関西生まれ、大宮経由、群馬・高崎の「魔境」の風
秋葉原でコンカフェという業態のお店を運営する店長は、1982年9月16日生まれです。この後編は、ケージくんが店長の人生を誕生から現在まで時系列でたどる「人生年表インタビュー」という企画になっています。
店長が生まれたのは母の実家に近い京都か大阪の病院で、生まれてすぐ埼玉の大宮に移り、小学1年生まで育ちました。物心がついてからの思い出のほとんどは、小学1年生で引っ越した群馬県の高崎市にあるといいます。
店長は、平成元年に小学1年生になった世代です。高崎で暮らし始めた頃の一番の記憶として、店長は群馬の冬の風の強さを挙げています。
まっすぐ歩いてたら、向かい風に向かって歩いてたら、風が強すぎて息ができない。口の中に空気が入りすぎてくるみたいな。
高崎の風は山から吹き下ろしてくるもので、市街地でも向かい風だと自転車が進まず、斜めに迂回しながら走ったそうです。雪が降らない代わりに乾いた風がずっと吹く冬に、店長は「すごいところに来てしまった」と感じたと振り返ります。
なんかすごい、ま、魔境に来たような記憶がありますね。
サッカーは守り、ゲームは格闘より育成。「しのぐ」のが好きな少年
小学生時代の店長は、学校のサッカー部に入ってずっとサッカーを続け、中学でもサッカー部に入りました。ビックリマンチョコなどの流行には少し触れたものの、そこまでの熱量はなかったといいます。
ゲームでは、店長は友達との格闘ゲームを好みませんでした。周りの男の子たちがやりたがる格闘ゲームは、どちらかが倒されるまで続くからだといいます。
ストリートファイターII(スト2)が流行っていた頃も、店長は格闘ゲームにはハマらず、シムシティやダビスタ、せいぜいマリオのような横スクロール系を遊んでいたそうです。ケージくんも対戦ゲームは苦手で、ドラクエのようなロールプレイングゲームに夢中だったと共感します。
コンピューター相手に勝つのは楽しいんですけど、友達相手に勝ちたいともあんま思わなかったし、それを本気になってなんかハメ技とかしてくるやつとか嫌いだなと思って。
一方で、店長はサッカーを見るのは好きではないものの、プレーするのは楽しかったといいます。店長のポジションは、一番後ろで守りの要となるセンターバックでした。
相手がこう攻めてきたのをうまく、何て言うんですかね、いなすというか、追い返すというか、そういうところはなんか楽しかったなぁ。
店長は、守り戦が好きなのは信長の野望 ── コーエー(現コーエーテクモゲームス)の戦国シミュレーションゲーム。大名を操作して領国経営や合戦を行い、天下統一を目指しますのようなゲームでも同じだと話します。全方向から攻め込まれる状況を、予測を立てながらしのぐところに喜びを感じるタイプなのかもしれない、と店長自身が分析しています。
友達との格闘ゲームなど、どちらかがやられるまで殴り合う対戦
センターバックの守りや信長の野望の籠城など、攻めを予測していなす遊び
ケージくんは、店長のサッカーのポジションとゲームの楽しみ方が完全に一致していると面白がります。
文化祭実行委員の喫茶飲食班は、今のカフェ営業の原点?
