スマートなプロフィールの裏にある「お詫びと若気の至り」
第2回の冒頭で、聞き手の田中さんは前回の印象を振り返ります。杉山さんのキャリアを深掘りするなかで、「お詫び」や「若気の至り」という言葉が繰り返し登場したことが、田中さんにとって意外だったと言います。
杉山さんって、ホームページとかのプロフィールを拝見すると、スマートで、今まで全てのキャリアをちゃんと順序立てて計画練ってやってきた感じがあるわけですよ。
意外とドタバタじゃねえかみたいな。
杉山さんはこれを笑いながら受け止めます。プロフィールは仕事の依頼や講演につなげるために整理して並べているものだと説明しました。
(プロフィールは)嘘は書いてないつもりなんですけど、一応こう、整理整頓して並べてるのかなと思いますけどね。
田中さんはここから、アメリカ時代の話に続けて、熊本に戻ってきてからの経緯をもう少し聞きたいと切り出します。杉山さんが外資系IT企業のAmazonに勤めた後、熊本で起業に至った流れを掘り下げていきます。
家族の拠点と仕事の拠点、2回の「熊本に戻る」
杉山さんはまず、熊本に戻るタイミングが2回あったと整理します。生活の拠点を戻すタイミングと、仕事の拠点を戻すタイミングは別だったと言います。
1回目は、アメリカの法律事務所に10年弱勤めた後、家族の生活拠点を熊本に戻したタイミングです。このときに杉山さんはAmazonに移りました。
2回目は、Amazonに4年勤めた後です。この間、杉山さん自身は熊本から東京へ毎週通っていましたが、その後に独立して現在に至ります。
ニューヨーク生まれの上の子と、六本木の事務所隣での子育て
杉山さんの上の子は、ニューヨークで生まれています。生後3ヶ月で東京に戻ってきたため、現地での子育て期間はわずかでした。
子育てって言うほどでもないけど、一応セントラルパークをベビーカーで散歩させたことは一応。
その「ニューヨーク生まれ」という事実を、上の子自身が大切にしているようだと杉山さんは話します。
上の子はね、やっぱ自分がニューヨークで生まれたって、なんかすごい大事にしてるみたいですよ。
帰国後、アメリカの弁護士の仕事は時差もあり労働時間が長いものでした。初めての子育てと両立できるか分からなかったため、杉山さんは勤務先の法律事務所があった六本木の、オフィスのすぐ隣のマンションに住みます。
朝会社に行って仕事して、夕方帰ってきて、子供を風呂に入れてご飯食べてまた戻るみたいな。
二人目の妊娠と、熊本移住を決めた「お試し」
そうしているうちに二人目の妊娠が分かり、子育てがより本格化するなかで生活をどうするかが課題になります。杉山さんの妻は熊本出身で、里帰り出産をすることになりました。
六本木の住まいは、目の前が高速道路でコンクリートに囲まれた環境でした。子育てを考えると熊本のほうがいいのではないか、という思いは夫婦で共通していたと言います。
子育てのことを考えたら熊本の方がいいんじゃない?お互い共通のイメージが湧くわけですよ、妻と私。
里帰り出産は、実質的に「妻と子が熊本で暮らす」お試しの機会にもなりました。そのまま試してみて、どうなるかを見てみようという話になります。
妻の実家の近くに、英語で教えてくれる幼稚園があったことも後押しになりました。下の子が2歳になる前から入れてくれるという情報が決め手の一つになります。
下の子がその時2歳になるかならないかだったんですけど、そのくらいから入れてくれるよみたいなのがあって。超いいじゃんみたいな話になって。
企業の中で法律を「当てはめる」仕事への関心
熊本移住を決めた杉山さんは、いまの法律事務所の弁護士を続けられるかを考えます。移動や週末の負担が大きく、続けるのは難しいと感じていました。同時に、10年の弁護士経験のなかで感じ始めていたこともありました。
杉山さんはもともと日本銀行に勤めており、企業側の意思決定に関わる経験がありました。法律を専門的に突き詰める道もある一方で、事業の目的のために法律を使う「企業側」の仕事もやってみたいと考えるようになります。
杉山さんは、法律で大事なのは「当てはめ」だと説明します。ルールを知って説明するだけでなく、目の前の状況にどう当てはめるかが重要だと言います。
これ確かに当てはめなんだけど、これ会社がやりたい方向と合ってないよねっていう時、結構あったりするんですよ。
田中さんは、この感覚をコップと水にたとえます。事業の方向性を知ったうえで、どんな形のコップに、どれだけ水を入れるかを見極める仕事だという整理です。
違う形のコップにパンパンに水を入れても、すぐこぼれちゃいますよとか、バランス崩しちゃうとかあるわけですよね。
Amazonへ「金曜のフライトに間に合う働き方」を交渉して入社
杉山さんは当時36歳ごろ、これから回転の早い領域に身を置くなら今のうちに学んでおくべきだと考えました。ITが来ている実感のなかで、その領域で企業法務をやってみたいという思いがありました。
熊本でアメリカの弁護士がフルタイムでできる仕事はイメージが湧かず、結論はすぐに出ました。東京で外資系のインハウス(社内弁護士)であれば、土日は家族と過ごせるだろうと考えます。
