ビデオポッドキャスト、本当に見られている?
本題の前に、今井さんと青木さんは、番組がビデオ配信になって4〜5回目を迎えたことを振り返ります。今井さんが「ビデオならではのリアクションはあったか」と尋ねると、青木さんの答えは「ないね」でした。
やっぱり、ビジュ的にさ、その見どころがないじゃん。おじさんが2人で喋ってるんだからさ。
一方で、今井さんによると再生数が明確に伸びているのはYouTubeです。青木さんは、ビデオに対応していないApple Podcastsから、YouTubeやSpotifyへ移ったリスナーの分が増えているだけではないかと見ています。
今井さんは、アプリに入るときの目的の強さに注目します。例に挙げたのは、スマホのNetflixアプリの目立つ場所に置かれているゲームです。
Netflixに入った時にさ、ゲームをしたいっていうモチベーションが、少なくとも僕は全くないんで。
同じように、Spotifyを開くときは耳で聴くつもりで開くので、動画を見る場所にはなりにくいと今井さんは考えます。青木さんも、Spotifyでビデオポッドキャストを見たくなったら、結局YouTubeで検索し直して見てしまうと同意しました。映像配信はひとまず続けつつ、今後も考えていくことになりました。
「いい人なんだけど」は誰のための言葉?
今回のテーマは「いい人止まりって何?」です。今井さんは、主に恋愛の場面で使われる「優しい、安心できる、ちゃんとしてる。でも好きにはならない」という見方を取り上げ、仕事の場面にも広げて考えたいと切り出しました。
青木さん自身は、自分をひと言で表す言葉として「いい人そう」を選ばれることはあまりなかったといいます。むしろ「ドライそう」「情に厚いタイプには見えない」と思われてきたそうで、それを本人は「本質を突いた印象」と受け止めています。
今井さんによると、このポッドキャストを聴いた人からは「青木さんは柔らかい人なんだね」という感想が届くそうです。YouTubeのコメント欄にも、株主総会でのキレキレな姿とは違うリラックスした青木さんが見られて嬉しい、という声がありました。
一方の今井さんは、大学時代ごろまで、恋愛で「いい人なんだけど」と言われてきた側でした。今振り返ると、この言葉は言う側の事情から生まれていると考えています。
(いい人なんだけどねは)話し相手がそのある種自己弁護のために使う表現なんじゃないかな。
今井さんの見立てでは、求める結果に対して能力が足りないと直接言うと角が立つため、相手も「いい人」でいたくてこの言葉を使います。青木さんはこれを「エクスキューズなんだ」と言い換えました。
成果の場と「好き」の場は何が違う?
青木さんは、「いい人なんだけど」が使われる場面を2つに分けます。成果が求められる仕事の場面と、主観的な好き嫌いを表す恋愛や友人関係の場面です。
要求される成果が明確で、そこに届かない問題を、人格否定ではないと示すための言い訳として使われる
安泰さや頭のよさなどのメリットがあるのに、なぜか好きにならない。その理由がわかりにくい
仕事の場面について、青木さんの答えは明快です。成果が求められる場所で、いい人なだけでは通用しないのは自明なので、考えすぎる余地はあまりないといいます。
青木さんが面白いと感じるのは、もう一方の場面です。いい人である、将来が安泰である、頭がいい、博識であるといったメリットがあるのに、選ばれないという現象があります。
その合理的なというか、利害損得的なそのメリットを横に置いても好きっていうことにならない何かって何なんだろうなと。
若い頃、素敵だと思っていた女性が「なんでこんな奴と」と思う相手と付き合っていた経験も、青木さんには摩訶不思議に映っていました。その人にとっては何かのメリットがあるのだろうと思いつつ、青木さんは若い頃ほど、好きと別のものを混同しているのではないかと考えるようになったそうです。
人は「好き」より「引きずり込まれる」に惹かれる?
青木さんが例に出すのは、TikTokで流れてくる、突飛な動きをするインフルエンサーの動画です。見たいわけでも面白いわけでもないのに、なぜか指が止まって見てしまうといいます。
つまりその引きずり込まれちゃうコンテンツってあるじゃん。
今井さんは「喧嘩とかもそう」と応じます。青木さんは、「恋に落ちる」という言葉があるように、人を好きになる経験にも、この「引きずり込まれる」感覚が混じっていると考えます。未成熟であるほど、その確率は高いのではないかという見立てです。
今井さんは、男性がモテる要素が年齢で変わることを振り返ります。2人の話を並べると、学年が上がるにつれて評価の軸が増え、高卒以降はよりフェアな勝負になっていくという流れが見えてきます。
今井さんが特に不思議に思うのは、田舎の中学校で学年のみんなが一度は好きになる女の子が、たいてい先輩のヤンキーと付き合っていたことです。青木さんも当時の悔しさが一瞬よみがえったと笑いました。
勇気がある人は、最初から怖くない人なのか?
