳しくなると、政府はまず教育と福祉の予算をカットしました。ただでさえ少なかった福祉がほぼ全て削られた結果、暴力と麻薬が蔓延したと深井さんは話します。
80年代半ばには、安価で中毒性の高いクラック ── コカインを加工して安価にした麻薬。中毒性が高く、80年代のアメリカの旧工業都市を中心に爆発的に広まりましたが広まり、中毒者が急増したといいます。ここで話は、二人が思い出す90年代の日本の裏路地の光景へと脱線していきます。
(80年代半ばには)安価で中毒性の高いクラックっていう麻薬がだんだん爆発的に広まってくる。
規制緩和と格差
小さい政府とトリクルダウンを掲げるが、格差が急拡大
製造業の衰退
旧工業都市で雇用が失われ、労働者の生活基盤が崩壊
財政緊縮
教育と福祉の予算をカット
麻薬の蔓延
暴力と麻薬が広がり、安価なクラックが爆発的に普及
サッチャーのイギリスで、炭鉱の町のコミュニティが崩れた
話はイギリスに移ります。1979年にマーガレット・サッチャーさんが首相になり、新自由主義の政策を進めました。
その結果、マンチェスター、リバプール、ブリストルといった工業都市が直撃を受け、失業率が急上昇したと深井さんは語ります。アメリカとよく似た状況でした。
安藤さんは、炭鉱の町を例に、この時代の分断を具体的に描きます。生活が立ち行かなくなった労働者はストライキを起こしますが、それが何ヶ月も続くと生活費が尽きていきます。
すると、耐えきれずに「働かせてくれ」と願い出る人が現れます。昨日まで一緒に賃金を上げろと叫んでいた親友が、いきなり働き始める。こうしてコミュニティが内部から崩壊していったと深井さんは説明します。
それを境にやっぱり分断が生まれていったりとか、コミュニティが崩壊していくんですよ、内部から。その一番きついエリアなのに。
政府側は、警察を国家の盾として炭鉱の町へ突入させました。その代表的な衝突がオルグリーブの戦い ── 1984年、イギリスの炭鉱ストライキ中にオルグリーブで起きた炭鉱労働者と警察の大規模な衝突。ストの象徴的な事件として記憶されていますです。安藤さんによれば、警察官は労働者に向けてお札をひらひらさせて煽るなど、対立は激しいものだったといいます。
炭鉱の町へ「突っ込む」LGBTQの若者たち
安藤さんは、暗い話が続いたとして、逆に明るい連帯のエピソードを紹介します。当時ロンドンに住むLGBTQの人々は、政府や警察からいじめられる存在でした。
彼らは、同じく政府や警察に虐げられている炭鉱の人たちを仲間として見捨てられないと考え、募金活動を始めます。しかし炭鉱の町は男社会で、「ゲイから支援されたくない」という反発が返ってきたといいます。
それでもLGBTQの若者たちは、炭鉱の町へ助けに行くと言って、まるでラグビーのように「突っ込んで」いきました。この「突っ込む」という表現に、福の神さんは何度も戸惑いを見せます。
なんでみんなその手段がみんな突っ込むなんて。何それ。
結果として、炭鉱の男たちは「お前らいいやつやんか」とビールを酌み交わし、仲良くなったといいます。深井さんは、これは映画『パレードへようこそ』のモデルになった実話だと紹介しました。
ストライキ自体は敗北に終わりますが、最後には炭鉱のごつい男たちが、ロンドンの同性愛者のパレードの先頭で応援に立ったといいます。深井さんは、80年代にはこうした格差と分断、そして連帯が背景にあったとまとめます。
まあ格差があり、分断され、いろいろ衝突してましたと。いろんなレイヤーの人たちが。
パンクの怒りは、なぜ内側の絶望へ向かったのか
ここから、荒れた社会のダークサイドから生まれた音楽の話に入ります。深井さんは、前回話したセックス・ピストルズに影響を受けたマンチェスターのバンドとして、Joy Divisionを挙げます。
福の神さんは、この流れを整理します。パンクロックが激しく登場したあと勢いはしぼんだものの、その反骨精神は残り、ダークな音楽へと進化したといいます。これがポストパンク ── パンク以降に生まれた音楽の総称。パンクの反骨精神を引き継ぎつつ、より内省的で実験的な表現に向かった潮流を指しますと呼ばれる流れです。
安藤さんは、外側に向かっていた怒りが、だんだん内側へ入っていったと語ります。個人の崩壊や自分の内面を詩に込め、都会的で冷たい音を、リバーブなどを使って再現していったといいます。
