細菌もウイルスに感染する?
遺伝子工学の歴史シリーズは、前回、大腸菌を扱いました。大腸菌は赤ちゃんの糞便から見つかったありふれた菌ですが、菌同士で遺伝子をやりとりする「接合」という性質を持っています。
前回は、その受け渡しにプラスミド ── 細菌の染色体とは別に存在する、小さな環状のDNA。細菌どうしで受け渡されることがあり、のちに遺伝子工学で遺伝子の運び屋として広く使われますという小さな環状のDNAが関わっている、という話でした。今回の主役は、その大腸菌に感染するウイルス、バクテリオファージです。
ウイルスというと、風邪やインフルエンザ、新型コロナのような人の病気を思い浮かべる人が多いかもしれません。けれど、あきさんによると、大腸菌のような小さく単純な生き物にもウイルスは感染します。
細菌にもウイルスは感染する?
(細菌がウイルスに感染するなんて)考えたことなかったです。
あきさんの説明では、ファージに感染した大腸菌はほぼ確実に死んでしまいます。細胞が破壊されて新しいファージがまき散らされ、周りの大腸菌が次々と感染して死んでいくのです。
(大腸菌たちも)なかなかの生存競争を生き抜いているんだよと。病気もあるんだよというところになります。
あきさんは、このファージの研究の結果、DNAを切るハサミとなる「制限酵素」が見つかったと話します。だからこそ、まずファージそのものを知ってほしい、というのが今回の出発点です。
陶器のフィルターをすり抜ける「何か」
ファージの発見は20世紀の初め、1915年にさかのぼります。イギリスの細菌学者フレデリック・トワートは、培養していた細菌のコロニーが、ガラスのように透き通って溶けてしまう現象に気づきました。
トワートは、細菌にとりつく別の病原菌がいるのではないかと考え、フィルターにかけてみました。使ったのは、菌の大きさでは通れないほど目の細かい陶器のフィルターです。
ところが、フィルターを通った液体を大腸菌にかけると、やはり大腸菌は死んでしまいました。陶器のフィルターすら通り抜ける小さな何かが、大腸菌を殺してコロニーを透明にしていたことになります。
トワート自身は、細菌が出す酵素のようなもので死んでいるのではないかと考えたそうです。あきさんは、ここでいう「磁器フィルター」は磁石の磁気ではなく、陶磁器の磁器のことだと補足しています。
しかしその後、第一次世界大戦が起こり、トワートは研究を中断します。この現象を深く追うことはできず、これが最初に記録されたファージによる現象になりました。
自転車で世界を旅したデレルと「細菌を食べるもの」
トワートの発見のあと、エピソード説明によれば1917年に、フランスのパスツール研究所にいたフェリックス・デレルが、同じ現象を別に見つけます。デレルはトワートの発見を知らず、独自にたどり着きました。
あきさんによると、デレルはとても面白い経歴の持ち主です。パリ生まれで、母親からお金をもらって若い頃にあちこちを旅し、16歳で自転車に乗ってヨーロッパ西部を、17歳で南アメリカを回ったといいます。
僕も若い時、自転車で北中米を旅行したことがあるんで、勝手に親近感を持ってしまったんですけれども。
デレルはその後カナダに住み、自宅に実験室を作って、本と実験で微生物学を独学しました。中米のグアテマラの病院で細菌学者として働き、メキシコでも研究したのちに、パスツール研究所に入っています。
デレルは赤痢の患者の便から、赤痢菌を溶かすものを取り出しました。そして、これは細菌に寄生するウイルスだろうと考え、「バクテリオファージ」と名付けます。
名前の「バクテリオ」は細菌、「ファージ」はそれを食べるもの、という意味です。つまり、バクテリオファージは「細菌を食べてしまう何か」という命名になっています。
ファージを「数える」プラークの発明と、ファージ療法
デレルの大きな仕事は、固形培地を使ってファージを数えられるようにしたことです。まず、寒天の上に細菌を高い濃度でまき、シャーレ全面が一様に細菌で覆われた状態にします。
その上に、うんと薄めたファージの液を垂らします。ファージが付いた場所では大腸菌が食べられて溶け、白い一面の中にポツンポツンと丸く透明な穴が開きます。この穴がプラーク ── ファージが細菌を溶かしてできる、培地上の透明な斑点。1つのプラークはもとをたどると1つのファージから増えたものとみなせるため、ファージの数を数える目安になりますです。
プラークの方法で、ファージを種類ごとに分けることもできるようになりました。とみーさんが「穴の大きさや形で分けるのか」と尋ねると、あきさんは別の考え方を説明します。
まずその1つのプラーク、穴が、1種類から増えていったファージだということが言えますので。
たとえばプラークが5つあれば、それぞれを取り分けて別々に培養できます。抗体をつくり、あるファージは抗体に殺されるのに別のファージは殺されないとなれば、両者は違う種類だとわかります。
デレルはさらに、ファージで病原菌を殺せないかと考えました。赤痢やコレラ、ペストの患者にファージを与える治療を試みましたが、当時はうまくいくこともあれば、いかないこともあったといいます。
