経営者なのにゲームが苦手、その理由は?
この回は、今井さんが青木さんに「今どれぐらいゲームをやるのか」と尋ねるところから始まります。青木さんの答えは「全くやらない」というものでした。
青木さんによると、ゲームをよくやっているのは妻のほうです。Switch2を買ったのに、Switch1の時代に一度クリアした『ルイージマンション2』をゼロからやり直し、1か月近く毎晩遊んで全クリしたそうです。
青木さん自身がゲームをやらない理由は、うまくないからだけではありません。ロールプレイングゲームのように腕前が問われないジャンルでも、探したり迷ったりする時間に耐えられないといいます。
(ゲームで)なんか分かんなかったりする時間帯がもうめんどくさって思っちゃうので、自分が能動的に関与しなきゃいけない媒体になんか向いてないっていうか。
青木さんは小中学生の頃はゲームをしていたものの、ロールプレイングゲームを最後までクリアしたことは「一個あったかどうか」というほどで、ほとんど前半で挫折してきたと振り返ります。
一方の今井さんは、ゲームを年間30〜40本ほど買うものの、クリアするのは年に2〜3本だけだといいます。Kindleのセールで本を積んでおく感覚に近く、ゲームの構造を把握するのが好きなのだと話しています。
今井さんが勧める『Slay the Spire』とはどんなゲーム?
そんな青木さんに今井さんが「1時間だけやってみてほしい」と勧めたのが、『Slay the Spire』です。ローグライク ── 1980年に作られたゲーム『ローグ』に由来するジャンル名。ダンジョンの構造や手に入るアイテムが毎回変わり、やられると最初からやり直しになるのが特徴ですとデッキ構築型 ── プレイ中にカードを集めて自分のデッキを組み上げていくゲームの形式。2008年発売のカードゲーム『ドミニオン』がこのジャンルを広めた代表作とされますを組み合わせたゲームだと今井さんは説明します。
今井さんによると、ローグライクは主人公の成長が死ぬたびにリセットされ、毎回レベル1からダンジョンに入るゲームです。運に左右されるアイテムや敵に対して、今持っているもので試行錯誤し、成長するのはプレイヤー自身の知識だけだといいます。
デッキ構築型について今井さんは、トレーディングカードゲームとの違いで説明します。強いレアカードを集める「財力のショー」になりがちなトレーディングカードゲームと違い、デッキ構築型は全員がその場でゼロからデッキを作るため、運と戦略の両方が効き、麻雀にも少し似ているそうです。
強いレアカードを事前に集めて持ち込む。財力の勝負になりやすい
全員がその場でゼロからデッキを作る。運と戦略の両方が効く
『Slay the Spire』は2人で開発されたゲームで、先週その続編が出たばかりだと今井さんは紹介します。PCゲームのプラットフォームSteamでは同時接続が57万人に達し、歴代でもトップ20に入る数字になったそうです。
続編は「やめ時がない」ほど面白いため、世界中の人が発売を恐れていたといいます。今井さん自身も1作目を累計200時間ほど遊んでおり、リスクとリターンを管理するゲームなので青木さんも好きなのではないかと考えています。
駆け引きは苦手、でもルール作りは得意?
ところが青木さんは、「作戦を立てる系」のゲームは好きそうに見えて、実は全然好きではなく、ものすごく下手なのだと打ち明けます。将棋のような勝負事も苦手だといいます。
これほんと経営者としてあるまじきとは思うんだけど、おそらくね、意思決定が下手なんだね。
今井さんは、将棋や囲碁のような完全情報ゲーム ── 対戦者全員にすべての情報が公開されているゲーム。将棋や囲碁が代表例で、伏せられたカードや運の要素がありませんと違い、麻雀やポーカーには駆け引きやブラフがあるので、青木さんはそちらが強そうだと返します。しかし青木さんは、駆け引きも本当に苦手だと答えます。
青木さんによると、得意なのはゲームそのものではなく、ゲーム作りのほうです。誰かが作ったルールの上で上手に振る舞うことはできない代わりに、みんなが合意できるルールを考え、勝負のスキルを使わなくていい状況を確保して生き残ってきたといいます。
ルールを自分の都合のいいように作るのは結構得意なんだけど、誰かが作ったルールの上で上手に意思決定したり、上手に振る舞って勝つみたいなのはもう本当に、ほんと無能だね。
今井さんも、戦略を立てるゲームはあまり好きではないと話します。普段の仕事で頭を使っているので、ゲームでまで頭を使いたくないからです。ローグライクが楽しいのは、運の要素があり、短い1回のゲームを繰り返せるからだといいます。青木さんは「一回ダウンロードしてみるわ」と応じました。
「がんばれ」が取り扱い注意になった3つのきっかけ
ここから本題です。今井さんは、いつの頃からか「がんばれ」は人を追い詰める言葉として位置づけられ、よかれと思った励ましが「これ以上何を頑張れって言うの?」と受け取られかねない世の中になった、と問題を提示します。
