最近した鼻歌は、誕生日の言葉と雨雲を避ける一週間
番組は、ため息の中にあるポジティブな鼻歌を一緒に探す、という趣旨で進みます。冒頭ではまず、2人が最近感じた小さな鼻歌が語られました。
ゆうさんは今月、誕生日を迎えたばかりでした。当日に一緒にいた年上の友人2人が、印象的な言葉をかけてくれたそうです。
何よりも、今が一番楽しいよっていうことをすごく言ってくれたんですね。
ゆうさんは愛媛県に住んでいて、その場は山口県でのことでした。帰りの2時間の運転も、ずっとその気持ちのまま過ごせたと話します。
(誕生日を祝ってくれる人が)近くにいるって、ほんとすごいいいことだなと思って。
一方のゆりおくんは、名古屋の豪雨の話から始めます。膝丈まで水が迫る中、子どもを迎えに行かなければならず、命の危険を感じたと言います。
ところが、その後の一週間が妙に恵まれていました。ゆりおくんが外に出るときだけ、雨が止むというのです。
なんかもう私のことを、雨雲が避けてるかもしれない。
ゆりおくんは、種まきをしたいタイミングでも晴れるようにパワーをつけたい、と冗談めかしながら、天気の捉え方を変えると楽しみになると話しました。
好きを押し付けていないか、という不安への最初の答え
続くコーナーで、今回のお便りが紹介されました。「好きを押し付けてないか不安です」「相手にキモって思われてないか不安です」という内容です。
ゆりおくんは、自分は好きなことを語ってキモいと直接言われる側の人間だと前置きしたうえで、相談者への一つの見立てを示します。
キモいって言われてなかったら、押し付けてないんじゃないかな。
押し付けて相手が嫌がったら、嫌だと言ってくれるはずだ、というのがゆりおくんの考えです。つまり、まだ言われていないなら大丈夫ではないか、というわけです。
一方のゆうさんは、そもそも好きの話を「押し付け大歓迎」なタイプだと明かします。理由は、なぜその人がそこまで情熱を注げるのかに強く興味があるからです。
結局(好きになった)経緯とかもあるじゃないですか。順を追って聞いてって、なるほど、それでここまで到達したんだっていうところまで知りたくなるんですね。
ゆうさんは、不安に思っていると、自分の好きな気持ちが揺らいでしまうのではないかと指摘し、ガンガン語ってほしいと背中を押しました。
グロースクローネのブドウで語る、皮への偏愛
話題は、ゆりおくんの偏愛エピソードへ移ります。ゆうさんが「最近のものは?」と尋ねると、ゆりおくんは前日に食べたブドウの話を始めました。
そのブドウは「グロースクローネ」という初めて出会った品種でした。粒が大きめの黒系で、味がとても濃厚だと言います。
フルーツの品種の名付けを誰がやっているのか、という脱線も挟まれます。ゆうさんは、柑橘に女性の名前が多いことを不思議に思ってきたと話しました。
セトカとかハルミとかキヨミとか、これ3文字4文字縛りがあるんかなって、一時期すごい思ってたんですよ。
ここからゆりおくんの偏愛が本領を発揮します。彼が注目してほしいのは、食べた後の皮でした。グロースクローネは皮が厚めで、口から出した皮の分厚さに感動したと言います。
実がギュッと詰まってる時の皮って、パンと張ってるじゃないですか。中身を味わった後の、シュヌッとした皮を見て、尊いから。
自分でも「ちょっとキモいこと言うね」と断りながら語る姿勢そのものが、この回のテーマとつながっています。好きを語る人の温度が、そのまま伝わってきます。
にわかな自分だからこそ、好きを聞きたい
ゆうさんは、ゆりおくんのブドウの話を聞いて、素直に食べてみたくなったと言います。フルーツに特別詳しくないからこそ、好きな人からの情報が役に立つのだと話しました。
本当にフルーツが好きだってわかってる人から聞いた情報って、ネットとかで見る口コミよりも、すごい信憑性があるなと思うんですよ。
ゆうさんにとって、好きな人の話は頭の中を占領するのではなく、どこかに残るものだと言います。次にブドウを見たとき、ゆりおくんの話が浮かぶだろう、というわけです。
さらにゆうさんは、オタクと呼ばれる人たちへの憧れを語ります。誰にも頼まれていないのに調べて情報を蓄える姿勢そのものがすごい、と感じているそうです。
