学生起業をしていた宇野さんが、あえて就職を選んだ理由
学生起業を経験していた宇野さんが、大学卒業時に就職を選んだのは、起業志向の人からすると意外な選択に見えます。川邊さんもその点を不思議に感じたと話します。
当時の宇野さんの会社は、先輩と自分たちで5人ほどの小さな組織でした。一方、クライアントはいわゆる大企業で、その組織のメカニズムは自分たちのやり方とは決定的に違うと感じていたといいます。
一方で、そのクライアントさんはいわゆる大企業でやってたので、その大企業の組織のメカニズムっていうのと、自分たちでなんとなくやってるのと、これはやっぱなんか決定的に違うっちゃ違うよねっていうのは。
このまま起業を続けると、小さな会社の運営ノウハウしか身につかないかもしれない。宇野さんは、大企業がどういう仕組みで成り立っているかの基礎知識くらいは持っておいたほうがいいと考え、一旦就職することにしたと語ります。
ただし、完成された大企業では仕組みは学べても、成長エネルギーのようなものは学べないかもしれない。そう考えたとき、当時のリクルートがちょうどよく見えたといいます。
リクルートっていうのが、当時はちょうど大企業だけど、まだベンチャーの成長プロセスみたいな感じの会社で、ちょうどいいということなので、リクルートしか受けてなかったんです。
内定辞退までしてリクルートコスモスを受け直した理由
宇野さんはリクルートに内定していましたが、より成長プロセスを見たいという思いから、社内を調べるうちに急成長中の子会社リクルートコスモスの存在を知ります。
宇野さんはリクルートコスモスへの配属を人事に頼みますが、別採用だからできないと言われます。そこで受け直そうとすると、今度は就職協定を理由に、内定者には手を出せないと言われました。
結局、宇野さんはリクルートの内定を辞退し、就活がほぼ終わった季節にリクルートコスモスを受け直すという選択をします。
もう就活がほぼみんな終わった季節に辞退して、リクルートコスモスを受け直すみたいな変なことをやって。
わざわざそこまでして。
わざわざそうやって子会社に行くって変なやつですよね。
入社1年目に直面したリクルート事件と、社内の空気
宇野さんが選んだリクルートコスモスは、入社した1年目に事件が発覚します。日本の政治を大きく揺るがす出来事の直前に、宇野さんは就職していました。
当時は凶悪事件のように報道されていたため、宇野さんはリクルートコスモスの紙袋を持っているだけで、電車で見られたり、訪問先で子どもに泣かれたりしたといいます。
私がリクルートコスモスの紙袋を持ってたら、電車に乗っててもなんかすごいじろじろ見られたりだとか、家に訪問に行った時に子供に何か泣かれたりですとか。
一方で、当時のリクルートの社内には、この状況をどこか面白がる空気もあったと宇野さんは振り返ります。
それこそなんか下にテレビ局のカメラいたよとか言いながら、女性はちょっと化粧を気にしたりだとか。
注目されていることを面白がる面があり、荒れた株主総会でさえ、終わった後に面白おかしく語られていたといいます。仕事自体はマイナスの影響こそあったものの、できないというほどではなく、宇野さんは土地を仕込む側として動いていました。
1年で辞めた宇野さんが、空き物件をきっかけに起業した経緯
もともと3年ほど勉強するつもりだった宇野さんですが、入社1年で25歳のときにインテリジェンスを起業します。きっかけは、後に一緒にやる島田さんの客だった美容師が、美容室を探していたことでした。
不動産関係だった宇野さんが青山の50坪ほどの物件を紹介したところ、美容師はそこを使いたいと言います。ただし広すぎるため30坪だけでよく、残りの20坪を借りる人を探してほしいと頼まれました。
外苑前の駅から近い好立地だと聞いたとき、宇野さんはこれを人に貸すのはもったいないと感じます。起業時のオフィスに使えると考えたのです。
私はそれを聞いた時になんかこれ人に貸すのもったいないなと。自分たちもいずれ起業する時に、最初はオフィスをどこにするかみたいなね、こういうコワークスペースとか、共有みたいなのがないですから。
すでにやる気のあるメンバーは固まっていたため、人に貸すのではなく自分たちでやろうという話になります。空き物件ありきで起業という、珍しい始まり方でした。
空き物件ありきで起業だったんですか。それはすごいですね。全然知らなかった。
自分にないものを持つ4人を選んだ、宇野さんのチームづくり
起業のメンバーは4人でした。宇野さんは、自分にそんなに自信がないところがあったため、自分にないものを持ち、役割を補完し合えるチームを作りたかったと語ります。
