おじさんか、お兄さんか。40手前の微妙な立ち位置
本題の前に今井さんが話したのは、友人の小学2年生の娘とのやりとりです。友人が「今井もおじさんだからね」と言ったところ、その子は「今井さんはおじさんじゃない、お兄ちゃんだよ」と返したそうです。
今井さんはこの一言で、自分がおじさんとお兄さんの狭間にいると感じたといいます。極端に言えば、自分にも権威のようなものが生まれ始める年頃で、後輩を誘うときも「本当に喜ばれているのか」と考えるようになったと話します。
(出版社の新卒の)彼らが、行くたびに「今井さんご飯連れてってくださいよ」みたいなこと言ってくれるんですよ。言ってくれるんですけど、一向に日程は来ないんですよ。
それちょっと怖いね。
一方、53歳の青木さんは、自分を「もう初老」と笑います。50代になって感じるのは、どの場でも若手扱いされなくなったことだといいます。
青木さんによると、40代の頃は50代の人との間に先輩後輩の感覚があったものの、50代になると10歳上の人とも、年の差へのリスペクトはありつつ「人間同士の敬意」でつながる感覚が強くなったそうです。
リクルートの「名刺獲得キャンペーン」は何を残したのか
今回のテーマは「若いうちの苦労は買ってでもするべき?」です。若い時の経験は財産になるという言い方がある一方、無理に苦労するより自分や周りを大事にしたいと考える若い世代もいます。今井さんは、若いうちの苦労を投資と見るか消耗と見るかを話したいと切り出しました。
今井さんは新卒でリクルートに入社しており、その環境を「練習の厳しい高校」にたとえます。青木さんが尋ねたのは、新人がひたすら名刺を集めてくるという有名な研修のことでした。
今井さんによると、名刺獲得キャンペーンは新入社員研修の仕上げとして行われていました。営業職ではない社員も最初の半年は全員営業を経験する決まりで、後に経理へ行く同期も参加していたそうです。
名刺獲得キャンペーンの前の週末には、黒い運動靴を買っておくよう指示されます。当日はスーツにスニーカーで出社し、担当エリアの地図を渡され、3人1組のチーム戦でビルを1階から最上階まで訪ねて回る、通称「ビル倒し」を行いました。
今井さんが担当した銀座はリクルート創業の地で、歓迎してくれる人もいれば、毎年来ることを嫌がる人もいたそうです。今井さん自身が1日70枚を達成できたのは、おそらく1回ほどだといいます。
その達成も、声をかけてくれた他社の営業マンが、カバンにあった名刺を全部くれたおかげでした。逆に達成できなかった日には、訪問先で「何の意味があってやってるんだ」と詰められ、答えられないまま上司を呼ばれて、半べそで帰ったこともあったそうです。
ほかにもGPSを持たされたり、神棚がある事務所に入ったら何も言わずに出るよう指示されたりしたといいます。今井さんの知る限り、このキャンペーンは2008年入社の今井さんの世代で終わったそうです。
(厳しい研修が)結果的に良かったっていうのは、これもういわゆる生存者バイアスなので。
今井さんは、自分には体力があったから乗り切れただけで、途中で辞めた同僚もいたと振り返ります。厳しい研修を一概に肯定はしていません。
苦労を買わなかった青木さんと、「2歳上の師匠」
青木さんは30歳前後で会社員になっており、若いうちに強度の高いトレーニングは受けていません。会社員になってからも、厳しい目にはあまり遭わなかったといいます。
自分の中でこの苦労(は)合理性ないなと思ったら、割とパッと辞めちゃったりとかしてきてるから。
青木さんは、苦労をしていないわけではないと断ったうえで、自分の意思で苦労する道を選んできたタイプではないと話します。ただ20代の終わりには、キャリアの展望のなさから「起業するしかない」と思い込み、経営を学べるなら会社の文化も仕事内容もどうでもいいと考えていた時期があったそうです。
青木さんはその間に3社ほどを経験し、その後、クラシコムとは別の会社を上司と共同創業しています。その最初の上司は青木さんより2歳上ながら、仕事上の師匠であり「お父さんみたいな」存在で、今も年に2回ほど食事をする仲だといいます。
青木さんによれば、その上司は苦労や逆境を自らの手で乗り越えてきた人で、青木さんと共同創業した会社も少し前に上場しています。そのため、青木さんのことを「すごい」と思っている節はいまだにまったくない、と青木さんは笑います。