今井さんは、「がんばれ」も相手を応援したいときの選択肢の1つとしてあっていい言葉だと考えています。そのうえで、なぜここまで取り扱い注意になったのかを考えすぎてみよう、というのがこの回のテーマです。
今井さんが紹介した調べものによると、「がんばれ」が避けられるようになった契機は3つあります。1つ目は1995年の阪神淡路大震災で、ボランティアやメディアが被災者に「頑張ってください」と声をかけたことに対し、「もう十分頑張っている」という受け止めが広がりました。
今井さんは同じ時期の例として、イチローがいたオリックス・ブルーウェーブが「がんばろう神戸」を掲げて日本一になったことを挙げます。こちらは「頑張れ」ではなく「頑張ろう」で、自分も一緒だというメッセージだったと二人は整理しています。東日本大震災の際の東北楽天イーグルスの「がんばろう東北」も同じ形だそうです。
2つ目は2000年代のうつ病やメンタルヘルスへの関心の高まりです。精神医療やカウンセリングの文脈で「うつの人に頑張れと言ってはいけない」という知識が広まり、職場での心の病が労災認定されるようになったことも背景にあるといいます。
3つ目は2010年代以降のSNSです。言葉への配慮が広まり、「頑張れと言われて嫌だった」という経験が共有されることで、なんとなく言わないほうがいいという空気ができてきました。今井さんは、この3つ目がいちばん実感に近いと話しています。
マイナスの人への「がんばれ」は、なぜ重いのか?
青木さんは、普段「頑張れ」と言う場面が確かにないと気づきます。今井さんも、「これは頑張れと言っていい場面か」をかなり考えるといい、自分なりの使い分けを説明します。
今井さんによると、言わないほうがいいのは相手がマイナスの状態にいるときです。被災している人や休職している人は、マイナスからゼロへ戻ろうとしている時点ですでに奮闘しているので、「大丈夫だよ」「待ってるよ」といった声かけになるといいます。
逆に、デフォルトの状態からさらに上がろうとしている人には「頑張れ」と言っていい、と今井さんは考えています。例として、東京でのショーを終えてニューヨークへ行くという知人のアーティストを挙げました。
青木さんは冬季オリンピックのりくりゅうペアを例に、演技に出ていく選手への「頑張れ」は不自然ではないと応じます。そのうえで、この種の「頑張れ」は相手のためというより、言う側のための言葉ではないかと考えます。
「頑張れ」って言わせてもらうことで、自分もちょっとその体現に預かりたいみたいな。(そういう)感覚はあるかもしれないよね。
青木さんの見立てでは、やる気満々でリンクに出ていく選手や海外へ飛び立つ人を、周りがさらに奮い立たせる必要はありません。応援したいというより、応援させてもらいたいという感覚が、挑戦する人への「頑張れ」には含まれているというわけです。
一方で、試合中に押し込まれている時間帯や、ミスをしたときにかけられる声については、二人とも嬉しいものではないかと考えます。青木さんは、ミスした瞬間に観客から「あー」と落胆されるのが嫌だというテニス選手の話を引き、それよりは「大丈夫、大丈夫、頑張れ」と言われるほうが嬉しいだろうと話します。
「不足している」が混ざると、なぜしんどいのか?
青木さんは、金メダルを取った後のりくりゅうペアに「これからも頑張ってください」と言うと、少し嫌がられるかもしれないと問いかけます。結果が悪かったときの「次頑張ってください」も、「簡単に言うなよ」と受け取られそうです。
(終わった後の頑張れは)何かその現状は不足してるよねっていう前提を感じるんですかね。
今井さんは、同じ「頑張れ」でも言葉が同じだけで意味が違うのかもしれないと続けます。青木さんはこれを、「今のままのあなたでいい」という自己肯定感が重視される世相とつなげ、そこで「頑張れ」が不足のメッセージに聞こえれば取り扱い注意になると整理しました。
受験の例でも同じ構図が見えます。受験の朝に母親から「頑張ってね」と言われるのは嫌ではないものの、「ダメだった」と帰ってきたときに同じ言葉をかけられたらどうか、と青木さんは問いかけます。
「そばにいるよ」「応援してるよ」。出発前の選手や受験の朝にかける言葉
「もっといけるだろ」「まだ足りない」。結果が出た後や弱っている相手には重く響く
青木さんは、「まだ足りないよ」というメッセージを伝えていい関係は限られると指摘します。信頼の厚いコーチと選手、師匠と弟子なら許されても、そこまでではない相手が「お前は足りない」と言う筋合いはないというわけです。
今井さんはここで、ヤクルトスワローズが優勝した年の高津監督のスピーチを紹介します。ペナントレースで失速しかけたとき、監督はロッカールームで「ここで頑張ろう」ではなく「絶対大丈夫」と声をかけ、その言葉はシーズンのスローガンとしてグッズにもなったそうです。
青木さんは、相手チームのほうが強いなど不足がすでに明らかなときこそ、人は「大丈夫」と言うのだと応じます。ショートプログラムでミスしてフリーに臨む選手にも、「頑張れ」より「大丈夫、ここからだよ」と言うのではないかと話しています。
退職する人には、なぜ「がんばれ」と言えるのか?
