なぜ今、今井さんを深掘りするのか
今回は、青木さんの発案で「今井を深掘りする」雑談回です。きっかけは、以前ゲストに来た内沼晋太郎さんが、自身のポッドキャスト「本の惑星」で合計3時間の自己紹介回を配信し、「自己紹介はちゃんとした方がいい」と話していたことでした。
青木さんと今井さんは、この番組を始めて半年ほどになります。2週間に1回の2本撮りで、毎回1時間半ほど話しているにもかかわらず、二人の関係はポッドキャストの中だけに限られています。
今井さんっていう人が、このポッドキャストの中でわかった部分もあれば、ごっそりまだ知らんこともあるなーみたいなのがあるんで。
青木さんが知っているのは、高校まで野球を頑張っていたが「むちゃくちゃ下手」だったこと、先輩に可愛がられていたことなどです。一方で、今井さんの大学時代や、リクルートの次に移った出版社での仕事については、まだよく見えていないといいます。
青木さんは、自分と今井さんの順序の違いも指摘します。青木さんは会社が先に有名になり、後から経営者として知られた人です。今井さんは逆に、出版社時代に業界である程度知られてから、起業のチャンスを得た人だと青木さんは見ています。
むちゃくちゃ居心地が悪いです。これまでで一番。
「ないポジション」を引き受ける性分
青木さんは、内沼さんの回で今井さんが一歩引いた位置から「いい球」を投げていたとき、居心地がよさそうだったと振り返ります。そのうえで、主役になるのが苦手なのか、合理的だからそう振る舞うのかを尋ねました。
今井さんの答えは後者に近いものでした。その場に足りないポジションを引き受けるのが基本だといいます。
盛り上がってる飲み会だったらお会計係やりますし。
(それと逆に)自分がそれやった方がいいなって時はMCみたいなことをやりますし。この場を最適化するのに自分は何ができるだろうみたいなことを考えるタイプですね。
青木さんは、話すうちに視野がどんどん狭まる自分とは真逆だと笑います。今井さんも、車を飛ばすように視野がトンネル状に狭まっていく青木さんの姿にうなずいていました。
今井さんのこの性分は、高校時代の野球部にさかのぼります。部内では言わなくていいことを言うような小競り合いがあり、今井さんはそれを場に寄与しない、合理性のないものだと感じていました。県内一の進学校の野球部にいた親友に聞くと、そういう揉め事はないと言われ、うらやましく思ったそうです。
バカになれないコンプレックスと「モッシュは盆踊り」
熱くなったり調子に乗ったりすることはあまりないのか、と青木さんが尋ねると、今井さんは「ない」と答えます。ただ、それはコンプレックスでもあるといいます。
今井さんは音楽イベントが好きですが、フジロックで酔って気持ちよさそうに踊る人を見ると「いいな」と思う一方で、自分はなかなか乗れないそうです。青木さんも、パンクのライブでモッシュが起きているとちょっと嫌だと感じるタイプだと共感しました。
ただ今井さんは、学生時代にフジロックで本気でモッシュに入ったことがあります。BOOM BOOM SATELLITESBUNBUNSATELLITESのライブで、前方はほとんど海外の観客でした。
(サークルモッシュは)多分日本人向きなんですよ。
あそこに入ってれば、踊りが下手とか、リズムに乗れてないとか、そういう人の目を気にしなくてよくて。すごい楽しい。
ああ、じゃあ盆踊りだ。
今井さんも「そう思いました」と応じます。みんな同じことをして、うまい下手がない点で、モッシュは盆踊りに似ているというわけです。
「仮入部までには丸めてこいよ」で決まった野球部
今井さんは高校入学時、軽音部と野球部で迷っていました。ところが、野球部のキャプテンは小中学校でも同じチームのキャプテンだった幼なじみで、親同士も仲がよい人でした。
親から親へ「ゆうき君をよろしく」と伝わったことが、伝達不足のまま野球部入りの話として受け取られたようです。仮入部期間に校内でキャプテンと出くわした今井さんは、迷った髪型のまま声をかけられます。
お前仮入部までには丸めてこいよ。
あ、はい。(入部は)もう決まったんだと思って。
結局、軽音部には見学にも行かないまま野球部に入りました。青木さんは「軽音部の世界線もあった」と面白がり、今井さんも「全然違ったと思います」と答えています。
2001年に高校に入った今井さんが好きだったのは、まだ知る人ぞ知る存在だったBUMP OF CHICKEN、そしてブルーハーツやハイロウズでした。人生で初めて行ったライブもハイロウズです。
ところが、レンタル店のパンクロックの棚を順に聴いてみると、あまりはまりませんでした。今井さんは、自分が好きなのはパンクロックのうち「ロック」のほうで、歌詞や世界観に惹かれていたのだと気づきます。高校の終わりごろからは、くるりが好きになりました。
ドラマ演出に憧れて、なぜジャーナリズム専攻へ?