オファーをもらった後、杉山さんは上司になる人に、金曜のフライトの時間に間に合う働き方でないと難しいと伝え、了承を得ました。前回のエピソードでも触れられた交渉です。
当時はまだリモートワークが一般的ではありませんでしたが、Amazonは拠点やタイムゾーンの異なる働き方が前提にある会社でした。フレキシブルでなければ回らない環境が、杉山さんの働き方を受け入れる土壌になっていたと言えます。
(Amazonは)本拠地になるシアトルと東海岸で3時間違うわけですよ。そうすると、どっちもフルタイムで働いて重なる時間が違うとか普通にありましたよね。
Amazonで学んだ「ワンウェイドアとツーウェイドア」
Amazonでの4年間について、杉山さんは刺激が多く勉強になったと振り返ります。仕事の進め方が、それまでいた組織とはまるで違ったと言います。
杉山さんによれば、日本企業が計画を詰めてそこからずれないように進めるのに対し、Amazonは「とにかく動け」という考え方が根本にあったと言います。進むなかで変わっていくという前提です。
象徴的に残っているのが、「ワンウェイドア」と「ツーウェイドア」という考え方です。戻れる決断は早く試し、戻れない決断は慎重にする、という判断の枠組みでした。
一度出たら戻れない決断。顧客の信頼のように、失うと取り戻せないもの。しっかり考えて進める
戻ってこられる決断。投資した時間やお金を取り戻せるもの。早く試し、ダメなら戻ってまた考える
お客様の信頼はワンウェイだから、これはもう絶対曲げられないけど、別にちょっと失敗していいじゃん、また次行こうよっていう。むしろ早く回ることが大事だっていう。
多様な組織を束ねる「リーダーシッププリンシプル」
杉山さんは、Amazonの仕組み化の徹底ぶりに驚いたと言います。判断の枠組みとして「リーダーシッププリンシプル」という行動様式があり、ネットで検索すればすぐ出てくるほど公開されています。
杉山さんは、この仕組みが巨大で多様な組織を同じ方向に向かせていると分析します。バックグラウンドの異なる社員が世界中にいるからこそ、共通のアンカーが必要だという理解です。
だからこそそこにアンカーになるものがあって、みんな同じものを見て同じように考えるんだよっていう、そこの部分がはっきりしてるから、これだけ多様な、また巨大な組織が同じ方向を向いて動いていける。
日銀・老舗法律事務所・Amazon ― 対照的な文化を渡り歩く
杉山さんのキャリアは、性格の異なる組織を渡り歩いてきたものでした。最初に入った日本銀行は、信頼と継続性を重んじる、非常に固い組織だったと言います。
新人時代、杉山さんは文章を「テニオハ」まで直された経験を語ります。総裁のメッセージは単語一つで意味が変わるため、言葉の扱いが極めて厳格でした。
当時パソコンあったけど、上司に持っていくとプリントしたやつを赤鉛筆で真っ赤にされて。結構折れそうになるぐらいやられましたけど。
次に移った法律事務所は、創業が1849年という歴史のある組織でした。入所時にはパートナーから、事務所の創業者も登場する本を渡され、まず読むように言われたと言います。
そこからAmazonへ移り、文化は一変します。ただしAmazonも「書き物の文化」だと杉山さんは言い、社内プレゼンではパワーポイントが禁止されている点を挙げました。
(Amazonの社内では)字の細かいあれでびっしり書いて、Wordを例えば六枚とかで企画書を用意して、箇条書きとかじゃなくて。それをしっかり読んで、じゃあ議論スタートみたいな文化なんですよ。
固い組織で鍛えた文章力が、革新的なAmazonのWord文化で活きる。田中さんはこの「カルチャーのミックス」を、行きあたりばったりがうまくつながった例として面白がりました。
40歳を前に「アクセルを踏んだら走る仕事」を求めて
Amazonを辞めた理由について、杉山さんはまず二拠点生活で生まれたつながりを挙げます。週末を熊本で過ごすなかで、子供のパパ友など新しいコミュニティに接するようになりました。
高校まで熊本で過ごした杉山さんにとって、地元での「大人の付き合い」は新鮮でした。仕事の話をすると面白がられ、プロジェクトを手伝ってほしいと声をかけられることも増えていきます。
会社の規定で副業はできませんでしたが、ボランティアや課外活動で関わる機会は多くありました。子供が通っていた幼稚園の小学生向けインターナショナルスクール設立の手伝いなど、その活動が楽しかったと言います。
杉山さんが40歳になったとき、節目を意識します。大きな会社にいることの見栄えは感じつつも、この4年間で会社が急拡大し、雰囲気が変わっていくのを感じていました。
杉山さんが求めたのは、自分の行動がそのままインパクトとして見える仕事でした。巨大な組織では実感しにくい、その手応えを取り戻したいという思いがあったと言えます。
自分がやったことに対して、それがこうインパクトが見えるようなことをやってみたいなっていうのがあって。
