サーキュレーターの向きは誰が正しい?
本題の断捨離に入る前に、今井さんは最近反省したという出来事を話します。今井さんのオフィスは40〜50平米ほどの縦長のワンルームで、25メートルプールのような形をしています。
今井さんのオフィスでは、扉側の天井に平べったい業務用のクーラーがあり、冷気を奥まで届けるために強めのサーキュレーターを真下に置いています。今井さんはネットで調べたうえで、風を奥へ水平に送る向きが正しいと考えていました。
ところが出社するたびに、サーキュレーターの向きが真上近くに変えられていたそうです。今井さんは「違うから」と戻し続けていました。
(サーキュレーターの向きが)変わってるっていうか、僕と違う思想の人がいます。
一応僕高三まで理系なんで。こちとら物理選択だぞっていう気持ちでやってたんですけど。
あまりに向きが変わるので、今井さんは改めて調べ直しました。すると、冷気は下に溜まるので遠くへ運ぶべきという意見と、上下に循環させたほうがよいという意見があり、諸説あるとわかったといいます。
下に溜まる冷気をできるだけ遠くへ運ぶ。今井さんがとっていた方法
空気を上下に循環させる。風が直接当たるのが苦手な人にも向く
青木さんは、カフェの天井にあるプロペラも上下を循環させる発想だと補い、風が当たるのが苦手な人なら上に向けたくなるとも指摘します。今井さんは「そっちはそっちで理があった」と認め、同僚たちに申し訳なかったと振り返りました。
リスナーからの相談「物が溜まっていく一方です」
続いて今井さんは、東京都のリオさんから届いたお便りを読み上げます。リオさんは北欧、暮らしの道具店の読み物などをきっかけに、この番組を聴き始めたそうです。
断捨離という言葉が世に定着し、ミニマリスト、はたまたシンプリストとか、派生形の概念も生まれています。私は物が少ない方がいいと思っているものの、ファッションが好きでお気に入りのシャツやスニーカー、ニットなどが溜まっていく一方です。吟味してメルカリに出したりもしていますが、それもなかなか難しくなってきました。
お気に入りのものに囲まれる生活、簡素に物を持たないシンプルな暮らし、二元論的に結論を出さずとも、お二人の考えすぎた意見をぜひ聞いてみたいと思います。
このお便りを受けて今井さんに物の量を聞かれた青木さんは、自分の持ち物は多いほどでもないが少なくもない「中途半端」な量だと答えます。捨てもするし処分もするけれど、気づけば溜まってしまうといいます。
せどりの経験が「手放す力」を育てた
青木さんは、本好きには流派があると切り出します。本を絶対に捨てず書庫のような家にしたい気持ちは本好きなら誰でもどこかに持っていて、引っ越しのときに泣く泣く処分する、というのがよくあるパターンだといいます。
青木さん自身も、クラシコムを始める直前まで本を一度も捨てたことがなく、引っ越すたびに数千冊の本を運ぶ「地獄のような引っ越し」をしていたそうです。
転機になったのは、クラシコムの立ち上げ前後の1年半ほど、ブックオフで買った本をAmazonで売って家族を養っていた時期でした。いわゆるせどり ── 古書店や量販店などで商品を安く仕入れ、より高く売れる場所で転売して利ざやを得る商売のこと。もとは古本業界の言葉ですです。
物を売って買ってで出てくじゃん、その買った本が。で、それに慣れたことによって本がね、処分できるようになったんだよね。
せどりでは仕入れた本がすべて売れるわけではなく、下取りに出したり処分したりする必要もあります。青木さんはその経験で、本が手元に入ってきては循環していくことに慣れたといいます。
本を捨てない時期
引っ越しのたびに数千冊を運んでいた
せどりで生計を立てる
ブックオフで買った本をAmazonで売る生活が1年半ほど続く
循環に慣れる
売れ残りの下取りや処分も経験する
手放す習慣が定着
読み返さない本は、応援したい古本屋に下取りに出すようになる
それ以来、青木さんは読み返さない本や物として持っておきたいと思わない本を、かつて仕入れさせてもらった古本屋や古本業者に下取りに出すようになりました。
服についても同じで、以前のオフィスの1階にセカスト ── リユースショップ「セカンドストリート」の略称。衣類や雑貨などの買い取りと販売を全国で行っていますがあり、昼休みのたびに通ううちに、今度は服を持ち込むようになったそうです。今では毎シーズン服を手放していて、シンプルでもミニマムでもないけれど、物に埋もれるタイプではないと話します。
断捨離のエンジンがかかるのはなぜ?
