前回の訂正と、リスナーからのフィードバックへの姿勢
本編に入る前に、前回放送の訂正から始まります。声をテーマにした回で、ジブリ作品のお父さん役をめぐる発言に誤りがあったとリスナーから指摘があったためです。
MCの平野聡さんによると、前回は「魔女の宅急便のお父さんが糸井さん」と話していたものの、正しくは「となりのトトロのお父さんが糸井重里さん」だといいます。細かい指摘への感謝が語られます。
フィードバックが来るだけでめちゃくちゃ嬉しいんで。もう間違えてることどんどん突っ込んでいただきたいですね。
片山さんは、内容の誤りだけでなく、平野さんが噛んだ場面などもXでつぶやいてほしいと呼びかけ、リスナーとの距離を縮める姿勢を見せます。
NIKEとオレゴン、スニーカー世代の思い入れ
今回のテーマは「NIKEの始まりはオニツカタイガーだった」。持ち込んだ片山さんは、自身と「こうちゃん」がかつてオレゴンに住んでいたことに触れ、NIKEがオレゴン発祥のブランドであることを紹介します。
NIKEという会社ってオレゴンが発祥の地なんですよ。やっぱりこの陸上とオレゴン州っていうのは切っても切れない関係。
話は世代的な思い入れにも広がります。片山さんは自身を完全なNIKE世代だとし、エアマックス95が社会現象になった当時、スニーカーが自分のアイデンティティのような存在だったと振り返ります。
あの時の僕たちってスニーカーイコール自分のアイデンティティみたいなね、ところあったと思うし。
片山さんが「エアシューマッハ」や「エアSlimShady」といった愛用モデルの話に熱を込める一方、保呂田直行さんは「今日はスニーカーの会じゃない」「ブランディングを話してる」と軌道修正します。
みんな今日スニーカーの会じゃないから。ブランディングを話してる。
もっとも、3人がここまで盛り上がること自体が、NIKEというブランドへの愛着の深さを物語っています。
NIKEはオニツカタイガーの販売会社として始まった
NIKE創業者フィル・ナイトさんが、片山さんの通ったオレゴン大学出身であること、大学図書館が「ナイトライブラリー」と名付けられていることが紹介され、地元でのNIKEの存在の大きさが語られます。
そのうえで片山さんは、今回の本題を切り出します。NIKEはもともと、日本の靴を扱う会社としてスタートしたというのです。
このNIKEって実は一番最初オニツカタイガーという日本の靴を扱う会社だったって知ってました?
平野さんも保呂田さんもこの事実を知らず、驚きます。片山さん自身も最近知ったことだといい、世界的ブランドNIKEが日本のオニツカを販売する会社として始まった点を強調します。
平野さんが「代理店みたいな感じだったのか」と確認すると、片山さんは販売代理店のような形だったと答えます。
24歳のフィル・ナイトが神戸で起こした直談判
片山さんが、NIKEとオニツカタイガーの出会いを語り始めます。時は1962年、創業者フィル・ナイトさんは当時24歳でした。
ナイトさんは大学の論文で「日本の靴をアメリカで売ればアディダスに勝てる」と書いたといいます。当時はアディダスが強かった時代でした。
大学の論文で「日本の靴をアメリカで売ればアディダスに勝てる」って書いたんですよ。すごくないですか、24歳。
ナイトさんは卒業後すぐ日本に渡り、神戸のオニツカタイガー、つまり今のアシックスの前身を訪ねます。
会議室でナイトさんは、英語もあまり通じないなか「僕にあなたたちの靴をアメリカで売らせてください」と直談判します。24歳の若者による直接交渉でした。
そして、この交渉から契約が結ばれます。平野さんは「そんだけ熱量があったのか」と受け止めます。
これがNIKEの出発点であるブルーリボンスポーツという会社でやってることはオニツカの販売代理店。
何の実績もない24歳が神戸に来て話をし、契約が成立したという事実に、平野さんは「そこに何か響くものがあったという理解になる」と語ります。
選手の足を触った鬼塚喜八郎と「走る意味」を売る哲学
片山さんは、NIKEが大きくなれた理由を、オニツカから哲学を学んだからだと考えています。
その象徴が、オニツカの創業者、鬼塚喜八郎さんの姿勢です。鬼塚さんはバスケットボール選手の足を研究するため、練習後の選手の足を触らせてもらっていたといいます。
どこが痛いの、どこが疲れるの、と。それを直接確かめて靴に反映させていたり。これって職人の極みじゃないです?
