ソニーからVC、そして若者向けブートキャンプへ
Zak Muraseさんは、1998年にソニーの赴任者としてシリコンバレーに来て、今年で29年目になります。ソニーでは、始まったばかりのパソコン事業「VAIO」の商品企画に立ち上げメンバーとして加わり、そこから渡米しました。
Zak Muraseさんは日本生まれ日本育ちです。大学時代にどうしてもアメリカに行きたくて1年間留学し、ソニー入社後も渡米希望を言い続けていたところ、ドットコムバブルの真っ最中だった1998年にチャンスが巡ってきたといいます。
ソニーには通算19年在籍し、内訳は日本で4年、アメリカで15年です。退社後は声をかけられてグローバルブレイン ── 日本の独立系ベンチャーキャピタル。国内外のスタートアップに投資しており、シリコンバレーにも拠点を置いていますのシリコンバレーオフィスで4年ほどスタートアップ投資を担当しました。
現在のZak Muraseさんは、ほぼフリーランスとして日本企業のシリコンバレーでの活動を手伝っています。最近特に力を入れているのが、高校生や大学生を自宅「SAIGEハウス」に招き、10日間ほど行うブートキャンプ的なプログラムです。
若い人にシリコンバレーに直接触れてもらって、自分自身のことを考えながら、これからの時代どうやって生きていこうかっていうところを若い人と一緒に考える。
聞き手の安田洋介さんは、友人の起業家の来訪に合わせてSAIGEハウスに3日間泊まり、その後にこの収録を行いました。収録場所の庭には、カリフォルニア在来種の植物が植えられています。
失われた自然っていうところが、いろんなところで影響が出てきていて。それを少しでもできるところからやっていこうって、妻の意向もあって、ネイティブの植物を植えてる。
アメリカへの憧れは、テレビ番組から始まった
安田さんは、大企業勤務、投資、若者支援と多様なキャリアを歩んできたZak Muraseさんに、根底にある軸やルーツを尋ねます。途中、飼い犬がニワトリを威嚇する一幕もあり、動物の多い家ならではのにぎやかな収録になりました。
Zak Muraseさんのアメリカへの憧れの原点は、小学生の頃に見ていたテレビ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ ── 1977年から日本テレビで放送されたクイズ番組。挑戦者がアメリカ各地を移動しながらクイズに挑み、現地の風景も大きな見どころでした」でした。当時はそれぐらいしかアメリカの情報源がなく、映し出される景色に漠然とした憧れを抱いていたといいます。
浪人時代に、自分のことをあまり真剣に考えてこなかったと気づくきっかけがありました。そこでZak Muraseさんは「アメリカに絶対行く」と決め、大学の交換留学制度を使って渡米します。親が海外関係の仕事をしていたわけでは全くないそうです。
(日本で)安心できる環境にいたところで、全く違う世界に自分の身を置いた時に、新しいことにチャレンジするってすごい楽しいことなんだなっていう。
留学では、うまくいかなかったこともたくさんありました。それでも挑戦する感覚が自分は好きだと気づき、アメリカで働いてみたいという思いが、ソニーでの赴任につながっていきます。
大企業ソニーで任された「80億円のビジネス」
安田さんが具体的なチャレンジを尋ねると、Zak Muraseさんは一番の違いとして「働き方の概念」を挙げました。ソニーは日本企業の中では比較的自由で堅苦しくない会社でしたが、それでも日本的な組織のあり方はあったと、アメリカに来て感じたといいます。
日本的な組織は、個人がエンパワーされるというより、組織としてうまく動く仕組みになっています。対してアメリカではジョブ型採用 ── 職務内容を明確に定めて人を採用する方式。日本で一般的な、入社後に配属を決める「メンバーシップ型」と対比されますが前提で、それぞれの責任範囲が明確です。
個人がエンパワーされるより、組織としてうまく動く仕組みが中心
ジョブ型で責任範囲が明確。成功すれば報酬、失敗すればレイオフもある自己責任の世界
それがうまくいけばちゃんとそれなりのリワードもあるし、それが失敗すればレイオフもされるし。だからそこはもう自己責任の世界。
Zak Muraseさんにとって、この自己責任の世界は意外なほどしっくりきました。入社4年目でありながら、アメリカで年間80ミリオンドル、当時のレートで80億〜90億円規模のビジネスを担当することになったのです。
