庭から始まったネイティブアメリカンへの関心
安田さんがある場所へ遊びに行った時、きれいに手入れされた庭が、ネイティブアメリカンの文化への関心のきっかけになったといいます。
その庭では、ヨーロッパから人が流れてくる前に住んでいた先住民族の生態系を、少しでも取り戻そうとする取り組みがされていました。
なんかそこの庭についていろいろ聞いたんですけど、実はネイティブアメリカンの人たち、要は先住民族が、本当に千年前とかに、今のアメリカ人とかと全然違う植物環境で住んでたっていう。
ヨーロッパからの入植で牧草などが持ち込まれ、生態系が大きく変わってしまった弊害があるといいます。
そのため、昔この地に根付いていた植物を庭に植えると補助金やサポートが出る、という取り組みが起こっているそうです。
安田さんは、シリコンバレーに住んでいても、千年前にどんな人がいてどんな暮らしをしていたのか、その跡形をほとんど感じられないことに興味を持ったと話します。
縄文とカリフォルニア、そしてヒッピーからジョブズへ
安田さんがAIで調べてみると、カリフォルニアの先住民文化は日本の縄文時代と近そうだと感じたといいます。
理由は、山や森があり海も近いという環境の共通点です。日本も島国で、山と海が隣接している点が似ていると話します。
安田さんは以前から、日本とシリコンバレーのカルチャーは親和性が高いと考えていました。ジョブズが日本を好んでいた点や、職人気質と高い視座の組み合わせに注目しています。
この話の流れで、元木さんがネイティブアメリカン系の儀式に参加した経験があることがわかり、話題が広がっていきます。
安田さんによると、今のシリコンバレーの人々とネイティブアメリカンは民族としてはほぼ関係がなく、後から来た人たちだといいます。ネイティブアメリカンの食事を出すレストランも、このエリアに数軒ある程度だそうです。
今のシリコンバレーの人たちは、ネイティブアメリカンの文化からどういう影響を受けているのですか。
一時期カリフォルニアで強かったヒッピーカルチャーが接点になったと安田さんは説明します。ビッグサーのような先住民の聖地とされる場所に、ジョブズら後の世代の人々が神秘性を感じて集まり、修行のようなことをした流れがあったといいます。
論理を超えた「外れ値」を侮らない土地
元木さんが、そうした文化と大きな夢を目指す志向に相性はあるのか尋ねます。
安田さんによれば、ヒッピーの人々自体は今のコミュニティの幸せを重視することが多いといいます。ただ、ジョブズのような外れ値的な人も現れると話します。
科学だったり論理だけでは語りえない力、そういうものの大事さを会得しながら、それをどうやってテクノロジーでスケーラブルにやるのか、両方を追求する。そういう外れ値の人がちょこちょこ出てくる。
そうした人々が実際に外れ値的な成果を起こすため、論理を超えた何かを侮れないという感覚を、このエリアの人はうっすら共有しているのではないかと安田さんは見ています。
死と再生の儀式、スウェットロッジ
元木さんは、自然を崇拝するアニミズムのように、大いなるものという切り口を挙げます。
そして自身が参加したネイティブアメリカンの儀式、スウェットロッジについて語ります。それは死と再生の儀式と言われるものです。
150度ぐらいの高温のサウナに夜の0時ぐらいから30分入って、歌って祈る。最後に出て、新しい人に生まれ変わる的な、そういう儀式で。
自分は一回やって、マジで脱水症状になって痙攣したんで、結構つらかったな。でもすごい良かったんだけどね。
元木さんは、大いなるものがあるのかないのかは科学的には答えが出ないかもしれないと言います。それでもネイティブアメリカンは何かを信じ、日本人も神社で手を合わせると話します。
そうした非合理な感覚と、自分の夢を掛け合わせるところにクリエイティブジャンプが起きる。理詰めだけでは到達できない何かに、別の角度で近づけるのが面白い営みだと語ります。
エゴが溶けて、より大きなものへ向かう
安田さんは、シリコンバレーには働かなくてもよさそうな人が死ぬほど働くケースが多いと指摘します。
ジョブズが後年のAppleでiPhoneのような大きなインパクトを生み出したことも、自分のためだけでは説明がつかないと話します。
その先にもっと大きいものを見てる。人類のため、宇宙のため。自分よりスケールのでかいもの、大いなるものに向かっていく。エゴが溶けて、より大きなミッションに向かっていく精神性が原動力の人が多い気がする。
元木さんは、スウェットロッジのような一度半分死ぬような体験が、この「エゴが溶ける」感覚と重なると受け止めます。
さらに、人間はそれぞれ思考の枠組みを持って生きており、その枠を超える自己変革によって次の未来に行ける、という考え方を紹介します。
抑圧・苦しみ
自分の枠組みの中で壁にぶつかる
死と再生の体験
半分死ぬような体験で枠を超える