片山さんは、オニツカは靴を売るのではなく「走る意味」を売っていたと表現します。軽さや速さだけでなく、心地よく走るための美学こそがオニツカだったといいます。
平野さんは、これを「クラフトマンシップの塊」「職人ブランド」と受け止めます。一方でNIKEは、その中にストーリーテリングを持ち込んだのではないかと解釈します。
片山さんによれば、日本的な「感じさせる技術」とアメリカ的な「語る力」の掛け算がNIKEのDNAになったといいます。走ることを極めるオニツカと、走ることを語るNIKE。方向は同じだったという整理です。
選手の足を研究し、走る意味と心地よく走る美学を靴に込めた「感じさせる」職人ブランド
日本的な技術に、アメリカ的な「語る力」であるストーリーテリングを掛け合わせた「語る」ブランド
なぜ二人は別れたのか、そしてNIKEの誕生
同じ方向を見ていた両者ですが、やがて袂を分かちます。片山さんが、その背景を掘り下げます。
ブルーリボンスポーツが成功していくにつれ、オニツカ側が経営にもっと関与したいと言い出したといいます。アメリカで成功しているビジネスに、より深く関わろうとしたという流れです。
一方フィル・ナイトさんからすれば、自分が育てたビジネスを取られてしまうと感じたのではないかと片山さんは推測します。
この流れって映画になるんじゃないかなって思うぐらいドラマチックなんですよ。
結局、二人は別れ、NIKEは自分たちで靴を作る道へ進みます。ここでNIKEというブランドが生まれます。片山さんはこれを、会社の「成長痛」のようだと表現します。
1962年 出会い
24歳のフィル・ナイトが神戸のオニツカタイガーに直談判し、販売契約を結ぶ
ブルーリボンスポーツ設立
オニツカの販売代理店として事業を開始し、アメリカで成功していく
経営関与をめぐる対立
成功を受け、オニツカ側が経営への関与を求め、ナイト側は反発する
NIKE誕生
両者は別れ、NIKEは自分たちで靴を作るブランドへ独立する
35ドルで生まれたスウッシュと、二つのブランドスローガン
片山さんがこの話を持ち込んだ理由が語られます。番組のリスナーは、これからブランディングを頑張ろうとしている人たちであり、何もない24歳が世界的ブランドをつくるきっかけになった経緯を伝えたかったといいます。
続いて片山さんが小ネタを披露します。NIKEのシュッとしたロゴ、いわゆるスウッシュは、大学生がデザインしたものだといいます。
そのデザイン費はわずか35ドルでした。片山さんは、大学生に何かを作ってもらって「ありがとうね」と渡す程度の金額だったと説明します。
デザイン費の費用言っていいですか、35ドル。
平野さんが、後にそのデザイナーが不満に思わなかったのかと尋ねると、片山さんはデザイナーが女性のキャロライン・デビッドソンさんであり、後にNIKEからきちんと報酬を受け取っていると答えます。ただし手元に資料がないため、詳細は各自で調べてほしいと補足しています。
片山さんは、ブランディングには2つの領域があると整理します。NIKEは語るブランド、オニツカは感じさせるブランドだという見立てです。
その違いはスローガンにも表れているといいます。NIKEの「Just Do It」は行動を促す言葉、オニツカの「Sound Mind, Sound Body」は生き方を整える言葉だという対比です。
行動を促す言葉。声で心を動かす「感情のデザイン」のブランド
生き方を整える言葉。体で納得させる「機能の美学」のブランド