1998年か1999年に高崎で高校生になった店長は、部活ではなく文化祭実行委員に多くの時間を費やしました。店長の高校の文化祭実行委員は、3学年が1つの組織になって部活のように動く、しっかりした組織だったといいます。
文化祭実行委員は、門のオブジェを作る班、ライブイベントを仕切る班などに分かれます。店長は3年間、喫茶飲食班として学園祭のレストランや喫茶スペースの運営を担当し、業者からの仕入れや冷蔵庫、ジュースサーバーなどの機材レンタルを手配していました。
なんかそう考えるとずっとカフェ営業やってますね。
ケージくんは、店長がいろいろな企画を考えてプロデュースする人だという印象を持っており、その気質が文化祭実行委員の頃からあったのではないかと話します。店長もそれを「ちょっとあった」と認めています。
進学校で勉強をやめた高校時代、岩波文庫と吉田松陰
店長は高校に入ってから、勉強をまったくしなくなったといいます。店長の通った高校は進学校で、各中学の上位10位ほどが集まるため、いきなり「頂上決戦」のような状態になったからです。
中学までは何もしなくても勉強ができる側にいた生徒たちが、高校では後ろから数えたほうが早い順位や50点以下の点数を取るようになります。店長はそこで勉強がつまらなくなり、1、2年生の頃は何もせず、留年しそうにもなったそうです。
高校時代の店長は、授業中は寝ているか、自分で買ってきた本を読んでいました。読んでいたのは、タイトルだけ聞いたことがあって難しそうだから逆にかっこいい、という理由で選んだ岩波文庫などだったといいます。
店長は小中学生の頃から歴史が好きで、織田信長の伝記から吉田松陰 ── 幕末の長州藩の思想家・教育者。松下村塾で高杉晋作や伊藤博文らを育て、安政の大獄で処刑されましたへ進みました。さらに吉田松陰が愛読した孟子や大学、中庸といった中国古典、諸子百家へと読み広げていったそうです。
多分読んでたけど、マジで何もわかってなかったと思います。
ケージくんは、店長が歴史の本を読んでいそうだと勝手に想像していたといい、それが当たっていて「イメージ通り」だと笑います。
仮面浪人、美術史、そして「大学に年3日」の週7バイト
高校卒業後の店長は、第1志望の大学に落ち、第2志望に一旦入学しました。けれど1年生の前期で辞め、第1志望を受け直して翌年に入学しています。第1志望と第2志望は、どちらも同じ文系の学部学科でした。
入り直した大学の文学部では2年生から専攻が分かれ、店長は美術史学科を選びました。ただ、店長によれば美術史学科を選んだのは一番楽そうだったからで、熱心に勉強したわけではないそうです。入学は2001年か2002年頃だったと店長は振り返ります。
店長は大学でも1年留年しています。理由はアルバイトで、深夜帯の仕事を週7日でしていました。
僕ね、大学2年か3年の時、大学3日しか行ってないんですよ。一年で。
最初はいろいろなアルバイトをしていた店長ですが、最後に深夜帯で週7日通っていたのは同じ一つの店でした。その店とは、六本木の大型キャバクラで、店長はボーイとして働いていました。
六本木のキャバクラで知った「捌く」楽しさ
店長が六本木のキャバクラでボーイをしていたのは2000年代半ばです。ケージくんがITバブル ── 1990年代末から2000年代初頭にかけて、インターネット関連企業の株価が急騰した現象。日本では六本木ヒルズに入居したIT企業の経営者が「ヒルズ族」と呼ばれましたの頃、ホリエモンが話題だった時代の六本木かと聞くと、店長は有名人もたくさん来ていたと答えます。
人気店でとにかく混むキャバクラの仕事は面白かった、と店長は話します。ここでも店長は、サッカーや戦略ゲームと同じ好みに気づいたといいます。
それ、あ、またこれか。そのやっぱり捌いていくのが好きなんですよ。いっぱい攻められてきて、こう、なんとか。
店長にとってキャバクラのボーイは、同世代のボーイたちが集まる職場で、普通に楽しかったそうです。ケージくんはそれを「青春っぽい」と表現しています。
小中学校のサッカー
