そもそも「福の神」って誰?10億50歳の自己紹介
番組冒頭、パーソナリティの3人が自己紹介を交わします。テクノに人生を狂わされたと語る安藤、音楽にこれまで触れてこなかったという加藤和らぎ、そして所々に突っ込みを入れる福の神という布陣です。
その福の神の正体について、加藤和らぎが素朴に問いかけます。
福の神って誰なんですか?私ですか?
返ってきたのは、年齢10億50歳という設定でした。デーモンスタイルを名乗りつつ、この現世では1976年に生まれていると語ります。
年齢としては10億50歳。デーモンスタイルでやらしてもらってます。
1976年は、ロッキード事件で田中角栄が捕まった年であり、ヒット曲は「およげ!たいやきくん」。同じ年にラモーンズとセックス・ピストルズがデビューしたと、福の神は自分を「音楽が一番面白い時代を生きた存在」として位置づけます。
ジャンルの壁は誰が引いたのか
今回のテーマは「1950年代までの音楽」。ただし本題に入る前に、安藤が裏テーマを提示します。それは「ジャンルという壁を、いったい誰が引いたのか」という問いです。
ジャンルっていう壁っていったい誰引いたの?
たとえばカントリーと言えば、福の神は「白人の田舎の人」と即答します。ブルースと言えば黒人系。多くの人が持つこのイメージを、安藤は「実は人工的にできている部分が一部ある」と切り出します。
音楽のジャンルには、クラシックを土台に、ジャズ、そこから派生したR&B、ヒップホップなど多くの種類があります。ジャズは黒人音楽をソフィスティケートしたものに近い、と安藤は説明します。
この回の起点となるのは、音楽のジャンルは音の違いだけで自然に生まれたわけではないという視点です。1950年代の手前を知るために、話は一気に19世紀へと巻き戻ります。
音楽家は昔どうやって飯を食っていたのか
舞台を19世紀のアメリカに移し、安藤はまず「作曲家はどうやって飯を食っていたのか」を問います。
クラシックの世界では宮廷音楽として雇われる仕組みがありましたが、歴史の浅いアメリカにはそれがありませんでした。一般大衆に音楽を届けるチャンネルもない時代です。
音楽をやってる人、特に作曲家はどうやって飯を食っていたか。マネタイズのポイントは?
答えは楽譜でした。当時、家庭のリビングにピアノを置き、楽譜を買って曲を弾くことが中産階級のステータスだったのです。
録音メディアがなく、生で聴くしかない時代。売り物として届けられるのは楽譜だけでした。
録音メディアがない
音楽は生演奏でしか聴けない
楽譜が商品になる
中産階級が家庭で演奏するステータスとして楽譜を購入
演芸への楽曲提供
ミンストレルショー向けに作曲して収入を得る
白人が黒人を演じた「ミンストレルショー」
楽譜を売る先として登場するのが、ミンストレルショーという大衆芸能です。
最初にこのショー向けの楽曲を書き始めたのが、スティーブン・フォスターでした。「おおスザンナ」など、音楽の教科書に載る曲を作った作曲家です。
白人の芸人が顔を黒く塗り、黒人を誇張して演じるブラックフェース。これが19世紀に大衆へと広がり、特に中産階級より下の層に受けていきました。
興味深いのは、南部の曲を作ったフォスターが実は北部の人だったという点です。彼は南部の農園をロマンチックに描いた、いわばファンタジーを売っていました。
地図を広げて、この川超おもろいやんってなって、川の名前から勝手にイメージして楽曲を書いたりしていた。
つまり実体験ではなく、イメージだけで南部を描いていたのです。この人工的に作られた南部像が、後のアメリカのショービジネスの土台になっていきます。
共同体の祈りから個人の孤独へ、ブルースの誕生
一方、同じ時代の黒人の音楽はどうだったのか。1800年代、西アフリカから連れてこられた人々の多くは奴隷として働いていました。
文字も教わらない状況の中、彼らは夜中に集まってドラムを叩き、西アフリカの曲を奏で、教会の集会では魂の救済を願う賛美歌を歌っていました。
そこに西アフリカの音楽が結びつき、グルーヴィーなリズムと、コール・アンド・レスポンスの手法が生まれます。「Say Ho〜」のような掛け合いです。
福の神は、アフリカ由来のリズムの独特さを、言語のリズムから説明します。
アフリカ人の名前に「ン」から始まるやついるんですよ。「ンバッペ」みたいな。尺の打ち方がいきなり裏に入る。
南北戦争が終わり、奴隷制が廃止されて人々は自由になります。しかし願いが叶ったわけではありませんでした。
小作人として働かされ、これまでコミュニティとしてあった暮らしが、家庭ごとに断絶していきます。共同体の祈りが、個人の孤独へと変わっていったのです。
ブルースはなぜ「悪魔の音楽」と呼ばれたのか
ブルースには「悪魔の音楽」というニュアンスがつきまといます。安藤は、その背景を祈りの文脈の反転として説明します。
神への祈りではなく、神に頼らず自分自身で泥をかぶりながら歩いていく。そのスタイルが、逆張り的に「悪魔の音楽」という色合いを帯びていったといいます。
この文脈を象徴するのが、ブルースの神と呼ばれるロバート・ジョンソンの神話です。
悪魔の十字路というところで、超絶的なブルースのテクニックを授かったという神話があるんですよ。
1920年代、無名だったロバート・ジョンソンが夜に悪魔と出会い、超絶的なブルースギタリストとして帰ってきた。悪魔と取引をしたという物語です。