青木さんには、数年に一度「断捨離のエンジンがかかる」時期があるそうです。そのとき感じているのは、物に縛られている感覚だといいます。
青木さんはこの感覚を、古本屋や雑貨店の在庫にたとえます。在庫を置く棚がパンパンだと仕入れの意欲が湧かず、倉庫ががらっとしていると「こういうのも仕入れられるかな」と活性化する自分がいるといいます。
棚がパンパンで、仕入れの意欲が湧かない
倉庫ががらっとして、新しく仕入れたいものが浮かぶ
そのため、事業の規模に合わせて倉庫を広げることは、不良在庫を減らすだけでなく心理的にも大事だと青木さんは考えています。個人の暮らしでも同じで、断捨離は余白をつくるための行為だというのが青木さんの見方です。
ミニマリストになりたいとは思わないんだけど、一回ミニマムになることで、またなんかその壮大な余白が手に入って。
物でいっぱいだと、「服いっぱいあるしな」「本ももう置くとこないもんな」と、新しく取り入れる気持ちが止まってしまいます。いったん片付ければ、アイデアや思いつき、欲しいものがまた積み上がっていくと青木さんはいいます。机を片付ける掃除も同じ感覚だという青木さんに、今井さんはパソコンの「キャッシュをクリアにする」ことに近いのではと応じました。
断捨離が「断出品中」になってしまう悩み
青木さんの話を聞いた今井さんは、一度断捨離をやってみようと思ったと言います。ただ、今井さんは物をたくさん持っていて、減らしたい気持ちはあるものの、なかなか進まないそうです。
たまたまもらったこのはとバスのミニカー、一応メルカリで調べてみるかみたいな感じで調べると、なるほど1,200円で売れたりしてんの。
断捨離っていうよりは、このなんか断出品中になる。
青木さんはすかさず「それ効率悪い」「進まなくなるよね」と返します。なまじ売れるとわかると、もったいなくなって出品に回してしまうのが今井さんの悩みです。
本については、今井さんならではの事情もあります。編集者という仕事柄、もう刷られない本や、豪華な装丁で増刷が難しい本がわかってしまうため、読んでいなくても「捨てたら一生会えない」と思ってしまうそうです。逆に、いくらでも買い直せるベストセラーは処分しやすいといいます。
今井さんは、以前青木さんが話していた「紙の本はどんどん貴重になる」という話にも共感し、本を預けられる保管サービスがあればと考えます。ただ、本は重すぎて荷物としての効率は悪いという結論になりました。
自分は物をどれだけ持てる「器」なのか
断捨離の前提として、青木さんは「自分がどのくらいの物を持てるキャパの器なのか」を挙げます。本に埋もれながらも買い続けられる人は器が大きく、持っていることがその人の自由を妨げていないので、持っていればいいと考えます。
一方で、読んでいない本が10冊溜まったらもう買えないという人や、年に一度しか着ない服がたくさんあると気になる人は、整理したほうがいいかもしれないと青木さんはいいます。
読んでいない本がいくらあっても、まだ買える。持っていても自由が妨げられないので、持っておけばいい
読んでいない本が10冊溜まるともう買えない。要所要所で整理したほうがいい
今井さんと僕で比べたら、多分今井さんの方がそういうキャパは大きいんだと思う。
青木さんは自分の器はコンパクトで、要所要所で整理しないと「めんどくさ」となってしまうと分析しています。
100冊の本棚と100曲のプレイリスト
本については、今井さんが元朝日新聞のライター、近藤康太郎近藤公太郎さんの読書術の本『百冊で耕す』を紹介します。
近藤さんの考えは、人生で本当に大事な本は100冊ほどで、100冊が入る本棚を入れ替えながら人生をかけて仕上げていくことが豊かな読書体験だというものです。今井さんは、これはあり得る考え方だと感じたといいます。
今井さん自身も、Apple Musicで100曲のプレイリストを作り、1曲入れたら1曲出すというルールで続けているそうです。青木さんも「それいいね」と応じます。