二人の関係について青木さんは、強みがうまくずれていたと説明します。上司は押し出しが強く、政治的な合意形成をぐいっと作るのが得意で、青木さんはその地ならしの上にきちんと建物を作っていくのが得意でした。
(その上司が)一緒にやってくれると、気の小さい僕でもなんかでかい仕事できるような気になるみたいな。
どっちかっていうとなんか彼が可愛がってくれたっていうより、僕が懐いたって感じ。
「ネットにこれ以上ゴミを増やすな」と言われた日
今井さんにも、リクルート時代に鍛えてくれた2人の先輩がいました。一回り上の女性の上司と、9歳上の男性のリーダーです。
ネット上のコンテンツを作る仕事をしていた今井さんが、翌日に提案する質の低い企画書を男性リーダーに見せたとき、「これ本当に面白いと思ってんの?」「お前なら見んのか?」と問われました。今井さんは「見ません」と答えるしかなかったそうです。
当時はSNSが発展する前で、Googleも今ほど便利ではなく、多くの人がゴミのような情報をかき分けて検索していた時代でした。今井さんは、その言葉を「その通りだな」と受け止め、一生忘れないだろうと話します。
一回り上の女性の上司は、リクルートで「ディレクターの母」と呼ばれ、研修プログラムも作った人物でした。今井さんにとっては東京の母のような存在だったといいます。
ところが、手のかかる今井さんを叱っている最中に、その上司はふと「時短勤務で10歳の娘との時間を作ろうとしているのに、なぜ知らない青年にこんな時間と感情を使っているのか」と虚しくなり、会社を辞めてしまったそうです。今では仲が良いものの、社内では「今井をつけたから辞めた」と言われていたと今井さんは明かします。
苦労ではなく「経験値の高いモンスター」を探していた
青木さんは今井さんに、インターンや留学、世界一周のバックパック旅行のように、苦労を買ってでも特別な経験をしようとするタイプだったのかと尋ねます。今井さんの答えは、結果的に運良く、特殊な経験値がたまる出来事を若いうちに多く経験できた、というものでした。
その一つが、高校2年生のときに父親が頭の病気で倒れたことです。父親はその後15年間目を覚まさないまま亡くなりました。生命保険があったため生活がすぐ破綻することはなかったものの、母親からは漫然と大学へ行かせるわけにはいかないと言われたそうです。
病院では、40歳ほどだった母親も、反抗期で毎日父親と口喧嘩していた中学2年生の妹も泣き崩れていました。今井さんだけは、ここで自分まで崩れたら終わると判断したといいます。
僕なんかその日めちゃくちゃ、なんかドラクエで言うと、なんか20回ぐらいのレベルアップになったぐらい、なんかメンタルが。
急に大人になった。
今井さんはその日を境に、自分を俯瞰する「監視カメラ」のようなものが発達したと表現します。野球部のチームメイトやクラスメイトは、今井さんが話すまで父親のことに気づかず、何も感じさせずに暮らしていて怖いと言われるほどだったそうです。
褒められた記憶がほとんどない父親だったため、東京に行く、会社を辞める、会社を作るといった決断のたびに反対されていたかもしれない、と今井さんは考えています。だからこそ、父親の命をもらったような感覚があるといいます。
大学1年生の今井さんは漫然と過ごし、それがつまらなかったそうです。2年生でアメフト部や文化祭実行委員会なども検討したうえで、音楽イベントを行うサークルに入り、代表を務めました。
苦労を買ってしたってよりは、なんかそういう、その経験値の高いモンスターを求めてうろうろしてた感じはありますね。
だから経験は買いたかったってことですね。
苦労のない人生はない。スピノザが教える「身体が何をなしうるか」
今井さんの話を聞いた青木さんは、苦労と経験を分けて考える必要があると話し始めます。
青木さんの考えでは、どんな人の人生にも、わざわざ買わなくていいほどの苦労がすでにあります。何も経験できないような囚われにある「箱入り息子」の状態も、苦労の一つの形だといいます。
逆に、極端に身体的・精神的な負担が大きい体験に没頭することで、本質的な苦労から逃げられている場合もあると青木さんは指摘します。高い山に登り続けて人間関係の苦労から距離を置く人や、仕事に没頭して家族のいさかいから目をそらす人がその例です。
だから青木さんは、苦労とは起きたことと向き合うことが大事なのであって、「苦労しなきゃ」と考えると、目の前の取り組むべき苦労から逃げるだけになる可能性もあると話します。
