絵から仕事までつながる、ふたりの再会
ハナウタラジオは、ため息の中にあるポジティブな鼻歌を一緒に探す番組です。今回のはなうたさんは、ふっちーとももの2人が担当します。
ふっちーは、ブランディングとキャリアスクールの講師を生業にしています。ももは、人の話を伺って、グラフィックレコーディングやイラスト、水彩など、目に見える形に起こす仕事をしています。
2人はコミュニティ「あいうえお」の同期であり、仕事でも接点がありました。ただ、じっくり話す機会は今まで一度もなかったといいます。
じっくり話すことって本当に今までなかったなって。
ふっちーがももに仕事を頼んだこともありました。ブランドの方針書をイラストにする話が決まったとき、真っ先にももの顔が浮かんだそうです。
そのほかにも、ふっちーの別の仕事の先輩がももの住む場所の近くに住んでいた縁もありました。共通点はあるのに、ゆっくり話せていなかった。だからこの収録の誘いが、ふっちーにとっての鼻歌になったと話します。
ももにとっての最近の鼻歌は、北海道の伊澤農園から届いた秋の野菜セットでした。玉ねぎやじゃがいも、かぼちゃ、ニンニクなどがたくさん送られてきたそうです。
ホクホク(の野菜が)食べれるものがいっぱいあったので、楽しみでございます。
絵を描くももでも「得意ではない」と感じる理由
今回のお便りは「絵心がありません」というもの。思うように描けないという声は、もももよく耳にするといいます。
ふっちーは、ももに絵の仕事を発注したこともあり、当然描けると思っていました。そのももでも「描けない」と感じることがあるのか、と驚きます。
画材とか何を対象にしたものを描いてるかとかで、(今でも)苦手だったりとか、逆に得意なのはこっちなんだなっていうのも分かった。
ももが苦手だと感じるのは、風景をそのまま写実的に描くことです。校舎を描く、写生に行くといった学校教育の中で、自分が得意と感じる機会が少なかったといいます。
好きだけれど得意ではない。ももは絵に対して、長くそういう感覚を持っていたと振り返ります。
好きだけど(絵が)得意ではないなみたいな。
正解のない絵を描く楽しさと、水彩の偶然性
転機になったのは2年前、小学生ぶりに水彩絵の具を使う機会でした。それは「感情カード」を描くというもので、落ち着き、リラックス、ザワザワといった目に見えない感覚を絵にしていくものでした。
正解がないものを描くとき、ももはとても面白いと感じたといいます。そういうものは好きだし、得意なのだと気づいたそうです。
どちらかというと正解がないものを描く時はめちゃくちゃ面白くて。
画材で言うと、ももは水彩が好きだと話します。そのよさは、自分の思いどおりにならない偶然性にあるといいます。
色の混ざり具合や水の含み具合で、思ってもみなかったように広がったり、乾いたら色が違って見えたりする。そこで美しい色に出会えるのが、水彩の面白さだと語ります。
なんかそういう偶然の色合いとか、色に出会えたりとか、それが美しかったりとか。
ももは、ふっちーへのお便りの答えとして、興味があるかどうかが大切だと話します。好きなものを描くのは好き、というように、対象への入り口はいろいろあるといいます。
(描けるかどうかは)心っていうか技術な気がするんで。
グラフィックレコーディングは絵心の話なのか
ここでふっちーは、ももの仕事であるグラフィックレコーディングについて尋ねます。知らない人にもわかるように、簡単な説明を求めました。
ももは、話し合いや議論の場でリアルタイムに、文字だけでなく絵や図、色を組み合わせて整理・可視化していく技法だと説明します。みんながパッと理解できる書き方が求められることが多いといいます。
ふっちーは、それを「議事録のイラスト版」だと表現します。終わったときに一枚の紙やホワイトボードが、その日の話のストーリーになっている速さに驚いていました。
では、これは絵心と関係があるのか。ふっちーの問いに、ももは意外な答えを返します。最初はまったく描けず、練習を重ねたというのです。
結構私も最初全然描けなくって、グラフィックレコーディング。最初からパパッと描けたわけじゃないんですよね。
ももは、アイコンやピクトグラムのような「引き出し」を溜めていったといいます。そうして描くこと自体のコストを下げ、聞く力にエネルギーを集中させる。そのバランスで成り立っていると話します。
だから絵心があるかどうかと構えなくても、パターンを知っていればできる部分もあるのではないか。ももはグラフィックレコーディングについて、そう感じていると語ります。
好きな画材が真逆だった2人と、偶然性への向き合い方
ふっちーは、自分の絵心の話に移ります。好きな画材はアクリルや色鉛筆で、ももとはちょうど逆でした。
逆だよね。私が絵心ないなって自分のことをため息した時は、それこそ学校で一番最初に習うのが水彩。
ふっちーが「絵心がない」と感じたのは、まさに水彩のにじみでした。ももが美しさとして楽しむ滲みや広がりを、ふっちーは楽しむ余裕がなかったといいます。
この色を出したいと思ったのに滲んでしまう。それがふっちーにとって最初の「絵心がない」という感覚だったと振り返ります。だからこそ、この楽しみ方の違いこそが鼻歌だと感じたと話します。
同じ画材でも、偶然性をよさと感じるか、思いどおりにならなさと感じるかが分かれる。2人は好きなポイントが人それぞれ違うことを確かめ合います。
色の滲みや混ざり具合など、思ってもみない偶然の広がりを美しさとして楽しむ
出したい色を出したいので、勝手に滲まない画材によさを感じる
「絵心がない」というラベルは、いつ貼られたのか
ふっちーは絵が嫌いなわけではなく、ずっと好きだったと話します。ただ、幼いころに「絵心がない」と自分にラベリングしてしまい、文字や文章の方へ行ったといいます。
