芝居の作り方が、全く読めなかった同期
細谷とは2002年、マウスプロモーションの養成所で同期になりました。
私は関西で声優の養成所に入って、東京に来て勝田声優学院で3年やって、それからマウスに入ったんですけど、細谷の芝居を見た時、それまで見たことのないタイプの人だと思ったんです。
芝居として成立はしてるんですよ。でも、私が事前に「この人こう言ってくるかな」と予想したのを、いい意味で全部外してくる。
どういう解釈をしたらああいう表現が出てくるのか、全くわからなかったんです。
当時の私は、台本をどう解釈するかをすごく教わっていました。だから「解釈から作る左脳派」で、細谷は本当に「右脳でやってる人」なんだと、ものすごく思ったんですよね。
私に足りなかったのって、ずっとそこだったと思うんです。どんなに頑張っても80点以上出せる気がしなかったんですよ。
細谷本人は当時のことを、「ただその場その場で反応してただけに過ぎない」と話していました。相手の言い方が変わったら、多分それは出ないんだろうな、その程度、と。
でもそれって、結局あの年齢でちゃんと会話ができていたということだと思うんです。
「自分の言葉が欲しい」と言い続けた同期
細谷は当時から「自分の言葉が欲しい」ということをずっと考えていたそうです。
お芝居を勉強すると、好きな俳優さんや声優さんの影響を受けすぎて、その人っぽくなる。でもそれは日常会話ではその人みたいにならない。「なんかそれ自分の言葉じゃない気がするから」嫌だったと話していました。
子どもの頃、細谷がついた嘘に、お父さんが最後まで付き合って騙されようとしてくれたそうです。この先に何かあると言ったけど本当はないのに、一緒に行こうとするから気まずくてしょうがない。
そこで「嘘は絶対にバレる」と学んだ、と。それが原体験の一つになっているそうです。
だから居酒屋の横を通る時は耳をすませて、「あのサラリーマンの話めっちゃ面白いな」と、自分の言葉のために不特定多数から取りたいと思っていたと聞いて、なるほどと思いました。
私はその感覚が、どうしても得られなかったんですよね。
いい声なんてない、と言われて腑に落ちたこと
いまこうしてPodcastをやっていると、「いい声ですね」と言われることがあるんです。
でも以前、この番組に来てくれた最上(嗣生)さんに言われたのが、「名村さんいい声ってないんすよ。自分にあった声を今は喋ってるからじゃないですか」ということでした。
作った声って、頭の中で響かせた理想の声をやろうとしてるだけで、結局は嘘なんですよね。
若い時は私も、いわゆるいい声を求めていました。でもいまフリートークをしている時や、仕事のセミナーで話す時は、台本を読んでるわけじゃない。自分が無理をせず、考えてることを音に乗せてるから、それが人にはいい声に聞こえるのかなと思ったんです。
細谷も「全部出るんですよ」と言っていました。意図も緊張も自己顕示欲も、自信のなさも全部出てしまうから、正直じゃないといけない、と。
「世の中はいいと言われてるけど、でもなんかあの人嘘っぽいんだよなっていうのは大事にした方がいい」という言葉は、聞いていてぐっときました。
私はやっぱり「こっち側」の人間だった
細谷と過ごした2年間で、私は毎日のように「自分は演者じゃない」という自覚が深くなっていきました。
舞台なら演出、いまで言うならディレクター。私は多分こっち側、作る側の人間なんだなと、なんとなく思っているんです。
いまお客様のPodcastを作る仕事もしているんですけど、そこで自分がすごく大事にしているのが「永遠の素人であること」なんですよね。
たとえば不動産のサイトを作る時、業界に慣れれば慣れるほど、無難な決まった形で作ろうとし始めちゃう。それが嫌なんです。
楽天やAmazonの一覧はもっと見やすいのに、なんで不動産サイトは見にくいんだろう、という素人の視点は失いたくない。
Podcastの現場でも同じで、台本は自分で書くけど、意図はどうでもいいんです。ガイドラインだから。聞いてる人がこの2人の話をいかに面白く聞けるかだけを大事にしています。
噛んでもいいんですよ。その人の素が感じられる噛み方なら全然いい。でも「ここで噛んだら面白くない」というところはダメ。そういう判断をするのは、やっぱり作り手側の目線なんですよね。
迷わない同期と、執着が減っていった私
駆け出しのウェブデザイナーの方から、「これでいいのかな」と迷う瞬間とどう付き合うか、という質問をもらいました。細谷にお芝居ではどうかと聞いてみたんです。
細谷の答えは「迷うことはない」でした。二択で聞いて、「前者ですね」と言われたらそれをやる。やったことに自信をなくすこともない、と。
なぜかというと、「人のためにやってないんでしょうね」と。見てもらう仕事だけど、「見て」という欲がもうなくなってきた、と話していました。
これは私が向き合えなかったところなんです。昔、師匠に「お前は何やってもナムラにしか見えない」と言われたことがあって、それは結局、自分を見てほしかったからなんですよね。
細谷はさらに、意見が食い違った時のことをこう言っていました。相手の反対意見も「その人が自己を表現しているに過ぎない」から、違うというのは、正当性があるわけじゃなく、人が違うから意見が違うだけなんだ、と。
だから「否定されても、それはあなたがダメだと言われてるわけじゃない」。これは聞いてる若い人に本当に大事にしてほしいと思いました。いまって否定されたら全否定されたぐらいに感じる人が多いですから。
長く続けて見えてきたものは何か、という質問ももらいました。細谷は「たかが知れてるな」とネガティブじゃなく思ってから楽になった、と。
私も同じで、昔は我執が強いと言われていたんですけど、いまは執着がだいぶなくなってきました。競うのは誰かとじゃなく、自分のパフォーマンスとだけになったんですよね。
まとめ
同じ養成所にいて、片方は道を諦めて、片方は走り続けた。それでも20年ぶりに話したら、たどり着いた場所が意外と近かった気がしています。答えが出た訳じゃないですけど、いまはそう感じています。
- 細谷の芝居は解釈からは読めず、私は自分が「作り手側」の人間だと気づかされた
- いい声とは作った声ではなく、無理をせず考えてることを音に乗せた声のこと
- 否定されるのは自分がダメだからではなく、人が違うから意見が違うだけ
- 長く続けると執着が減り、競う相手が誰かではなく自分になっていく






