番組の始まりと「杉山さんって何者?」という問い
番組『拠点思考 私の世界の見つめ方』は、聞き手・田中慎太朗さんと、スケールアップソリューションズ代表・杉山浩司さんの二人で進められます。
熊本と東京、日本と海外、産・官・学。杉山さんが持つ複数の拠点をきっかけに、番組は始まったといいます。
杉山さんがですね、もうすごい色んな肩書きと拠点を持ってまして。話を聞いてるうちに、これ一緒に番組作ったら面白いんじゃない?みたいな話になって。
ノリからね。
田中さんは元・熊本の日経新聞記者で、独立後は企業の広報PRやコンテンツ制作を手がけています。仕事で出会った際に聞いた杉山さんの話が、強く印象に残ったそうです。
アメリカのニューヨーク州弁護士になられた時のお話とか、すごい興味深くて。杉山さんは一体何者なんだっていうところをちょっと知りたい。
杉山さんって何が本業だったんだっけみたいなね。それはよく聞かれます。
日本銀行時代とTOEFLとの戦い
杉山さんは熊本生まれの熊本育ち。大学から東京に長くいた後、10年ほど前に生活の拠点を熊本に戻しました。社会人としての最初のキャリアは、日本銀行の職員です。
日本橋の本店にある国際局に配属されましたが、当時は英語がまったくできず苦労したと振り返ります。入社して数日でTOEFLを受けさせられ、その点数を上司に指摘されました。
上司に「杉山くん、僕、君のTOEFLの点数知ってるんだよね」とか言われて。「とりあえずこれ何とかしてくれないと」って。
当時のTOEFLはパソコンで受験する形式が珍しかった時代。最初の問題を間違えると難易度が下がり、その後は解けても点数が伸びない仕組みだったと、後から知ったといいます。
銀行内の試験に向けて、仕事の後に予備校へ通い、シャドーイングなどのやり方を教わりながら必死に勉強したそうです。その努力の末に留学の機会を勝ち取り、アメリカのロースクールへ進みました。
日本人19人で結束したロースクール留学
留学はあくまで日本銀行から派遣される形でしたが、杉山さんはそこですぐに退職してしまいます。そのため日銀には何度もお詫びをしたと語ります。
今んとこ山ありしかない。
谷しかないやつ。
ロースクールでは、日本人の同級生が杉山さんを含めて19人いたクラスでした。卒業も簡単ではなく、以前には卒業に苦労した先輩もいたことから、逆に強い結束が生まれたといいます。
ちゃんと卒業しなきゃっていう、そのミッションもあったので。今も年に2回同窓会やってますから。卒業して20年でそんな集まってる期は上にも下にもないとか言われて、ありがたいことに今でも続いてます。
若気の至りで動いたニューヨーク州弁護士への道
アメリカのロースクールは、日本とは仕組みが大きく異なると杉山さんは説明します。
留学生が現地の法律事務所に就職するのは非常に狭き門でした。多くの日本人はロースクールを1年で終え、現地で1年研修して帰国するのが一般的なパターンだったといいます。
しかし杉山さんは、日本の司法試験を受けておらず法律事務所での経験もなかったため、現地での研修先を自分で探し始めました。日銀には何も言わずに動いたことで、帰国を1年遅らせたいと相談した際、強く叱られたそうです。
お前すぐ帰ってこいと。
結局、研修先探しは転職先探しへとつながっていきます。当時はリーマンショック前で業界の景気が良く、勤めていた法律事務所の東京オフィスに日本人がいなかったことから、声をかけてもらえました。
こうして杉山さんのニューヨーク州弁護士としてのキャリアは、まず東京からスタートしました。
ファーストデーから午前3時の世界
キャリアのスタートには、司法試験の結果をめぐる「若気の至り」があったと杉山さんは振り返ります。ニューヨークの司法試験は7月に受け、結果が出るのは11月半ば。本来なら合格を確認してから移ればよかったといいます。
気持ちが高ぶってて。ローファームに行けるなら早く行かなきゃいけないっていう思いに駆られて、結果が出る前に移っちゃったんですよ。
11月頭にスタートすると、初日から仕事は猛烈に忙しく、退路を断った状態で結果を待つことになりました。
夜7時になっても誰も帰らないし、みんなでお弁当を取り出して食べだして。深夜2時か3時ぐらいに同僚が「浩司、あなたこれファーストデーだからそろそろ帰りな」って。
ファーストデーでそろそろ帰りなが3時。そんな会社あったら嫌ですよ。
そんな日々がいきなり続き、もし試験に落ちていたらどうなるかという不安を抱えながらの数週間だったといいます。結果として2週間ほどして合格が判明し、九死に一生を得た心地だったと語ります。
時差と「ノーと言えない」ニューヨークの日々
その後、杉山さんは2年ほどニューヨークに赴任します。残りの期間はすべて東京で、法律事務所には全部で10年弱在籍しました。
赴任当初は英語にまだ苦労し、初日にパートナーから4〜5センチもの分厚い英語の資料を渡されたといいます。翻訳ツールもない時代でした。
初めの日にパートナーが「これ読んどいて」って。4、5センチぐらいある資料をドサって置かれて。今と違ってディープエルとかもないわけですよ。
杉山さんの主な役割は、日本のクライアントに関わる案件でした。日本企業がアメリカでM&Aを行う際、時差の関係で日本との連絡と現地の作業の両方に時間が割かれます。
そのなかでも金曜の夜は、日本がすでに土曜の朝を迎えているため、比較的リラックスできる時間だったといいます。ところがその時間帯に、決まって電話が鳴ることがありました。