福の神さんは、この変化の理由を絶望感に見ます。パンクの時は外への怒りでよかったが、それでも世界は変わらなかった。だからこそ絶望感が近くにあり、それを表現するために音楽をやるようになったといいます。
反骨心と絶望感がすごい近いところにいて、その絶望感を表現するために音楽をやってるみたいなのが、そのジョイディビジョンみたいなバンドに受け継がれていく。
外側への怒り。世の中に向けてクソッタレと叫ぶパンクの激しさ
内側の絶望。個人の崩壊や内面を、冷たく都会的な音で表現するポストパンク
Joy Divisionの死と、New Orderへの再出発
Joy Divisionは、1980年5月、初のアメリカツアー出発の前日に、ボーカルのイアン・カーティスさんが23歳で自ら命を絶ちます。
福の神さんは、絶望を表現し続けると自分自身が飲まれていくものだと語ります。加えて、イギリスのバンドがアメリカツアーに臨むプレッシャーや、求められるキャラクターを演じる負担もあったのではないかと推測します。
残されたメンバーであるバーナード・サムナーさん、ピーター・フックさん、スティーヴン・モリスさんは、New Orderとして再起する道を選びます。キーボードにジリアン・ギルバートさんを加え、ギターの代わりにシンセサイザーとドラムマシンを取り入れ、形態を大きく変えました。
福の神さんは、それまでパンクの潮流でギターを鳴らしていたバンドが、ボーカルを失いながらも前進しようとしたとき、80年代の主流だったシンセサイザーやリズムマシンといったテクノロジーを取り入れたと説明します。
どっちかっていうと個人的な意見ですけど、(シンセサイザーは)大衆よりの音楽に使われがちな道具だと思うんですよ。なんとなくポップ。
そしてNew Orderが出したシングル「Blue Monday」が史上最大の売り上げを記録します。この曲名は、イアン・カーティスさんが亡くなった月曜日への想いから来ているといいます。ただしビートはテクノ寄りで、リズムマシンが使われていました。
Joy Division。ギター中心のポストパンクで、絶望を内面的に表現
New Order。シンセサイザーとドラムマシンを導入し、テクノ寄りのビートへ
水しか売れない伝説のクラブ、ハシエンダ
「Blue Monday」で得た過去最大の収益を、New Orderはある場所へ注ぎ込みます。それがマンチェスターの廃工場を改装したクラブ、ハシエンダ ── マンチェスターにあった伝説的なクラブ。New Orderらが出資して開き、マッドチェスターやレイヴカルチャーの震源地となりましたです。深井さんによれば、利益のほぼ全部を投じたといいます。
福の神さんは、このハシエンダを、イギリス音楽を語る上でビートルズ以来のエポックメイキングかもしれないと位置づけます。安藤さんは、アメリカの伝説的ライブハウスCBGB ── ニューヨークにあったライブハウス。パンクやニューウェーブの多くの伝説的バンドが出演し、店舗ロゴのTシャツが世界中で売れるほど象徴的な存在になりましたを引き合いに、場所がカルチャーを作る契機になったと語りました。
安藤さんは、なぜここまで投資したのかを、マンチェスターという土地の背景から説明します。かつて世界の工場として鉄鋼や石炭、紡績を支えた街が、時代とともに衰退していったのです。
福の神さんは、この流れをつなげます。イギリスは蒸気機関で世界を征し、その歴史がマンチェスターに色濃くありました。しかしエネルギー革命で蒸気が使われなくなり、製造業が衰退し、夢を失った若者が増えた。そこから生まれたのがJoy Divisionであり、New Orderはその街への恩返しとしてクラブに金を注いだ、という構図です。
製造業が衰退する。夢を失ったジャンキーな若者が増える。そこから生まれたジョイディビジョンみたいな話なんですよ。
安藤さんは、マンチェスターを日本の仙台や青森、あるいは寂れた炭鉱の町のような感覚に近いと例え、大都市ではないこの街が一つのキーになると強調しました。
マッドチェスターの答えは「水しか売れない」だった
ハシエンダから生まれたムーブメントが、マンチェスターに「マッド」をつけたマッドチェスター ── 80年代後半のマンチェスターで起きた音楽ムーブメント。ダンスミュージックとドラッグが結びつき、レイヴカルチャーへとつながっていきましたです。名前の通り、かなり過激なものでした。