学生起業時代に知り合った鎌田さんは、頭が切れて理論的に説明ができるタイプでした。情熱と根性タイプの宇野さんにとって、理路整然と語れる存在だったといいます。鎌田さんは現在、オープンハウスの副社長です。
明治学院のサークル時代に知り合った前田さんは、チーム全体を盛り上げるムードメーカーで、つなぎ役のような人物でした。
最後に出会った島田さんは、リクルートで営業成績が断トツで、人のネットワーク作りにも長けていました。誰に対しても丁寧に対応でき、成功したいという熱が高いと感じたといいます。
基本的に自分はそんなに自信がないみたいなところが多かったので、自分にないものを持ってる人、自分をちゃんと補完するというか、お互いに役割分担できるような、そういうチームを作りたいみたいなのはあったんですね。
4人はそれぞれ、宇野さんと鎌田さんがリクルートコスモス、島田さんと前田さんがリクルートと、いずれもリクルート系の出身でした。元リクルートの起業として、後の大成功事例となります。
何をやるか決めずに作った会社が、人材ビジネスにたどり着くまで
インテリジェンスは、最初は何をやるかもあまり決めないまま作られた会社でした。宇野さんが上司に会社を作ったので辞めたいと伝えると、強く引き止められます。
私はそのまさに上司に会社作ったんで辞めたいというふうに言ったら、すごく怒られまして。
当時のリクルートは、1人の採用に3000万かけているという話があり、1年では元が取れていないと言われました。部下を辞めさせると上司評価が下がる事情もあったといいます。
宇野さんは直の上司が好きだったため、タイミングを見て辞めることにし、結果として半年ほど二足のわらじ状態になります。昼はリクルートで働き、夜はオフィスに集まって何をやろうかと毎晩考えていたといいます。
当時、宇野さんは25歳、他のメンバーは23歳ほど。1980年代後半に若手が起業するのは珍しく、なめられたり相手にされなかったりすることが多かったといいます。
そこで宇野さんは、若さをハンデではなくプラスに変えられることを考え、就職採用の手伝いを思いつきます。売り手市場で企業が若手採用に熱心だった時代に、学生に近い立場と学生時代のネットワークを売りにできると考えたのです。
新卒採用の手伝いを進めるうちに、宇野さんは人事データから18歳人口の減少がすでに見えていることに気づきます。出生率が1を切っていたため、20年後の減少も予測できました。
20年後の未来が予測できることって珍しいなと思ったんですよね。
人口動態はほぼブレずに予測できます。これを見た宇野さんは、企業と働く人の関係が変わり、終身雇用がなくなり、新卒一辺倒ではなくなっていくと考え、本格的に人材ビジネスをやろうと決めました。
人口動態から読んだ、派遣と転職支援というマーケット
当初は新卒採用だけを手がけていた宇野さんですが、途中から派遣ビジネスに入っていきます。当時、派遣は法律自体はあったものの、対象となる職種が限定されていた時代でした。
宇野さんたちは、今でいう紹介予定派遣のような、派遣からの中途転職の仕組みができるはずだと考えます。後には、中途の採用エージェント事業まで手がけるようになりました。
これらは、完全な規制緩和が確定していたわけではありません。ただ、必要に駆られてきっと緩和されていくはずだという読みと、人口動態からの確信があったと宇野さんは話します。
当時、同じ分野に着目したライバルはあまりいなかったといいます。派遣会社は数こそ多かったものの、トップだったパソナのシェアでもマーケット全体の2%ほどでした。
この業界でトップの会社が2%しかシェア持ってない。
トップでも2%という超ロングテールな市場を見て、宇野さんはこの分野なら少し頑張れば勝てるのではないかと考えました。町の小さな派遣会社が多く、そこまで頑張っている会社が少なかったのかもしれないと振り返ります。
空き物件から11年、上場までを支えたチーム型のリーダーシップ
インテリジェンスは11年で上場に至ります。会社を作ったとき、宇野さんは10年で上場するという目標を掲げていました。当時の最短上場が10年で、それに並ぶことを目指したといいます。
4人の会社は死に物狂いで働いたと宇野さんは振り返ります。前日にメンバーで集まった際も、どれだけブラック企業だったかという話で盛り上がったそうです。
宇野さん個人は、営業に加えて組織の拡大に力を入れ、とくに採用に注力しました。一人ではできないことを、組織を作って大きくやろうとするスタイルです。
