「セミ自己表現」とは何か?
今井さんは最近、Z世代に詳しい30代の2人と食事をした際に、「セミ自己表現」というキーワードを聞いたといいます。セミプロの「セミ」と同じ意味で、半分だけの自己表現を指す言葉です。
セミ自己表現とは、ゼロから自分を表現するのは怖いけれど、複数ある選択肢から「私はこれ」と選ぶことで、リスクを抑えて自分らしさを示すやり方です。今井さんは、その例としてシール帳を挙げました。
自己表現をゼロからするのはやってみたいけど、ちょっと怖い。
もう1つの例が、「いい人すぎるよ展」と「そういうことじゃないんだよ展」という展示です。エレベーターでずっと「開く」を押してくれる人のような場面を、言葉1つとイラスト1枚で見せる展示で、もう一方には「ネイルに1万円って意味ある?」のような場面が並びます。
今井さんによれば、この展示がSNSで大きく広がっているのは、どの作品を投稿するかという選択そのものが自己表現になっているからだといいます。今井さんは、MBTIも同じ構造かもしれないと話しました。
青木さんはセミ自己表現を「セミオーダーみたいなこと」と言い換えます。子どもの頃、テレビの芸人のギャグを小学生がみんな真似していたように、好きな人の言葉を借りて話すことも、自分の言葉にたどり着く前の一歩だという見方です。
自己表現の第一歩目として(若い人には)セミ。
青木さんは、一歩目のハードルを下げる意味ではセミ自己表現はいいものかもしれないとしつつ、「53歳になって自己表現がMBTIだけだと、ちょっと考えようかというのはある」とも話しています。
ビジネス語彙は「鎧」になる?
青木さんは前日、大学生の起業を支援する団体を通じて、十数人の大学生起業家と会社で会う機会があったといいます。その場で受けたピッチにも、セミ自己表現と似たものを感じたそうです。
青木さんが感じたのは、学生たちが自分の本当にやりたいことや動機を語るための語彙が、まだ少ないということでした。その結果、よくあるビジネスピッチの言葉を使って一生懸命に説明してくれるといいます。
僕とかだと、その人の本当の気持ちが知りたいんで、もっとグズグズの表現とかしてくれた方がわかるのになぁみたいな、思っちゃったりして。
今井さんはこれを受けて、「インキュベートします」より「温めて、いい感じにしたいんです」と言われたほうが伝わると返しました。青木さんが知りたいのは、なぜそれをやりたいのか、どんな経緯でそこに興味を持つようになったのか、という部分です。
青木さん自身も、自分の語彙で自分を語ることは毎年難しいと感じているそうです。今井さんは、語彙は鎧のようなものだと話し、自分にも「今日は賢いと思われたがっちゃったな」という日があると打ち明けました。
あと結構語彙はこう鎧っていうか。
お金と時間、ルーズな人へのモヤモヤ
ここから本題として、今井さんがリスナーから届いたお便りを紹介します。テーマは、社会人としてのマナーにルーズな人とどう付き合えばいいか、というものです。
お二人にお聞きしたいのは、社会人としてのマナーにルーズな人との接し方についてです。1つ目はお金のこと。友人と作ったZINEの印刷費を私が一旦立て替えました。売りに行く当日、私は売り場に立てなかったので、会計を友人にお願いしていたのですが、出資分を回収できる売上報告があったもののお金が返ってきたのは1週間後。早めに預かりたいと申し出たところ、急ぐならもっと早く言って欲しかったと言われてしまい、なんだかモヤモヤしています。
2つ目は時間のこと。友人が主催した会食に私の後輩が連絡なしで1時間遅刻してきました。人を待たせた結果について謝った方がいいと後輩に伝えたのですが、開き直られてしまい、挙句それなら来なければよかったじゃないですかと逆ギレされる始末。直属の後輩ということもあり、こちらもモヤモヤしています。お二人にこのモヤモヤをぜひ考えすぎて欲しいです!
青木さんは、相談者が答えを決めつけず、モヤモヤのまま投げてくれたことを嬉しいと受け止めました。今井さんは、マナーが正しいかどうかだけでなく、そもそもマナーとは何か、なぜ生まれるのかまで考えたいと議論の方向を示します。
今井さんがマナーを口うるさく言う理由とは?
