T字型人材の定石は、AI時代も通用するのか
この回の後半で元木さんが持ち込んだのは、「専門性はどこまで上げるべきか、あるいは上げなくてもいいのか」というキャリアの問いです。前半ではSystem1・2や記憶の整理など、AIが人間の脳に近づいていく話をしていました。
日本でキャリアを考えると、一つの分野を深く掘りつつ全体も見渡せるT字型人材 ── 縦棒を一つの専門分野の深さ、横棒を幅広い知識に見立てた人材像。専門性と汎用性を両立する理想像として語られてきましたが理想だとよく言われます。
ところが元木さんは、自分には何かの専門性を突き詰めることが向いていないと感じています。好奇心が強すぎるジェネラリスト型で、経営者の経営アジェンダを最大化するチーフオブスタッフ ── 経営トップの右腕として、優先課題の推進や部門間の調整を担う役職。特定の専門領域よりも経営全体を見る力が求められますのような役割が合っている、という自己認識です。
何かの専門性を上げるっていうことがまず向いてないなと思ってまして。好奇心が強すぎるっていう、結構ジェネラルタイプだなというふうに思うんで。
元木さんは、人とのつながりのような「その人にしかできない仕事」と経営アジェンダを掛け合わせて戦うつもりでいます。一方で、AI時代には専門性そのものの価値は薄れていくのではないか、という感覚も持っています。
ジェネラリストの弱点は「書類に書きにくい」こと
安田さんはまず、ジェネラリストである自分に弊害や不安を感じているのかを元木さんに尋ねます。元木さんの答えは、しっくりきてはいるものの、世の中の一般論からは外れるだろうというものでした。
元木さんが挙げた弱点は、職務経歴書では「何をやってきた人か、何ができる人か」が重視されるのに、ジェネラリストはその中身が書類上で分散してしまうことです。成果は「会社が伸びた」という抽象的な形になりやすく、例えば「5年で売上を30億から100億にした」といった書き方になるだろうと話します。
ただし元木さんは、AI時代だからこそジェネラリストを「選べている」感覚もあると言います。抽象度の高いアジェンダを扱えれば、実行はAIに任せられるからです。
AIだからこう、ある程度抽象アジェンダ使えたら、あと実行AIでやれるから。
まあなんかむしろパフォーマンス高くなるんじゃね?とかも思ったりするっていう。ジェネラリストの。
キャッチアップの経験が多い人ほど、次も速い
安田さんも、正解はわからないと前置きしたうえで、「専門性をつけなければ」という話は変わってくると考えています。その道20年、30年の人にしかわからないことは一定程度残るにしても、AIはすでに物理に詳しい人くらいのことは知っているからです。
安田さんによれば、知識にアクセスでき、それを読み解くリテラシーさえあれば、以前はプロを呼ばないと絶対にできなかったことができる範囲が広がっていきます。そうなると問われるのは、新しい領域にすぐキャッチアップできるかどうかです。
そのキャッチアップの速さを左右するのは、他の領域にどれだけキャッチアップした経験があるかだ、と安田さんは考えます。一つのとても細い領域だけを極めた人が、まったく違う領域へいきなり移るのは難しいだろうという見立てです。
ここにもキャッチアップしたことがある、ここにもキャッチアップしたことがある中で、このここにもキャッチアップするみたいな方がやっぱりキャッチアップできそうな気はしたりするので。
ただし安田さんは、どこにもしっかりキャッチアップせず中途半端なことばかりしてきた人については、AIがあってもキャッチアップできなさそうだと釘を刺します。ジェネラリストが有利になるというのは、そういう意味ではないということです。
高いレベルの経験はあるが、まったく違う領域へいきなり移るとキャッチアップが難しい
経験の積み重ねがあるぶん、新しい領域にもキャッチアップしやすい
深さでも広さでもなく「面積」で考える
安田さんの話を受けて元木さんは、キャリアにおける「広さ」と「深さ」の定義そのものが変わりそうだと感じます。安田さんはそれを「面積」という言葉で言い表しました。
面積が大事であってみたいな。もちろんそれは高さを究極的に突き詰めても、なんか別に一個だけだったらそれって面積全然ない話だしみたいな。
安田さんの「面積」のたとえでは、一点だけを極端に高く突き詰めても面積はほとんどありません。逆に、厚みがまったくないまま横に広げても、やはり面積は生まれません。
つまりAI時代のキャリアで大事なのは、深さか広さかの二択ではなく、ある程度の厚みを伴った領域をいくつ持っているかだという捉え直しです。
「分かっている」と「できる」の差は身体感覚にある