「何と混同しているのか」という今井さんの問いに、青木さんは遠回りな話から答えます。戦場での医療活動や消防のように、勇気が要る仕事に就く人がなぜそうなれるのか、何人かに話を聞いてきたそうです。
(勇気が要る仕事を選ぶ理由が)「元々怖かったから」っていう理由なんだよ。
生死の分かれる現場で働く医療者の中には、親族が亡くなったとき遺体をちゃんと見られなかった、見ないふりをしてしまったという後悔を持つ人がいたといいます。青木さんはそれを、怖いからこそ踏み込み、克服して自分をもう一段肯定したいという動機だと受け取りました。
青木さんは自分に置き換えて、もし急に格闘技を始めて大会に出ると言い出したら、それは暴力への怯えや、臆病さが露呈したときの情けなさを克服したいからだと話します。今からやるなら「100パーそういう理由」だそうです。
恐れ・不安
死や暴力など、自分が怖いものがある
後悔・情けなさ
臆病な自分が露呈した経験が残る
克服したい気持ち
怖いからこそ、そこに踏み込もうとする
行動
医療の現場に立つ、格闘技を始める
青木さんは、同じ構造が人に惹かれるときにも働くと考えます。自分を否定する人や恥をかかせる人、気に入られたい実力者の先輩に惹かれてしまう背景にも、根源的な恐れや不安と、それを克服できるのではという期待があるといいます。
「女性が大好き」は本当に好きなのか?
青木さんは、自分と同じくらいの年齢になっても恋愛体質な男性がいることに触れます。それ自体は素晴らしいとしたうえで、「僕本当に女性が大好きなんですよ」という言葉に疑問を持つといいます。
好きなんだったら普通に仲間になればいいだけだろっていう。
青木さんの見方では、克服したい恐れや不安、ギャップを感じている人ほど、恋愛に執着するのかもしれません。一方で、自分が心地よく受け入れられ、安心できる相手にすっと向かえる人もいます。
青木さんは、自傷行為的に自分を脅かすものへ近づくことにも、成長や豊かさにつながる面があると言います。そのうえで、自分にとっては会社経営もそういうものだと打ち明けました。
実行力がなくてね。で、人との関係性をうまく作っていくってことが苦手だった自分がいて。
好きなことだけなら、部屋でゴロゴロ本を読み、思ったことを書いたり人と話したりしていれば一番楽しいと青木さん。それでも起業し、会社を続けているのは、ただ好きなだけではないからだといいます。恋愛でも、「惹かれる」と「好き」は必ずしも一致しないというのが青木さんの考えです。
メロがられるゲームには乗りたくない?
今井さんが「自分にないものを持つ相手にどうしても」と言いかけると、青木さんは「強く執着しちゃう」と引き取ります。「いい人なんだけど」は、理性で考えれば心地よく安心で得なはずの相手が選ばれない状況だというわけです。
そう整理されたとき、青木さんは「これは待ちゲーだ」と考えるようになったといいます。そもそも青木さんは、執着される形で自分にこだわられるのが嫌なのだそうです。
メロいって言葉あるじゃん。なんか、それ、なんかメロがられんのやだなみたいな。
正気の人がさ、まあいろいろ考えたけど、「青木君でいいんじゃない?」っていうのをすごく好き。ありがたい。
今井さんが「青木君じゃないとダメ」と言い換えると、青木さんは、それは怖いと答えます。もっとも前提として、メロがられた経験自体がないと笑いを交えて明かしました。
青木さんは、自分もキャリアや付き合う人を、心地よさではなく「足りないものを補いたい」という気持ちで選ぶことがあると話します。勉強ができるエリートが突然格闘技を始めたり、学校をちゃんと出ていない人が大卒資格を取ろうとしたりするのも、その一例です。
自分が執着する側になるのは、成長やドラマが生まれるので構わないと青木さんは言います。ただ、相手にメロがられない、面白がってもらえないという問題は、ほっといていいのではないかという考えです。
20代で「ほっとく」のは難しい?
今井さんは理解を示しつつも、20歳そこそこの頃にそれを放っておくのは相当難しいと返します。青木さんも「メロがられたかった」と本音をこぼしました。
なんかさ、ほんとよくわかんないさ、ちょっと年上の男性とかに惹かれちゃうんだよね。僕が好きな子とかが。
青木さんは自分がダメだった面も多いとしつつ、いろいろちゃんとしていて人間的なバランスもあるのに選ばれない人は多いと話します。その理由を、青木さんはこう説明しました。
相手の不足を刺激すれば執着を引き出せるので、青木さんはそれを「黒魔術みたいなもの」と呼びます。仕組みは簡単で使えばそれなりに効くものの、メロがられることを頑張るより、今の良さに磨きをかけた方がいいというのが青木さんの考えです。
人間関係は、結局タイミング?
