「文化がいい会社」は何がいいのか?
今回のテーマは「文化がいい会社ってどんな?」です。今井さんは、会社の話をしていると「あの会社は文化がいい」「カルチャーが素敵」「自分には合わなかった」といった言葉をよく耳にすると切り出します。
一方で今井さんは、居心地のよさや雰囲気の優しさなど、文化という言葉が指すものは様々だと指摘します。「この文化なら成果が出る」という決まった形もなく、かなり曖昧な言葉だと感じているそうです。
まあその居心地がいいとか、雰囲気が優しいとか、成果出てても、文化ってものは結構様々。
今井さんは具体例として、クラシコムの文化がいいと感じていると話します。オフィスに入ったときの雰囲気が明るく、自然光が入り、天井が高く、日当たりもよいといいます。
今井さんがクラシコムで印象に残っているのは、働いている人の中にしんどそうな人がいないことです。青木さんも「あまりイライラしている人はいないかな」と応じます。
そうそう。厳しさが見えてこない。
ただし雰囲気のよい会社は、業績が悪ければ「サボっているから」「甘いんだよ」と見られかねません。今井さんは、クラシコムは決算を見れば業績も素晴らしく、成果が出ているうえで雰囲気がよい点に感心していると話します。
社員が自費でスローガンを配る、リクルートの強烈な文化
青木さんは「文化は大事だと思ってきたけれど、何なんだろう」とつぶやきます。そこで今井さんが持ち出したのが、4年間在籍したリクルートの話です。
リクルートには「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という趣旨の、創業者が作った言葉があります。今井さんによると、あるタイミングでこの言葉のプレートが全社員に配られ、当時いた人たちはそれをパソコンの下に置いていたそうです。
普段おしゃれで、ロックとか好きで、なんとなく反体制っぽい。すごい美意識のある人でも、それ(プレート)を置いてたりするんですよ。
今井さんはさらに印象的な場面を話します。20歳ほど年上の先輩が会社を辞める際の退任パーティーで、その先輩が「今日集まってくれた人のために」と配ったのが、自分で制作したスローガンのグッズだったのです。
え、自分で作ってるの?
会社のスローガンを?
今井さんはそのグッズを持ち帰り、一時期は自分のデスクに置いていました。しかし誰かに「なんか怖いですね」と言われ、確かに普通に考えるとそうかもしれないと思ったそうです。
青木さんはこの出来事を、辞める人が持ち出しで会社のスローガンのグッズを作り、それをもらった人が喜んだ、と整理します。そして「変な会社」と笑いつつ、「それはすごいわ。立派だわ」と感心しています。
文化に「良い・悪い」はあるのか?
青木さんは今井さんに、リクルートの文化は今井さん個人に合っていたのかを尋ねます。今井さんは、いわゆる「ゾス」的な「いいからやれ」というコミュニケーションを受けることは苦手ではなく、一旦「はい」と言えるタイプだと答えます。
一方で今井さんは、リクルートではあまり成果を上げられなかったと振り返ります。辞めるとき、今井さんをよくわかっている親しい人ほど「いや、マジその方がいいと思うよ」と言ってくれたそうです。
この話を受けて青木さんは、テーマを聞きながら「文化にいい悪いはあるのか」と考えていたと明かします。文化には、働く人にとっての合う合わないに加え、会社が目指す目標と合っているかという合う合わないもあります。
青木さんの考えでは、営利企業である以上、収益を上げることが大目的です。その目的に合っていない文化は、どれほど心地よく魅力的でも、いいとは言いがたいといいます。
ただし青木さんは、国や地域の場合は話が違うと続けます。国や地域には基本的に目的がなく、そこで生きた人たちの歴史がナチュラルに文化を形成しているからです。
その経済規模が小さいってことはダメじゃんみたいなことになんないじゃん。国だったら。
青木さんによると、国や地域の文化には、いい悪いも合う合わないもありません。ただそこに文化があるだけ、という状態になります。
ちょんまげが示す、文化の「意味不明さ」
青木さんは、文化の本来の姿を説明するためにちょんまげを例に挙げます。江戸時代ごろまでの日本では、武士などの男性が頭を剃ったうえで長髪を束ねていました。
そうした文化を持たない人が海外からやってきたら、「こいつらどうした?」と思うはずだと青木さんは言います。なぜ剃った上に長髪を伸ばしているのか、どういう経緯で広がったのか、何が目的なのかと不思議に思うだろうというのです。
何目的?みたいになるじゃない。だからそれぐらい文化ってなんか意味不明なものだよね、本来は。
日本人は幼いころから時代劇を見て、ちょんまげを自分のルーツだと思っているため、むしろかっこいいとさえ感じます。しかし予備知識のない外国人から見れば、不思議なものに映るはずだと青木さんは話します。
文化がそういうものだとすると、会社の文化の良し悪しや合う合わないを語るとき、それは本当に文化の話なのか。青木さんはここで疑問を投げかけます。
文化と倫理を混同していないか?
