「よくあるやつだと思ったら深かった」リスナーの率直な感想
今井さんは京都の文学フリマに客として足を運びました。京都の会場は東京と違って入場無料で人出は多い一方、本の客単価は少し下がる印象だったといいます。
やっぱチケット代払ってるとみんな買わなきゃって。
その会場で今井さんは、20代半ばくらいの女性がエッセイを出していたブースで本を購入しました。世間話の流れで仕事の話になり、ホームページを見せると、相手はこの番組を聞いていると話してくれたそうです。
そのリスナーの感想は歯に衣着せぬものでした。最初は「答えのない話をワンテーマで雑談する、最近よくあるやつだ」と思ったものの、聞いてみると深さが全然違った、というものです。
まあわかるけどね。だし、辛口の人がさ、褒めてくれるとちょっと嬉しいよね。
作り手と受け手の間にある「感想のねじれ」とは?
青木さんのもとには、番組の感想がほとんど届かないといいます。「聞いてます」と言われても、礼儀や配慮で言っている可能性があるため、深く聞き返しにくいのが悩みです。
本当にガツリ聞いてなかったらさ、なんか追い詰めちゃうからさ。
今井さんは、大好きな小説家に会ったときでも「読んでます」としか言えないのと同じではないかと応じます。深く読んでいても、言葉にすると「最新刊めっちゃ面白かったです」程度になってしまうという見立てです。
青木さんの会社では、出版した本を社員が1人1冊ずつ持ち帰れるように置いたところ、本はかなり減ったのに、感想を伝えてきたのは3人ほどだったそうです。
今井さんは、番組への便りも同じ構造だと整理します。1万人が聞いていて、届く便りは週に2〜3人ほど。つまり言葉にしてくれる人は2000人に1人という計算です。
この比較から青木さんは、社内の3人はむしろ高い割合だと受け止め直しました。提供する側と受け取る側の感覚のギャップ、いわば「ねじれ」が面白いと話しています。
お便り「自分がされて嬉しいことは他人にもすべき?」
本題は、栃木県のリスナーから届いたお便りです。小学生の娘を持つ親として、この考え方をどう教えればよいのかという相談が寄せられました。
お二人に考えすぎてほしいテーマは、「自分がされて嬉しいことは他人にもすべきって本当か」です。自分と他人は違うとよく言う一方で、この考え方はどこか自分と他人の感覚は同じという前提に立っているようにも感じます。極端な例ですが、他人からグイグイ来られるのが嬉しい人が同じように振る舞った結果、相手には迷惑がられてしまうということもあると思います。小学生の娘を持つ親として、自分がされて嬉しいことは人にもするという考え方をどう教えるのがいいのか、ぜひお二人の考えを聞かせていただけたら嬉しいです。
今井さんは、裏返しの「自分がされて嫌なことを人にするな」も同じ構造だと付け加えます。青木さんは、正確ではないかもしれないと断ったうえで、論語や孔子に「して欲しくないことをするな」、聖書に「してほしいことを人にもしなさい」という似た教えがあると触れました。
そのうえで青木さんの基本姿勢は、良かれと思ってしてくれたことは多少的外れでも嬉しい、というものです。例として、お酒を飲めない青木さんに、今井さんが知らずに誕生年の高いワインを贈った場面を挙げます。
そしたらさ、飲めないけど嬉しいよね。
青木さんは、それほど親しくない相手が同じことをしても嫌ではないといいます。ただ、「なぜ自分が飲めないことを知らなかったのか」と感じる人もいるだろう、とも認めています。
輪を広げたい人と関係を深めたい人はなぜすれ違う?
