昔の「サボった方がいい」と、今の「詰め込む」働き方
僕がまだ若かった頃、僕よりさらに上の世代の先輩たちは、平気で不思議なことを言ってました。
「休憩時間はしっかり休んで、5時から飯に行け」とか、「そうやらないといい仕事はできねえぞ」とかね。
なんなら「サボった方がいいんじゃねえか」みたいなことを言う人まで、周りにいたんですよ。
それに比べると、今はどうでしょう。空いてる時間はぎっちり埋めて、業務を詰め込んで、極限まで労働時間を増やしましょう、みたいな風潮になっているなと感じます。
つまり、無駄っていうものを徹底的に削って、余白がないような気がしているんですよね。
僕自身も、外から見たら仕事を詰め込んでるように見えるんだろうと思います。でも、休むところは結構休んでるつもりなんです。そうじゃないと、やっぱり続かないなって気がするので。
アイデアは、何もしていない時に降りてくる
なんでそこまで無駄が大事だと思うのか。理由はシンプルで、アイデアって、何もしない時に思いつくからなんですよね。
これは脳の話らしいんですけど、緊張している間って、頭はけっこう止まっているそうなんです。
「もういいや、後にしよう」と思った瞬間に、「ああ、それか!」ってビビビっと降りてくる。あの感覚、みなさんも経験あるんじゃないかと思います。
僕の場合は、歩いてる時とか、一人でタクシーで移動してる時とかが、けっこうアイデアの浮かぶ時間だなと思っています。
先日も、富士山の麓の樹海ツアーに行ってきたんですけど、たった4キロを3時間ぐらいかけて歩くんですよね。
仕事から完全に離れて、「ああ、ここまで溶岩が流れて、ここは流れなかったのか」なんて見ながら歩いていると、普段とは全然違う頭の部分が働くんだろうなと思いました。
無駄を「増やせばいい」わけでもない
じゃあ、無駄を単純に増やせばアイデアがどんどん湧いてくるかというと、たぶんそういうことでもないんですよね。
大事なのは、無駄の中からアイデアを生み出すための教養とか、知識とか、その前提になる情報なんだと思います。
無駄なことをしてる風だけど、実は頭は止まっていない。緊張がほぐれたタイミングで、置いておいた情報がポンポンと組み合わさって、「あ、これだ」となる。
だから、脳を一つのことにずっと動かし続けるんじゃなくて、他のことにぷっと向けて、緊張している場所を変えることが、僕にとっては大事なんじゃないかなと思うんです。
この隙間の部分がなくなってきているから、新しいアイデアが生まれづらくなっているんじゃないか。「無駄を削りすぎた」って、たぶんそういうことなんじゃないかと思いますよ。
昔って、言動が突飛というわけじゃないんだけど、面白いアイデアをボンボン出す人が、もっといた気がするんですよね。
遊んでますか、美味しいもの食べてますか
お便りをくれたさやえんどうさんは20代ぐらいの方でしょうか。この感覚は、なかなか分かりづらいところかもしれません。
でも、無駄という意味で言うと、遊んでますか、とか、美味しいもの食べてますか、っていう時間が、僕はけっこう大事だと思っているんです。
別にそういうのに興味がなくて、お腹が膨れればいいですよ、っていう人がいてもいいと思うんですよ、今の時代は。
ただ、そういう時間も大事な価値観なんだよ、っていうことを、ちょっと考えてみるきっかけになったら嬉しいなと思います。
まとめ
無駄を削るのが正義に見える時代ですけど、僕はいまのところ、無駄の中にこそアイデアの種があると思っています。答えを出しきったわけじゃないんですけど、みなさんは最近、何もしない時間、取れていますか。
- 今は空いた時間を詰め込む働き方が主流だけど、余白が失われている気がする
- アイデアは緊張がほぐれた「何もしない時間」に降りてくることが多い
- ただし無駄を増やせばいいわけではなく、前提になる教養や情報も必要
- 遊びや美味しいものといった時間も、大事な価値観として見直したい