大学を出ていない青木さんは、大学をどう選ぶのかがわからないと話します。今井さんは、親の熱心さや学歴、高校の進学校度合いなど、環境に大きく左右されると答え、自分はどれも「ほどほど」だったと振り返ります。
今井さんの選び方は「ざっくりマスコミ」でした。中学時代に見た堤幸彦さん演出のドラマ継続に夢中になり、演出という仕事があると知って、テレビ局に行きたいと考えたのです。
その当時の僕の知識では、テレビ局に行くから、多分このジャーナリズム専攻ってとこに行った方がいいんだと。全然演出から離れてるんですけど。
第一志望は立命館大学でした。当時の立命館は1年に8回ほど受験でき、科目の組み合わせごとに評価を出せる仕組みでした。今井さんも8回ほど受け、1回2万5000円の受験料について、今でも母親に「どこに捨てた」と言われるそうです。
結局、第二志望の龍谷大学に進みました。しかしジャーナリズムを学ぶ学生はドラマをあまり見ず、テレビ局出身の教授からは、朝の情報番組なら3時出社、飲むのは朝10時からといった過酷な働き方を聞かされます。今井さんは「そこまで好きじゃないかも」と感じ、テレビ局を目指す気持ちは早々に消えていきました。
ドラマに夢中
中学時代に見たドラマで、演出という仕事を知る
マスコミ志望
テレビ局に行くなら、とジャーナリズム専攻を選ぶ
違和感
学生はドラマを見ず、教授から過酷な働き方を聞く
テレビ局を断念
「そこまで好きじゃないかも」と早々に方向転換
編集者という仕事も、当時は視野に入っていませんでした。今井さんは、編集者はほぼ東京にしかおらず、関西の学生にはよほど意思がないと出会えない「地域格差」があると話します。
ストライクゾーンは狭いが、ボールの人ともうまくやれる
それでも大学時代の今井さんは、ぼんやりと会社をやりたいと考えていました。マネジメントを学ぶゼミに入り、起業したら自分でパーティーを組めることに魅力を感じたといいます。
(当時は)人間のストライクゾーンみたいなのがあるとしたら、多分割と狭いんですよ。でも僕ボールの人ともうまくやれるんですよ。
逆に、ゾーンは広いがボールの人とは無理、というタイプもいると今井さんは続けます。誰にでも愛想はいいので気づかれにくいものの、自分の中では線がはっきりしていて、ストライクの人とだけ何かやれたら楽しそうだと思っていたそうです。
青木さんは、京都で今井さんの大学時代からの後輩で、現在ツドイのメンバーである久保さんに会ったとき、二人の間に「違う絆」を感じたと話します。青木さん自身も、バンド仲間で後に義理の弟となった友人と一緒に働いているため、昔の仲間とパーティーを組みたい感覚がよくわかるといいます。
今井さんは、会社を大きくしないのかと聞かれても興味がない理由はここにあると話します。大きくすれば、ボールの人も入れなければならなくなるからです。採用やインターンの受け入れでも、オフィスで誰とどう盛り上がりそうかを強くイメージするそうです。
青木さんは、経営者には脚本を自分の頭で組み立てる人と、今いる人に合わせて考える「当て書き」タイプがいると話し、今井さんも自分も当て書きタイプだと共感しました。
マクドナルド、アイシールド21、そして音楽イベントへ
野球で懲りた今井さんは、大学では得意なことをやろうと考えました。父親から中学生のころに唯一言われて覚えているのが「自分が何が得意で、どういう仕事をしたいかはずっと考えておけ」という言葉だったそうです。
最初は地元のマクドナルドでアルバイトをしましたが、マニュアル通りに作れているかが評価の中心で、加点のない仕事には興味が持てませんでした。無印良品の接客は自由度があって楽しかったものの、1年目は全体として漫然と過ごすのが苦手だと気づいたといいます。
2年生からはアメフト部も考えました。影響を受けたのは漫画『アイシールド21』で、アメフトは「専門職のスポーツ」だと説明されていたことです。
総合職のスポーツ。走攻守すべてできないとレギュラーになれない