Apple Musicを使うのは、CDから取り込んだ曲をクラウドに上げられるiTunes Match ── Appleの有料サービス。自分でCDなどから取り込んだ音楽をiCloud上に保存し、複数の端末で再生できるようにしますがあるからです。ブルーハーツのように配信されていない曲も、100曲に入れられるといいます。
セカストか、メルカリか。売り方の現実
服も売れるという話から、青木さんはセカストに持っていく理由を語ります。メルカリのほうが高く売れるものの、セカストは豊富なデータベースをもとに意外と良心的な価格で買ってくれるといいます。
なんか一個一個手売りしていくんじゃね。めんどくさすぎるからね。
今井さんも、本は1冊ずつ売ったほうが高いとわかっていても、とてもやっていられないと同意します。
青木さんは、預けた物を売れる保管サービスに興味を示します。しかし今井さんが使っているサービスは独自のマーケットプレイスで売る仕組みで、買い手がいないそうです。保管と販売代行が一体になっても、間に入る人の取り分を引けばセカストに売るのと手残りは変わらなそうなので、結局セカストに持っていくのが一番楽ではないか、と青木さんは話します。
ミニマリストはなぜ流行った?
今井さんは、ミニマリストが流行った理由を問いかけます。青木さんは写真映えもあるとしつつ、前回話した「老後は田舎でゆっくり」という憧れに近いと考えます。物に囲まれて窮屈なとき、すっきりしたら気持ちよさそうだと想像するけれど、いざすっきりすると寂しくなる気もするというのです。
青木さんは暮らしを器にたとえます。食べ終わった食器を洗うのは、次のご飯を入れるためです。洗って飾っておくだけがよいとは限りません。
ミニマリストに本当にみんななりたいのかなって。なんかどっちかっていうと一回そのリセットしたいっていうのがなんかほとんどの人は強いんじゃない。
今井さんはそれに同意したうえで、「意地悪な」見方として、所得が下がっていく中で、お金をかけないほうが格好よくなれる方向の価値観でもあると指摘します。
ミニマリストはアントレプレナーシップの表れ?
今井さんの「意地悪な」見方に対して、青木さんはむしろ素晴らしいことだと受け止めます。自分ではコントロールできない課題に落ち込むより、今できることをして「見方を変えればこっちのほうがいいかも」というものを生み出しているからです。
青木さんは、古着をうまく着こなすことや、手に入れるより作ることに喜びを見出すこと、自給自足のような「豪華じゃないけど豊か」な暮らしと同じ列にミニマリストを置けるなら面白いと話します。
さらに青木さんは、起業も同じ構造だといいます。普通のキャリア観では、総合商社やGoogleに入るほうがよい選択肢に見えます。青木さんは自分はそこで箸にも棒にもかからなかったので、雇われる側から雇う側になってみるかと、ままならない状況を「これも一つの良さ」と捉え直して始めたのだと振り返ります。
なんかそういう意味では確かにあれなのか、アントレプレナーシップの表れかもしれないね。
既存の価値観に対して、オルタナティブ ── 「代わりとなる選択肢」という意味。主流や既存の価値観とは別の道を指すときに使われますを自分たちで作る。ミニマリストを始めた人も、それに共感して選ぶ人も、その意味ではアントレプレナーシップの持ち主かもしれない、と青木さんは考えます。
「丁寧な暮らし」を揶揄する風潮への違和感
今井さんは、学生の頃に「丁寧な暮らし」が素敵なものとして広まり始め、「足るを知る」という言葉をよく耳にしたと振り返ります。若い頃の今井さんは、足るを知ると発信する人を見て「この人、足りてるよな」「この状況なら俺でも足るを知れる」と思っていたそうです。そのため、ミニマリストと丁寧な暮らしは同じ方向に見えて実は違うのではないかと話します。