やがて抗生物質が見つかると、このファージ療法は廃れていきます。ただ、あきさんによると、最近は薬剤耐性菌 ── 抗生物質などの薬が効きにくくなった細菌。抗生物質の使いすぎなどで広がり、世界的な医療課題になっていますの問題に対する治療法として、ファージが改めて注目されています。
物理学者たちとファージグループ、アポロ着陸船のような形
1940年代に入ると、ファージは物理学者たちを引きつけます。ドイツ出身の物理学者マックス・デルブリュックは、生き物の遺伝の仕組みを物理の法則のような形で解き明かせないかと考え、そのためにファージを使うことを思いつきました。
ファージが選ばれた理由は扱いやすさです。大腸菌は20分で倍に増え、その大腸菌に感染するファージもあっという間に増えます。実験の1サイクルが短いので、失敗しても翌日にはやり方を改良して再挑戦できました。
一方で困った問題もありました。1944年の夏より前は、研究者ごとに別々のファージと大腸菌を使っていたため、ある人が出した結果を他の人が追試できなかったのです。
そこでデルブリュックは、大腸菌のB株と、それに感染する7種類のファージだけを使って実験しようと呼びかけました。実験材料がそろったことで研究結果を比べられるようになり、ファージ研究の土台が整っていきます。
研究者ごとに別々のファージと大腸菌を使い、他の人が追試できない
大腸菌B株と7種類のファージに材料をそろえ、結果を比べられるようになる
そのなかでよく使われたのが、T2ファージです。T2ファージは正二十面体のような頭から円柱がのび、その下から足が出た形をしていて、月面着陸したアポロ宇宙船の着陸船にそっくりだとよく例えられます。
なんかその例え方、ちょっとロマンチックだね。
学生時代にファージっていうものを習って、電子顕微鏡写真とか模式した図とかを見たんだけれども。すごい機械チックな形だなっていうのを思ったのを思い出します。
あきさんは、「バクテリオファージ」や「T2ファージ」と顕微鏡写真で検索すると画像がたくさん出てくるので、一度見てみると面白いとすすめています。
T2ファージは、DNAとタンパク質だけでできた単純なウイルスです。着陸船の人が乗る部分にあたる頭の殻はタンパク質でできています。細胞ではないので、自分で増えることも、エネルギーを作ることもできません。
T2ファージの感染では、まず足の部分が大腸菌の表面にくっつきます。しばらくすると大腸菌の中で新しいファージが100個以上作られ、大腸菌が破裂して外に出てきます。感染からここまでがおよそ30分です。
遺伝子の正体はタンパク質か、DNAか
当時、分子生物学の世界には大きな疑問がありました。T2ファージが大腸菌にくっついたあと、中で新しいファージを作らせる設計図はDNAなのか、タンパク質なのか、という問いです。この時代は、まだDNAが遺伝子だとわかっていませんでした。
遺伝子という考え方は、19世紀のグレゴール・メンデルまでさかのぼります。あきさんは、中学校で習う豆の色やしわの有無を掛け合わせる実験を例に、親から子へ形質が一定の法則で伝わることは知られていた、と説明します。
けれど、形質が何によって伝わるのかは謎のままでした。そして当時は、遺伝子の正体はおそらくタンパク質だろうと考えられていたといいます。
アデニン、グアニン、チミン、シトシンの4種類の塩基でできている
20種類のアミノ酸でできていて、より複雑なパターンを作れると考えられた
複雑な生命現象を伝えるには、20種類をたくさん組み合わせたものでないと無理だろう、というのが当時の考え方でした。とみーさんはこう受け止めます。
より複雑だからタンパク質って思ったんだ。
ただし、DNAは4種類しかないけれど遺伝情報を担うのではないか、と考えた人たちももちろんいました。
1928年、イギリスの細菌学者フレデリック・グリフィスが肺炎球菌で実験をします。病気を起こす菌を熱で殺し、病気を起こさない生きた菌と混ぜてネズミに注射すると、本来は死なないはずのネズミが死んでしまいました。
グリフィスの実験で死んだネズミからは、病気を起こす肺炎球菌が見つかりました。病気を起こす菌の死骸から出た何かを取り込み、病気を起こさない菌が性質を変えたことが示唆されたのです。
なんかマジックショーみたいだなと思って聞いて。
バラバラになった緑の折り紙と綺麗な赤い折り紙を入れたら、綺麗な緑の折り紙が現れましたみたいな。
あきさんも「そんな感じ」と応じています。ただ、グリフィスの実験では、何が移ったのかまではわかりませんでした。
エイブリーが「犯人」を絞り込んだ実験
1944年、アメリカのオズワルド・エイブリーは、グリフィスの実験をさらに進めました。病気を起こす菌を大量に培養して熱で殺し、病気を起こさない菌に混ぜると病気を起こす菌に変わる、というところまでは同じです。
エイブリーは、その性質が子孫にも受け継がれることを確かめたうえで、正体を絞り込みます。殺した菌にタンパク質を分解する酵素を加えても、RNAを分解する酵素を加えても、病原性は移りました。
ところが、DNAを分解する酵素を加えたときだけ、病原性は移りませんでした。あきさんはこれを、犯人の候補をアリバイから1つずつ潰していくような実験だと表現しています。