専門職のスポーツ。交代が自由で、何か1つできる選手が必要とされる
足の速さや跳躍力に自信があった今井さんは可能性を感じましたが、当時の部は強く、レギュラーは難しそうでした。結果として、今井さんはゼミと音楽イベントに打ち込むことになります。
「イベントは行くよりやる方が楽しい」
今井さんが関わったのは「みやこ音楽祭」です。京都大学の学生とくるりの岸田繁さんが始めたイベントで、京都大学の西部講堂で12月に開かれていました。西部講堂は学生運動の拠点にもなった、1000人ほど入る木造の会場です。
学生たちは出演者へのオファーやブッキングも自分たちで行いました。くるりのほか、矢野顕子さん、故レイ・ハラカミさんら憧れのミュージシャンに袖や楽屋で会える興奮があったといいます。
たとえば会場の外の広場に、畳屋で捨てられそうな畳を4畳半分もらってきて並べると、思った通り人が休憩していきます。動線を変えて入場をスムーズにしたり、列に並ぶ人への声かけでストレスを減らしたりと、目の前で結果が出ることが楽しかったそうです。
青木さんは、どう関与すればどんな結果につながるかを面白がる点が「極めて経営的」だと評しました。
テレビも音楽業界も「楽しそうだけど不健康そう」
イベントがうまくいき、今井さんは音楽業界の人から就職の誘いも受けました。しかし先輩たちはツアーが始まればずっと出張状態で、家にほとんど帰っていません。
めっちゃ楽しそうなんですけど、でも一方で、すごい不健康そうみたいなこととかも含めて、こんな(に)音楽好きじゃないかもって思ったんですよね。
青木さんは、音楽イベントを楽しみながらも一歩引いて冷静に見ている点に、今井さんらしさを見ます。今井さんは、これで大きく稼ぐ方法がわからなかったことも理由に挙げます。学生運営で人件費がゼロだから成り立つが、時給800円でも払い始めれば成り立たないと考えたそうです。
漫画も本も好きな今井さんにとって、数億円ではないにせよ、ある程度のお金は必要でした。青木さんは今井さんを「ロマンティストに憧れを持つリアリスト」と表現し、内沼さんの回で出た「合理主義者」という言葉にも重ねました。
隠れキリシタンのように読んだビジネス書と就職活動
就職活動で今井さんが重視したのは2つでした。1つは、周りに影響されやすい自分だからこそ、好奇心旺盛で優秀な人たちと働くこと。もう1つは、自分で作ったものを売ることです。
ゲームとか大好きなんですけど、プレステ4をたくさん売るみたいなことって自分がテンション上がるかなっていうと、俺が作ったわけじゃないしなって思うなと思って。
そこで、顧客の要件に合わせて企画を作り提案する仕事として、広告代理店やリクルートのような会社を志望しました。カルチュア・コンビニエンス・クラブやサイバーエージェントのほか、2008年にGoogleが日本で初めて現地で新卒採用をした年に応募し、英語の返信に戸惑ったこともあったそうです。
当時の今井さんには、編集者のイメージがほとんどありませんでした。今井さんは「日本で一番有名な編集者は多分ノリスケおじさん」と言って笑います。
青木さんは、音楽イベントからGoogleやサイバーエージェントまで視野に入る点に、成り立たなければ仕方ないという感覚を見ます。今井さんには、イベント仲間に似た考えの友人が1人いて、二人で「隠れキリシタンのように」ビジネス書を読んでいたそうです。
リクルートの広告制作とリーマンショック
新卒で入ったのは、リクルートグループのリクルートメディアコミュニケーションズでした。今井さんはこの会社を、当時のリクルートにおける「クリエイティブ」の部門だと説明します。
リクルートは他に選択肢がないほど強い商品で信頼を得ます。たとえばリクナビに出稿した企業から「うちの採用サイトも作ってくれないか」と頼まれ、媒体の枠を超えた制作が必要になったとき、この会社の出番がありました。
社内の優れた広告をまとめた分厚い年鑑もありました。採用広告はお題の力が強く、たとえば町工場の後継者募集はミネラルウォーターの広告より訴えるものがあるため、コピーの賞もよく取っていたといいます。