青木さんは、相手を事前によく理解してから会う今井さんは的外れをしなそうだと話を振ります。今井さんが「嫌かもしれない的外れ」として挙げたのは、久しぶりの後輩との食事に、後輩が気を利かせて知らない第三者を連れてくる場面です。
(その後輩)本人的には多分嬉しいことなんですよね。場の役割の設定が違うっていうか。
今井さんの整理では、後輩にとって食事の場は輪を広げるためのもので、今井さんにとっては関係を深めるためのものです。どちらが嬉しいかは人によってはっきり違う、という点で二人は一致しました。
知り合いを連れてきて、人のつながりを増やすことが嬉しい
相手と二人でじっくり話し、関係を深めることが嬉しい
青木さんはこの例から、本人がそこまで望んでいないのに誰かと結びつけようとする善意を思い出します。若い頃の「二人、付き合っちゃいなよ」という雰囲気は、本当に嫌だったそうです。
ああいうのとかもうマジで絶対許さねえからなぐらい嫌だった。
的外れな善意は「雑な人間観」から生まれる
青木さんは、そうした善意を押し付ける人が、本当に自分も同じことをされたいのかを疑います。今井さんは「嬉しいのポイントを間違えているのかもしれない」と応じました。
青木さんの見立てでは、問題は自分が芯から嬉しいことではなく、「人間ってみんなこうだろう」という雑な人間観に基づいて行動している点です。十把一絡げに捉えられている感が、イライラの正体ではないかといいます。
逆に、今井さんが本気で素敵だと思う人を「青木さんの方が相性が合うと思う」と紹介してくれた場合、会ってみて合わなかったとしても嫌な気持ちにはならない気がする、と青木さんは話します。
本人は本気で思っていないのに「付き合っちゃいなよ」と勧める。雑な善意に感じてイラッとする
自分も本気で素敵だと思う人を、相手を考え抜いて紹介する。合わなくても嫌さは残りにくい
第三者を連れてくる場面について、今井さんは「責任を取ってくれるか」も大事だと付け加えます。盛り上がらなかったときに「今日俺ミスったわ」とリカバーしてくれるなら受け止め方が違う、という指摘です。
キャスティングとしてはこっちはあなただけを前提とした企画だったんだから、そこに誰か連れてくるんだったら、この場を成立させることにちゃんとコミットしてよねみたいなね。
青木さんの結論は、「してほしい」の主体が世間一般にすり替わっていたり、解像度が粗かったりすると嫌さが出るというものです。本当に考え抜いたことなら、押し付けがましさはゼロではないにせよ生まれにくいと話しています。
マクドナルドの誕生日祝いが「本当に嫌」だった話
今井さんは小学生の娘への伝え方に話を戻し、誕生日のお祝いを例に挙げます。今井さんも青木さんも、祝われるのは得意ではないといいます。
今井さんが一番嫌だったのは、子どもの頃のマクドナルドでの体験です。誕生月に届くはがきを持っていくとハッピーセットが1回無料になり、店を挙げてお祝いされる仕組みでした。
「今井ゆうき君6歳の誕生日です。おめでとうございます」ってマイクで言われて、全店員が手を止めて拍手してくれて、つられて客もみんな拍手。本当に嫌で。
とはいえ、今井さんはそれをめちゃくちゃ嬉しいと感じる子もいるはずだと認めます。青木さんは、喜ぶ子が実際どのくらいの割合なのか、店員全員が祝いたいと思っているわけでもないだろう、と疑問を投げかけました。
そこで今井さんが提案したのは、「自分がされて嬉しいこと」ではなく、「自分がされて安心したこと」「優しいなと思ったこと」を人にしてあげよう、という言い方です。
子どもには「察する」より「ちゃんと聞く」を教えたい
青木さんは、小さい子への教え方は苦手分野だと断りつつ、成長にはフェーズがあると話します。自分がしてほしかったことや嫌だったことを集めるフェーズと、他者の喜びや嫌がることを知っていくフェーズです。
青木さんが懸念するのは、小さい頃から空気を読んで察する技術ばかりを使いすぎることです。そうすると、誰かの好き嫌いを高い解像度でつかめない人になってしまうといいます。
だから僕はちゃんと聞いていこうっていう。
青木さんが子どもに伝えたいのは、「人はみんな、してほしいこともしてほしくないことも違う」ということです。子どもとお母さん、お父さんの間でも好きなことは違う、と身近な例で示す方法を挙げています。
同時に、誰かが自分を想像して良かれと思ってしてくれることは嬉しい、という面も伝えたいといいます。だからこそ、まずは相手に聞いてみる、やってあげた後に感想を聞いてみる、という順序を勧めています。
青木さんは、自己開示の大切さを強調します。察することで自分を確立すると、今度は察してもらいたい人になり、自己開示の機会を失ってしまうからです。
青木さんは、良かれと思ってしてくれたことでも「こういうところが嫌だった」と言える場で言う訓練をし、それを越えて仲良くなることが本当の意味での関係づくりだと話しています。
今井さんも、経験を重ねると「この人は急に人が来たら嫌だろう」「この人は嬉しいだろう」と類型化できるようになるが、最初はたくさんの経験がいるので、ヒアリングから始めるのはとても良いと応じました。
大人になっても避けがちな「対話」が一番大事?
