AIとの距離感を発信する番組で、今日話したいこと
大山さんの番組「いつも自分時間」は、自分を変えずに生きていこう、という考えを軸にした番組です。
テーマのひとつが、AIと心、そしてAIで疲れないための距離感です。大山さんは「ほぼAIと離れましょうという内容になってしまう」と笑いつつ、そんなに疲れなくてもいいのでは、という思いを語ります。
今回のきっかけは、大山さんが最近ずっと感じている、AIで書いた文章への違和感です。前日のブログでは、その違和感を「そこに自分自身がいるから」と結論づけていました。
AIの文章になんか違うと感じるのは、そこに自分自身がいるからでした。
そして前日は、その違和感をあえて逆転させて「僕は直さない」という放送をしたそうです。今回はそこからさらに深掘りしていきます。
問題解決が早すぎると、思考はどうなるのか
大山さんは、AIで書いた文章に感じる違和感の正体を「自分の考えや思考ではないか」と推測します。あまりにも問題解決が早いと、その後に頭の中で組み立てる力が落ちていくのではないか、という気になり方です。
気になって調べてもみたそうですが、腑に落ちない部分が残ったと言います。昨日も2本収録して結論を探しましたが、出てこなかったそうです。
何だろう、この腑に落ちない部分があります。だからこう昨日も2本撮らせていただいて、なんか出てこないかなと思って撮ってたんですけど、出てこなかったんですよ、結論は。
もともと文章を書く仕事をしてきた大山さんは、文章を書いているうちに結論がどんどん変わっていく感覚を大事にしています。伝えたいことから構成して書き始めても、途中で違う道を見つけたり、何かに気づいたりするからです。
途中で書くのをやめてご飯食べたりすると、違う結果が生まれることもあるんですね。
ところがAIを使うと、それが早すぎるのだと言います。タイトルを書いて少し書くだけで、文章が最後まで一気に膨らんでしまうのです。
早すぎる結論が奪う「記事の成長」
大山さんは、早すぎる結論に至ってしまうことで、投稿できる形にはなっても、書き手が育てたかった記事の成長にはなっていないのでは、と感じています。
内容として間違っていなくても、その日の記事が思ったようには育っていない。だからこそ、そこは自分でやったほうがいいのではないか、というのが大山さんの引っかかりです。
リライトをAIにお願いするのもありだとしつつ、それでも途中の部分は自分の手を入れたい、という気持ちがにじみます。
「類似の終着点」という言葉が示すもの
大山さんがリサーチした文献のなかで印象に残ったのが「類似の終着点」という言葉です。名前だけでなんとなくイメージがつく、と大山さんは言います。
言ってた言葉が、類似の終着点という言葉を使ってたんですよ。なんとなくイメージつきますよね、類似の終着点。
どういうことかというと、一生懸命考えたり思いを言葉にして書き始めても、どこかでAIの支援を受けて組み立ててしまうと、結果として似たようなものに寄っていく、という話です。
本来は思考のログを重ねながら、どんどん結果が自分の色に変わり、自分の文章として完成していきます。その途中が一気に抜けてしまうと、道筋が言語モデル側に吸収され、似たようなところにたどり着いてしまうと大山さんは説明します。
途中で結論が変わり、思考のログを重ねながら自分色の文章に育っていく
道筋が言語モデル側に吸収され、似たような終着点に寄っていく
台本を作らず話す、大山さん自身のやり方
この「途中」の話は、大山さん自身の収録スタイルとも重なります。大山さんは台本を作らず、どんな内容を話すかは自分に任せているそうです。
何を話していいか、いつも焦ってます。
導入があって中身があって、どう着地するかという道筋を決めておけばいい、とも思うそうですが、大山さんはそれも嫌いだと言います。決めると頭が真っ白になり、脳が働かなくなるからです。
だからタイトルだけは、気になっていることがそのままタイトルになっている状態で話し始めます。話しているうちにどこかへたどり着く、たどり着かない場合も多々ある、というのが大山さんの正直なところです。