| 加えた酵素 | なくなった物質 | 病原性 |
|---|---|---|
| タンパク質分解酵素 | タンパク質 | 移った |
| RNA分解酵素 | RNA | 移った |
| DNA分解酵素 | DNA | 移らなかった |
エイブリーたちは、こうして形質を変えるものはDNAであると示しました。それでも、この結果を疑う研究者は多くいたようです。
ハーシーとチェイスが決着をつけたT2ファージ実験
1952年、ハーシーとマーサ・チェイスは、T2ファージを使ってこの問題に決着をつけようとしました。T2ファージがタンパク質とDNAだけでできていることを利用した実験です。
ポイントは、DNAとタンパク質に別々の目印をつけたことです。DNAにはリンが含まれ、タンパク質にはほとんどありません。逆にタンパク質には硫黄が含まれます。そこで放射能を出すリンと硫黄、つまり放射性同位元素 ── 同じ元素のうち、放射線を出す性質をもつもの。生物の体に取り込ませると、その物質がどこへ移動したかを放射線で追跡できますを用意しました。
ハーシーとチェイスの実験の流れは次のとおりです。
目印をつける
タンパク質だけに目印があるファージと、DNAだけに目印があるファージを用意する
感染させる
2種類のファージを大腸菌にとりつかせる
ミキサーでかき混ぜる
大腸菌の表面にとりついたファージの殻を振り落とす
遠心で分ける
大腸菌は沈み、液体成分は上に残る
放射線を測る
液体側にはタンパク質、大腸菌側にはリン(DNA)の目印があった
大腸菌の中に移っていたのはリン、つまりファージのDNAでした。ファージのDNAが大腸菌に入って新しいファージを作らせていたことになり、あきさんは、これでDNAが遺伝子の正体であることが証明されたと話します。
あきさんは、音声だけではわかりにくい部分もあるとして、以前YouTubeでグリフィス、エイブリー、ハーシーとチェイスの実験を紹介した動画を説明欄に載せていると案内しています。
若い日の僕の顔も見れますので、あんまり何の得点にもならないかもしれないけど。
翌1953年には、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発表します。これにより、DNAが遺伝子の正体だという考えは一気に確かなものになりました。
ファージの増殖を「制限」する大腸菌の免疫
1950年代の初め、研究者たちはファージについて奇妙なことに気づきます。ある株の大腸菌で増やしたファージを、別の株の大腸菌にかけると、ほとんど増えなかったのです。同じ種類のファージと大腸菌なのに、株が変わるだけで感染がうまくいきませんでした。
ただ例外もありました。まれに別の株で増えたファージは、その株ではよく増えます。ところが元の株に戻してから別の株にかけると、また増えにくくなりました。
この現象は、ファージの遺伝子そのものが変わったのではなく、感染した大腸菌によってファージの性質が一時的に変わることを示唆していました。1952年にルリアとメアリー・ヒューマン、1953年にジュゼッペ・ベルターニとジャン・ワイグルがこれを報告し、ファージの増殖を何かが制限しているとして「制限」と呼ばれるようになります。
原因の答えが出たのは1960年代です。ヴェルナー・アーバーは12株の大腸菌を調べ、大腸菌が外から入ってきたDNAを見分けて切って壊す酵素を持っていることを示しました。一方、自分のDNAには目印をつけ、その酵素で切られないように守っていたのです。
この酵素は、ファージの増殖を制限することから「制限酵素」と呼ばれるようになりました。
人の体には、外から入ってきた敵を見つけて退治する免疫細胞があります。けれど、大腸菌はたった1個の細胞でできているため、体の中に免疫細胞を飼うことはできません。
その代わりに大腸菌は、制限酵素でウイルスのDNAをズタズタにすることで身を守っていた、とあきさんは説明します。これがエピソード説明でいう「大腸菌の免疫」です。
ただし、このとき見つかった制限酵素は、入ってきたDNAをズタズタに切ってしまうものでした。そのままでは遺伝子工学の道具としてはうまく使えません。
あきさんによると、その後、狙った場所をきちんと切る制限酵素が見つかり始めます。その話は、シリーズの次回で扱われる予定です。
まとめ
細菌を食べるウイルスとして見つかったバクテリオファージは、扱いやすい実験材料として遺伝子の正体がDNAだと示す実験を支え、さらに大腸菌がウイルスから身を守る制限酵素の発見へとつながりました。遺伝子工学の「ハサミ」は、細菌とウイルスの生存競争の中から見つかったものだといえます。
- ファージは1915年にトワート、1917年にデレルが独自に見つけ、プラークによって数えたり種類を分けたりできるようになった
- デルブリュックたちが材料をそろえたことで、ファージは追試しやすい研究の土台になった
- グリフィス、エイブリー、ハーシーとチェイスの実験を経て、遺伝子の正体はDNAだと証明された
- 大腸菌は外から入ったDNAを切る制限酵素で、ファージから身を守っていた
- 狙った場所を切る制限酵素の話は、シリーズの次回に続く