では実生活で「頑張れ」と言えるのはどんな場面か。今井さんは、自分の会社を退職していくメンバーや、卒業していくインターンに言った覚えがあると振り返ります。
青木さんは、離れていく側には「嫌みの1つでも言われても仕方がない」という引け目があるからではないかと考えます。そこで「頑張れ」と言われれば、一応肯定されたと受け取れるからです。
言う側と言われる側の傾きとして、「頑張れ」って言う側が、ある種立場がちょっと弱いといいんじゃない?
青木さんの説明では、被災地の人に「頑張れ」と言うのは、優位な状況にある人から不利な状況にある人への言葉になります。上司から部下への「頑張れ」も上から下への傾斜を持ちますが、部下が辞めるときは去られる側の上司のほうが立場が下がるため、「頑張れ」と言っても大丈夫な関係になるといいます。
同じ理屈で、上司が昇任試験や賞に挑むときには、部下から「頑張ってください」と無邪気に言いやすいと青木さんは話します。逆に、ワールドカップで負けてしょんぼり帰ってきた選手に「頑張れ」と言うと、上から言っている感じになってしまうというわけです。
| 場面 | 傾斜 | 言いやすさ |
|---|---|---|
| 被災者に声をかける | 優位な側から不利な側へ | 言いにくい。「大丈夫」になりやすい |
| 退職・卒業する人を送り出す | 去られる側の立場が下がる | 言いやすい |
| 上司の昇任試験を応援する | 下から上へ | 無邪気に言える |
| 負けて帰ってきた選手に声をかける | 上から言っている感じになる | 言いにくい |
イチローや秋本治先生の「がんばれ」はなぜ響くのか?
今井さんは逆のパターンとして、イチローさんが全国の高校野球チームを回って指導している例を挙げます。甲子園常連校と公立校とで話す内容を変えているそうで、そこでかける「頑張って」は上から下への言葉なのに、ムカつく人はほとんどいないだろうと二人は考えます。
今井さんはジャンプの漫画学校の仕事で目撃した場面も紹介します。新人漫画家たちが講義を受けるこの企画で、『こち亀』の作者である秋本治先生が講義をしました。受講生は20代前半が中心で、『こち亀』をリアルタイムでは知らない世代です。
(秋本先生が)退場される時に、こう通り道にいる子たちの肩に手を当てて、「頑張ってね、頑張ってね」って言って行かれたんですよ。それで泣き出す子とかいて。
青木さんは、「才能がないのかも」と卑屈になっている人でさえ、あの「頑張ってね」なら頑張ろうと思えるかもしれないと話します。そして、傾斜がきつくなりすぎると一周して寄り添いになり、中途半端な傾斜がよくないのかもしれないと考えます。
ただし青木さんは、30代半ばのエース編集者が同じように声をかけても、同じ効果はないのではないかとも問いかけます。今井さんはそこで、同業の当事者であることが大事なのではないかと指摘しました。
要するに誰よりも自分のことをわかってくれるはずの人だっていう解像度の高さに対する信頼感があるってこと。
今井さんは、秋本先生の言葉からは「君は今大変だろう」「俺もわかるよ」という含意を受け取れるため、聞き手が勝手にいい意味で受け取るのかもしれないと話します。青木さんはここから、問題は傾斜そのものではなく、傾斜に無自覚なほど雑な認識で言ってくることではないかと考えを改めます。
今井さんは、東日本大震災の被災者でも、阪神淡路大震災を経験した人から「頑張れ」と言われたら受け止め方は違ったかもしれないと付け加えました。
天皇陛下の言葉が届くのは、知ろうとしているから?