ところが今井さんが入社した2008年にリーマンショックが起き、仕事は激減します。内定者40人は「全員クリエイティブになれる」と言われていましたが、景気後退で真っ先に求人が減るリクナビNEXTの部署は暇になり、先輩が架空のクライアントで練習させてくれたこともあったそうです。
思い出深いのは、凸版印刷の経理職募集で書いた「トッパン印刷はへこまない」というコピーです。担当者にも気に入られて掲出しましたが、翌日、「凸と凹を一緒に使ってはいけない」という広報上のルールがあったとして取り下げになりました。
目減りするクリエイティビティと星海社への転職
今井さんは在籍した4年間、幸運にも企画職を続けられました。しかし当時は提案が下手で、自分のアイデアが先輩に削られ、クライアントにも一部しか通らず、丸まっていくことに不満を感じていました。
だからなんかその目減りしてるみたいな。自分のクリエイティビティが。
近くには、リアル脱出ゲームを生み出した加藤さんがいました。学生時代に音楽イベントで兄弟でありライバルのような関係だった人で、自分で考えたものをそのまま世に出す姿に、今井さんは憧れたといいます。
青木さんは、すでに出版不況が言われるなかでの出版社への転職は、ロマンティックな決断にも見えると尋ねます。今井さんの答えは、本がやりたかったというより「この人と働きたい」という理由でした。
小さい出版社だったんで、その絶対当たる上司ガチャみたいな。
その上司が、加藤さんの紹介で出会った柿内芳文さんです。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』や『嫌われる勇気』、漫画『君たちはどう生きるか』を編集した人物です。星海社は当時、社員がゼロで、業務委託と講談社からの出向者だけの会社でした。
編集者は「全部やれ」
星海社は、編集者に「全部やっていいよ」ではなく「全部やれ」と求める会社でした。漫画も小説も新書もウェブもイベントも担当し、今井さんは新書を中心にしつつ、漫画や小説も手がけました。
青木さんは、今井さんを星海社新書で成功した編集者として知っていたといいます。ところが今井さん自身は、書籍編集者としては「花咲かなかった」と振り返ります。同い年の幻冬舎の箕輪厚介さんや、ライツ社の大塚啓志郎さんを本当に尊敬していると話しました。
一方で、星海社は全員にTwitterを「やれ」と求める会社でした。コンセプチュアルな新書に変わったタイトルを付けられたこともあり、今井さんはそうした点で目立てたのではないかと考えています。
今井さんは、本を書いたことがない人と本を作るのが好きでした。決定版の本がすでにある著者に続編を頼むことには、自分がやる必要を感じにくかったそうです。
今井さんは、本の企画には「面白い人に会ったから何か作れないか」と「温めている企画を誰かに書いてほしい」の2パターンがあり、自分は前者が多かったと話します。
プランニングとプロモーションの「マーケ脳」
今井さんは、ツドイが扱う能力をプランニング、ディレクション、プロモーションの3つに分けるなら、自分はプランニングとプロモーションが得意だったと分析します。変わったタイトルや企画を作り、それを適切に、時には変わった方法で広めることです。
| 本 | 内容 | 手応え |
|---|---|---|
| 『百合のリアル』 | 牧村朝子さんによるLGBTの本 | 初めて編集した持ち込み企画 |
| 『アニメを仕事に!』 | 制作進行を主役にアニメ制作工程を描く | 業界の制作進行の多くが読んでいる |
| 『声優魂』 | 大塚明夫さんの「声優だけはやめておけ」 | 店内放送の動画がTwitterで話題に |
初担当の『百合のリアル』では、男性から女性へ移行した人を指す「MTF」を、今井さんが「マウントフジですか?」と聞いたやりとりが本にそのまま残っているそうです。それほど知識がなかったテーマを、周囲と一緒に仕上げました。