青木さんは、会社について語るときに私たちは文化と倫理を履き違えているのではないかと指摘します。そこで文化・倫理・道徳という3つの言葉を並べて整理します。
青木さんによると、文化と道徳はよく似ていて、どちらも誰かが作ったものではありません。共同体が時間をかけて合意形成したものが蓄積し、自然とでき上がったものです。道徳はその文化に紐づき、「守りなさい」と言われるものだといいます。
それに対して倫理は、「我々はこうありたい」ということを自由意志に基づいて選択した基準だと青木さんは説明します。だから自分の倫理や自分たちの倫理はあっても、世界の倫理は本当はないのだといいます。
誰かが作ったものではなく、共同体が時間をかけて合意形成し、自然とでき上がったもの。道徳は「守りなさい」と言われるもの
「我々はこうありたい」を自由意志で選んだ基準。理性に基づいて立ち現れる人造的なもので、強制されるものではない
この整理に立つと、リクルートの「自ら機会を作り出し」という言葉は、リクルートの倫理観だと青木さんは言います。「自分で機会を作らない人はダメ」という基準が明確にアナウンスされているため、その倫理観に自由意志で合意する人が入ってくるという見方です。
逆に、倫理観が曖昧な会社や、言っていることと社内でやっていることが違う会社もあります。青木さんは、人が「文化がよくない」と言うとき、実はこうした倫理の問題を指しているのではないかと考えます。
青木さんが本来の文化の例として挙げるのは、クラシコムのようなクリエイティブ色のある会社で服装や髪型、メイクの傾向、見ているテレビ番組が自然と似てしまうことです。こうしたことについて、人はいい悪いを言っていないと青木さんは指摘します。
僕もなんかそれ混ぜて喋ってたんだけど、話してるうちに、「いや、これは待てよと。文化の話だとするとおかしなことになっちゃうな」と。「倫理の話かも」みたいな。
倫理観の衝突がない会社は、なぜ生き生きして見えるのか
青木さんによると、会社はそれぞれ目的に合わせた倫理観を持っています。同じ倫理観で合意していないと、何が正しいかのすり合わせにコストがかかりすぎるため、「同じ倫理観で自分を律している人に来てほしい」と明示するのだといいます。
倫理観の衝突は大変です。「機会とか作る必要ありますか?」という人が入ってきたとき、その人を機会を作るように動かすのは極めて難しいと青木さんは話します。
倫理観に合意した人が集まると、出口のないコンフリクトが少なくなります。青木さんは、今井さんが感じた「しんどそうな人がいない」という印象は、ここにつながっていると見ています。
自分の倫理観に、忠実に生きられてるってキラキラするんだよ。どんな倫理観でも。
青木さんは例として、「この町で一番強い男になりたい」という倫理観を持った人が、それを実現して輝く姿を挙げます。格闘技イベントブレイキングダウン ── 1分間の格闘技を中心にした日本の格闘技イベント。出場者同士の舌戦や因縁もコンテンツとして人気を集めていますに出てくる人たちの輝きもそれだといいます。
反対に、人が一番どんよりしてしまうのは、自分と異なる倫理観を強制されたり押し付けられたりする状態です。そのときはパフォーマンスも下がってしまうと青木さんは話します。
倫理観の明示
会社が目的に合わせた「こうありたい」を明確にする
合意した人が集まる
その倫理観に自由意志で共感する人が入ってくる
衝突が減る
何が正しいかのすり合わせコストや出口のないコンフリクトが少ない
生き生きと働ける
自分の倫理観に忠実に働けば成果が出るので、輝いて見える
青木さんは、クラシコムの「フィットする暮らし」をつくる会社と「ゾス」の会社とでは、現れ方は大きく違うかもしれないと話します。それでも、自らの倫理観に基づいて働けば成果が出る状態を作れることがすごく大事だといいます。
何よりもリーダーが倫理観を体現すること
今井さんは、会社の倫理観をわかりやすくしておくことや、採用時にフィットを確認することが大事なのではないかと応じます。青木さんはそれを認めつつ、もっと重要なことがあると話します。
青木さんによれば、リーダーが倫理観を体現していれば、カードを配らなくても結局その倫理観の会社になります。逆にどれだけカードを配ったり「安全第一」を貼ったりしても、トップが無視していればそうはならないといいます。
実はトップって別の基準で見てくるんだよなみたいな。もうさ、こんなもん倫理観通りになんて働けないんだから、生き生きはしてこないじゃん。
本人と会社の倫理観に差がある場合について、青木さんは丁寧な説明が大切だと話します。会社がなぜその倫理観をとるのかを伝え、あなたの全人生ではなく、この会社の業務に従事するときにこの倫理観でやってほしいのだと説明するのです。
青木さんによると、自分の倫理観が一定重んじられた人は、相手の倫理観も重んじたいという自分の倫理観が駆動して、会社にフィットするようになります。それでも無理だという場合は、一緒に働くのは難しいとも話しています。
「上司の誘いは断るな」は文化か倫理か
今井さんが「それが企業文化として表出している」とまとめると、青木さんは「文化に見えるんだろうね」と応じます。ただし文化と言ってしまうと、人によって思うことが違いすぎて議論が拡散しそうだと話します。