青木さんは、親が「親からはこう見えるよ」「何々ちゃんはこうだったんじゃない?」と伝えるなら、押し付けにならない形で、子どもが相手を高い解像度で想像する力を育てられるのではないかと話します。
ただし大人になっても、対話を避けて良かれと思ったことをしたり、逆に差し控えたりしがちです。青木さんは、それがトラブルの元にしかならないと指摘します。
だから結局教えるべくは対話するっていう。
青木さんは、相手と感情的な軋轢を生みにくい形で本当のことを対話するのは難しく、自分もできていないと認めています。それでも、本質的には対話が一番大事だというのが青木さんの考えです。
「クソバイス」を恐れて言えなくなる問題
今井さんは大人同士でよくあるパターンとして、「クソバイス」という言葉を挙げます。あまり好きな言葉ではないとしつつ、求めていないアドバイスを指す言葉だと説明しました。
今井さんによれば、クソバイス扱いされることに怯え、基本的に何も言わない年長者が多いといいます。今井さん自身も、悩みを打ち明けられても「どうしたらいいと思います?」と聞かれない限りは言わないようにしています。
聞きたいやつほどそれ(アドバイスを求めること)言わなかったりする。
今井さんにもそういう面があり、本当は相談したくても、自分のターンを長く持ってはいけないという気持ちから話を流してしまうそうです。だからこそ、求められなくても言える人に救われる場面もある、と話します。
そう、だから言い方なんだと思うのよ。要するに「これは僕の一例なんだけどね」っていうふうにして提示してれば、別に全然クソバイスでもなんでもない。
アピールと自己解説はどう違う?
青木さんは、経営者が「自分直下の仕事を募集しています」「めっちゃ成長できます」と呼びかける例を挙げます。今井さんは「カバン持ちみたいな」と応じました。
青木さんは、自分の下で働くことが面白いかどうかは人によりすぎるため、SNSや募集記事で誰にでも「成長できる」とは言いにくいといいます。逆に条件を細かく書けば意味がわからなくなってしまいます。
だからその時にできることって正確な自己紹介だけなんだよ。
青木さんの考えでは、自分がどういう人間で何をしているかを高い解像度で示し、仕事の価値は相手に判断してもらうしかありません。そのため自己紹介の技術を小さい頃から学ぶべきだと、最近強く感じているそうです。
日本では昔より改善されたものの、自分を語ることを美意識的に恥ずかしいとする感覚がまだ残っているといいます。青木さんは、アピールと自分の取説を提示することは違うと理解する必要があると話しています。
自分をよく見せようとする振る舞い。美意識的に恥ずかしいと感じられやすい
自分がどういう人間で何をしているかを正確に示し、判断を相手に委ねる
青木さんは、自分のターンを短くしようとする今井さんの姿勢も否定はしません。ただ、もう少し自己紹介をきちんとしたほうが良い時間になることもある、と付け加えています。
若い世代のほうが気持ちの言語化がうまい?
今井さんは、主宰する編集の学校でも、若い人のほうが自分のことを語るのがうまいと感じています。何が得意で、今どういう状況にあるかを、絶対値で語れるというのです。
気持ちの話できるよね。若い子の方が。
青木さんによれば、自分くらいの年代は何をしているかは話しても、気持ちの話はほとんどしないといいます。今の若い人は、何に悩み、どんなときに嬉しいかを話してくれる傾向があるそうです。
一方で青木さんは、それを否定的に捉える見方もあり、良いことばかりではないかもしれないとも話します。実は本当の気持ちではなく「気持ち風のこと」を言う処世術なのかもしれない、という可能性にも触れつつ、客観的にはそう見える、と結んでいます。
まとめ
「自分がされて嬉しいことは他人にもする」が的外れになるのは、他人も自分と同じだという雑な人間観で動くときだ、というのが二人の見立てです。察するより聞き、自分のことも開示し、対話を通して違いを知ることが、子どもにも大人にも大切だと語られました。
- 輪を広げたい人と関係を深めたい人のように、同じ場でも「嬉しい」の中身は人によって違う
- 的外れな善意の不快さは、十把一絡げに捉えられている感から生まれる
- 子どもには察する技術より、相手に聞くことと自分を伝えることを教えたい
- 「これは一例だけど」と添えれば、アドバイスも押し付けにならない
- アピールと自己解説は別物で、正確な自己紹介が良い出会いや関係につながる