エゴが溶ける
自分中心の視点がゆるむ
大義への没入
自分より大きなミッションに向かう
偉人が覚醒する条件をAIに聞いてみた
話題は、人間の認識と創作へ移ります。元木さんは、イーロン・マスクやゴッホには他人には見えない世界が見えていたのではないかと話します。
AIでいろいろ制作物が作れていくとなった時に、じゃああなたにしか作りえないって何だろう、というテーマがすごいあるなって感じますね。
これを受けて安田さんは、AIに「人の覚醒条件は何か」を尋ねた経験を紹介します。覚醒したと言える偉人を列挙し、そのタイミングやトリガーの共通点を探ったといいます。
大体において、強く抑圧的な期間、苦しい期間というものが、すべからく覚醒の前に出てるっていうのが実はあるんだよね。
例として、重いうつ状態だったとされるリンカーンや、長い牢獄生活を経たネルソン・マンデラが挙がりました。
安田さんは、抑圧や死にそうな体験からの解放を経て、エゴだけでなく大義に自己同化していくプロセスが歴史的に多いと語ります。
その上で、みんなが苦しまなくても、もっと小さいサイクルで日常に組み込めないか。AIと組み合わせたプロダクトで引き起こせないかと考えていると話します。
バグと社会、そしてジャイアントキリング
元木さんは、こうした人々は今の社会に溶け込みにくく、難しさを抱えている可能性があると指摘します。
安田さんは、マンデラの投獄やガンジーの若い頃のエキセントリックな行動を例に、尖りを含めて寛容な社会になることの重要性を語ります。
元木さんは、安田さんがシリコンバレーで起業していること自体が一種のバグではないかと投げかけます。
僕もかなり周りを見て意思決定するということをほぼしてこなかった人間で、むしろ逆張りしに行くのは昔からやってるから、結構バグってはいるんだろうな。
一方で、今は起業しづらい時代ではないかという話にもなります。SNSですぐ評価される環境や外部環境の変化が背景にあります。
本当は俺が好きなのって、もっとジャイアントキリングが起きて、何でもない人がすごいことをなすみたいな方なんだけど。今はすでに持ってる人たちが成功を加速する感じに寄ってきてる。
アイデアだけでは突破しにくく、ニッチを攻めるには業界の解像度やビジネス経験が必要になる。そこにジレンマがあると2人は話します。
若い世代の機会と、教育の正解のなさ
安田さんは、教育系の活動をする人たちが、10歳や12歳といった若い世代にこそグラントやインセンティブを整えるべきだと強く語っていた話を紹介します。
一方で、若くしてグローバルに活動するには親や周りへの依存が大きく、フェアな機会をどう提供するかが難しい課題になると指摘します。
話は自身の子育て観にも及びます。元木さんは幼少期にモンテッソーリ教育を受けたといい、自由に羽ばたく良さと、日本社会では摩擦を生みやすい面の両方を挙げます。
どんな素晴らしい教育スタイルでも、何かを選べば何かを失われる。トレードオフ。正解なんてやっぱねえのかなみたいな。子供に合わせて全力を尽くすってことなのかな。
中道と、両極を統合するエネルギー
安田さんは、高校時代に影響を受けた仏教の「中道」の概念を持ち出します。
中道って、ちょうどいい点があるんじゃなくて、その場に応じて幅を持ってて、いかにその場その場に適用できるか、この広さそのものが大事なんだよっていう話。
そこから、森の中での経験も都会での刺激的な体験も、両方をグラデーションとして持つことでたくましく育つのではないかと語ります。
元木さんは、まず経験の面を広げて自由度を上げ、その中で一番響くものへ突き抜けていけばいい、と受け止めます。
最後に安田さんは、日本文化を得た上でシリコンバレーに入ることを、両極の統合と表現します。
両極だからこそ、統合した時のエネルギーがすごいみたいな仮説を、ちょっと試してるところも若干ある。
ネイティブアメリカンとヒッピーカルチャー、日本とシリコンバレーという両極をどう統合するか。その系譜の中心にジョブズがいるという話で、対話は締めくくられます。
まとめ
庭のネイティブアメリカンの植生から始まった対話は、大いなるものへの感覚、偉人の覚醒条件、そしてAI時代に「自分にしか見えない世界」をどう引き出すかへと広がりました。2人は、両極を統合するエネルギーに可能性を見ています。
- カリフォルニアの先住民文化は、山と海が近い環境などで日本の縄文的感性と近いと語られた
- ジョブズらの原動力には、エゴが溶けてより大きな大義へ向かう精神性があると指摘された
- 覚醒したとされる偉人には、強い抑圧や苦しみの時期が先行する共通点があるとAIの分析から示された
- 正解は「点」ではなく幅であるという中道の考えが、教育や生き方の軸として語られた
- 日本とシリコンバレーのような両極を統合するときのエネルギーに、対話の仮説が置かれている