『アニメを仕事に!』は、『キルラキル』などで知られるアニメ制作会社TRIGGERの舛本和也さんと作った本です。描く仕事以外にもアニメに携わる道があることを伝え、『鬼滅の刃』の制作進行の人からも読んだと言われたといいます。
大塚明夫さんの『声優魂』では、秋葉原のソフマップで突然館内放送をしてもらいました。「こんにちは、大塚明夫です」というあの声で手売りを告知した動画が、Twitterで大きく広がったそうです。
扱うテーマはゲームやアニメに加え、LGBTQや三宅洋平さんの本などリベラルなものも多く、今井さん自身もどちらかといえばリベラルだといいます。
5年の区切りで退職、そして社会を編集する仕事へ
星海社では入社時に、5年で成果が出なければ能力、体力、運のどれかが足りず、編集者をやめたほうがいいと言われていました。今井さんはその基準をクリアできませんでしたが、会社は残ってほしいとオファーしてくれたそうです。
それでも今井さんは辞める道を選びます。編集者は常に5〜6冊を並行して進めているため、転職のタイミングが難しい仕事です。5年の区切りが近づくと企画を求められなくなり、新刊について迷惑をかけにくい時期が生まれていました。
5年の基準
成果が出なければ編集者をやめたほうがいいと言われていた
基準に届かず
会社からは残留のオファーも受ける
辞めやすい時期
企画を求められなくなり、新刊への影響が小さくなる
起業
一緒にやりたかった仲間と、30歳を機に会社をつくる
会社を作った理由は2つです。いつか一緒にやろうと言っていた仲間が、ちょうどなんとかなりそうな時期だったこと。そして、多くの人から社長に向いていると言われていたことでした。
やりたいことより向いてることやった方が、稼げるとかなんか幸せになりやすいみたいなことあるかなと思ってて。
青木さんは、今井さんの歩みを、イベントのプロデュース、著者を含むコンテンツのプロデュースを経て、社会の中にある事業や会社を編集していく仕事への移行だと整理しました。
今井さんは会社のことを考えるとき「ツドイちゃん」と呼び、ツドイらしい振る舞いを考えるそうです。青木さんも、クラシコムの象徴のような存在が自分たちの上にあり、それに奉仕している感覚があると共感します。
結果として、振り返ると自分らしさが出ていた、という点でも二人は一致しました。話は起業までで時間切れとなり、次回はツドイ創業編を収録することになります。
文学フリマ東京で、二人のブースが隣に
最後に、11月23日の文学フリマ東京に、今井さんと青木さんがそれぞれ出展することが告知されました。今井さん個人とツドイのブースが並び、その隣に青木さんが個人として出展します。今井さんのブースの反対隣には、古賀史健さんらのバトンズが並びます。
青木さんは、会社を立体や断面から鑑賞する媒体『立体と断面』の試作版と、編集者の中島さんとの往復書簡で希望について掘り下げた約6万字の『希望の回路』を準備しています。
今井さんは、自分から出てきたものに値段がついて買ってもらえる喜びを体験したいと、初めてエッセイ集を作ります。テーマは「おじさんとお兄さんの間で」で、40歳になってもお兄さん扱いされがちな戸惑いを書く予定です。
まとめ
今井雄紀さんの歩みには、ロマンに憧れながらも、成り立つかどうかを必ず確かめるリアリストの姿勢が一貫していました。場に足りない役割を引き受け、気の合う仲間とパーティーを組みたいという感覚が、ツドイの経営にもつながっています。
- 飲み会の会計係からMCまで、今井さんは場を最適化する「ないポジション」を引き受けるタイプ
- 音楽イベント運営で「行くよりやる方が楽しい」と知る一方、稼ぎ方と健康面から業界には進まなかった
- リクルートで目減りする創造性に悩み、上司を選ぶ形で星海社へ転職した
- 星海社ではプランニングとプロモーションの力を発揮し、5年の区切りを機に起業した
- ストライクゾーンの人とパーティーを組みたいという動機が、会社を大きくしない理由になっている