絵心がないことに、割と幼少期に自分をラベリングしちゃったので、うっかり。
3歳のころは、お母さんの絵やお姫様の絵を描いて褒められるのが楽しかった。それがセーラームーンなど漫画の絵につながっていったといいます。
そのラベリングがいつ貼られたのか。ふっちーは、正解のある絵を描いていた時期ではないかと振り返ります。
セーラームーンの模写には、作者の描いた「正解」があります。昼休みにみんなでノートに描くと、上手・下手がはっきり出てしまう。他人と比べる基準が生まれたのが、そのころだといいます。
それまでは上手い下手なんて気にせず描いてたはずだから。
親から見ればどんな絵も上手に映る。去年の自分より上手になっていく過程を、ずっと見てくれているからです。学校で初めて他人と比較し、正解がある状態に置かれたことが、ラベリングの入り口だったのではないかと2人は話します。
直線が苦手、自然の風景に惹かれる理由
ももは絵を「苦手ではない」と表現していましたが、ふっちーには苦手なものがあります。それはパース、つまり直線の入る絵でした。
直線が一個でも入ってくると、なんか気持ち悪いんだなって思って。私自分の描いた絵がなんかおかしい。
だからふっちーは、自然の風景画に惹かれるといいます。今も模写を描きますが、建物が出てくるものより、テーブルだけ、水平線以外の直線がないものを選ぶそうです。
友達と比べてその子が上手だったとしても、ふっちー自身は下手かどうかをどうでもいいと思えていました。だから絵をやめず、細々と描き続けてこられたと気づきます。
下手かどうかはどうでもよかったから。ずっと描いてるのか。
描くことは「出す」か「集中」か、それぞれのデトックス
ふっちーが自然の風景を描くようになったのには、言葉にしたことのない感覚があるといいます。去年、瞑想で頭に浮かんだものをアクリルでキャンバスに落とし込む体験をしたそうです。
そのとき気づいたのは、頭を空っぽにできる感覚が好きなのかもしれない、ということでした。風景画でなければならないのではなく、描き込んでいく工程に集中できるのだといいます。
その、頭空っぽにできる感覚が好きなのかも。集中できる感じが。
葉っぱのさわさわした感じや、朝のキラキラした水面。描き込めることが一生あるから、風景画は集中できる。ふっちーはそう説明します。
一方でももにとって、絵は「出す」行為でもあります。自分の中にあるものを溜め込まないためのアウトプットで、出すと気持ちいいのだといいます。
自分の中にあるものを、溜め込まないためにもやってる感覚もあって。
喋るよりも、絵の方が素直な部分が出てきそうだとももは話します。言葉にした方がデトックスされるときもあるけれど、最初にパッと出す手段として絵があるのだといいます。
ふっちーの「集中」と、ももの「出す」。感覚は微妙に違いますが、どちらも仕事のことなどを頭の隅に追いやり、ゆとりを生む点で似ていると2人は気づきます。そのとき、もはや絵心とは思わずに筆を動かしているのだと語ります。
絵心を感じるのは、人に見せるとき
ももは、自分で完結しているときは絵心をあまり気にしないといいます。絵心が生まれるのは、人に見せるときなのかもしれないと2人は考えます。
自分で完結してたらあんまり絵心がどうとか(気にならない)。
さらにももは、描いたものと自分がとても近い感じがすると話します。絵を貶されると自分が貶された気がして、褒められると自分が褒められた気がするというのです。
描いたものと自分ってすごく近い感じがしてて。
だからこそ、小さいころに「下手だね」と言われると、それが強く残ってしまう。「自分は絵心がない」というラベルにつながりやすいのだと、ももは語ります。
ふっちーも、小さいころは受け止め方が素直なぶん、絵心がないラベルを貼ってしまう可能性があると同意します。今の自分は言語化が得意なので、文章でも補える。それでも、絵はその言語では補えないところをカバーしてくれると感じています。
「絵心」より「楽しいか」で終わらせたい
ふっちーは、この感覚は自分に近いから共感できるけれど、リスナーの受け止め方はさまざまだろうと話します。「そういうもの?」と思う人も、「わかる」と頷く人もいるはずだと。
だからこそ、正解がないままこの話を止めたい。ふっちーはそう感じたといいます。
絵心より楽しいか楽しくないかで(考えると)いいかも。
ただ、それを勝手に鼻歌と決めつけないよう気をつけたいとも付け加えます。後になって別の感じ方をする人もいるからです。
最後にふっちーは、絵心があると思ったことはないけれど、絵を一生嫌いにはならないだろうと語ります。上手下手ではなく、好きと楽しさが残っていることを確かめて、この回は締めくくられます。
絵心あるって思ったことないけど、(絵を)嫌いに一生ならないな、きっとね。
まとめ
「絵心がありません」というお便りをめぐって、ふっちーとももは上手下手ではなく、好きな画材や描く目的、楽しみ方の違いへと話を進めました。絵心を測るより、楽しいかどうかで向き合えばいいという着地を、2人はあえて正解のないまま残しています。
- 水彩の偶然性を「美しさ」と感じるももと、「思いどおりにならない」と感じるふっちー。同じ画材でも好きなポイントは人それぞれ違う。
- グラフィックレコーディングも最初から描けたわけではなく、パターンの引き出しを溜めて描くコストを下げ、聞く力に集中しているという。
- 「絵心がない」というラベルは、正解のある絵で他人と比較したときに貼られやすい。
- 描くことは、ももにとって溜め込まないための「出す」行為、ふっちーにとって頭を空っぽにする「集中」の時間。どちらも心にゆとりを生む。
- 絵心を測るより、楽しいか楽しくないかで向き合う。正解のないまま持ち帰れる問いとして残された。