これはシカゴから来たアシッドハウス ── シカゴハウスから派生した電子ダンス音楽。反復的で催眠的なビートが特徴で、レイヴカルチャーと強く結びつきましたの流れを受け、ハシエンダがその震源地になったと安藤さんは語ります。ここで、ヤクのエクスタシーを服用しながら夜明けまで踊り続けるムーブメントが生まれました。
福の神さんは、当時ダンスミュージックとドラッグがセットだったと説明します。ドラッグによって音楽がさらに拡張されるというイメージがあり、単調なリズムやテクノが薬の作用で違って聞こえるという感覚があったといいます。
薬によって音楽がさらに拡張されるみたいなイメージがあったんですよ。
そのハシエンダは90年代に潰れてしまいます。理由は意外なもので、世界中から人が集まる文化の中心だったにもかかわらず、みんなエクスタシーを使っているだけで酒が売れなかったのです。
売れるのは水だけ。クラブは基本的に酒で儲ける商売なので、収入源がほとんどなく、オーナーのNew Orderも破産寸前に追い込まれたといいます。
売れるの水だけっていう状態だから。だからあの基本的にクラブってお酒で儲けてるんですよ。
投資
New Orderがブルーマンデーの収益をハシエンダにほぼ全部注ぐ
熱狂
エクスタシーを服用し夜明けまで踊り続けるマッドチェスターの震源地に
水しか売れない
客は踊り続けるが酒を飲まず、売れるのは水だけ
破産寸前
クラブの収入源がなくなり、オーナーのNew Orderも破産寸前に
音楽のジャンルはなぜ「倍々」に増えていくのか
福の神さんは、80年代の音楽の大きな流れをさらに整理します。70年代の産業ロック的なハードロックが進化し、ロサンゼルスを中心にLAメタルというジャンルが生まれたといいます。ガンズ・アンド・ローゼズやボン・ジョヴィがその例です。
一方で、パンクの流れからはJoy Divisionのようなニューウェーブへとつながっていきます。ニューウェーブは反骨心を持ちつつ、シンセサイザーなど新しい音も取り入れて複雑なことをする音楽だと樋口さんは説明します。
加藤和さんは、こうした細かいカテゴライズは誰がしているのかと疑問を投げかけます。福の神さんは、メディアもあるが、聞き手が細分化されていったことも大きいと答えます。
供給される音楽の量が10から100、1000へと増えると、分かりやすくカテゴライズした方が売り手も買い手も助かる。自分が好きな10を見つけるために、ジャンルという指標が求められたというわけです。
安藤さんは、なぜ音楽が増え続けるのかを掛け算で説明します。ニューウェーブのトーキング・ヘッズがポストパンクに黒人音楽を掛け合わせたように、新しい技術で生まれた音楽と昔からあった音楽が掛け算になり、指数関数的にジャンルが増えていくのです。
新しく生まれた音楽に昔からあった音楽というか、指数関数的に掛け算になって、いろんなものが増えてくるんですよ。
産業ロックの進化
ハードロックが進化し、ロサンゼルスでLAメタルが生まれる
パンクの進化
パンクの反骨心にシンセサイザーが加わり、ニューウェーブへ
掛け算
新しい音楽と昔からある音楽が掛け合わされ、ジャンルが倍々に増える
最後に、次回の予告があります。深井さんは、まだ80年代で一気に発展した音楽の話をしていないとして、次回のテーマを問いかけます。ヤンヤンさんが答えたのはヒップホップでした。
樋口さんは、それが今一番強いジャンルかもしれないと言い添えます。次回は、80年代にヒップホップが一気に花開いていく話を通して、80年代をまとめていく予定です。
まとめ
80年代の欧米では、レーガンとサッチャーの新自由主義が旧工業都市を荒廃させ、その絶望が音楽を変えていきました。パンクの怒りは内側の絶望へと向かってJoy Divisionを生み、New Orderのダンスビートと伝説のクラブ・ハシエンダを経て、社会が壊れたときに人は怒るだけでなく踊るのだという流れがつくられていきます。
- レーガンとサッチャーの新自由主義は、旧工業都市の衰退、格差の拡大、麻薬の蔓延、そしてコミュニティの分断を招いた
- パンクの外への怒りは、世界が変わらない絶望のなかで内面へ向かい、Joy Divisionのポストパンクへと進化した
- ボーカルの死後、New Orderはシンセとドラムマシンを導入し、「Blue Monday」の収益をクラブ・ハシエンダに注いだ
- ハシエンダはマッドチェスターの震源地になったが、客が薬で踊り続けて水しか売れず、破産寸前に追い込まれた
- 日本の音楽は欧米に約10年遅れ、雑誌やMTVといったメディアがそのタイムラグを縮めていった