青木さんはクラシコムでも「キャラが似ている人が多いんですか?」とよく聞かれるそうです。しかし青木さんは、同じキャラの人などそもそも存在しないと否定します。
倫理観が同じだと意思決定が似てくるんで、キャラが違ったり好みが違ったり、文化の背景が違くても、一致して行動できるのよ。
青木さんは、文化と倫理をごっちゃにすると、過度に文化的に同じにしようとしてしまうと指摘します。例に挙げるのが「普通、上司が誘ったら飲むだろう」という考え方で、これは倫理ではなく文化だといいます。
倫理が「上司をちゃんと立てよう」というものなら、上手に断る、別のことで埋め合わせるなど、飲み会以外の方法でも実現できます。お酒が飲めない人でも、相手とよく対話できる信頼関係を飲みの場以外でどう築くかを考えればよいだけだと青木さんは話します。
文化として扱う:「上司が誘ったら飲むのが普通」という形そのものを強制してしまう
倫理として扱う:上司を立てる、信頼関係を築くという目的のもと、上手に断る・埋め合わせるなど別の方法も選べる
先輩がランチを奢らないリクルートの倫理観
今井さんはこの話に合わせて、再びリクルートの例を挙げます。今井さんがいた当時のリクルートには、出産・育児や家賃などの手当がなく、その分、初任給を含めた給料が高かったといいます。
今井さんが理由を聞くと、全員平等だからという答えでした。特に家賃手当は、実家暮らしの人がもらえず損になるため、すべて按分して給料に還元しているということです。
その、多分それ倫理なんですね。
めちゃくちゃ倫理。
平等という倫理観の結果、今井さんはリクルートで先輩にランチを奢ってもらったことがないそうです。それでも「あの人は奢らないからケチだ」という空気もなく、むしろ誘いを断りやすかったといいます。
結果何が起きるかっていうと、ランチ奢ってもらったことないんですよ、僕。先輩に。
文化とは外から見れば「すべからく変なもの」
青木さんは、もしかすると文化には「いい」ということ自体がないのかもしれないと話を進めます。今井さんも、ちょんまげがそうだと応じます。
青木さんによると、文化とは当人たちが無意識な変なところを他者が見つけて「文化だ」と呼んでいるだけです。だから今井さんがクラシコムの文化をいいと言うとき、実は倫理や、それが一貫して表現されている様子をいいと言っているはずだといいます。
今井さんはクラシコムの例として、オンラインの打ち合わせでいいことがあったら画面に見えるところで拍手する習慣を挙げます。青木さんは、あれこそ文化だと認めます。
青木さんの見立てでは、話した人に心理的な安全性や満足感をあげたいという倫理観が共有されていて、誰かが始めた拍手がやるものになりました。今では、やらないと逆に「え、ダメだった?」と思われるので、やらざるを得なくなっているといいます。
今井さんは拍手をいいものだと思うと言いますが、青木さんは見る人によっては嫌だと感じるかもしれないと返します。今井さんも、そもそもビデオをオンにしない会社もあると応じます。
青木さん自身、年長の著名なビジネスパーソンと同席した場で、自己紹介のたびに拍手をしていたら、その人に「なんかそれ気持ち悪くない?やめよう」と言われたことがあるそうです。
(拍手は)別にその場でどうしようとか考えずに、なんかナチュラルに自国の文化を供出しちゃったみたいなだけなんで。
倫理の共有と尊重が「風通しのよさ」を生む
青木さんは、文化はいつも、その文化の内側にいない人から見れば若干の違和感があり、違和感があるからこそ興味がわくものだとまとめます。そのうえで、会社の良し悪しを議論するなら別の視点が必要だといいます。
会社で問われるべきなのは、目的に合った倫理観が明確に共有されているかです。それが一体的に共有されていると生産性は高くなり、成果も出やすくなると青木さんは話します。
さらに大事なのは、その倫理観が極端に強制されていないことです。個人と会社の倫理観は完全に一致する必要はなく、業務のときにこの倫理観でやってほしいだけだと明確にすることで、倫理の共有が行き過ぎる閉塞感も起きにくくなるといいます。
青木さんは、それが「風通しのよい文化」のように語られているだけで、全ては倫理と倫理の取り扱いの話ではないかと結論づけます。
まとめ
「文化がいい会社」をめぐる今回の対話は、青木さんの気づきから、文化と倫理を分けて考える方向へ進みました。外から見ればどんな文化も変なものであり、会社で本当に評価されているのは、目的に合った倫理観が明確に示され、リーダーが体現し、個人の倫理観も尊重されている状態だという見方です。
- 青木さんの整理では、文化と道徳は共同体が自然に作るもの、倫理は自由意志で選ぶ「こうありたい」という基準
- リクルートのスローガンや平等の考え方は、文化というより倫理観の表れとして語られた
- 倫理観に合意した人が集まると衝突が減り、人は生き生きと働けるようになる
- 何より重要なのは、経営者やリーダーが掲げた倫理観を自ら体現すること
- オンライン拍手のような文化は外から見れば変なもので、良し悪しよりも倫理の扱い方が会社の風通しを左右する