このスタイルの背景には、自分自身で何でもやれるという自信のなさと、なんでも自分でやる父親を見てきた経験がありました。強すぎるリーダーシップのいい面と悪い面の両方を見ていたといいます。
会社という意味では、やはりその自分一人ではなく、会社が機能して、自分がなくても回っていくものを作っていかなければいけないんだろうなという、そういうのは意識的にありましたですね。
宇野さんは、その時代の強いリーダーの経営者の本ばかり読み、影響を受けていました。しかし読むほどに、自分がそういうキャラになれるのかという自信を失っていったといいます。
好きで読んでたのに、どんどん自分としては自信を失っていくみたいな。
大学生の頃、宇野さんは自分にはもう無理だと思ったことがありました。そのとき、逆転の発想がふと浮かんだといいます。
ゴレンジャーのような世界観で、自分一人ではなく、その人に代わるチームを作ればいい。この発想はインテリジェンスにも適用され続け、今も残っているといいます。
バブル崩壊のなかで、目標より1年遅れて迎えた上場
業績は伸びていったものの、道のりは楽ではありませんでした。起業から2年ほどでバブルが崩壊し、宇野さんたちはもがきながら業績を伸ばしていったといいます。
10年で上場するという目標は、証券会社とのミスコミュニケーションで会社を変えることになり、1年ほど後ろにずれます。上場は2000年、ITバブルのピークが過ぎたころでした。
当時はマザーズなどができ、新興企業への注目が集まっていた時代でした。インテリジェンスの上場直前にはサイバーエージェントが上場し、大きな時価総額がつく空気があったといいます。
新卒で入社した藤田さんの独立を、宇野さんが応援した理由
上場の少し前、サイバーエージェントの藤田さんはインテリジェンスに新卒で入社していました。大学生で受けに来たときから、いずれ起業したいと明確に語っていたといいます。
割と最初から自分はベンチャーの会社に行くんだとかOKじゃなくてみたいなとこで、自分はいずれやはり起業をしたいみたいなことも言っていて。
若いうちから起業を明確に決めている人は珍しく、宇野さんはよく覚えていると話します。藤田さんは他社と迷っていたため、宇野さんが一生懸命口説いて入社してもらったといいます。
入社から1年後、藤田さんは以前勤めていた会社の関係者と一緒に独立すると告げます。ただし社長ではなく、役員として迎えられる形でした。1年は早くないかと問う宇野さんに、藤田さんはこう返します。
藤田社長が私に野呂さんも1年だったんですよって言われてしまいまして。
宇野さんは、それならしょうがないと納得します。そして、役員としてではなく、自分が社長として自分の会社をやったらどうかと勧め、資金的な支援もすると申し出ました。
藤田さんは、そんないい話があるわけがないから騙されているのではないかと言われたとも語っていたそうです。それでも宇野さんは、1年しかいなかった藤田さんに、他の人とは違う見どころを感じていました。
1年しかいなかったんですけど、それこそ一番早く会社に来て、一番早く行ってきますっていうふうに出て、しっかりちゃんと結果も。
結果として、藤田さんの会社はインテリジェンスより先にマザーズで上場します。宇野さん自身は良かったねという気持ちでしたが、社内には複雑な空気があったといいます。
10年間上場を頑張ってきた社員たちからすると、特別扱いされた存在がポンと先に上場する姿は面白くない面もありました。宇野さんも、その当時は少し複雑な感情があったかもしれないと振り返ります。
みんななんか何となくモゴモゴしてる感じは。
まとめ
この回は、宇野康秀さんがあえて就職を選び、内定を辞退してまで急成長の現場に飛び込み、空き物件をきっかけにインテリジェンスを起業して上場に至るまでを、川邊健太郎さんが聞き出した回想でした。偶然の物件との出会いと、人口動態からの冷静な読み、そして自信のなさから生まれたチーム型の発想が、いずれも起業の軸になっています。
- 学生起業と就職の両方を経験するため、宇野さんはリクルートの内定を辞退してまで急成長中の子会社リクルートコスモスを選んだ
- インテリジェンスは、青山の空き物件との偶然の出会いをきっかけに、何をやるかも決めないまま4人で始まった
- 新卒採用の手伝いから、18歳人口の減少という予測可能な未来に気づき、派遣や中途転職の人材ビジネスへと広げていった
- 自信のなさと父親の強いリーダーシップへの反発から、宇野さんは「自分がなれなくてもチームでその人になればいい」という発想にたどり着いた
- 新卒入社の藤田さんの独立を宇野さんが資金面から応援し、その会社はインテリジェンスより先に上場した