センターバックとして相手の攻めをいなす
戦略ゲーム
信長の野望で全方向からの攻めをしのぐ
六本木のキャバクラ
人気店に押し寄せる客を効率よく捌く
半年がかりの「座席ビンゴ」と、誰にも言わない達成感
キャバクラの仕事に飽きてきた頃、店長は約80席ある店内で客を座席に案内する担当になりました。そこで店長が始めたのが、ある一角に「ハゲの人」を5人並べるという、ひそかな挑戦です。
店長は、そのゾーンだけ優先的に案内すると不自然なので、誰にも気づかれないよう自然に見せながら、たまたま5人がそろう「ビンゴ」を目指したといいます。席の割り振りを任せてよいと認定された立場になってからの話です。
全員5人揃うビンゴを目指してしばらくやってる時がありましたね。半年かけて一回だけ成功しました。
半年かけた座席ビンゴの成功はうれしかったものの、店長は誰にも話していません。他のボーイに話せば笑ってしまい、バレたら意味がないからです。
めっちゃ嬉しいけど、誰にも言えないんで。
ケージくんは、承認欲求で人に言いたくなりそうな達成を自分の中だけで満足して終えられるところに、店長の美学や性格が表れていると話します。店長もそれを受けて、自分は「結構自己満でいいタイプかも」と答えています。
就活嫌いの新卒時代、上司の一言で一気に冷めた理由
店長は大学を5年かけて卒業しました。1年留年し、先生に頭を下げながらの卒業で、卒論は理系のような実験やデータのない「長いエッセー」のようなものだったといいます。
就職活動について、店長は「もう二度とやりたくないことの一つ」と話します。リクルートの選考では何度も面接に呼ばれ、その何回目かの面接でスケジュールを忘れて大遅刻し、そこで選考が終わったそうです。
困っていた店長に、先に就職した大学の仲間が「うちの会社、今募集してるから受けてみたら」と声をかけてくれました。店長はその会社に、通常と同じ選考フローで入社しています。
店長が入った会社は、飲食店予約サイトのような送客サービスから始まり、上場してウエディングやインテリアへ事業を広げていた勢いのある会社でした。店長は1年目にインテリア部門へ出向し、高級レストランなどの店舗デザインをするデザイナーに家具を売り込む営業をしていました。
店長は2年目に本社へ異動し、当時始まったばかりの内部統制 ── 企業が業務を適正に進めるための社内の仕組み。日本では金融商品取引法により、上場企業に内部統制報告書の提出が義務づけられていますの資料作成を担当しました。コンサルタントに教わりながら、会社の業務フローや資料の突き合わせ方を図にして提出する仕事だったそうです。
けれど店長の会社は急速に傾き始め、30代半ばの優秀な社員から辞めていく「泥船」の状態でした。その中で、店長は留年と浪人をしたために自分より年下の、1年先に入社した女性社員の今後を上司に尋ねます。
あの、なんか最後まで守りきるつもりだ」みたいなことをなんか言ってたんですよ、その上司が。
上司は、たとえリストラがあっても新卒は守るという意気込みを語りました。店長はその言葉を聞いて、一気に気持ちが冷めたといいます。
店長はすぐに会社を辞めました。リーマンショックより前の、2006〜2007年頃の話だと店長は振り返ります。
バイト時代の先輩とメイドカフェへ、昼の秋葉原から夜の秋葉原へ
会社を辞めた店長が向かったのは、キャバクラ時代の先輩が秋葉原で開業したメイド系のお店でした。先輩はキャバクラの社員だった人で、店長は開業時から誘われていたものの、親の手前もあって一度は普通に就職していたといいます。
店長が先輩の会社に参画したのは2007年頃で、もうすぐ19〜20年になります。ケージくんが老舗のあっとほぉーむカフェ ── 秋葉原の老舗メイドカフェとして知られる店。ビル1棟を店舗として使い、メイドカフェ文化を代表する存在の一つですが20周年か25周年を迎えたというニュースに触れると、店長は自分たちの店も「同じぐらい」で、もはやかなり老舗の側だと答えます。
