初ゲスト内沼晋太郎さんと、ポッドキャストで生まれる「分かり合い」
この回は、ブック・コーディネーターの内沼晋太郎さんを迎えた特別編です。内沼さんは、番組にとって初めてのゲストになります。
青木さんは少し前に、内沼さんのポッドキャスト『本の惑星』に出演していました。『本の惑星』は毎週更新の番組で、内沼さんの一人語りを基本にしながら、最近はゲスト回が増えているそうです。
『本の惑星』で青木さんが出演した回は、「もしクラシコムが書店を作るなら」を入り口に話が広がりました。収録は2時間に及び、そこから40分ほど削ったといいます。
青木さんと内沼さんは、収録の時点ではほぼ初対面でした。それでも青木さんは、サウナへ向かう車の中で『本の惑星』を聴くのを楽しみにしてきたヘビーリスナーです。
(ポッドキャストは)人がこう話してる中に、仲間に入ったような気になって聞くじゃん。「あ、わかる」とか、「いや、違うんだ、それそうじゃなくてさ」とか、思いながら聞くから。
そのため青木さんは、初対面なのにタメ口交じりで話してしまったと振り返ります。内沼さんの側も、青木さんのFacebookやこの番組を聴いていたので、初めてという感じはしなかったそうです。
青木さんによると、SNSでフォローし合っているだけでも、仕事の説明などの前置きは省けます。ポッドキャストを聴き合う関係は、そこからさらに一段深いといいます。
しかも、普通に知り合ってもなかなかしない深さとか、幅で話されてるのを聞けるわけじゃない、ポッドキャストって。
青木さんは、ポッドキャストを聴き合う関係では、リアルで知り合うより先に、ある種の分かり合いが成立した状態から会話が始まると表現しました。
「お兄ちゃんって呼んでいいですか?」から見えた、聞き手の名キャッチャーぶり
青木さんは、『本の惑星』の回では、この番組では見せていない自分の狂気が出ていたと話します。方向性は同じでも、普段は腹八分目のところを150くらいで話してしまったそうです。
今井さんは、内沼さんがいいキャッチャーだったからだと受けます。青木さんも、周囲から同じことを言われたといいます。
青木さんが評価するのは、内沼さんの話の深め方です。突飛な話にもついてきながら、話題を表層に戻そうとはしなかったといいます。
ここで青木さんは、以前に朝の情報番組に出演したときの体験を紹介します。プロデューサーから、女性アナウンサーに青木さんを「お兄ちゃん」と呼ばせたいと頼まれたそうです。青木さんが妹の佐藤さんと会社を営んでいることを踏まえた演出でした。
いじるってそういう意味があるんだと思ったっけ。そのちゃんとみんながついてこれる逸脱を、そのコントロールするっていう。
青木さんは、朝の情報番組でのいじりを悪いことだとは考えていません。朝の番組で尖りすぎても誰も幸せにならないので、「お兄ちゃん」呼びでよかったのだろうと話します。
一方で青木さんは、相手としっかり話したいと思っている場面で話を表層に戻されると、「もういいや」となってしまうといいます。内沼さんは置いていかず、一緒に深めてくれたのが良かったと振り返りました。
週刊連載並みの一人回。内沼さんがポッドキャストを始めた理由
今井さんは、内沼さんと自分が1ヶ月ほどの差で、一人で話すポッドキャストを始めていたと明かします。そのうえで、内沼さんの聞き上手ぶりについて準備の仕方を尋ねました。
(ゲスト回は)ほぼしてないに等しいですね。乗っかっていって興味あるから、普通にどういうことですかって聞いていってるだけって感じですね。
内沼さんによると、ゲスト回では質問もほぼ考えず、数行のメモしかないそうです。対照的に一人回では、ほぼ原稿に近い台本を書いています。
内沼さんの一人回の台本づくりには、半日から1日かかるといいます。1週間かけて細切れの時間にメモを書き、収録の前日や当日にまとめて書き上げるそうです。
青木さんが「週刊連載を抱えているようなもの」と驚くと、内沼さんは本当にそのつもりでリソースを割いていると答えました。
内沼さんがそこまでコミットしてポッドキャストを始めた理由は、主に2つあります。1つ目は、バリューブックスとして始めたYouTubeの「本チャンネル」を続けるなかで、もっと自分の話をしたほうがいいと感じたことです。
2つ目は、単著の間が空いていたことです。内沼さんはこれまで単著を3冊、5年おきくらいに出してきましたが、2018年を最後に新刊は出していません。単著1冊分くらいの考えは溜まっているのに書くモードになれず、話すことならできると考えたそうです。