元木さんは、キャッチアップの中でいちばん重要なのは身体感覚を伴っているかどうかだと考えています。頭で理解していることと、実際にわかってできることには大きな差があるという感覚です。
例えば「お客さんの声聞くの大事だよね」とかって言われるし、「コストカットって大事だよね」とかって言われるけど、やっぱやってみて本当に大事だなと思うかみたいなものとかって全然違う感覚があって。
安田さんもこれに強く同意します。ビジネスでも仕事でも、結局は現実の中でどうするかが問われ、パターンを百科事典のように頭に入れていても、目の前の問題をスムーズに解けるとは限らないからです。
安田さんがその理由として挙げるのは、たいていのことは実際にやってみると少しずれていて、微調整が必要になるという点です。その微調整をどこまでうまくできるかは、身体感覚的な調整に近いと話します。
大体のことってやってみてちょっと違って、微調整しなきゃみたいな話って相当ある気がするんだよね。
頭の中に知識のパターンが百科事典のように入っている
実際にやってみて、ずれを身体感覚で微調整できる
安田さんは、完全な相関ではないと断りつつ、運動が苦手で不器用な人は仕事の中での微調整も少し苦手そうに見えることがあるとも話します。だからこそ幼少期に身体感覚でいろいろなことを吸収し、トライアンドエラーを重ねることは、まだまだ大事なのではないかと考えています。
シリコンバレーの新卒は、なぜ起業やインターンに向かうのか
元木さんは、AIによる代替が雇用にどう表れているかを尋ねます。1〜2年前には名門校を出てもエンジニアとして採用されにくくなったという話がありましたが、今の新卒採用ではどんな人材が求められているのか、という問いです。
安田さんは、シリコンバレーはアメリカの中でも特殊なので自分にはバイアスがあるかもしれないと前置きします。そのうえで、若いうちに起業しろ、あるいはインターンをしろという流れが強まっていると話します。
何か事業をやる、何かを作って売る、なんかもうそういうハンズオンな世界にさっさと入ってけみたいな。
元木さんがこれは「面積」の話に通じるのかと尋ねると、安田さんはそれもあると答えます。加えて、知識をあらかじめ身につけておかなければいけないという前提が崩れた、という意識が大きいと言います。
知識の修行場としての大学の前提が崩れた
安田さんによれば、大学には、仕事に出る前に必要な知識を一定程度入れ、使えるようにしておく「修行場」としての側面が大きくありました。
しかし今は、AIを使えばわざわざ大学に行かなくてもキャッチアップしようと思えばできてしまいます。それなら、AIという最強の辞書を持ったうえで、ハンズオンの機会が山のようにあるスタートアップの世界に入ったほうがいい、という考え方が強まっているのではないかと安田さんは見ています。
AIっていうなんか最強の辞書というか、最強の知識、その抽出機みたいなものを持った上で、もうハンズオンの機会がもう山のようにあるスタートアップの世界に入っちゃった方がいいよねみたいな。
従来の前提
仕事の前に、大学という修行場で知識を入れておく必要があった
AIの登場
知識はAIでわかりやすくキャッチアップできるようになった
新しい選択
AIを辞書として持ち、ハンズオンの機会が多いスタートアップに入る
一方で安田さんは、これはバランスの問題だとも付け加えます。最先端の研究に取り組む人がゼロになっては困るので、全員がそうすべきではありません。ただ、研究者は本当に一握りでよく、AIにすらできないことができる人だけが残る熾烈な道になっているとよく聞くそうです。
意思決定はAIにどこまで委ねるべきか
元木さんが最後に持ち込んだのは、経営判断をAIにどこまで任せるかという問いです。身体性を伴って面積を広げれば、そのぶんAIと共有できる範囲も広がる、というのがここまでの話でした。
元木さんは、その一方で、自分は成長しなくてもAIの言うことを聞いていればいいという、AIを自分の上に置く極端な発想もありうると指摘します。逆に、人間が主でAIが従だという考え方もあります。
AIと人間の協業におけるこのマッピングがあるってことで、百人間判断と、いやこれ百AIでいいじゃんと、五十五分じゃね?みたいなこと(がある)。
安田さんは、この塩梅は領域によって決まる面もあるものの、企業のフェーズにも左右されそうだと答えます。
正解を当てるより、探索が進むほうが大事
安田さんは自身のスタートアップを例に挙げます。スタートアップでは正解はぶっちゃけ誰にもわからず、安田さんにもAIにもわからない状態です。だからこそ、判断が合っているかより、探索が上手に進むかのほうが重要だと考えています。
むしろ間違ってる仮説を出せる俺の方が偉いまであるかもしれないっていう。