金曜日の夕方にうって電話が鳴るわけですよ。あ、これ来たなって。
上場企業が絡むM&Aでは、情報が漏れると株価に影響するため、情報管理と一気に進めることが極めて重要になります。みんなが動かない週末は、そのために好都合だったのです。
みんなが寝てる間に一気に会社のことを調べる。動けるかって言われても、ノーっていう選択肢はないんですよ。
怖い。怖い世界。
映画の中のようなリティゲーターたち
そうした環境で働き続けるのは大変だったと杉山さんは振り返ります。周囲には賢く人格的にも優れた人が多く、勝てないと感じさせる人が山のようにいたといいます。
アメリカの弁護士は、企業法務を担うコーポレート系と、訴訟を担うリティゲーターに大きく分かれると杉山さんは説明します。
陪審員を説得するリティゲーターたちの姿は、まるで映画の登場人物のようだったといいます。
リティゲーターの弁護士って、見た目もスラっとかっこよくて、人間的な魅力にも溢れてて。初めましてで話すんだけど、すっごい引き込まれる。
夜中まで仕事をしていても、話すとにこやかに接してくれる。頭も良く、こんな人たちがいるのかと驚かされる世界だったと語ります。
二人目出産を機に熊本へ、そしてAmazonへの転職
その後、杉山さんは東京に戻り、同じような仕事を続けます。転機となったのは、帰国から1年半ほどして二人目の子どもが生まれると分かったことでした。
妻が熊本出身だったことや、里帰り出産、そして近くに幼い頃から英語で教えてくれる幼稚園があったことから、生活の本拠を熊本に移すことを決めます。
熊本を生活の拠点としたうえで、どんな仕事ができるかを考えたとき、別の法律事務所でニューヨーク州弁護士を続ける道は、時間的に難しいと判断しました。
そこで関心を持ったのが、企業内で法務を担う社内弁護士という働き方です。金融畑が長かった杉山さんにとって、外資系IT企業の最先端の分野は新鮮に映りました。
比較的若いうちにそういうのを経験してみたいなっていう思いもあって。外資系の企業なら土日は大丈夫かなっていうのもあって。
そして交渉で提示したのが、月曜は10時過ぎに出社し、金曜は5時過ぎに退社するという、熊本と東京を行き来するための条件でした。
オファーもらった後に「すいません、月曜日私10時過ぎにしか着かなくて、金曜日は5時過ぎに失礼します」みたいな話を。
それはOKもらったんですか?懐深いですね。
この外資系企業には4年間勤め、ここから杉山さんの二拠点生活が本格的に始まりました。
同級生との再会から生まれた起業と複数拠点の楽しさ
生活の拠点は10年前から熊本に、仕事も6年前からは熊本と東京で半々になりました。それまで仕事は100%東京だったものが、生活も仕事も二拠点でやるパターンへと変わっていきます。
現在の中心にあるのが、コンサルティング会社スケールアップソリューションズです。熊本の高校時代の同級生である公認会計士のパートナーと、3年ほど前に共同で起業しました。
事業内容は幅広く、地元企業の成長支援やスタートアップ支援、伝統的な企業の支援に加え、東京の企業の熊本進出のサポートも行っています。半導体や農業など、盛り上がる熊本の分野が舞台です。
さらに上場企業の社外取締役や、大学の客員教授としての活動もあり、まさに複数の肩書きと拠点を行き来する日々です。田中さんは、以前より熊本の関係者が増えた印象があると指摘します。
「杉山さんまた、なんかうろうろしてるね」っていうのはよく言われるようになりました。
番組のタイトルにようやくつながる形で、田中さんは「いろんな拠点を持つのは楽しいか」と尋ねます。
楽しいですよ。これ面白そうだな、自分関わってみたいなって思うことで、いろいろ縁をもらってるっていう実感ですかね。
一方で、いろんな肩書きがどうつながっているのかは、杉山さん自身もうまく言葉にできていないといいます。
自分の中でぼやっと、言語化するのは難しいんですけど、ぶわっとつながってることはあって。前に出てきたトピックが後から「あ、これ繋がった」って思うこともあるんですよね。
第1回では「杉山浩司は何者か」という問いに答えは出ません。しかし、その正体を番組を通じて田中さんと一緒に探っていくことが、この番組の出発点になります。
結局その第1回の杉山浩司は何者なのかは解決しないけど、今後のやりとりを通して一緒に見つけていけられたらいいよねっていう。
オチはそこですか。
コロナ以降、働き方や暮らし方が変わったなかで、地方にいるからこそ楽しめる週末や、複数の視点を持つ意味について、これから一緒に考えていきたいと二人は語ります。
まとめ
第1回は、日銀からNY州弁護士、外資系企業を経て起業へと至った杉山浩司さんの歩みを、本人が肩肘張らずに振り返る自己紹介回でした。順風満帆に見える経歴の裏には、若気の至りと行きあたりばったりの選択が重なっていたことが語られました。
- 最初のキャリアは日本銀行。TOEFLに苦戦しながらロースクール留学を勝ち取った
- 司法試験の結果が出る前に法律事務所へ移り、初日から深夜まで働く世界に飛び込んだ
- 二人目の出産を機に生活拠点を熊本へ移し、月10時着・金5時退社の条件で二拠点生活を実現した
- 高校の同級生とScale Up Solutionsを共同創業し、熊本と東京で幅広い事業を手がけている
- 複数の拠点や肩書きが「なんとなくつながっている」感覚の正体を、次回以降の番組で探っていく