青木さんは、朝早く起きて豆を挽いてコーヒーを淹れたり白湯を飲んだりする人に対して、「余裕がある人がやっていること」「丁寧な暮らし乙」と揶揄する文脈があることに触れます。
多分それをやらないと自分の正気が保っていけないほどに、その人たちが厳しさを感じてるってことなんだと思うのよ。
素敵なインテリアや器に囲まれていても、その人が何もかも満たされているとは限りません。青木さんは、正気を保つ方法がお酒の人もいれば、スポーツや筋トレの人もいて、丁寧にコーヒーを淹れる人もいるだけだといいます。
トライアスロンに出る経営者も、余裕があるからではなく、体を酷使しないといられないほどの大変さを抱えているのかもしれない、と青木さんは続けます。ゲームに没頭する人も同じだといいます。
余裕がなかったら朝早起きなんかしねえよと。わざわざめんどくさいね、その手間かけてなんかいろんな手仕事やったりしない。
青木さんにとって、そうした習慣はそれぞれの人のアジール ── もとは聖域・避難所を意味する言葉。世俗の権力や追及が及ばない、逃げ込める場所を指します、つまり避難所です。必死にそれをしている人を揶揄する風潮が、青木さんはとても悲しいといいます。
断捨離は祈りに近い行為
青木さんは、日記を書くジャーナリングも、信仰のある人の祈りも同じところに通じると考えます。断捨離にはリセットして器を空けたいという現実的な面もありますが、それを続けている人がいるなら、断捨離は祈りに近い行為だと青木さんは話します。
青木さんによれば、この先が想像できなくても希望があるといいと願う人の祈りのようなものです。丁寧な掃除も、きちんとかけるアイロンも、今井さんの100冊の本棚や100曲のプレイリストも、祈りや宗教のようなものだといいます。
それでも捨てられない、息子が書いた詩
最後に今井さんは、物を入れ替えていく青木さんにも捨てられない物があるのかを尋ねます。青木さんは、子どもが小さい頃に描いた絵も写真すら撮らずに捨ててしまうほうだと言います。思い出に残っていればいいという考えです。
ただし青木さんには例外があります。息子さんが小学校低学年の頃に学校で書いた詩で、青木家の習慣としては珍しく、ずっとリビングに貼ってあるそうです。青木さんは番組の中で、その詩を読み上げました。
詩は「僕はクジラ」という題で、作者名は「クジラスケ」。「毎日毎日しぶきを吹き、毎日毎日魚食べ、毎日毎日泳ぎます。他のクジラに会いたくて」という内容です。
俺もうこれ本当に見るたびちょっと泣きそうなの。
今井さんも「最後すごいな」と反応します。青木さんは、家族の思い出だからではなく、素晴らしい作品だから捨てられないのだと話します。
今井さんも、自分には捨てた寄せ書きと捨てられていない寄せ書きがあると共感します。青木さんは、断捨離は自分を元気にするためにやるものだから、捨てると元気がなくなる物もあるといいます。
今井さんは、配偶者が相手の大事な物を無断で捨ててしまった、というネットの話に心が痛むと言います。青木さんも、他人から見ればどうでもいい子どもの詩でも、本人には大事な物があると応じました。今井さんは一度断捨離をしてみて報告すると約束し、この回は締めくくられます。
まとめ
断捨離は物を減らすこと自体が目的ではなく、余白をつくって自分を元気にするための行為だ、というのがこの回の二人の着地点です。手放し方や持てる量は人それぞれで、ミニマリストや丁寧な暮らしも、それぞれの切実さから選ばれていると考えられます。
- 青木さんはせどりの経験で物が循環することに慣れ、本や服を手放せるようになった
- 物でいっぱいだと新しいものを取り入れる意欲が止まるため、断捨離は余白をつくるリセットとして働く
- どれだけ持つべきかは、自分がどのくらいの物を持てる器なのかによって変わる
- ミニマリストや丁寧な暮らしは余裕の表れではなく、正気を保つための避難所や祈りに近いのかもしれない
- 自分を感動させてくれた物は、断捨離をしても捨てなくていい