熊本の経営者からの誘いと、二拠点で働く生活
そうしたなか、課外活動で縁のあった熊本出身の経営者に相談したところ、東京で経営している会社に「週2日の出社でいいから来てみる?」と誘われます。杉山さんは現在もその会社に関わっています。
杉山さんは、東京と熊本の両方で暮らす生活をすでに気に入っていました。ただ、100%熊本に拠点を置くには年齢的にまだ早いと感じ、東京にも拠点を持ちながら熊本でもより多くのことをする形を望みます。
東京で起こってるダイナミックな、例えば新聞に載ってるような話に接してる人たちと話せるとかあるじゃないですか。それを持ちつつ、熊本の自然とか温かさも感じられて。
杉山さんは、この生活を「いいとこ取りをしている感じ」だと表現しました。一度外に出て複数の場所を知ったからこそ体感できる面白さだと、田中さんは受け止めます。
高校同級生・園田氏との「絶妙なタイミング」の再会
Scaleup Solutionsの共同創業は、杉山さんにとって「必然」や「運命的」と言いたくなる出来事でした。しかしきっかけは、やはり偶然だったと言います。
独立した後、誰かの紹介で共通の知人と食事をしていたときのことです。杉山さんが企業の成長支援やスタートアップ支援の仕事をしていると話すと、思わぬ名前が出てきました。
杉山さん熊本出身だったら園田くんって知らない?みたいな話になって。彼熊本出身の会計士で、話合うんじゃない?とか言われて。いや、その話合うも何も、高校の同級生ですけどみたいな話になって。
相手は、共同創業の相棒となる公認会計士・園田氏でした。共通の知人を介して再会し、意気投合した二人は、半年で会社を立ち上げます。
田中さんは、これまでの歩みがなければこの出会いに「ビビッとこなかったかもしれない」と応じます。その時々には意味が分からなくても、振り返ると全部つながっていた、という見方です。
その時その時はもうなんか一生懸命目の前でやってるだけかもしれないけど、ありがたいことに何か今まではとりあえず繋がってんのかなって感じですかね。
「杉山さんって、結局何がしたいの?」独立を決めた問い
田中さんは、杉山さんの選択をたどってきて見えてきたものを言葉にします。計画というよりも、その時々の「これがやりたい」という気持ちと、「どう辞めて次に行くか」を全力で考えてきた人だ、という整理です。
この整理を受けて、杉山さんは独立を決めた場面を明かします。Amazonを辞めるかどうか、普段から付き合いのあった経営者に相談したときのやり取りです。
(その経営者に)言われたのが、杉山さんって結局何がしたいの?っていう話を聞かれたんですよね。あなたにとって何が大事で何をしたいの?って。
杉山さんにとって、このシンプルな問いは大きなものでした。自分がしたいことから考えていいのだ、という気づきが独立の後押しになったと言います。
そこのシンプルなところが真実なのかなっていうか、そこに正直に自分がしたいことっていうところから考えていいんだっていうのが、すごく自分の中で大きかったんですよ。
田中さんは、大人になるほど家族や組織の責任など抱えるものが増え、自分のしたいことは犠牲にするものと思いがちだと語ります。それでも杉山さんは、シンプルに「何がしたいか」から考えていました。
すべてを後押しした妻の「それでいいよ」
杉山さんは、独立を決められた背景に、妻の一言があったと振り返ります。「それでいいよ」と言ってくれたことが大きかったと話しました。
妻はそれでいいよって言ってくれたっていうのも大きかったかもしれないですね。
その言葉は、いろいろな場所を一緒に見てきたからこそ出てきたものかもしれない、と田中さんは受け止めます。妻は高校の同級生でもあり、杉山さんの性格を知っていたのだろうと本人も語りました。
私の性格、それこそ高校の同級生だから、知ってたのかもしれないですね。
次回の第3回では、番組タイトルでもある「拠点思考」という言葉そのものに迫っていく予定です。杉山さんという人物の輪郭が見えてきたからこそ、その考え方を多角的に分解していくと田中さんは締めくくりました。
まとめ
弁護士から企業法務、Amazon、そして独立へ。杉山さんのキャリアは計画的に見えて、実際にはその時々の「これがやりたい」という気持ちと、「どう辞めて次に行くか」を全力で考えた積み重ねでした。偶然の出会いや家族の後押しが重なり、行きあたりばったりが結果として正解につながっていった30分です。
- 杉山さんが熊本に戻るタイミングは2回あり、家族の生活拠点と仕事の拠点は別々に移っていった
- 弁護士としての関心は、法律を突き詰めることから、企業の中で事業の方向に「当てはめる」ことへ移っていった
- Amazonの「ワンウェイドアとツーウェイドア」やリーダーシッププリンシプルは、判断や組織運営の枠組みとして印象に残った
- 40歳を前に「自分の行動がインパクトとして見える仕事」を求めたことが、独立への動機になった
- 高校同級生・園田氏との偶然の再会と、妻の「それでいいよ」という一言が、共同創業と独立を後押しした