当事者性の話から、青木さんは被災地を訪れる天皇陛下の例を挙げます。そして、人から聞いた話であり「生半可な知識」だと断ったうえで、知らす ── 「しらす」と読み、統治することを表す古い言葉。明治憲法の起草段階で検討されたとされる文言として知られますという言葉を紹介します。
青木さんによると、日本の統治観には、対象を深く細かく知ることそのものが統治であり、そのパワーの源泉だという考え方があるそうです。一方、国譲りの前に日本を治めていた大国主命の統治は「うしはく」と表現され、所有して管理するという意味合いだと話しています。
対象を深く細かく知ることそのものが統治であり、力の源泉になる
大国主命の統治の表現。所有して管理する考え方
青木さんは、この説が学問的に正しいかはわからないと繰り返しています。そのうえで、天皇陛下の近くで交流した人たちから、世の中で起きていることを知ろうとする姿勢が想像以上だと聞いたことがあるといいます。
(天皇陛下の)そのスタンスの中で頑張ってくださいね、だからやっぱり響くみたいなのもあるのかもね。知りもしないのに頑張れが嫌なのかもなぁ。
いま責められているのは「がんばれ」より解像度の低さ?
青木さんは、解像度の低い「頑張れ」が気にならない瞬間もあるのは、言われる側が傷ついていないからだろうと整理します。弱っているときに雑な扱いをされるのは嫌で、そのときはまず「知ってくれている、わかってくれている、見てくれている」が前提として欲しいというわけです。
青木さんによれば、秋本先生の声かけは「大丈夫だよ」でも「OK、OK」でもよかった可能性があります。大事なのは言葉の種類ではなく、相手を深く見て、独りよがりではなくわかっていることでした。
今井さんはこれを受けて、Xでは当事者ではない人が語ることへの反発が強く、自分の当事者性を示すプロフィールをよく見るようになったと話します。青木さんは、経歴や診断が発言のための「チケット」になっていると表現しました。
一方で青木さんは、あらゆることに高い解像度を求める社会が本当にいい社会なのかはわからない、とも考えます。全方位で解像度高くわからないと声もかけられないのでは困るからです。
青木さんは自分の親世代を例に挙げます。親世代は大枠として雑で、解像度が高い青木さんは親の雑な意見にイラッとしてしまうこともあったといいます。そのため親からすれば、どう接していいかわからなかった可能性もあると振り返っています。
恋愛の質問も、青木さんが挙げた例の1つです。昔は親戚の集まりや入社後の歓迎会で「彼女いるのか」と雑に聞かれ、「いないっす」と答えると「お前頑張れよ」と言われるのが普通でした。
親戚の集まりや歓迎会で普通に聞かれ、嫌な気持ちはしても後に残るほどではなかった
デリカシーがない、自分へのリスペクトがないという判定につながりやすい
青木さんは、仲良くなりたいけれど不器用なだけの人まで、リスペクトがないと判定してしまう可能性が今はあると指摘します。自分たちの世代も10年後や20年後には「粗い」と言われるかもしれず、それを「無限解像度地獄」と呼びました。
「今アルハラって10個、100個あるんですよ」みたいな。
青木さんは、60〜70代の人たちは今の世の中に、自分たちがアルハラの種類の多さにギョッとするのと同じ驚き方をしているかもしれないと話します。どうしていいかわからず、破れかぶれで余計にひどいことを言ってしまう人もいるかもしれない、という見立てです。
言われる側の苛立ちは消えないし、嫌だと言いたい気持ちもわかる。それでも落としどころはどこになるのか、と青木さんは問いを残しました。「頑張れ」の考察は、最後に当事者性と解像度の話へ行き着いています。
まとめ
この回の青木さんと今井さんは、「がんばれ」という言葉そのものが悪いのではなく、言う側と言われる側の関係や、相手をどれだけ知っているかによって受け止め方が変わると考えました。同時に、全方位で高い解像度を求める社会のあり方にも問いを投げかけています。
- 「がんばれ」が避けられるようになった背景として、阪神淡路大震災、メンタルヘルスへの関心、SNSでの経験共有の3つが紹介された
- 挑戦する人への「がんばれ」は寄り添いや「応援させてもらいたい」気持ちで、結果の後や弱っている人には「不足している」と聞こえやすい
- 言う側の立場が弱いと「がんばれ」は言いやすく、優位な側から不利な側へは「大丈夫」が選ばれやすい
- 秋本治先生や天皇陛下の言葉が響くのは、相手をわかろうとする解像度の高さへの信頼があるからではないか、と二人は考えた
- 青木さんは、解像度の低さが責められる社会が行き過ぎれば「無限解像度地獄」になりかねないと問いを残した