店長の立場や役割は当時から同じですが、業態は少しずつ変わってきたそうです。なくなった店や業態変更をした店もあります。
店長によれば、昔の秋葉原のメイド喫茶は昼の営業が中心でした。19時を過ぎると電気屋が閉まって街全体が真っ暗になり、秋葉原でお酒を飲む文化もなかったといいます。
そのなかで、メイドバーを名乗る1店舗だけが賑わっているのを見て、店長たちもお酒を出す時間帯の業態を始めました。店長によると10年ほど前のことで、まだ「コンカフェ」という言葉すらなかったそうです。
その後、秋葉原に遊びに来る人の世代交代が進んだのか、お酒を飲む人が増えました。今では22時頃が秋葉原の盛り上がりのピークで、コンカフェという業態が一気に増えたと店長は話します。
メイド喫茶は昼の営業が中心。19時過ぎには街が真っ暗になり、お酒を飲む文化がなかった
お酒を飲む人が増え、22時頃が盛り上がりのピークに。コンカフェという業態が一気に増えた
コンカフェは二つの流れ。メイド文化と水商売の「悪魔合体」
ケージくんは、秋葉原のメイド喫茶文化と、2010年頃にブレイクしたでんぱ組.incのオタクカルチャーを、なんとなく同じカテゴリーで捉えていたといいます。これに対して店長は、自分たちのやっていることとはまったく違うと答えます。
でんぱ組.incが活動していたライブハウスは店長の店のすぐ近くにありますが、店長によれば運営する人も集まる客も被っていないそうです。
店長は、今秋葉原でコンカフェを運営しているのは2種類の人たちだと説明します。1つはメイド文化の流れをくむ人たち、もう1つは別の街でキャバクラや風俗、ガールズバーをやっていて「秋葉原のコンカフェは儲かるらしい」と参入してきた人たちです。
秋葉原のメイド喫茶から続く運営者たち
別の街でキャバクラ・風俗・ガールズバーをしていて、儲かると聞いて参入した運営者たち
だから外から見るとコンカフェってひとくくりなんですけど。
ケージくんは、NerdMagnetという大阪のバンドのスタッフとして、所属レーベルのアイドルのホームページの仕事にも関わり、コロナ直前頃からアイドル文化に少し触れてきました。コンカフェにも興味はあったものの触れ方がわからず、店長を知ってポッドキャストを聴き、今は行ってみたい気持ちになっているそうです。
店長の店は、最初から初心者向けをうたってきた「絶対に安全」な店だといいます。一方で、店長は水商売の意識で営業しているコンカフェが多いことを問題視しています。
水商売の流れの意識でやってるお店が多いし、そこにそのアイドル業界から、その「推し」っていう言葉を、輸入してきて、なんか悪魔合体してる感じなんすよね。
店長によれば、そうした店では女の子がアイドルのように推され、客はそこに大金を投じます。昔のキャバクラやクラブにあったおもてなしの意識は薄く、客はお金をむしり取られ、女の子は推しやフォロワーの増減でメンタルが疲弊し、運営だけが儲かる構造になっているといいます。
推し文化の輸入
女の子が推されてアイドルのように振る舞う
客の消耗
客はランキングなどに引っ張られてお金を使わされる
キャストの疲弊
推しやフォロワーの増減で女の子のメンタルが疲弊する
結果
運営だけが儲かり、誰も最後に残らない
店長はそうしたやり方を好まず、自分の店では避けているそうです。
店長が管理する代表的な店は6年目で、オープンからずっと働いているキャストもいます。秋葉原では、人が疲れたり裏切られたりしていなくなり、すぐに閉店やリニューアルをする店が多いため、6年続くだけでも珍しいほうだと店長は話します。
全店シスターシリーズ。経営の核は「採用が全て」
店長の会社は秋葉原で6店舗を運営しています。店長は雇われ社長としてすべての店に責任を持ち、そのうち3〜4店舗に特に深く関わっているそうです。
店長の店は、ねこみみシスターを含めて全店が「シスターシリーズ」です。ほかに別の場所のシスターの店、かつて「1000日で終わる婚活」をしていた貸しスペース、コンセプトをあまり打ち出していない小さなスペースが2つほどあります。