ここで青木さんが紹介したのが、前日に読み終えたという國分功一郎 ── 日本の哲学者。17世紀オランダの哲学者スピノザの研究で知られ、『中動態の世界』など一般向けの著作も多いさんの『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』です。その中に出てくるスピノザ ── 17世紀オランダの哲学者。主著『エチカ』で、神・自然・人間の感情や自由について幾何学的な形式で論じたの言葉が印象に残ったといいます。
我々は身体が何をなし得るかを知らない。
青木さんの説明では、誰もが自分の体にどんな機能があるのかを知らずに生まれてきます。精神や知能についても同じことが言え、何かを試すたびに「こういう動きができるのか」「こういう認識に至れるのか」とわかっていく、という趣旨のくだりがあったそうです。
青木さんは、今井さんが父親の病をきっかけに急に大人になった経験も、自分が何をなしうるかに気づくきっかけだったのではないかと話します。自分は何をなしうるのかを知る機会こそが大事なのではないか、というのが青木さんの読後の実感です。
20代は「向いていること」より「耐えられないこと」を集める
今井さんは、20代の学生や若手からキャリア相談で「20代で何をしておくといいか」と聞かれたときに話していることを紹介します。スピノザの言葉と似ている点が面白いといいます。
何が向いてるか多分一生わからないから。ただ、その何が耐えられないかは多分コレクションできる。
今井さんによれば、「これは無理だ」というものをたくさん集めておき、それを避けて暮らせば、とりあえず平均点以上の暮らしにはなるといいます。得意なことを探しながら、耐えられないものをためて避ける道を考えるとよい、という助言です。
これを受けて青木さんは、体験格差 ── 家庭の経済状況などによって、子どもが習い事や旅行などの体験をできる機会に差が生まれること。近年、社会課題として語られることが増えているという言葉にも触れます。習い事や旅行、留学のような特別な経験ができないと損をしていると考える人は多いものの、青木さんの実感は少し違うそうです。
自分で選んで始めたことってあんまりそういうことに影響しないのよね。
青木さんの考えでは、自分で選んだことは自分が想像できる範囲のことなので、知りえなかった自分の側面にはあまり出会えません。一方で、父親が突然倒れることや、名刺獲得キャンペーンで想定外に捕まって激しく怒られることのような「事故」は、取れ高がまったく違うといいます。
勉強会やベンチャーでのインターンなど。やった感はあるが、多くは想定の範囲に収まる
父親が倒れる、研修中に捕まって怒られるなど。知らなかった自分に出会う「取れ高」が大きい
青木さんは、イグジットした起業家が世界一周旅行に出る例も挙げます。羨ましいとしながらも、旅行が、起業中に次々起きるトラブルと向き合い続けた経験を上回る視点の上がり方をもたらすことはないだろうと話します。
青木さんの結論は、苦労や経験を戦略的に探すより、自分の想像の外に行くにはどうすればいいかを考えることです。思い切って引っ越すことや、地方から東京へ出ること、実家を出ることは大きいが、戦略的にやろうとしていることの多くはそれほど重要ではないのではないか、と青木さんは問いかけます。
根拠なく自分に期待する、という心構え
では、どんな心構えでいればいいのか。今井さんの問いに青木さんが挙げた一つ目の答えは、根拠なく自分に期待することでした。
もっとなんか想像しない、できないようなことが自分に起きる可能性ってあるんじゃない?って思い続けていくっていうのは、やっぱ引き寄せるよね、そういう想定外。
反対に「自分はこんなものだ」と考える癖がつくと、身の回りに想定の範囲のことしか引き寄せなくなるかもしれない、と青木さんは話します。
ただし青木さんは、自分に期待するのはつらいことでもあると認めます。劣等感やコンプレックスは、期待する自分像と現状とのギャップから生まれるからです。流行の自己肯定感を手っ取り早く高める方法は自分や他者への期待値を下げることで、それ自体は悪くないとしつつも、若いうちに期待値を低く見積もると広がっていかないのではないかと考えています。
正しい意味での役不足を自分に感じ続けるというか、もっといい役がもらえるはずだみたいな。