内沼さんの『本の惑星』は、ゆるく始めた番組ではありません。初回で「ポッドキャストとは何か」を話し、2回目では3時間の自己紹介回を配信しています。
背景には、YouTubeを流れで始めてしまい、YouTubeのマナーを知らないまま進めたことへの反省がありました。そのためポッドキャストは、知り合いのポッドキャスターに話を聞くなど、しっかり勉強してから始めたといいます。
今井さんのポッドキャスト遍歴と「2時間の自己紹介」のすすめ
今井さんは、実は7年ほどポッドキャストを続けてきました。かもめブックスの店主でもある柳下さんと配信していた『柳下今井のハッシュタグラジオ』です。
ハッシュタグラジオが始まったのは、今井さんが出版社を辞めて独立したときでした。担当として付き合いのあった柳下さんが「会う機会が減っちゃうね」と言い、定期的に会う理由として番組を始めてくれたそうです。
青木さんは、自分も同じように今井さんを番組に誘ったと気づき、どれだけ同じことを言われているのかと笑います。年上の人から何度も引き上げられる今井さんを「鼻につく」とからかう場面もありました。
今井さんは、ハッシュタグラジオを漫然と続けることに飽きを感じ、一度区切りをつけました。そのうえで一人のポッドキャストを始めた理由には、Twitterが得意ではないことがあります。
言い切るっていうのが苦手。全部最後「知らんけど」ってつけたくなるので。
なんかそのAもあってBもあって、まあ僕はどっちかというとAかな、みたいなのを30分かけて喋るみたいなことができるんで。
今井さんは、年1回の開講を続ける予定の編集の学校に興味を持つ人を増やしたい、という狙いも挙げました。
内沼さんの3時間の自己紹介回の話を受けて、今井さんも2時間ほどの自己紹介回をやりたいと言い出します。内沼さんも、それさえ聴けば全部わかるので、やったほうがいいと勧めました。
青木さんは、自己紹介回はあとから戻れる点がいいと話します。ゲスト回などでリスナーが急に増えたとき、この人はどういう人かを知る入口になるからです。
今井さんと内沼さんの付き合いは長く、今井さんの出版社時代から、内沼さんの書店「本屋B&B」でイベントをしていたそうです。B&Bの初代店長が今井さんの親しい友人だったこともあり、下北沢の内沼さんの自宅を訪ねたこともあるといいます。
キャリアを逸脱した3人。「3年は働け」に根拠はあるのか
ここから本編のテーマ「キャリアって積み上げないといけないの?」に入ります。今井さんは、3人には戦略的なキャリア形成から逸脱しているという共通点があると紹介しました。
青木さんは28歳まで自称「子ども部屋おじさん」でした。今井さんはリクルートで営業などをしたあと、まったく違う道に進んでいます。
内沼さんは新卒で、国際見本市を主催するイベント会社のリードジャパンに入りました。4月に入社し、6月半ばには退社しています。在籍期間は2ヶ月半です。
今井さんは、新卒で2ヶ月半という期間は経営者から見れば「入らないでよ」と言いたくなるほどではないかと尋ねます。内沼さんもそれを認めたうえで、自分は逆のことを考えたと話しました。
でも僕はそれをよく考えてみた時に、どこにその3年って何の根拠があるんだろう。3年もここにいたら、もう第二新卒とかじゃなくなってしまうし。
内沼さんは、「3年は辞めるな」という言葉は、3年経たないと会社にとってペイしないという意味ではないかと考えました。最近知ったこととして、会社四季報に「3年以内離職率」という項目があることも挙げています。
周囲の助言
大人たちは「3年は働け」と言う
根拠への疑問
3年いると第二新卒ではなくなってしまう
会社側の事情
3年経たないと採用コストがペイしないのではないか
結論
自分のための助言ではないと気づき、辞めるなら早いほうがいいと判断
内沼さんは、ダメならもう一度就活すればいいと考えて会社を辞めました。そのうえで、本の仕事で自分でやっていけないかと考えたそうです。
内沼さんも、青木さんと同じくせどり ── 古書店などで安く仕入れた本を、別の場所で高く転売して利ざやを得る商売。もとは古本業界の用語ですから始めています。ブックオフで仕入れた本を、友人3人で作った古本ユニット「BOOK PICK ORCHESTRA」としてイベントなどで売っていました。