平野さんは、NIKEはきっかけをつくり「今からやるよ」と訴求する一方、オニツカは物事が動き始めてから「どうしていくか」に寄り添うブランドだと解釈します。方向性の違う両者がどちらも成立している点に驚きを示します。
物語に詰まった日米の関係と、フィル・ナイトの言葉
片山さんは、この物語には日本とアメリカが喧嘩し、別れ、仲良くなり、リスペクトし合う関係が詰まっていると語ります。
そのうえで、フィル・ナイトさんが最終的に語ったという言葉を紹介します。
片山さんは、ナイトさんが鬼塚さんとの関係を大事にしていたのではないかと受け止めています。ドラマチックな別れの物語の底に、人と人とのつながりへの敬意があったという読み方です。
小さく始める、なぜ作るか、そしてストーリーの3つの教訓
片山さんは、今回の話を3つの教訓にまとめます。まず1つ目は「スタートは小さくていい」。好きなブランドをアメリカで売らせてほしいという、神戸の小さな会社との出会いから始まった点を挙げます。
2つ目は「何を作るかより、なぜ作るか」。彼らは靴を売りたかったのではなく、走ることの価値を伝えたかったのだといいます。
3つ目は「大事なのはプロダクトではなくストーリー」。どんなに良いものでも、語らなければ届かないという指摘です。
平野さんも、この教訓に共感を示します。スタートが小さくても信念が大きいことが成長につながり、それがブランディングの核心になるのではないかという受け止めです。
ラジオDJの実感で語る「ストーリーが説得力を変える」
平野さんは、自身の仕事に引きつけて教訓を語ります。FMラジオで新しい音楽をリスナーに届けるのが主な仕事だといいます。
その際、唐突に楽曲を紹介するより、自分がどんな音楽を好きで、どんな音楽を聴いてきたかを知ってもらった状態で紹介するほうが伝わると話します。
さらに、音源の紹介だけでなく、実際にライブを見に行って良かったといった体験を添えると、説得力がまったく変わってくるといいます。
そのストーリーがあると、多分全然説得性が変わってくるなっていうのはありますもんね。
片山さんは、番組そのものも「ショベリ」というおしゃべりのストーリーを伝える場だとし、その実験室がポジティブブランディングラボだとまとめます。
NIKEの苦戦とオニツカ再評価、後編への予告
最後に、この物語には続きがあることが示されます。コロナ以降、NIKEがやや苦戦する一方で、オニツカタイガーが業績を急回復させているといいます。
平野さんは、次回はなぜ今NIKEが苦戦し、オニツカが再評価されているのかを深掘りしたいと予告します。番組のフォローや、Xでのハッシュタグ「#ポジティブブランディングラボ」でのシェアも呼びかけます。
まとめ
世界的ブランドNIKEは、24歳のフィル・ナイトさんが神戸のオニツカタイガーに直談判し、その販売代理店として始まりました。感じさせるオニツカと語るNIKEという対比を軸に、小さく始めること、なぜ作るかを問うこと、そしてストーリーで語ることの大切さが語られた回でした。
- NIKEはもともと、日本のオニツカタイガーの販売会社ブルーリボンスポーツとして始まった
- 鬼塚喜八郎は選手の足を研究し、靴ではなく「走る意味」を売る職人哲学を持っていた
- オニツカは感じさせるブランド、NIKEは語るブランドで、日本の技術とアメリカの語る力の掛け算がNIKEのDNAになった
- 教訓は「スタートは小さくていい」「何を作るかよりなぜ作るか」「大事なのはプロダクトではなくストーリー」の3つ
- 後編ではコロナ以降のNIKEの苦戦とオニツカタイガーの再評価が語られる