青木さんに「マナーを気にする方か」と聞かれた今井さんは、自分は気にする方だと答えます。若いメンバーにも、気になったらはっきり伝えるそうです。
言っちゃう時の一番の理由は、その連れて行きたい場所に連れて行けなくなっちゃう可能性がある。
今井さんは、テーブルマナーが完璧である必要はないとしつつ、「お寿司は出てきたら早めに食べる」程度のことは一通り学んでおいてほしいといいます。たとえば起業したいインターン生を青木さんとの食事に連れて行きたくても、その場に「いていい」状態に仕上がっていなければ連れて行けない、という理由です。
ドレスコードがゆるい今井さんの会社でも、夏に白T・黒い短パン・サンダルで来たメンバーには、「3分の2までにしようか」と伝えたことがあるそうです。
| トップス | ボトムス | 足元 |
|---|---|---|
| Tシャツ | 短パン | スニーカー |
| Tシャツ | ロングパンツ | サンダル |
| Tシャツ | 短パン | サンダル(3つ揃うのは避ける) |
一方の青木さんは、こだわるポイントが少し違うといいます。気になるのは、人の感情の機微にデリカシーがないことです。相談の2つ目の逆ギレについて、青木さんは相手もモヤモヤしたはずだと推測しました。
逆ギレさえしなかったらさ、対話できて、お互いのマナーの差分をさ、調整するチャンスがあるよね。
ただ青木さんも、妹さんと一緒に会社を経営するような近しい関係では、マナーや常識の差が出たときについイラッとしてしまうことがあると認めています。
マナーは「礼」であり、能力である
青木さんは、マナーが何のためにあるのかを考える手がかりとして、「礼」という言葉を挙げます。礼は徳の1つで、徳とはもともと力や能力を意味していた、というのが青木さんの説明です。
青木さんは例として里見八犬伝 ── 江戸時代の曲亭馬琴による長編小説『南総里見八犬伝』。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が浮かぶ玉を持つ8人の剣士が活躍しますの玉にも礼が含まれていることに触れ、マナーとは力量やスキルのことだと話しました。
礼の力を実感できる例えとして、青木さんは牛丼店での相席の場面を挙げます。見知らぬ相手に「割り箸取って」とぞんざいに頼めば、相手によっては争いになります。一方、「食事中に申し訳ないんですけど、取っていただくことできますか?」と礼を持って頼めば、相手は抵抗なく取ってくれます。
相手次第で、渋々取ってもらえるか、争いになる
相手は何の抵抗もなく割り箸を取ってくれる
礼を尽くすだけで人を動かせる、不可能が可能になる。青木さんは、世の中はこういうことだらけだといいます。
青木さんによれば、マナーを法律だと思うと、相手に守らせるためのものになってしまいます。しかし能力だと考えれば、マナーは自分が使うためのものになります。
青木さんはさらに、自分が礼を尽くしているのに相手が無礼な場合、腹が立つのは当然だとしつつ、見方を変えれば有利な状況だと指摘します。いつでも指摘して相手を攻撃できるカードを手にしている、という意味です。
タフネゴシエーションしなきゃいけない時にいきなり無礼で来るやつは本当わけわかんねえなみたいな。
今井さんも、理不尽な注文のメールが荒ぶっているほど「大丈夫ですか?」と思うと共感します。青木さんはそれを「隙だらけ」と表現し、今井さんは自社のメンバーに、そうした相手には絶対に乗ってはいけないと伝えているそうです。
マナーは時代とともに変わるもの
青木さんは、無理筋かもしれない要望をこちらから出さなければならないときこそ、最高の礼儀を持つべきだと話します。テーブルマナーでさえ、生まれた当初は身分や階層の権威を示すためのものだったという見方も示しました。
マナーの始まりを知っておくと、自分よりマナーがゆるい人と向き合ったときに一瞬の心の余裕を作れる、というのが青木さんの考えです。
一方で青木さんは、社会にとってのマナーには、お互いの予測可能性を高める効果があるといいます。合意しているマナーが多いほど、話し合えそう、一緒に何かできそうと思えるため、余計な摩擦や地雷を避けられます。
ただし、マナーを法だと思うと「マナーは不変」と考えてしまいます。実際には、マナーは社会や時代によって変わっていくものです。
青木さんが難しいと感じている例が、女性の配偶者を「ご主人」「旦那様」と呼ぶことです。伝統的にはマナー違反ではないものの、ここ10年ほどの社会の認識の変化で手放しには使えない空気がある一方、正しい呼び方もまだ定まっていないといいます。
今井さんは、LINEの文末の句点が威圧的に感じられるという「丸ハラ」も同じ例だと挙げました。青木さんは、自分はもう句点を使わず、「気持ち悪いおじさん」と言われようと絵文字を使っていると笑います。
青木さんは、勉強や筋トレを例に、マナーを能力と見る意味を説明します。自分より勉強ができない人や軽い重量しか上げられない人を見ても、苛立つ人はいません。それは能力だと思っているからです。
筋トレを義務だと思うと、「100キロ上げなきゃいけないのに、なんで20キロでちょろちょろやってんだ」と苛立つ
能力だと思えば、隣の人が軽い重量でも優越感はあっても腹は立たない
ネットに載っていないマナーをどう学ぶ?