今井さんと青木さんが「せどりをいい言い方にした」と笑うと、内沼さんも「せどりをかっこよく言っただけ」と認めます。このユニットは代表を引き継いだ人が、今も活動を続けているそうです。
青木さんに、いわゆるガチの就職は最初の2ヶ月半だけかと聞かれ、内沼さんはそうだと答えました。
「出版業界を変えたい」学生が、社風の合わない会社に入った理由
今井さんは、内沼さんが就活で出版社を受けなかったのかを尋ねます。内沼さんは出版社も受けたうえで、大学3年生のころから出版業界に関心があったと話し始めました。
内沼さんは学生時代、インディペンデントで雑誌を作ろうとしていました。結局1号も出せずに終わりますが、書店に話を聞きに行くなかで、本は作って持ち込めば売ってもらえるわけではないと知ります。
内沼さんはそこで取次 ── 出版社と書店のあいだに立ち、本の流通や代金の精算を担う卸売業者。日本の出版流通の要とされていますの存在を知り、ジャーナリストの佐野真一さんの『誰が本を殺すのか』を読みます。そこから、出版業界が厳しい状況にあることを学んだそうです。
内沼さんの世代は、「若者が本を読まない」と言われ始めた最初の世代だったといいます。ポケベル、PHS、携帯電話と移り変わり、ネット回線も速くなるなかで、内沼さんは違和感を覚えました。
こっちがこんなに面白くなってるのに、その、しょうがないじゃないかと。本屋の業界が変わってないだけじゃないかと思って。
内沼さんが入った会社は、当時「東京国際ブックフェア」を主催していました。出版業界に違う角度から切り込める会社だと考え、「ブックフェアがやりたい、出版業界をどうにかしたい」の一点張りで入社したそうです。
ところが入社してみると、仕事は激務で、内沼さん自身も社風に合っていませんでした。社風が合わないことには学生時代から気づいていたものの、やりたいことを頭で優先し、「出版業界を変えるならここしかない」と思い込んでいたと振り返ります。
退職時の不安について聞かれた内沼さんは、なかったわけではないと答えます。それでも、せどりでネット古本屋をやるノウハウが本などで出回っていた時期で、最悪これで生きていけるという感覚があったそうです。
当時の内沼さんは23歳でした。1年やってダメなら、第二新卒としてぎりぎり就活できるとも考えていました。せどりも、退職してから始めたといいます。
内沼さんは退職の2ヶ月後に実家も出ています。留学する友人が自分でリノベーションした広い家の引き継ぎ手を探していて、そこに住むことにしたそうです。
何をするにも「一企画入れる」内沼さんのコンセプチュアルさ
青木さんは、内沼さんが何事も漫然と始めず、ユニットを組むなど一企画入れるところに注目します。内沼さんは「コンセプチュアルってこと?」と確かめました。
青木さんが挙げたのは、ただせどりをするのではなくユニットにすることや、文庫にカバーを付けて「覆面文庫」のように売った例です。常に面白いことをしたい気持ちがあるのかと尋ねました。
内沼さんは、大学生のころに通った、編集者・後藤繁雄 ── 京都出身の編集者・クリエイティブディレクター。写真集やアート関連の出版、編集学校「スーパースクール」の主宰などで知られますさんの編集学校「スーパースクール」の影響を挙げます。受講生のほとんどが社会人のなかに、大学生が飛び込んだ形だったそうです。
あることをやるにしても、ちゃんと考えてうまくやるんだっていう、なんかやっぱその企画しろっていう感覚っていうか、それは結構その学生の時に入ってるんで。
青木さんは、内沼さんの仕事は扱う素材が違うだけで、企画編集のノリで進めているのかもしれないと話します。内沼さんも、雑誌や書籍の編集を本業にしたことはないものの、自分の根っこは編集者っぽいところにあると感じることが多いそうです。
せどりから「オルタナティブ・オーソリティー」へ。わらしべ長者のような転機
青木さんは、今の内沼さんを本の世界の「オルタナティブ・オーソリティー」だと表現します。オルタナティブな方向に行くなら内沼さん、という存在になっているという意味です。
内沼さんは現在45歳です。青木さんは、2ヶ月半で会社を辞めてせどりで食べていこうとした若者が、20年後にそうなるとは見えないと話し、転機を尋ねました。
内沼さんは運が良かったと前置きしたうえで、BOOK PICK ORCHESTRAとして作った変わったネット古本屋の話をします。1冊の古本に手間をかけて長い解説文を書き、それは当時のネット古本屋にはなかった文化だったそうです。