一つのことに、誰も頼んでもないのに調べて情報インプットしてるわけじゃないですか。そこまでのめり込めるっていうのがすごいって思うんですよ。
布教したいのか、すごさを誇示したいのか
ここで、好きの伝え方に種類がある、という話になります。ゆうさんは、知ってほしいのか、それとも自分のすごさを示したいのかで、受け手の印象が変わると指摘します。
好きを人に伝えるとき、どんな伝え方が「押し付け」になってしまうのか。
相手に知ってほしい・布教したいという伝え方なら押し付けにはなりにくい一方、「自分はこれだけ知っていてすごい」と誇示する伝え方は押し付けに感じられやすい、という整理が語られました。
ゆりおくんも、知識を誇示する感じは押し付けに近い気がすると同意します。ゆうさんは、その「俺すげぇタイプ」への返し方にこそ悩む、と打ち明けました。
中途半端に返しちゃうと、なんか何も知らないくせにみたいになっちゃうじゃないですか。
ゆうさんは、にわかな自分に対して丁寧に教えてくれるならありがたいと言います。逆に「わかってない」と冷たくされると、この人はどこで好きを吐き出すのだろうと心配になったそうです。
そこからゆうさんは、伝え方の理想を示します。渡した後の判断を相手に委ねる形なら、押し付けにはならないのではないか、というものです。
もういいんだよ、見つけたら買ってくれてもとか、その後の判断をこっちに委ねる。そういう方がなんか私的にはいいし、押し付けではないのかなと思うんですよね。
不安を解消するアイデアと、100%で語ることの大切さ
ゆりおくんは、不安を解消する具体的なアイデアを提案します。語る前に「決して押し付けてないからね」というクッションを一言置く、という方法です。
さらに2人は、語った後で相手に感想を聞いてみることを勧めます。「私、キモかったかな」と直接尋ねてしまってもいい、というわけです。
やっぱ私キモかったかなみたいなことも、聞いちゃってみていいと思うんだよな。
そのうえでゆりおくんが強く伝えたのは、好きを語るのをやめてほしくない、ということでした。ゆうさんも、不安のあまり好き度を抑えてしまう危うさを指摘します。
本当は好き度100なのに50でしか語らないとか。それを我慢してたら、いつの間にか、その我慢してた50が100になっちゃうんじゃないかな。
ゆうさんは、好きなことにはいつも100%でいてほしいと願います。ゆりおくんも、好きなことに蓋をするのは体に良くないと応じました。
偏愛を聞くときは、根掘り葉掘り掘り下げる
ゆうさんが、ゆりおくんの「偏愛エピソードを聞かせてください」という企画に触れ、実際に聞いた経験があるかを尋ねます。ゆりおくんは、あると即答しました。
ゆりおくんの聞き方は、まず「根掘り葉掘り聞いてもいい?」と断ってから、その人を深く掘り下げる、というものです。アイドルの話を聞いたときのことを例に挙げます。
どこが好きなの?どういうとこが好きなの?いつ、何をきっかけで好きになったの?ってめっちゃ質問しまくったの。
そうすると、アイドルが好きというだけでなく、その人自身の深い部分に触れられると言います。ゆりおくんはそれを最高の時間だと表現しました。
より尊くて本質的な部分に触れられる、なんか最高の時間を過ごせるのね。
ゆうさんも、知らない人に一から説明する喜びに注目します。同じ界隈の人とは違い、知らない相手に話す時間そのものが、その人にとって推しの時間になるのだと言います。
好き語ってる人ってすごいいいなって思うんですよ。
食べ物なら、送るよと言わずに勝手に送ってもいい
話は、ゆうさん自身の偏愛に及びます。ゆうさんは、語れる偏愛はないと言いつつ、食べ物に関してはどんどん布教したいと明かしました。
ゆうさんいわく、食べ物は「送るよ」と言わなくても、勝手に送っても喜ばれるものです。だから押し付けという感覚がほとんどない、と話します。
いらないのに、って押し付けられた気持ちにはならないじゃないですか。食べ物は、どんどん布教したいし、布教してほしいな。
つまりゆうさんは、何に対する好きなのかによって、押し付けかどうかは測れると考えています。食べ物のように相手の負担が小さいものは、その典型だというわけです。