「あ、こんなことも任せてもらえるんだ」っていう。ソニーみたいな大企業ではここまで自分がやらされるんだっていう。
大変ではあったものの、何かを任せてもらえることに大きなやりがいがあったと振り返っています。
ドットコムバブル崩壊で、車も人も消えた街
安田さんは、20年以上の間にシリコンバレーの文化は変わったのかと尋ねます。Zak Muraseさんは、シリコンバレーは本当に変化する土地だと肌で感じてきたと答えました。
1998年の着任時はドットコムバブルの真っ最中でした。ソニーは名の通った会社なので優秀な人が入ってくるものの、すぐにスタートアップへ移り、ストックオプション ── 自社株をあらかじめ決めた価格で買える権利。株価が上がれば差額が利益になり、スタートアップが人材を集める手段として広く使われていますで大金持ちになる人がわんさかいたといいます。
ソニーは人材が定着しない状況に対応しきれず、シリコンバレーを諦めてサンディエゴにオフィスを移しました。ところが移った途端にバブルが弾けます。
最近の例で言ったら、もうコロナの時ぐらいもう車が走ってない。
出張でシリコンバレーに戻ると、人がいなくなり、経済活動そのものが消えたような景色が広がっていました。かつての大渋滞はどこへ行ったのかという状態だったそうです。
バブル絶頂
人材がスタートアップへ流れ、ストックオプションで富を得る人が続出
ソニーの移転
人が定着せず、オフィスをサンディエゴへ移す
バブル崩壊
移転直後に崩壊し、シリコンバレーから車も経済活動も消える
再出発
職を失った人たちも、新しい方向へ進んでいく
Zak Muraseさんの直属の上司も、スタートアップで一旗揚げようとソニーを離れた一人でした。その会社はバブル崩壊でなくなりましたが、人々はたくましく、新しいやることを見つけて進んでいったといいます。
変わらないのは、挑戦と失敗を許す文化
シリコンバレーには、リーマンショックをはじめ何度も変化の波が来ました。それでもZak Muraseさんが一貫して変わっていないと感じるのは、チャレンジする精神と、失敗を許容する文化です。
Zak Muraseさんは、この文化に日本との対比を最もはっきり見たといいます。それが今の活動の根底にあるのかもしれない、と話しています。
安田さんは、Metaのディスプレイ付き眼鏡の例を挙げました。発表時に失敗があっても前のめりに出せるカルチャーがあり、むしろ好評だった一方、作り込んで出したGoogleがリアルと違うとバッシングされたことを、面白い対比として紹介しています。
きちきちっとしたものももちろんあるけど、本当にいい加減なものまで、もういろんなものがあって。だけどみんなこれを受け入れる土壌があるっていうのかな。
日本が変われない理由は、長い歴史にある?
安田さんは、円安で企業の派遣も学生の渡航も難しくなる中、日本がどうプレゼンスを出していくべきかとZak Muraseさんに尋ねます。
Zak Muraseさんは28年間、日本をシリコンバレーから「アウトサイドイン」で眺めてきました。その見立てでは、日本はいい意味でも悪い意味でもあまり変わりません。
(日本は)ほとんど外部から侵略されることなく、ずっと国として成り立ってきて、民族としてもほぼ単一民族で成り立ってきた。その長い歴史の上に今の日本があるって考えた時に、それはなかなか変われないよな。
イノベーションの文脈では、スピードが遅い、なぜ新しいことができないのかと感じる場面がたくさんあったといいます。それを突き詰めると、歴史にたどり着くというのがZak Muraseさんの考えです。
それでも、新しいことをやらなければと考える人は日本企業にも一部います。ただ、駐在員がやる気を持ってシリコンバレーに来ても、本社とのやり取りの中で潰されていく姿を、Zak Muraseさんはずっと見てきました。
日本人が能力がないっていうことは全くない。
起業家や投資家を含め多くのアメリカ人と接してきても、日本人が能力で劣っている感覚は全くないそうです。能力が生かされる環境じゃないことこそが不幸だ、とZak Muraseさんは話します。
ハイコンテクストな社会で育った日本人の強み
安田さんは、アメリカ人のプレゼンの上手さはショーアンドテルで鍛えられたものではないかとしたうえで、日本人ならではの強みをどう見ているかを尋ねます。