内沼さんたちは、仕入れた古本を20冊ほど抱えて公園などへ撮影に行き、かわいく撮ってから売っていました。内沼さんは話しながら、北欧、暮らしの道具店 ── 青木さんが率いるクラシコムが運営するECサイト。商品の写真や読み物コンテンツに力を入れていることで知られますに似ていると気づき、青木さんも「全く同じ」と面白がります。
このネット古本屋が注目され、内沼さんはイベントに誘われるようになりました。そのイベントで、アパレル関係者から洋服、本、ギャラリー、カフェの複合店に本を置いてほしいと声をかけられます。
大きな本棚は古本だけでは埋まらないので、新刊も和書も洋書も混ぜたほうがいいと内沼さんが提案すると、相手から「君がやってくれ」と任されました。25歳で業務委託の書籍担当として、原宿の東京ヒップスターズクラブの本売り場を作ることになります。
アパレルの一角に大きな本棚がある店は当時珍しく、注目を集めました。内沼さんは5年ほど担当し、その間にBEAMSなどほかのアパレルからも依頼が来るようになり、「ブック・コーディネーター」の肩書きでフリーランスの仕事を広げていきます。
もう1つの転機は、嶋浩一郎 ── 博報堂出身のクリエイティブディレクター・編集者。内沼さんとともに本屋B&Bを共同で手がけていますさんから「一緒に本屋やらないか」と誘われたことでした。こうして2012年、内沼さんが32歳のときに本屋B&Bが生まれます。
本屋B&Bは、毎日トークイベントを開き、ビールも出す新刊書店でした。当時は「毎日イベントなんて狂っている」と見られていたそうです。その後、内沼さんは本屋を作りたい人から相談を受けるようになりました。
「初手で狂うのが得意」。過剰さとコンセプトの掛け合わせ
青木さんは、内沼さんは初手から狂っていると指摘します。内沼さんの答えは即答でした。
青木さんは、1冊しかない古本に手間をかけること、毎日のイベント、台本を書いて毎週配信する一人回を並べます。どれも、過剰さとコンセプトを立てる編集者目線の掛け合わせだと整理しました。
青木さんによると、内沼さんは周囲が「さすがに無理だろ」と思うことを軌道に乗せてきました。今ではイベントをしない個人書店のほうが珍しいくらいで、B&Bのフォロワーは多いと話します。
内沼さんは、誰もやっていないだけで、やってみれば大したことではない物事が世の中にはたくさんあると考えています。最初の著書にも「お金をもらわない仕事をやる」という話を書いたそうです。
そのお金を誰かからもらえてしまうことっていうのは、逆に言うと世の中ですでにあるものっていうか、あの対価がはっきりしているものなので。
内沼さんの考えでは、誰も依頼してくれないこと、誰もお金を払ってくれないことを本気でやると、そこがブルーオーシャン ── 競争相手がほとんどいない未開拓の市場を指すビジネス用語。競争が激しい市場はレッドオーシャンと呼ばれますになります。内沼さんは、言い方は良くないと断りつつ、誰もやらないことをまずやってみるのは意外にコスパがいいと話しました。
「過剰キャラ」に見えない入口と、会社というモビルスーツ
青木さんは、内沼さんの特殊性は、ぱっと見では過剰なキャラに見えないところにあると指摘します。話を聞くと過剰で狂っているとわかるものの、入口がそう見えないので巻き込める人の量が違うのだろうという見立てです。
今でこそこうなんだけど、23歳の時ってインターフェイスから狂ってたから。
青木さんは、入口から過剰だと、単に面倒な狂った人だと思われ、年上の人から引き上げてもらうことも起きないと話します。34〜35歳で事業を始めてから10年ほどかけて自分をシェイプし直し、45歳ごろにようやく今の原形ができたそうです。
青木さんに、学生時代はどんなキャラだったのかと聞かれ、内沼さんは昔からあまり変わっていないと答えました。どこかでキャラを意図的に変えた感覚はまったくないそうです。
今井さんが話題にしたのは、内沼さんの高校時代のバンド仲間です。遊びのバンドでは、Kaizen Platformの須藤さんがボーカルを務め、内沼さんがドラムを担当していました。内沼さんがボーカルとギターを担うバンドでは、街の保育園を展開する松本理月さんがギターを弾いていたそうです。
青木さんは、内沼さんには個としての才能があると話し、自分との決定的な違いを語ります。