そして2人は、好きを語りたい人へ呼びかけます。私たちに声をかけてくれれば万事解決だ、というのです。ただし掘り下げるための質問はする、と付け加えました。
掘り下げたいから、質問はさせてもらうと思う。
ゆうさんは、聞きたいオーディエンス側も、親しくない相手にはなかなか切り出せず待っているはずだ、と話します。だから、そういう誘いが来たらキャッチしてほしいと呼びかけました。
好きを置いてけぼりにした経験から思うこと
ゆうさんは、好きなことを忘れてしまった自分の経験を打ち明けます。子育てなどで、一緒に過ごす人が心地よいかを優先するうちに、自分の好きがわからなくなっていったと言います。
どこ行きたい?とか何食べたい?って聞かれた時に、全く答えられなかったんですよ。
ゆうさんは、好きな気持ちがなくなったのではなく、忘れてしまっただけだと考えています。今も、その好きを取り戻している最中なのだそうです。
好きな気持ちを、置いてけぼりしちゃうことがあるんですよね。
だからこそゆうさんは、自信を持って好きと言える人に強い憧れを抱きます。好きが一つでもあることは、誇らしいことだと感じているのです。
ゆうさんは、好きをたくさん語ってもらえると、自分のような人にとって刺激になると言います。好きなものができれば世の中の見え方が変わる、と伝わってくるからです。
誰かを救ってるぐらい思ってほしいなっていう。
愛媛のみかんと、皮に感じるロマン
最後の話題は、ゆうさんの地元である愛媛のみかんです。地元にいた頃は当たり前にありすぎて、ありがたさに気づかなかったと言います。
他県に出て、ゆうさんはまずみかんの値段に衝撃を受けました。愛媛では育てている人が多く、規格外のものをもらうことが多かったためです。
みかんってこんな値段でスーパーで売られてるんだっていうのに、すごい衝撃だったんですよね。
愛媛に戻ってきて4年ほど、ゆうさんは毎年みかんが出始めると4、5か所に送っているそうです。特に何も言わず、勝手に送るのが習慣になっています。
これを聞いたゆりおくんは、それはもう立派な偏愛であり布教だ、と指摘します。ゆうさんの偏愛認定のハードルが高すぎただけだ、というわけです。
それはもう布教じゃないですか。4、5件毎年送るって。
ゆりおくん自身のみかんの偏愛は、やはり皮にありました。「どすこいみかん」のヘタの出っ張りを親指でグルンと取るときの、どすこいな手触りが好きだと言います。
親指でグルンって取る、あの手に伝わる感触が、まさにどすこい感があって。
ゆりおくんは、食べ物は口に入る部分だけが注目されがちだが、皮を剥く時点でロマンがあると語ります。生産者に思いを馳せて皮を剥くと、食べる感覚も変わるはずだ、と。
相手を思いやる、人への偏愛
ゆうさんは、みかんを人に贈るときの気配りを打ち明けます。包丁が必要な品種はハードルが上がると考え、手で剥けるみかんを選んで送ってきたそうです。
この収録を通して、ゆりおくんはあることに気づきます。ゆうさんが、とても相手のことを考えるタイプだ、ということです。
相手に対して思いやりとか、その観察眼を発揮してる気がする。人に対しての偏愛な感じが受け取れて、なんか面白かった。
ゆうさんも、人のことはめちゃくちゃ好きだと認めます。人も偏愛に入れていいのなら、と前置きしつつ、この収録でみかんと人への偏愛が見つかったと振り返りました。
確かに人のことはめちゃくちゃ好きなんで。人も偏愛に入れていいのであれば。
不安の前に、まず好きがある自分を愛おしく思ってほしい。相談への答えは、そんな2人のまなざしに集約されていきました。
まとめ
好きを押し付けていないか、という不安に対して、2人は聞かれる側と聞く側の両方から答えました。共通しているのは、好きを語ること自体をやめないでほしい、という願いです。
- キモいと言われていないなら、まだ押し付けにはなっていない、という見立てから話は始まった
- 布教として伝え、その後の判断を相手に委ねる態度なら、押し付けにはなりにくい
- 不安のあまり好き度を抑えると、我慢が積み重なってしまう。好きには100%でいてほしい
- 食べ物のように相手の負担が小さいものは、送るよと言わずに送っても喜ばれやすい
- 好きが一つでもあることは誇らしいこと。まず、好きがある自分を愛おしく思ってほしい