楽器の面でも、ブルースは生まれやすい条件を持っていました。メキシコから来たギターは高価で買えず、弦を1本だけ張って演奏することもありました。
ブルースって1本だけでもできるんですね。それもあって、独白の歌を作りやすいベースはあった。
共同体から切り離された個人の孤独と、1本の弦でも成立する表現。この2つが、独白としてのブルースを生んでいきました。
会社がジャンルを作った──レースレコードとヒルビリー
ここから話は「会社がジャンルを作った」という核心へ向かいます。きっかけは、黒人女性シンガーのブルースのレコードが想定外の大ヒットを記録したことでした。
当初、レコード会社は「黒人は金を持っていないから買わない」と考え、白人に売るものだと思っていました。それが覆り、市場性に気づいたのです。
ただし当時は人種隔離政策の時代。そこでレコード会社は、購買層で商品をタグ分けしました。
黒人向けに作られたジャンル。ブルースなどが含まれ、侮蔑的な呼び方でもあった
白人の貧しい層向けのジャンル。「丘(ヒル)に住む人たち」の意で、これも侮辱的な言葉だった
このヒルビリーが、後のカントリーになっていきます。ジャンルの境界は、音の違いではなくマーケティング戦略で引かれたのです。
しかし南部の現場では、音楽はむしろ混ざり合っていました。カントリーの父ジミー・ロジャースの音楽にもブルースが色濃く入っており、隣で演奏するミュージシャン同士が互いにパクり合うようなマッシュアップが起きていたといいます。
意図的に分けられたこの区分は、後の時代にまで影響を残します。2000年代のカントリーの聴衆は、圧倒的に共和党支持が強い傾向があると安藤は指摘します。白人向けに意図的に作った出発点が、根幹に残っているというのです。
クリオールと、大衆酒場で生まれたジャズ
最後のテーマはジャズです。ジャズが生まれたのは、南部の港町ニューオーリンズでした。カリブやメキシコの人々、黒人も白人も入り混じる場所です。
ジャズを生んだ鍵となるのが、クリオールと呼ばれる人々でした。
クリオールは楽譜も読め、クラシックも演奏できる教育を受けていました。ところが法律上、黒人階級に組み込まれてしまいます。
演奏できる場所がいきなりなくなるんですよ。大衆酒場で黒人と混ざって演奏し始める。これがジャズのスタート。
綺麗な舞台から酔っぱらい相手の大衆酒場へ。この落差から生まれたダイナミズムが、ジャズという音楽を形づくりました。
楽器の事情も重なります。南北戦争後、軍楽隊のラッパが払い下げられて中古市場に大量に出回り、ジャズの編成に入り込んでいったのです。
白人が黒人を、そして黒人が黒人を演じる時代へ
覚えにくいと何度もいじられつつ、ミンストレルショーはショービジネス全体の起点として繰り返し登場します。安藤は、そこで起きた立場の逆転を語ります。
当初、黒人を演じたのはアイルランド系など、白人の中でも後発で地位の低い人々でした。黒人を演じることで「まだ下がいる」という構造をつくったのです。
ところが時代が進むと、黒人自身が黒人を演じるようになります。
逆にそうすると演技力も半端ないし、何だったらグルービーだし、この人の方がええやんと立ち位置が逆転してくる。
偽りの仮面を演じるという枠組みが、アメリカのショービジネスの中で成立していく。この「演じる」という構造が、後の音楽展開で強く効いてくると安藤は語ります。
福の神は、ジャンルが人種差別というファクターと結びついていることに関心を寄せます。
結局まだ1949年、「ワンピースか!」
話は1949年まで進みます。第二次世界大戦が終わり、いよいよ1950年代が目前です。
この時期、レースレコードもヒルビリーも侮蔑的な言葉だったため、呼び方を変える動きが起きます。
黒人向けは「レースレコード」、白人向けは「ヒルビリー」と呼ばれていた
レースレコードはR&B(リズム・アンド・ブルース)、ヒルビリーはカントリーへ改称された
つまりR&Bとカントリーは、大きくは呼び方を変えたものだったのです。ブルースもマーケティング上はR&Bという大きなくくりに含まれていました。
ただし、レースレコードとブルースは別物だと福の神が整理します。レースレコードは売り手がマーケティング上で仕分けたジャンル、ブルースは歌い手の側から自然発生的に生まれたものです。
結局、この第2回でも1950年代には入れませんでした。まだ1949年。
全然その50年代の手前の話で、まだ49年、50年入ってないのよ。なんだ、ワンピースか。
次回、ようやく50年代と60年代へ。有名どころが集まってくる段階に入る、と締めくくられます。
まとめ
音楽のジャンルは、音の違いだけで自然に分かれたわけではありませんでした。人種隔離という社会の線引き、商売の都合、そして現場での混ざり合いが、ブルース、カントリー、ジャズ、R&Bという名前を形づくっていったことが、この回で語られました。
- 楽譜が主な商品だった時代、音楽家はミンストレルショー向けの作曲で生計を立てていた
- 共同体の祈りが個人の孤独へ変わったことが、ブルースの起点になった
- レースレコードとヒルビリーという区分は、音ではなく購買層で分けたマーケティング戦略だった
- 法律上黒人扱いになったクリオールが大衆酒場で演奏したことから、ジャズが生まれた
- ジャンルの境界には、人種・差別・宗教・商売・テクノロジーという当時の社会そのものが刻まれている