今井さんは、タイミングが合わないことは無数にあると話します。異性関係に限らず友人でも、青木さんとの関係でも、「今会えてよかった」と思うそうです。
青木さんによれば、今井さんは当初、自分を冷たそうでいけ好かない人だという先入観を持ってやってきたはずだといいます。2人は、お互い10年前だったら仲良くなれたかわからないと振り返りました。
10年前なら、今井さんには尖りがあり、青木さんにはマウンティング癖があったかもしれない
今だから「会えてよかった」と思える関係になった
青木さんは、仮に好きだった女性に「いい人だけど」と言われても、その女性が10年後に「やっぱりいい人がよかった」と思うこともあると言います。今井さんも「ありますね」と同意しました。
モテる人や手練手管を知った人は幸せか?
青木さんは、いろいろな人にメロがられている人を近くで見ると大変そうだと話します。好きでもない人に好かれるのは、好かれないよりも面倒だからです。今井さんは、特に女性はそうだと付け加えました。
さらに大変そうなのが、メロがらせる技術を体得してしまった人です。
得意技を出さないでいるってすげえ難しいんだよ。
だからね、本当に使わんでいい技は覚えない方がいい。
大人になってからは、自制心が緩んでその技を使えば大ごとになりかねないと青木さんは話します。今井さんも、リターンと同時にリスクがあることは考えた方がいいと応じました。
一方で、美男美女でも社会的成功者でもないのに、生まれつき魅力的な人もいると青木さんは言います。自分にはない才能だとしつつ、能動的に動かないのに誰かが追いかけてくる場面は人生でほぼなく、今井さんは「僕全くないですね」と続けました。
若い頃に転生できたら、うまくやれる?
青木さんは、モテとは別に人として直すべき点が多かったため、報われなかったことも多かったと振り返ります。そのうえで、今の状態で若い頃に転生したら、もう少し何とかなったのではないかと考えるそうです。
今井さんは、プロ野球選手の肉体的ピークが30歳ぐらいであることを例に、精神的な成熟度にもピークはあるのかと問いかけます。青木さんは、ピークとはその時期に最もふさわしい考え方のことだと答えました。
若い頃に転生したいよなっていうのも、転生したらマジキモいやつが出来上がるんだと思うのよ。
今井さんも、若いときは向こう見ずな方がよかったと応じます。青木さんは、自分を脅かすものに近づきたいという若い頃の感覚も、人間的成長を考えれば意味があるかもしれないと話しました。
70代には70代のピークがある?
青木さんは、今の自分と70代の自分とでは、どうあるべきかの設定が変わると考えます。70代でキレキレの人を周りが本当に喜ぶか、自分も本音でそうあり続けたいかと問われれば、嫌だと言います。
病気で体が思うように動かなくなっても、動いていた頃がピークなのではなく、動かない自分という条件の中でのピークがあると青木さんは話します。それをやれている人は、客観的に見てもかっこいいそうです。
青木さんが素敵だと思う経営者の先輩たちは、会社の規模や売上、社員数で人を評価しないといいます。その人が置かれた状況でどう振る舞っているかを見てくれるからです。青木さんも、その人なりの条件の中にある卓越を感じ取るようにしているといいます。
「メロがられない僕」にも尊さはある?
今井さんが「ひと言で言うと『頑張ってるね』ということか」と尋ねると、青木さんは「尊いね」という感じだと答えました。
青木さんは、時価総額1兆円の会社の経営者がかっこよく見えても、そこにはそこの大変さがあると話します。メロがられている人をうらやむのも、同じ構図だといいます。
メロがられない自分として、好きな人や友達にどう向き合うか。青木さんは、そこにも尊さがあると信じたいと語り、「だいぶ脱線した」と笑って話を締めました。
まとめ
「いい人どまり」は、相手が好きと執着を混同しているときに起きやすい、というのが青木さんの見立てです。いい人であることは、相手の不足を刺激しないという良さでもあり、無理にメロがられる側を目指すより、その良さを磨き、タイミングを待つことに価値があると語られました。
- 仕事の「いい人なんだけど」は、成果不足を人格否定にしないための言い訳になりやすい
- 恋愛の「いい人なんだけど」の背景には、「好き」と「引きずり込まれる」の混同がある
- 相手の不足を刺激して執着を引き出す「黒魔術」は、使わないほうがいい技術とされる
- 人間関係はタイミング次第で、10年後に評価が変わることもある
- 置かれた条件の中で最善を尽くす姿に、年齢やモテに関係ない尊さがある