ケージくんは、シスターというコンセプトが働く女の子へのアンケートで決まり、店長自身はシスターに何の興味もないという話に感心します。女の子が一番なりたい格好で働けるという決め方が健康的で、筋が通っているというのです。
店長はシスターのコンセプトの背景を、経営の考え方から説明します。
いい女の子、いいスタッフを揃えれば、そこにお客さんがついてくるんで。採用が全てなんですよね。僕の考えの中では。
店長によれば、採用がうまくいかなければ店は盛り上がりません。そこで店長は、リソースをすべて良いキャストを集めることに注ぐと決めたといいます。
店長の見立てでは、働く女の子にとっては稼げることよりも、可愛い衣装を着て働きたいという動機が一番強いそうです。そのため店長は、みんなが着たくなる衣装を作ることに全集中したと話しています。
衣装づくり
女の子が着たくなる衣装を、アンケートも踏まえて作る
採用
良いキャストが集まる
集客
良いキャストに良いお客さんがついてくる
何をやるかより、誰とやるか
店長の採用の話を受けて、ケージくんは何かを始めるときの2つの考え方を挙げます。何をやりたいかを最優先するか、誰とやりたいかを最優先するか、というものです。
大学生の頃のケージくんは、やりたいことを中心に置くのが大切だと考えていました。けれど長く続けたバンド活動のなかで、考えが変わったといいます。
何をやるかとかあんま重要じゃなくて、誰とやるかがめっちゃ重要だなって途中で気づいて。
大学生の頃は、やりたいことを第一に置いて物事を考えるのが大切だと思っていた
バンドを続けるうちに、最高のメンバーとならやることは何でもいいと思えるようになった
店長も同意し、自分の店で働く大学生たちの就職活動に触れます。学生たちは職種や業種、稼げそうなイメージや社会的なかっこよさばかりを見ていて、誰と働くか、1日1日をどう過ごすかにもっと目を向けたほうがいいと店長は感じているそうです。
めっちゃなんか、なんていうのかな、気の合う人と一緒にやる仕事だったら、例えば街中のうんこ拾う仕事とかでも楽しいと思うんですよね。
ケージくんは、友達をテーマにポッドキャストをしているのも、自分にとって最高の人たちに出会うにはどうすればいいかを常に考えているからだと話します。それがケージくんにとってのコミュニケーション論、友達論なのだといいます。
店長がポッドキャストを始めない理由と、プロデューサー気質
店長の店のキャストたちは次々とポッドキャストを始めていますが、店長自身は番組を始める野望はないといいます。自分が話したいことはあまり思いつかない一方で、他人なら引き出したい話が浮かぶからです。
他人だと、例えばそのちいにやってもらうんだったら、こういう話引き出したいなとか、喋らしたいなってのはあるんですけど、自分になると途端に何も思い浮かばないというか。
店長は「絶対にやらない」と決めているわけではなく、気が向けばやるかもしれないとも話します。一人で台本を書いて話す人を見るとすごいと思うといい、シュウさんの名前を挙げています。
ケージくんは、働く女の子を見てこの子にこんな番組をやらせたら面白そうだと考えるところに、店長のプロデューサー気質を感じます。店長は、ストレングスファインダー ── 米ギャラップ社が開発した、人の強みを34の資質に分類する診断ツール。現在は「クリフトンストレングス」という名称ですでも戦略性や発想が出ていたと振り返ります。
ケージくんは、アイデアが次々と湧いていろいろなポッドキャストにコメントを送る、たつやさんにも同じ印象があると話します。店長が留年の話をTwitterに書いたとき、ケージくんの番組の『青春番長』の回を教えてくれたのもたつやさんだったそうです。
留年しない今の若い人たちと、見えている世界の違い
ケージくんの番組では、MCのケージくんとカミくんが2人とも留年していて「留年番長」と名乗っています。店長も1年留年した「ちゃんと留年した」組です。
本当にね、女の子たちにも留年とかした方がいいよって言うんですけどね。みんな爆速で卒業していってしまうので、もったいないなと思うんですけど。