その会社っていうモビルスーツから降りたら、ほんとマジでアムロみたいな感じだから。
青木さんによると、個として才能のある人は、やりたいことを自分という乗り物だけで実行まで持っていけます。一方で青木さんは、ポッドキャストも7〜8年やりたいと思い続け、今井さんと出会ってようやく形にできたといいます。
青木さんは、自分は常に今井さんや妹の佐藤さんのような誰かがいて成り立つタイプだと話します。誰もいない若いころは、そのせいで入口がおかしくなったと振り返りました。
DIY気質の内沼さんが、コロナで「経営」に向き合うまで
内沼さんは、自分はDIYっぽいのかもしれないと応じます。最初は全部自分でやらないと気が済まないタイプで、逆に会社というスーツにはうまく乗れない人だといいます。
最初から会社っていうものは苦手だったし、もうコロナ前は自分が経営者って自称することもできなかった。
内沼さんは商学部出身だからこそ、経営者と名乗ることに気恥ずかしさがあったそうです。代表取締役という肩書きはあっても、経営者という意識は持てていませんでした。
内沼さんが変わったのは、コロナ禍のときです。DIYの延長でうまくいっていたことが一気に厳しくなり、経営をしなければならないとモードが切り替わったといいます。
DIYの延長でうまくいっていた。代表取締役でも経営者とは自称できなかった
ちゃんと会社をやらなければと切り替わり、経営者の言葉が響くようになった
内沼さんは、自分は会社については今も初心者だと話しました。
積み上げたのではなく「積み上がっていた」。ブランデッドなキャリア
ここで青木さんは、内沼さんは実は「めちゃくちゃ積み上げている」のではないかと言い出します。大学生のときに本だと決めてから、入る会社こそ間違えたものの、分野が一度もブレていないからです。
青木さん自身は、雑貨屋になる気など1ミリもなかったのに、結果として20年もライフスタイルの店のビジネスを続けています。そのため、分野がブレない内沼さんを「積み上げている」と感じたそうです。
今井さんは、内沼さんはアパレルで本棚を作っていればいずれ嶋さんから声がかかる、と考えて動いていたわけではないと補います。内沼さんもそれを認めたうえで、2人の見方はどちらもわかると話しました。
本の世界をどうにかしたいみたいな。真ん中はずっとぶれてないんですけど。ただし、別にどこかに向かったりは一回もしたことなくて。
内沼さんは、事業を大きくすることも得意ではないといいます。アパレルからの依頼が増えたとき、人を雇って営業し、業務を拡大する道もあったはずですが、内沼さんは同じことを続けるのが苦手で、常に新しいことをしたい人だと話しました。
青木さんは、この違いを「ブランディング」と「ブランデッド」という言葉で説明します。
こういうブランドになりたいという意図や戦略を持ち、それにつながる活動を積み上げていく
衝動や動機を大事に日々活動し、振り返ったときに自分がどういうブランドかを発見する
青木さんによると、1人の人の動機や意思から生まれた活動は、いろいろなことをしていても、結果として一貫したナラティブにつながってしまうといいます。
だからなんか自分としてはめちゃくちゃいろんなことやってるつもりなんですけど、でもなんか人からは「内沼さん一貫してるね」とか言われて。
話が盛り上がったところで前編は終わり、後編は翌週に公開されると告げられました。
まとめ
内沼晋太郎さんは、新卒で入った会社を2ヶ月半で辞めました。その後、せどりのユニット、アパレル店の本棚づくり、本屋B&Bへと、計画ではなく出会いと過剰な工夫で道を広げてきました。目標に向けて戦略的に積み上げなくても、「本の世界をどうにかしたい」という真ん中がぶれなければ、キャリアは振り返ったときに一貫したものとして積み上がっている、という見方が示された回です。
- 内沼さんは「3年は働け」を採用コストの事情と捉え、辞めるなら早いほうがいいと判断した
- 1冊の古本への長い解説文や毎日のイベントなど、過剰さとコンセプトの掛け合わせで独自のポジションを作ってきた
- 誰もお金を払わないこと、依頼されないことを本気でやると、そこがブルーオーシャンになるという考え方
- 過剰に見えない入口が人を巻き込み、コロナ禍を機に内沼さんは経営に向き合うようになった
- キャリアは積み上げるより「積み上がる」もので、動機が一貫していればナラティブとしてつながる