そうして録った音声を、あとで文字起こしを読んでもらいながら一次ソースとして扱い、音声メモのような形でリスナーに届けています。何かのヒントになれば、という思いです。
桃太郎で考える、自由なはずの物語の結末
大山さんは、書いている時間や話している時間そのもの、つまりログが大事だと言います。どう説明し、どう展開して、自分で納得した着地点に行くのか。そこを途中でAIに渡すと、似たような物語になってしまうと考えています。
たとえに使うのが桃太郎です。自分で考えたらどこに着地するかわからないのに、AIに任せると鬼を退治して宝物を持って帰る、という決まった結末に寄っていく、という話です。
せっかく一人ひとりの桃太郎なはずなのに、自由に考えていい物語なはずなのに、結局そういうエンディングが待っているとしたら、つまらないじゃないですか。
一人ひとり違うはずの桃太郎が、同じエンディングに収束してしまう。それが文章を書く側、物語を作る側として引っかかる点だと大山さんは語ります。
終わっていない問いは、渡してはいけない
大山さんが今回たどり着いた結論はシンプルです。自分の中での問いや違和感が終わっていないうちは、AIに渡してはいけない、というものです。
一方で、自分の中ですでに決着がついていて、こういうものでした、という着地まで見えている場合は別だと言います。その道筋を書いたうえで、何かを付け加えるためにAIの手助けを借りるのはいい、という立場です。
ただし、あまりに早く問題を解決してしまうと、AIによって着地点まで変えられてしまう場合がある。だから問題を早く解決するのではなく、どう解決したか、どう導いてきたかが大事だと大山さんは話します。
夫婦や人間関係の問題も、早く解決すればいいわけじゃない
この考え方は、文章だけの話ではありません。大山さんは、早く解決すればいい問題もあるとしつつ、そうではない問題もあると言います。
日々起きる問題として、意見のぶつかりや過ごし方の違いを挙げます。たとえば夫婦の問題で、一番手っ取り早いのが離婚です、というAIの回答でそのまま離婚してしまうのは違うのではないか、というたとえです。
一番手っ取り早いのが離婚ですっていうAIの回答で、それで離婚してしまうなんて、ちょっと違うじゃないですか。
人間関係も同じで、どっちが良い悪いではない場合や、どっちも良いという場合もあります。AIに任せて中身のペラペラな文章を作っても仕方ないから、音声を録っておきましょう、というのが大山さんの第二の結論です。
省いてはいけない「途中」を残すために
大山さんは、この番組がすでに10分以上話していることに触れつつ、こんなに長く話す必要もない、癖がついているのかもしれない、と笑います。
そのうえで「類似の終着点」という言葉だけは頭に置いてほしい、と伝えます。自分の文章が似たようなものになっていないか気になったら、そこを解決してから肉付けしたほうがいい、という提案です。
大山さんにとって、その違和感こそが個性であり、良さでも悪さでもあります。個性を出すために、自分を出現させるために書いている、という思いがあります。
端折っちゃいけないところを端折ったという言葉は使わないかもしれないんですけど、省いてはいけないところなのではないでしょうか。
最後は「皆様いかがでしょうか」という問いを残して、大山さんは放送を締めます。自分が続けているデイジーチェーンという運用方法も、気まぐれで途中で道が変わる可能性があると言い、それもまた一つの物語だと語りました。
まとめ
答えが早く出るのは便利ですが、書いたり話したりする「途中」にこそ自分の思考のログがある、という回でした。終わっていない問いや違和感は、そのままAIに渡さないでおく。その姿勢が、似たような終着点に流されない自分の言葉を残すことにつながります。
- AIで書いた文章の違和感の正体は、抜け落ちた自分の思考ではないか
- 途中からAIに渡すと、道筋が言語モデルに吸収され「類似の終着点」に寄っていく
- 結論の早さより、どう解決し、どう導いてきたかという過程が大事
- 自分の中で問いや違和感が終わっていないうちは、AIに渡さない
- 夫婦や人間関係の問題も、早く解決すればいいとは限らない