青木さんは、今井さんが大学1年を漫然と過ごして「つまらない」と感じたのも、自分への期待値が高かったからだと指摘します。「こんな生活をしているやつじゃないだろ」という感覚がなければ、漫然といくらでも暮らせるからです。
青木さん自身の幸せの定義は、自分の可能性を最大限発揮できている状態に近いかどうかです。そのため、瞬間ごとに楽しく楽であっても、可能性が広がるイメージが持てなければ満足できないといいます。
今井さんは、成功者がよく口にする「根拠のない自信」は後から持てるものなのかと尋ねます。青木さんはそれを、確信というより「なんかいいことありそう」と思ってしまう根拠のない希望のようなものだと捉えたうえで、生来のものに加えて周りの声かけが大事だと答えました。
青木さんは、一人だと「こんなもんだよね」となりやすいからこそ、「こんなもんじゃないだろ」と言ってくれる人がいるとよいと話します。今井さんが言われた「ネットにゴミを増やすな」も、まさに「お前はこんなもんじゃないだろ」というメッセージだったのではないか、というのが青木さんの見立てです。
今井さんも、大学卒業までに出会った恩師と呼べる3人ほど(小学校で2人、大学で1人)は、みな自分に期待してくれた人だったと振り返ります。
上司の無茶ぶりで知った「認識の外にある解決」
青木さんにも、上司から期待をかけられた経験があります。NTTの子会社のような企業にシステムの共同開発を持ちかけた際、エンジニアがほぼいない中で、上司が打ち合わせの場で何の合意もなく「設計は青木がやります」と言い切ったのです。
「いや、お前ならできるだろ」って言われて。「わかりました。じゃあちょっと今日から10日間、会社行かなくていいですか?」と。
設計経験がまったくなかった青木さんは、その足で書店に行き、システムエンジニアの入門書を何冊も買って勉強しました。結局300枚ほどのドキュメントを書き上げ、相手方のシステムエンジニアの確認も通ったそうです。案件自体は最終的に成就しませんでしたが、2週間前まで経験ゼロだった人が及第点を出せた経験は、とても面白かったといいます。
もう一つは、新しい支店を開設する仕事での出来事です。月曜から社員が出勤する予定なのに、直前に電気工事の担当者が来られなくなりました。上司に電話すると「近所に電気屋はないのか」「とにかく全部聞きに行け」と言われたそうです。
当時の青木さんは、電気屋といえば小売店というイメージしか持っていませんでした。しかし町の電気屋は、小売りに加えてちょっとした電気工事も請け負っているのが一般的で、上司はそれを知っていたのだろうと青木さんは推測します。実際に回ると工事を引き受ける店が見つかり、開設に間に合いました。
無茶ぶり
「お前ならできるだろ」と、経験のない仕事を任される
一旦やってみる
本を買って学ぶ、電気屋を回るなど、言われたとおりに動く
想定外の解決
できないと思っていたことが、ちょっとやればできたとわかる
認識の更新
「今の認識自体が間違っているかもしれない」と考えられるようになる
今の認識だと無理ですみたいになった時に、いえいえいえいえ、その認識自体間違ってるかもしれないよねみたいな感覚になれるんで、あんまり追い込まれないようになったなみたいな。
今井さんは、青木さんの話はどれも無茶ぶりに応えてきた話であり、自分への期待に加えて「一旦やってみる」素直さが大事なのではないかとまとめます。
僕ね、ややこしい割にはね、素直さにめっちゃ定評あるの。言われたらね、割とね、1回やるのよ。
まとめ
若いうちの苦労を買うべきかという問いに対し、二人がたどり着いたのは、苦労はすでに誰の人生にもあるという前提でした。大切なのは、自分で選べる範囲の経験を積み重ねることより、想像の外にある出来事に出会い、自分が何をなしうるかを知ることだと語られています。
- 苦労のない人生はないが、経験の幅が狭い人生はある。「苦労しなきゃ」と考えると、目の前の苦労から逃げることにもなりうる
- 自分で選んだ経験は想定の範囲に収まりやすく、想定外の出来事のほうが自分を知るきっかけになる
- 20代は、向いていることより「耐えられないこと」を集めておくと、平均点以上の暮らしにつながると今井さんは考えている
- 根拠なく自分に期待し、「こんなもんじゃないだろ」と言ってくれる人がいることが、可能性を広げる
- 無茶ぶりにも一旦やってみる素直さが、自分の認識の外にある解決に出会う道になる