今井さんは、こうしたマナーの多くは職場や先輩との関係の中で、オンとオフの間のような時間に教わってきたものだと振り返ります。客先からの帰りに「今日の靴はないよ」と言われるような場面です。
こっちから頼んでんだから、(相手を)呼んじゃダメだよみたいな。
頼み事をしているのに「一回うちのオフィスに来てもらっていいですか?」と相手を呼ぶのはよくない、といった感覚はネットには載っていないはずだと今井さんはいいます。こうしたマナーをこれからどう学ぶのか、というのが今井さんの問いです。
青木さんは、マナーは公式のようなもので、公式が成り立つ論理を理解していれば公式自体はいらない、と答えます。そもそもマナーは何のためにあるのか、人が気持ちよくやるにはどうしたらいいのかを考えていれば、頼む側が相手に来てもらう負荷をかけるおかしさは、教わらなくてもわかるはずだという考えです。
ただし青木さんは、一度も粗相をせずに学ぶのは無理だとも話します。だから粗相を許すことが大事で、そのうえで「さすがにこれはないと思うよ」と伝えればいいといいます。
青木さんが嫌だと感じる物言いは、「みんなが言ってますよ」というものです。マナーを笠に着て指摘することも、それに近い嫌さがあるといいます。
「これはマナーだろ」と全員の同意があるかのように指摘し、押し付けになる
「個人としてこういう理由でモヤモヤする」と主観で伝え、少なくとも嫌だと思う人がいることを示す
僕はね、自分の気持ちとか感じ方を率直に伝えるっていう風に気をつけてるっていうのはあるかな。
今井さんは、自分が不快だと伝えるのは勇気がいると応じます。「非常識だ」「マナー違反だ」と言うほうが味方がいる感じがして楽だという点で、2人の意見は一致しました。
「君がやったことは大罪だ」から始まる関係
今井さんには、青木さんのように不快なことをはっきり伝える同業の先輩がいるそうです。その先輩に倣い、今井さんも一時期、自社に届く売り込みメールに率直な返信をしてみたといいます。
ライターやデザイナー、写真家からの売り込みメールのうち、今井さんが嬉しいと思って返事をしたくなるのは30分の1ほどで、多くはコピペだそうです。なんとなく知っている相手からそうしたメールが届いたとき、今井さんは「あなたならもっと書けるでしょう」と感じて返信しました。
しかし、5人ほどに率直な返信をしても、返事は一度も来なかったといいます。青木さんは「そういうメールを出してくる相手だからな」と応じつつ、自分は今後も仲良くしたい相手にしか言わず、無礼なメールはそっと見なかったことにするタイプだと話しました。
一方で今井さんは、大先輩の編集者Aさんと書店を取材したときの話を紹介します。書店店長のBさんは、30年ほど前の若手時代に、メルマガ会員全員を宛先に入れてメールを送り、数百人分のメールアドレスを流出させてしまったそうです。
そのとき唯一、長文の説教を送ってきたのがAさんでした。「君がやったことは大罪」と書きつつ、最後は励ましてくれていたといいます。Bさんはそのメールを今もパソコンに貼っていて、以来同じ失敗はなくなったと感謝していたそうです。
青木さんは、率直なリアクションが返ってきたときこそ、相手と本当に仲良くなるチャンスだと話します。相手も言い過ぎたかと思っているからこそ、理があれば素直に謝ればいいという考えです。
こんなこと言ってくれるのって誰々さんだけですよ。
今井さんは、怒らせたことをさすがにチャンスとは思えずへこむと笑いつつ、そこからリカバリーできる機会を相手がくれた、という感覚には共感を示しました。
まとめ
マナーにゆるい人との付き合い方について、青木さんと今井さんは「マナーを法ではなく能力として捉える」視点を軸に考えました。そう捉えれば、無礼な相手への苛立ちは和らぎ、伝え方も押し付けではなく個人の感じ方として届けられるようになります。
- セミ自己表現は自己表現の一歩目として有効だが、いずれは自分の言葉で語れるようになりたい
- マナーの本質は「礼」であり、身につけた本人が人を動かすための能力だと青木さんは考える
- マナーは時代とともに変わるため、法のように相手に守らせようとすると押し付けになりやすい
- 指摘するときは「みんなが言っている」ではなく、N=1として自分の気持ちを率直に伝える
- 率直に怒られたときは、素直に受け止めることで相手と仲良くなるチャンスにもなる