間違った仮説をチューニングしていくことで、かえって意外な正解にたどり着く可能性もある、というのが安田さんの見方です。どこまで探索性を求めるかは時間軸によっても変わります。
ある程度成長した企業でも、さらに上を目指して探索するのも正解かもしれないし、ここでいいと判断するのも正解かもしれません。安田さんは、究極的には「あなたが好きなほうでいいのでは」というところに行き着く気がすると話します。
元木さんはこの話を両利きの経営 ── 既存事業を磨き込む「深化」と、新しい可能性を試す「探索」の両方に経営資源を割くべきだとする経営理論に重ねます。日本企業は改善に寄った深化に偏りがちで、探索すらAIに最適化された新規事業の仮説を出してもらいたがる傾向があるのではないか、という指摘です。
そのうえで元木さんは、安田さんの「探索がどれだけ進むかが大事で、間違った仮説を出すほうがよい結果につながる」という考えは、人間とAIの協業の本質的なエッセンスだと受け止めました。
イーロン・マスクのように「お前はそう言うけどさ」と粘れるか
安田さんは、このスタンスは過小評価されているかもしれないと言い、その極端な参考例としてイーロン・マスクを挙げます。マスクは、取り組もうとする技術分野で最初から最先端の人ではなく、本人もそれを自覚していると安田さんは見ています。
それでもマスクは専門家に話を聞きに行き、「絶対無理」と言われても「こうしたら、ここさえ解けたら」と粘り続けます。その結果、専門家が「意外といけるかもしれない」とその気になり、実際に実現してしまう。それを何度も起こしてきたのがマスクのすごさだと安田さんは話します。
いやなんかそういうスタンスをAIに対しても持つってめっちゃ大事なんだろうなって思って。いや、お前もそう言うけどさみたいな。
安田さんは、AIに「それは難しいと思う」と言われても、いけそうなら試してみて、ダメならそれでいいという姿勢で進めることがあり、それで結果的にいい方向へ行った経験もあるそうです。
元木さんは、パッションやエージェンシーこそがすべての起点だと応じます。それがなければ、最適化されたものや論理的に正しく見えるものが正解だと思い込んでしまうからです。
安田さんはさらに、AIと対話する中で、自分が「こう考えればいけるかも」と気づき、AIも「前提が変わればそうかもしれない」と応じることがあると話します。自分だけでもAIだけでも届かなかった場所にたどり着けることが、AI時代には大事なのではないかという見方です。
元木さんは、意思やパッションは起点の話であり、それをビジネスに実装するときに必要なのが探索し、確率から逸脱してもいいとするスタンスだとまとめます。AIからはバカに見える選択でも、結果を出すうえでは意外とそのルートがある、という点に人間とAIの協業の本質を見ています。
人間はなぜ非合理でいられるのか
安田さんは、探索と活用の問題は数学の理論の中でも、究極的に合理化できる答えはないという話にすぐ行き着くのが面白いと話します。
AIは合理的に考える役割を担っていくからこそ、人間側は非合理だけど意味のあるものが何かを考え、そちらに向かうほうが合うのではないか、というのが安田さんの考えです。
逆に何で人間はそんな非合理であれるのかもちょっと気になってきたけど。
元木さんのこの問いに、安田さんは「人間はボトムアップで生まれてきたから」というシンプルな答えを示します。AIは設計されて作られる、トップダウンの存在だからです。
よくわからない確率論の中で、途方もない時間をかけてボトムアップで生まれてきた
設計されて作られる、トップダウンの存在
安田さんによれば、生物や人類は途方もない時間軸の中で、生き残りによって一定程度合理化された結果として今の形になっています。成り立ちが根本から違うことが、人間とAIの振る舞いの違いにも表れているのかもしれない、と安田さんは話して対話を締めくくりました。
まとめ
AI時代のキャリアでは、一点を深く掘るか広く浅くかの二択ではなく、厚みを伴った経験の「面積」が問われるのかもしれません。そして意思決定では、AIの最適解に従うだけでなく、パッションとエージェンシーを起点に、あえて非合理な仮説で探索を進められる人間の価値が浮かび上がりました。
- AIで専門知識へのアクセスが容易になり、複数領域にキャッチアップしてきた経験がそのまま次のキャッチアップ力になる
- 深さだけでも広さだけでも「面積」はゼロで、厚みと幅の両方が必要になる
- 「分かっている」と「できる」の差は、やってみて微調整できる身体感覚にある
- スタートアップでは正解を当てるより探索が進むことが重要で、間違った仮説を出せる人にも価値がある
- イーロン・マスクのように、AIに対しても「お前はそう言うけどさ」と粘れるスタンスが協業の鍵になる