ケージくんの周りでも留年した女性は少ないそうです。その理由について、店長は親との関係性や、同級生と違うカテゴリーに入りたくない横並び意識、SNSで互いの状況を共有している世代であることなどを推測します。
店長は、大学に入る時点で就職先までほぼ決めている学生がいることにも驚き、「モラトリアムってちゃんと知ってる?」と言いたくなるそうです。一方でケージくんは、むしろ自分たちの世代が特殊で、今の若い人のほうが大学の意味を正確に理解しているのかもしれないと返します。
ケージくんは、今の若い世代が得られる情報量は自分たちの頃の10倍どころではなく、同じ17〜18歳でも見えている世界がまったく違う可能性があると指摘します。店長も、今は業種ごとの昇給や生涯年収まで調べられるが、自分たちの頃はどんな業種があるかすらわからなかったと同意します。
少しでも大きい野菜を選ぶ人と、数字の奴隷
店長は最近、スーパーで嫌な気持ちになったことがあるといいます。1本100円で山積みになった野菜から、時間をかけて少しでも大きいものを選ぶ人を見たときです。
そんなのここで時間かけてちょっと大きいのを買ったとしても、あなたがヘタをちょっと多めに切っちゃったりとか、皮を厚めに剥いたら、あんま食べるとこ、
店長がこの野菜の話をシュウさんにしたところ、量ではなくどういう気持ちで食べるかで一口の味わいや幸福感は変わるのだから、最初の大きさにこだわるのは本末転倒かもしれない、という話になったそうです。
店長はこの野菜の話を、生涯年収の高い道に最短経路でたどり着こうとする考え方に重ねます。
ケージくんは、尺度が数値でしか測れないから、人は数値にこだわり、数値しか信じられなくなっているのではないかと話します。「うんこを拾って楽しい」は数値化できませんが、本当の楽しさや幸せは数値化できないところにたくさんあるはずだ、というのがケージくんの考えです。
ケージくん自身も、コミュニケーションコストや頭を使う疲れを計算してしまう点で「数値の奴隷」の部分があると認めます。それでも、自分にとって何が幸せで何が楽しいかへの嗅覚には敏感でいたいといいます。
ケージくんは、100円の野菜ならどれが一番大きいかより、どれが美味しそうかを見るそうです。店長も、美味しいサンマを選ぶような目利きならわかると応じます。
話はポイ活 ── 買い物やアプリの利用などでポイントを貯め、お得に生活する活動の略称ですにも及び、ケージくんも店長もポイ活がまったくできないことで意気投合します。ケージくんは、ゆる言語学ラジオ ── 言語学をテーマに、言葉にまつわる雑学を楽しく語るポッドキャスト・YouTube番組ですの2人のポイ活への執念は聞いていて面白いものの、自分のコストがもったいなくて共感できないと話します。
ビールでも今日はローソンの方がポイントが高いからあっちまで歩いて行って買おうとか、今日のうちに2個買っておこうとか、そういうことですもんね、おそらく。
店長の答えは「いやー、いらないなぁ」でした。インタビューはここで締めくくられ、まだ対面では会えていない2人が今後も仲良くしようと約束して終わります。
まとめ
店長の人生年表をたどると、センターバックの守り、文化祭の喫茶飲食班、六本木で客を捌いたボーイの仕事が、秋葉原でコンカフェを営む今へと一本の線でつながっていました。その経営の核にあるのは、キャストを消耗させない安全な店づくりと、何をやるかより誰とやるかを重んじる考え方です。
- 店長は攻めをいなして捌くことに喜びを感じるタイプで、それがサッカー、ゲーム、接客に共通している
- 会社の上司の「新卒は守る」という言葉に冷め、バイト時代の先輩のメイドカフェに参画した
- 店長は、水商売と推し文化が合体したコンカフェとは違い、自分の娘が働けない店にはしないと決めている
- 店長は採用が全てと考え、キャストが着たくなる衣装づくりに全集中した
- 数値化できない楽しさや、誰と過ごすかを大切にしたいという考えで2人は一致した