Zak Muraseさんが挙げたのは、ハイコンテクスト ── 言葉にしない共有知識や文脈に頼って意思疎通する文化のこと。文化人類学者エドワード・ホールが提唱した概念ですな世界で育った強みです。言わなくても通じる前提の上で、さらにその先をどうするかを考えられる点だといいます。
言わなくても通じる世界があり、その上でさらに先を考えられる。一方、何を伝えるべきか考えるのは苦手
話さないと通じ合えない前提で、分かり合うまでに大きなコストをかける。そのぶん伝える力に長ける
効率的ではない。そうだけど、だからこそ、相手に対して何を伝えるっていう部分がものすごく上手だし、何を伝えなきゃいけないっていうところまでちゃんと考えられる。
安田さんは、アジャイルの源流にもなったトヨタ生産方式 ── トヨタ自動車が築いた生産管理の方式。無駄を徹底して省く考え方で、ソフトウェア開発のアジャイル手法などにも影響を与えたとされますを、先を見て丁寧にプロセスを進める日本らしさの例として挙げました。Zak Muraseさんは、アメリカでは「丁寧」に行く以前で手一杯だと応じています。
変われない組織より、組織に入る前の若者へ
話題は、Zak Muraseさんが企業支援から若者支援へと軸足を移した理由に移ります。日本企業には優秀な人がたくさんいて変えようと努力していますが、組織が変われないため、使うエネルギーの割に物事が進まない状況を見てきました。
変われないものを無理やり変える、そこにものすごいエネルギーを使うのは、ちょっと逆にもったいないなと。
そこでZak Muraseさんが目を向けたのが、組織に入る前の大学生や高校生でした。自分のポテンシャルを100%、120%活かせる環境を選べれば、日本人の能力は活かされるはずだと考えたのです。
日本企業の中で変わろうとする人を支援するが、組織の壁に阻まれる
組織に入る前の若者に、シリコンバレーで枠の外を体験してもらう
ただし、日本の学校で教育を受け、日本しか知らない家族の中で育った若者には、すでに自分の枠や前提ができています。シリコンバレーに来て体験することで、その枠を自分で外してもらうのがプログラムの狙いです。
安田さんが、15歳や18歳なら挫折してもいくらでも立て直せるが、30歳、35歳になると難しいと話すと、Zak Muraseさんは「リスクを取りにくくなってくる」「守りに入っちゃう」と応じました。
自分の「当たり前」を疑う機会をつくる
最後に安田さんは、AIの進化の中でこのまま日本でいいのかとうっすら感じている人へのメッセージを求めます。
Zak Muraseさんが指摘したのは、情報過多の時代には自分が選ぶ情報しかほぼ入ってこないという点です。人間のキャパシティには限りがあり、その中だけで考えているとどこかで行き詰まるといいます。AIでは探求したいことがあっという間にできてしまうことも、その傾向を強めます。
そのためにZak Muraseさんが重視するのは、実際に外に出て見聞きし、そこにいる人たちと話す体験です。
それをやっていかないと、自分の世界の中でこもっちゃって、気づいたら世の中もずっと先に進んでて、自分はどっかにこもってたみたいなことになりかねない。
自分の能力が活かせる場所は、どんな年代の人でも再発見できるはずだとZak Muraseさんは語ります。そして、活かせるところに自分の身を置くことを、ぜひ皆さんにやってほしいと締めくくりました。
まとめ
Zak Muraseさんは、ソニー駐在からスタートアップ投資まで28年間シリコンバレーで日本企業を見続けました。その結論は、日本人の能力は劣っておらず、活かされる環境がないだけだというものです。だからこそ、組織に入る前の若者が枠の外を体験する場をつくっています。
- シリコンバレーはバブルの盛衰を繰り返しても、挑戦の精神と失敗を学びとする文化は変わらない
- 日本が変わりにくいのは長い歴史に根ざしており、駐在員の意欲も本社とのやり取りで潰されがち
- ハイコンテクストな社会で育った日本人には、言わずに通じる前提の先を考えられる強みがある
- 変われない組織に力を使うより、若者がシリコンバレーで自分の枠を外す体験を届けたい
- 自分が選んだ情報しか入らない時代だからこそ、外に出て当たり前の前提を疑う機会を自分に与えることが大切




